156話 デリアの思い
「ここが水路の入り口だ」
四十二区を流れる長い川の中ほどに、水路の入水口が設けられていた。
割と大きな入水口で、レンガでしっかりと補強されている。
「この辺は流れが穏やかなんだな。水深は割と深そうだけど」
「あぁ。この辺りは斜面が緩やかで、ほとんど平坦なんだ。たまに上からすげぇ勢いで水が流れてくることがあってさ、そういう時にこの入り口が壊れないようにって、親父がここに作ったんだ」
「デリアの親父さんって、前のギルド長なんだっけ?」
「あぁ。カッコいい親父だったぞ」
……『だったぞ』か。
まぁ、深くは突っ込むまい。
「親父が作ってくれてよかったよ。あたいだったら、そこら辺に適当に作っちゃうもんな」
「適当は、……困るかな」
エステラの笑顔が引き攣る。
親の代に済ませておいてよかったな、お互いに。
「これは、親父がちゃんと考えて作った入り口なんだ。下手に壊せねぇよ」
水害の危険性や工事の難しさ云々を抜きにしても、デリアは現在の入水口がベストだと考えているようだ。
あるものに固執して融通が利かなくなるのは困りものだが、今回の場合はそうじゃない。俺も、現状はこの入水口がベターだと思う。場所も強度も形状も。
何か対策を立てるとすれば、新しい入水口を臨時で作って、水不足の解消と共に埋めてしまうってやり方か……けど、それもどうなのかな。
街道の開通にあわせて、ここら一体も綺麗に整備されているからな。下手に掘り返してまた埋めてってのは難しいかもしれない。
去年は、どこもかしこも土が剥き出しの田舎道だったからな。遠慮なく掘り返せたんだが。
「この入り口よりいい入り口を、あたいは作る自信がないな。ヤシロが手伝ってくれたら別だけど」
「いや、そこはウーマロにでも相談しろよ」
「だってあいつ、まともに会話出来ないぞ?」
……まぁ、そりゃそうか。
「やっぱ入り口のことはヤシロに任せないと……」
「デリア。『入水口』な?」
「にゅーしゅいこ?」
「……いや、なんでもない。いい入り口だな」
「だろぉ~? やっぱ分かるヤツには分かるんだよなぁ」
「……ヤシロ。折れたね」
いや、別にいいんだ。入水口だろうが入り口だろうが。
ほんのちょっと気になっただけで。
とはいえ、デリアの愛着もなみなみならない感じだ。これはいよいよもって破壊は難しくなってきたな。
「しかし、本当に水位が下がっているね」
エステラは水面へと視線を注いでいる。
入水口のある川の側面は、かつての水位を示すように変色している。
以前は入水口が半分ほど水に浸かっていたようだ。
だが、現在は入水口の底から、さらに20センチほど低い場所に水面がある。
「この付近って、水深どれくらいなんだ?」
「オメロが沈むくらいはあるぞ」
「……沈めたことあんのかよ」
「勝手に沈むんだ、あいつは」
ここは流れが穏やからしいし、何かを洗うには絶好のポイントかもな。
で、勝手に滑って川へと落ちるのか……ありそうだ。
まぁ、それはいいとして。
オメロが沈むってことは、2メートルは優に超えるか。
水位が下がっても、まだまだ十分に水はありそうだな。
「モーマットたちがうるさいからさぁ、この前オメロに桶で水を汲み上げさせたんだよ」
「水路にかい?」
「あぁ。水が流れれば文句ないんじゃないかと思ってさ……けど、桶だとどんなに頑張って汲み上げても全然水が流れなくてさぁ」
「また無謀な……」
「オメロのヤツ、根性ないからなぁ」
「いやいや……」
エステラの笑顔が引き攣っている。
デリアから川漁ギルドの話を聞く時、エステラは大抵こんな顔をしている。
エステラ。常識にとらわれていると、こいつらの相手は出来ないぞ。
理屈の通じないヤツなんか五万といるんだから。
「けど、だからって川を堰き止めるのは絶対ダメだから……」
眉根を寄せ、俯き加減で、『らしくない』表情を見せる。
いつもの竹を割ったようなデリアの豪快さは影を潜め、子供がわがままを貫こうとする時の強情さと、でもそれが悪いことかもしれないと感じている後ろめたさと、そんなもやもやした気持ちに泣きそうになっている脆さと……そんなものをごちゃ混ぜにしたような暗い表情をしている。
「…………あたいさ、ミリィに酷いこと、言ったかもしれない」
ジネットが目撃したというデリアとミリィの口論。
ジネットの話では、デリアはかなり怒っていたらしいが……
「なんかさ……モーマットとか、米農家のホメロスとか、養鶏場の連中とか、……あ、あと、ちょっとだけだけどムム婆さんにも……水位を上げられないかって言われてさ」
どいつもこいつも、川から離れた場所で水を使う連中だ。
「でも、あたいはっ、川が大事だし、魚が大事だし……そう簡単には納得出来なくてさ」
それで、人が来る度に追い返していたところ、「自分が間違っていて、わがままを言っている悪者なんじゃないか……」と、思ってしまったわけだ。
「ムムお婆さんも来ていたんだね」
「あぁ。ムム婆さんはさ、歳だし、獣人族でもないし、水を汲んで運ぶとかかなりしんどいんだよな……だから、なんとかならないかって……」
「ボクのとこには相談に来なかったなぁ」
「たぶん、オメロに水を運ばせてるからじゃないか?」
「……オメロ、ホントに忠実だよね、ギルド長に」
いや、エステラ。そこは「ギルド長に」ではなく「デリアに」だな。
だが、デリアの機嫌を損ねるくらいなら肉体労働くらい進んでやるのがオメロだ。
「デリアもデリアなりに、対策を考えてたんじゃねぇか。たとえ、ムム婆さん一人だったとしても、お前のおかげで救われた人がいるんだ。上出来だよ」
「でもさっ! 他のヤツらは何回も来て……来る度に、ギスギスしちゃってさ…………」
そりゃあ、向こうも死活問題だ。
水がなければどんな仕事も立ち行かなくなる。
「堰き止めるわけにはいかねぇけど、水はまだあるからさ、各自で勝手に汲んで持ってってくれって言ったんだよ」
「けど、一度に運べる水の量なんかたかが知れてるよね」
「あいつら、力弱いからなぁ」
「……いや、デリアを標準だと考えて非難するのはさすがに可哀想だよ」
エステラ。デリアは常に自分を基準に物事を考えるヤツなんだぞ。
いい加減慣れろ。
「それでさ……あまりにしつこくてさ…………だってな、水はあるんだから汲めばいいだろ? それを運ぶのが大変だからって川を堰き止めろって、それは違うんじゃないかって、あたいは思うんだよ! しんどいのとか、面倒くさいのとか、そんなの、魚がいなくなっちまうことに比べたら全然大したことじゃないだろ!? 魚の方が大切だろ!? 面倒くさくても死にはしないんだしさ! でも、魚は死んじゃうんだぞ!?」
一理は、ある。
他のギルドの連中は、自分たちが『通常の業務』を行うために川漁ギルドに『妥協』を迫っている。
それを川漁ギルドが突っぱねることで、追わなくてもいい『負担』を負わされていると感じてしまうのも無理はない。
けれど、『快適さ』を求めて『安定』を壊してしまうのは愚策だ。
川を堰き止めるってのは、かなり極端な言い方をすれば環境破壊に近しい。これまでそこで行われていた自然のサイクルを人の手で壊す行為に他ならない。
そのせいで失われる生態系があるかもしれない。
そういう観点で見れば、デリアの言うことは正しい。
生態系を壊してまで『楽をしたい』と言う、他ギルドの連中を疎ましくも思うだろう。
だが。
逆の立場から見れば状況はがらりと変わる。
デリアの言うところの『面倒くさい』仕事は、通常業務を圧迫し続け、作業員に無理を強いている。一日二日ならば我慢も出来るが、一週間、二週間と続き、さらにそれがいつ終わるかも分からないとなれば、不満は相当溜まるだろう。
現に、その『面倒くさい』仕事をムム婆さんは行えずにいる。
オメロが手を貸さなければ、ムム婆さんの洗濯屋は店を閉じなければいけない。
しかし、この四十二区においてのんびりと休暇を満喫出来るレベルの裕福さを持っている人物など数えるほどもいない。
連中は必死に働く。
通常業務に追加された、水汲みという『面倒くさい』重労働を、毎日こなしながら。
それはかなりの苦痛だ。
実際、ミリィは倒れそうなほどふらふらになっていたしな。
「だから、あたいもなんか意地になって……イライラしてたのもあって……口調が荒くなってさ…………」
「そんな時に、ミリィが訪ねてきたんだね」
「……うん」
オッサンたちとの交渉によって溜まったうっぷんが、運悪くミリィに向けられてしまったのか。
「前に一度、生花ギルドのギルド長が来た時は、川から水を汲んで持っていけって話をして、それからはずっと来なくて……で、次に来たのがミリィだったんだ。ギルド長が疲れて来られないからって、一番若いミリィがここに来たんだって」
生花ギルドのギルド長は婆さんだと言ってたっけな。
森の管理に動き回って、相当無理をしていたのだろう。
「そしたら、ミリィがさ、『みんなもう限界だから、水位を上げるために少しの間だけでも川を堰き止めてほしい』って…………あたい、『あぁ、こいつも同じこと言うんだ』って思って…………そしたら、なんか…………」
デリアも疲れが溜まっていたのだろう。普段なら、きっとそうはならなかったはずだ。
ミリィはミリィで、無理をしていたのが言葉にも表れている。『もう限界だ』とミリィが言うなんて、相当追い詰められた状況だったってことだろう。
極限状態の二人が意見をぶつければ、相手を言い負かしてでも自分の意見を押し通そうとするだろう。相手を思いやる余裕など、もうないのだから。
冷静な判断を出来るようなゆとりも、きっとなかっただろうしな。
「…………それであたい……」
デリアは、棘の付いた球を吐き出すかのように、胸につかえた言葉を苦悶の表情で口にする。
「ミリィにさ……『鮭がどうなってもいいって思ってるのか』……って、言っちゃってさ……」
これまで訪ねてきた者が、誰一人気にかけてはくれなかったことを、つい自分の口で言ってしまった。
自分の正当性を強調するには、そうするしかないと思ったのだろう。
「そしたらミリィは……『じゃあ、森のお花は、どうなってもいいの?』って……」
同じ立場に立って、互いの視点から自分を顧みることが出来れば、そんな摩擦は生じなかっただろう。
だが、……それが出来る人間は限りなく少ない。
「なぁ……あたいさぁ…………酷いこと言ったのかな? 魚を守るために、森の花も、野菜も、米も、ニワトリも、他のものみんな……どうなってもいいって、そう思ってたのかな?」
吸い込んだ息がデリアの喉で掠れた音を鳴らす。
「他のみんなを守るために……鮭や川を、犠牲にしなきゃいけないのかな……」
「デリア。それは違うよ」
泣きそうな声で語るデリアの言葉を、エステラは明確に否定する。
「誰かの犠牲の上に成り立つ平穏なんてあり得ない。そんなものは、平穏とは呼べないんだ」
「…………エステラの話は難しくてよく分かんないよ。……分かりやすく言ってくれ」
「えっと……」
ちらりと、エステラが俺に視線を向ける。
そして、ばつが悪そうに口元を歪めて、目礼をする。
なんだろう……「ごめんね」と言われた気がしたが…………
「大食い大会の時、ヤシロがしようとしたことを覚えているかい?」
……あぁ。そういうことか。
デリアにも分かりやすく説明するには、あの時のことを持ち出すのが手っ取り早いと思ったわけだ。
……まぁ、好きにしろよ。
俺は、自分の行動を悔いたりはしない。そうならないように、責任を持って今を生きるようにしているからな。
使えばいいさ、たとえ話にでも、教訓にでもな。
「あの時、ヤシロが犠牲になって、『悪いのは全部ヤシロだった。他のみんなは何も悪くない』って言い張って、それでヤシロがこの街からいなくなっていたら……みんな幸せになれたと思うかい?」
「そんなわけねぇだろ! もしまたあんなことして、勝手にあたいらの前からいなくなったりしたら、その時はあたいが絶対見つけ出して全力でぶっ飛ばしてやる!」
おぉ……俺に死亡フラグが。
デリアは自分のスペックとか、絶対顧みないタイプだしな。
常に全力、故にオーバーキルだ。
……絶対怒らせないようにしよう。
「もし君が、他のみんなのためにって、納得しないまま川を堰き止めたとして……仮に他のみんなが助かったとしても……鮭がいなくなった川を見てデリアの元気がなくなったら……ボクはそんなのを『平穏』だなんて思えない。『よかった』なんて言えない」
うな垂れるデリアに近付き、強引に手を握るエステラ。
グッと力任せに握りしめ、真っ直ぐに、思いを詰め込んだ視線をデリアの瞳に注ぎ込む。
「デリアは、四十二区の大切な仲間だ。デリアが悲しいとボクも悲しい。絶対に、君を犠牲にしたりはしない」
「エステラ…………」
デリアの顔が、少しだけ泣きそうに歪む。
「……ごめん、やっぱちょっと難しくて半分くらいしか理解出来なかった」
「嘘でしょ!?」
あぁ……デリアはなぁ、一度に長く話されると途中から脳がフリーズしちゃうんだよなぁ……自分は感情に任せて長く話すクセにな。
「けど……半分くらいでもちゃんと分かった」
自身の手を握るエステラの手を、デリアはさらに力強く握り返す。
「エステラは、あたいのこと、好きでいてくれるってことだよな?」
「う、うん……そう、なんだけど…………手、手が、痛い……もうちょっと優しく……っ」
「あたいもエステラのこと好きだぞ!」
「う、うん! ありがとう! でね、手! 手がね、手の骨がね! ギシギシって!」
「エステラ、大好きだ!」
「ありがぃたたたたあっ! ヤシロ! デリアを止めて! 早く!」
「デリア、俺とも握手してくれ」
「おう!」
俺が手を差し出すと、デリアはパッとエステラの手を放し、こちらに体を向けた。
解放された瞬間のエステラの安堵した顔と言ったら……精々恩に着るがいい。
「ヤシロにも握手だ!」
「と、その前に!」
テンションが上がったまま握手などされたら、エステラ以上にデリケートな俺の手の骨は一瞬でふりかけみたいに粉々になっちまうだろう。カルシウムたっぷりだね、とか言ってる場合じゃない。
こちらに向いたデリアをいったん制止させ、テンションを元に戻してやる必要がある。
「エステラの話の続きだ。難しくないからちゃんと聞いてくれ」
「うん? あぁ。聞く」
「エステラは、デリアのことを仲間だと言ったな?」
「あぁ! 嬉しかったぞ、エステラ!」
「あはは……それはよかった」
エステラがちょっとデリアに苦手意識を持ち始めている。
真逆だもんな、タイプが。
「けど、エステラにとっては、ミリィやモーマットたちも同じくらい大切な仲間なんだ」
「オメロもか?」
そこで、「いや、オメロは別!」とか言い出したら、さすがの俺もオメロに同情しちまうよ。
「オメロもだ」
「エステラって、ホントいいヤツだな!」
「あはは……そりゃどうも」
つか、デリアはオメロをどういう目で見ているんだろうか……聞くのが怖いから聞かないけれど。
「だからな、エステラはみんなのことを助けたいと思ってるんだ」
「みんなって……みんなか?」
「あぁ。みんなだ」
それが無謀だとしても、こいつはそうなるように必死にあがき続ける。
そういう損な性分をした領主なんだよ、こいつは。
「じゃ、じゃあ……さ」
少し照れたように、俯いてもじもじとして、デリアは不安げな顔を見せる。
大きな体を少し丸めて、上目遣いで俺に尋ねる。
「ミリィのことも……助けてやれるか?」
やっぱり、そこが一番引っかかってたんだな。
「モーマットとかは言い方がムカついたからぶっ飛ばしてやろうかとも思ったんだけどさ」
モーマット。お前に死の宣告が出てるぞ。
「ミリィには……完全にあたいの八つ当たりだったから…………その、悪いことしたなって…………たぶん、もうあたいのことなんか嫌いになって、会ってはくれないだろうけど……」
少し驚いた。
デリアでも、そんなネガティブなことを考えるんだな。
少し考えれば、ミリィがそんなことしないと分かりそうなものだが……自己嫌悪と罪悪感は普通の物事を最悪な状態に錯覚させてしまう。そんな心の弱さを、デリアも持っていたんだな。
「も、もし、川を堰き止めずにミリィを助けられる方法があるならさ、助けてやってくれないかな? あたいに出来ることならなんだってするから!」
ここにもいたか、「なんでもする」なんて危険な言葉を口にしてしまうお人好しが。
「……それで、ついででもいいんだけどさ…………出来たら、ミリィにさ、あたいが謝ってたって……伝えてくれない、かな?」
デリアがミリィを怖がっている。
会って冷たくされるのが怖いのだろう。
なんか、凄く貴重な映像を見ている気分だ。
「それはちょっと、出来ないかもしれないな」
声音を変えて、エステラがそんなことを言う。
あぁ、そういうことか。タイミングが素晴らしくいいな。
けどなエステラ……そういう『言葉遊び』は相手を見てやれ。でないと……
「なんでだよ!? お前、あたいのこと好きだって言っただろう!? 意地悪するなよなぁ!」
「ちょっ!? デリア! 待って、待っ…………うゎあああっ!」
デリアがエステラの襟を掴む。
背負い投げでもしそうな勢いだな。
「違う! 最後まで! 最後まで話を聞いて!」
「意地悪しないって誓ったら聞いてやる!」
「意地悪じゃなくて! いちいちボクらが伝言する必要がないって言ってるんだよ!」
「エステラの話は分かりにくい!」
「堤防を見て! 河原の上の道!」
懸命に叫び、河原の道を指さす。
ややきつめの傾斜の上。街道から延びるその道を見上げると、そこに――
「ぁ、ぁの……っ!」
ミリィが立っていた。
「ミ、ミリィッ!?」
デリアの肩がビクッと跳ねる。
エステラを解放し、慌てて俺の背中に身を隠す。
……はみ出てる、はみ出てる。
「お、怒りに来たのかな?」
それはないって。
「な、殴られたらどうしよう?」
いやいやいや、それだけは絶対ないから。
「どれくらいの強さで反撃すればいい?」
「やめてあげて、ミリィ飛んでっちゃうから……」
やられると反撃はするんだな。
「じゃ、じゃあ……我慢して受ける……」
いや、だから……
「大丈夫だから、ミリィの話を聞いてやれって」
「でも……」
「デリア。いいか、よく聞けよ?」
こんなに怯えているデリアは初めてだ。
嫌われるってことが、本当に怖いらしい。
だから、少しだけ勇気をやろう。特別だぞ?
今回だけ特別に……請求はエステラに行くようにしてやる。
「俺が『大丈夫』って言ってんだから、絶対大丈夫だ」
前髪から覗く瞳を見つめて、力強く頷いてやる。
ミリィは怒ってない。むしろ、お前と同じ気持ちなんだよ。
「怒ってないかな?」「嫌われたらヤだな」ってな。
その証拠に、見てみろよ、ミリィの手を。
両手で大切そうに握られた、あの可愛らしい袋を。
断言してやろう。
五分以内に、お前たちはちゃんと仲直りをしている。………………いや、やっぱ十分以内にする。うん、ゆとりは必要だからな。
「う……うん。ヤシロがそう言うなら…………信じる」
俺の背中から身を離し、背筋を真っ直ぐに伸ばす。
大きな胸が天を突くようにババンと張り出し、なんかもうわっほ~い。
キリッとした表情は、ギルドを代表する責任者の風格を纏い、端正な顔立ちのデリアを一層美しく見せる。
そんな中、いまだ残る微かな不安に震える唇が、可愛らしさを添えていたりもするわけだが……
大丈夫。デリアならこんな不安、乗り切れるさ。
俺はお前を信じているぞ。
「ねぇ、ヤシロ……デリアを励ます間に一回だけふざけたこと考えなかった?」
「なんの話だ?」
「いや、一瞬だけ顔つきが『わっほ~い』みたいな感じに…………いや、なんでもない」
エステラめ……鋭いヤツだ。
まぁ、エステラのことはどうでもいい。
「ほら、デリア。行ってやれよ」
「あ、あぁ……分かってる……って」
デリアが動かない。
背筋を伸ばし、胸を張って、目を逸らしている。……往生際の悪い。
「おーい、ミリィ! こっちまで来てくれ。デリアが話したいってよ~!」
「ちょっ!? ヤシロ!? ま、まだ、心の準備が……っ!?」
慌てふためくデリア。
しかし、ミリィは小さな歩幅で、しっかりと一歩一歩こちらへと近付いてくる。
ミリィが接近するにつれ、デリアの動揺は大きくなり、ミリィの緊張した息遣いが聞こえるくらいにまで接近した時、その緊張はピークに達したようで…………フリーズした。
まるで、美しい彫刻のように雄々しい立ち姿で固まっているデリア。
……その張り出した乳は揉み放題だと解釈していいのか?
「ぁ……ぁの、ね……でりあ、さん」
「ほぅっ、お、おぉ! ミリィか!? 奇遇だな、こんなところで!」
奇遇なわけないだろう……落ち着けよ、デリア。
「ぁ……ぅん…………奇遇、だね」
乗っからなくていいから。
変な気を遣わなくていいんだぞ、ミリィ。
そして、お互いの顔を見つめ合ってもじもじもじもじ……微妙な空気が辺りを包み込んでいく。
「……ヤシロ」
エステラが背後から近付いてきて、俺の脇腹を肘で小突く。
「……君が招いた状況なんだから、責任取りなよ」
「俺が言わなくても、こうならなきゃ始まんないし終わらなかったろうが」
「……いいから。任せたよ」
何がいいものか……ったく。
「ミリィ」
「は、はぃっ? な……なに、てんとうむしさん」
ミリィも言いたいことはあるんだろう。
だが、第一声というのはどうしても勇気がいる。
きっかけがあれば楽なんだろうが。
なので、そのきっかけを、俺が与えてやる。
「デリアに渡したい物があるんだろ?」
その、両手で大切に握りしめている可愛い袋。
渡してやれば大喜びするぞ。
「ぅ、……ぅん」
俯き、唇を噛みしめ……意を決したように顔を上げる。
「ぁの、でりあさん……っ」
「な、なんだ!?」
「もし、迷惑だったら……その……ごめんなさい、けど……ぁの…………これ、よかったら……」
「……え?」
両腕を伸ばし、可愛らしい袋を差し出すミリィ。
デリアは状況が把握出来ずに、俺へと視線を寄越す。
頷いてやると、恐る恐る、その袋へと手を伸ばした。
「開けてみろよ。きっと喜ぶから」
「……う、うん」
俺が背中を押してやると、デリアはそろりそろりと袋を開ける。
「……………………あっ!?」
そして、中身が何かを知ると、勢いよく手を突っ込んで一粒摘まみ出した。
「ネクター飴だぁ!」
それは、デリアの大好物。甘い甘い、ネクター飴だった。
三十五区の花園にあるやたらと美味い花の蜜をブレンドしたとても甘い蜜の味。
それを飴にすることで長くその甘さを楽しめる。
デリアみたいな甘党には堪らないお菓子だ。
「こ、これっ、あ、あたいにくれるのか!?」
「ぅ、ぅん。……喜んでくれると……ぅれしい……な?」
「喜ぶ! 嬉しい! やったぁ! あたい、これ好きなんだぁ! 美味しいよなぁ!」
「ぇ、ぇへへ……『美味しい』って言ってくれて、ありがと、ね?」
「こっちこそありがとうだよ、ミリィ!」
ネクター飴を見て急上昇したテンションのまま、デリアはミリィの手を取る。
そして、はたと我に返り、固まってしまった。
顔を合わせづらいと思っていた、嫌われたくないと思っていた、謝らなければと思っていた相手が、今、目の前にいる。
そんな状況を、急に突きつけられて、デリアの思考は停止してしまったのだろう。
「あ…………いや、……あの……」
いつもは歯切れのいいデリアの言葉も、今日ばかりは濁る。
言いたいことが喉の奥でつかえて出てこない。
そんな自分に焦りと苛立ちを覚えて……微かに涙が浮かぶ。
デリアの今の気持ち、少し分かる。そういうことは、誰しも経験したことがあるはずだ。
そして、その感情は――
「ぁの、ね…………みりぃ、ずっと謝りたかったの」
「…………へ?」
「でりあさんの気持ち、無視して自分たちの話ばっかりして……ごめんなさい」
「……っ!?」
――優しさに触れれば一瞬で瓦解する。
「あっ、あたいの方こそ…………ごめんよぉおおっ! あたい、ミリィに、酷いことっ、言って…………ごめんなぁぁああっ!」
「ぅうん、ちがう、ちがうよっ、でりあさん、悪くない、ょ? ぁの、みりぃ……ぐすっ、みりぃも、ひどいこと言って…………でりあさん悲しませて……」
「ミリィも悪くないもんんんっ!」
「はいはい。どっちも悪くないから。ね?」
お互いに自分を責め続け、相手に嫌われることを恐れ続けていた。
ところが、実際話してみれば責められるどころか謝られて、優しい言葉をかけられて……そりゃ泣いちゃうよな。デリアとミリィだもんな。
デリアは、体はデカいけれど、心はミリィと大差ない、少女のようにもろいんだ。
「ほら、二人とも。もう大丈夫だから。これで仲直り出来たよね? もう、泣かなくていいんだよ」
緊張から解放されて涙を流す二人の『少女』を、エステラが慰める。
二人の『少女』はエステラの真っ平らな胸に顔を埋めて嗚咽を漏らす。
「……ヤシロ。今、何考えてた?」
「お前がいてくれてよかったなぁって。俺には真似出来ねぇもん、それ」
「…………絶対、違うこと考えてたね」
なんでこんな感動的な場面で邪推するのかねぇ……ちょっとぺったんこだって思っただけなのに………………ホント、鋭いヤツだ。
「あ、あのな、ミリィ! あたいさ、ミリィのとこの手伝い、何か出来ないかなってずっと考えてたんだ! たまに、川でミリィを見かけてさ……なんか、疲れてるみたいに見えたから……だからな、なんか出来ないかなって」
「ぅん……ありがと」
「けどあたい、そういうのよく分かんなくてさ……」
「みりぃも、よくわかんない、よ。どうすればいいのかなって、いっつも悩んでる……お揃いだね」
「あぁ。お揃いだな」
顔を近付けて、涙で赤く染まった目を細めて笑い合う。
無事に和解出来てよかったな。
まぁ、話を聞いて、和解は容易だろうとは思っていたが。
こういう時は、一回思い切って、顔を突き合わせりゃどうにかなっちまうもんなんだよ。
特に、デリアやミリィみたいな、『ジネット寄り』な人種の場合はな。
俺やエステラみたいなタイプじゃ、そう素直にはいかないかもしれないけどな。
「けどな、もう大丈夫だぞ!」
デリアが「でん!」と胸を叩き、盛大に「ぽよぉおん!」と揺らす。ナイスッ!
「……ヤシロ。うるさい」
おかしい。
俺は一言も言葉を発していないはずなのに……エステラ、変な能力に目覚めたんじゃないか?
「なにか、いい方法を思いついた、の?」
「いいや。あたいにはさっぱりだ」
「でも……大丈夫、なの?」
「あぁ!」
そして、自信満々にデリアは俺を指さした。
「ヤシロがなんとかしてくれるって!」
「んんっ!?」
なんだ、この丸投げ、無茶ぶりは!?
「さっき言ってくれたんだ。『俺が「大丈夫」って言ってんだから、絶対大丈夫だ』って!」
いや、言ったけど!
それって、ミリィとの和解の話であって、水不足関係ないよね!?
「川を堰き止めずに、ミリィたちの苦労も解消してくれる、なんか凄いこと考えてくれるって! な、ヤシロ!? そうなんだろ!?」
…………いやいやいや。
なに、俺って殿様に無茶ぶりされ続けるとんち坊主か何かなの?
「あ~……デリア、お前はきっと、極度の心労と緊張で記憶に齟齬が生じてるんだ。その直前にエステラの小難しい話を聞いていたのも影響してるかもしれないな。いいか、俺が『大丈夫だ』って言ったのはな……」
「…………違う、のか?」
うわぁ……卑怯だわぁ…………その顔、すげぇ卑怯だわぁ……ジネットに負けず劣らず超ズルい。なんなら隣でミリィがおんなじような顔してんのがさらに凶悪。
え、なに? 君ら『かわいいテロ』とかあちこち振り撒く闇の組織かなんか?
あぁ、もう………………っ!
「…………善処する」
「やったぁ!」
「ぁりがとう、てんとうむしさん!」
もう解決したみたいな喜び方しやがって……
「さて、これが君にどんな利益をもたらすのか、楽しみだねぇ」
うるせぇよ、エステラ。にやにやした顔でこっち見んな。
くそ。この街に俺の天敵が増えてきてないか?
なんだかんだと反発はしてみるものの、結局こうなるんだな…………
だがまぁ、あいつとあいつを利用すれば、なんとかならないこともない……って方法なら思いついたけどな。
さて、一体どうやって………………俺に持ちかけられたこの面倒くさい事態をそいつらに押しつけるか……
なんてことを考えていると――
「ヤシロさーん! みなさーん!」
堤防からジネットの声が聞こえてきた。
陽だまり亭七号店を曳いたマグダとロレッタ。そしてウーマロとハムっ子、さらにどこで拾ってきたのかモーマットとイメルダまでを引き連れて。
「なぁ……ヤシロ。今度は何をする気なんだ?」
突然やって来た大所帯に、デリアの口元がヒクつく。
各方面に摩擦が生じている今だからこそ不安になっているのだろうが……モーマットもいるし……でもまぁ、心配すんな。
「何って、決まってるだろ?」
時刻はそろそろ夕刻。
随分と店を空けちまったが……まぁ、今日は大目に見てもらおう。
夕刻にすることと言ったらそう多くはない。
「飯を食うんだよ」
腹一杯美味いものを食って、それから落ち着いて話せばいろんなわだかまりも溶けるだろうよ。
それに、デリア。お前は運がいいぞ。
ジネットに感謝するんだな。頼もしい連中を連れてきてくれた。
今回の一件、もう解決したようなもんだ。
ご来訪ありがとうございます。
ありがたい……
レビューをいただきました!!
もう感謝の言葉もありません。
「めっちゃ」とか「ごっつぃ」とか「めがっさ」とか、
頭にいくら付けても足りないくらいに嬉しいです。
36件です。
もうあれですね。
日本語読みしたら「サブロー」ですね。
転生前のヤシロの年齢です。
慣用句では『三十六景』などのように「非常に数の多いもの」という意味合いで使用されたりします。
また、ルーレットの最高倍率も36倍です。
つまり、たくさんです。
改めまして、ありがとうございます。
さて今回の2016/07/26 22:31の方は、
なんでも初レビューということで、
勢いのある面白い感じになっていました。ツンデレっぽく始まったかと思うと、
最終的にはおっぱいにたどり着くという、なんとも今作にピッタリな構成で、
なにより、「膨らみかけちっぱい組合」の組合員の方のようです!
花は散るからこそ美しい。
膨らみかけも、今、一瞬の輝きがあるからこそ美しい。そういうことなのでしょう! 分かります!
自分のスタイルで楽しめばいい。そんなことを思わせてくれるレビューでした。
ありがとうございますっ!
それにしても凄いですね、ウィキペディア。
『36』に関するページまであるんですね。
「35の次で37の前の数」だそうで……そりゃそうだろう!?
こんなページもあったんですねぇ。
世の中、まだまだ知らないことだらけです。
――ここから先、本編のネタバレ含みます――
というわけで、仲直り回です。
今回は、
第三者が見ると『そんなことで?』というような小さな悩みながらも、当事者になるとそれがとてつもなく大きく、重く、苦しい……そんなよくある感情のすれ違いを書いてみました。
悩んでる方は、本当に真剣なんですよ。
いろいろと、怖いんですよね、心が弱ってる時って。
思い切って踏み出してみると、意外と大したことないってことの方が多いんですけどね。
とりあえず、仲直りです。
きっと、お互いに罪悪感とか抱えていた反動で、前以上に仲良くなって、
一緒にお風呂に入ったりするんでしょうね、これから先。
いいなぁ! 混ざりたい!
なぜヤシロは四十二区に大衆浴場を作らないのでしょうか。
ローマ人なら、一も二もなく作るでしょうに……ヤシロにはローマの血とか流れてないんでしょうかね。
残念です。
大浴場があれば、なんとしてでも忍び込んで(どこにとは言わない)ガン見しますのに(何をとは言わない)!
ガン見、しますのに!
ガン見といえば。
いよいよ、明日、7月30日は
『異世界詐欺師のなんちゃって経営術(2)』の発売日です!
★.。・:*:・゜'☆ヽ(´▽`*)人(*´▽`)人(´▽`*)人(*´▽`)ノ★.。・:*:・゜'☆
早売りがなく、公式発売日まで店に並ばない、という方は、もうしばらくお待ちください!
すぐです! 楽しい休日を満喫していれば、二日なんて「あぁ、おっぱい揉みたい」と言う間です! 揉んでるうちに過ぎます! 揉めなくてもちゃんと過ぎます!
そして、今回もやります、Twitter全プレ企画!
ガン見です!
大浴場がなくても、ガン見出来るSSをプレゼントいたします!
詳しくは活動報告をご一読ください!(画像もご覧になれますよ☆)
Twitterをされている方は、是非!
頑張ってSS書きましたので!
そして、告知続きですが、
今回の購入特典は、
電子書籍のSSと、
ゲーマーズ様のオリジナルブロマイドとなっております。
(マグダファンの方はゲーマーズ様不可避ですよっ☆)
電子書籍は、Book☆Walker様が8月1日配信。
それ以外の各社様は9月の配信となります。
新人ウェイトレスのマグダのお話になっておりますので、ご興味ある方は是非!
と、いうわけで、
「なんかSS少なくね?」と、思われた方、いらっしゃるかもしれません。
大丈夫です! 今回もSSたっぷり書いてあります!
というわけで、
今回は『購入特典風オリジナルSS』をSS置き場の方に公開したいと思います!
何が『購入特典風』かと言いますと――
書籍を刊行するにあたって、作者はいろいろなものを書かせてもらいます。
告知であったり、ひとことメッセージで合ったり、
書籍の表紙の折り返しにある作者紹介とか、
専門店様の購入特典用SSとか、特設ページ公開用SSとか、
様々な用途に合わせて、それに合った形式で文章を書くんですが、
今回は文字数とか構成とかが、購入特典用SSの書き方になっているというわけです。
ですので、一巻の時の購入特典を手に入れてくださった方は、
「あぁいう感じのSSが公開されるんだな」と思っていただき、
前回手に入れられなかったという方は、今回公開するSSをご覧いただき、
「あ、こういう感じなのね」と思っていただければと思います。
とりあえず、三つほど公開させていただく予定です。
・エステラとの話
・マグダ&ベルティーナとの話
・ジネットとの話
順番はどうなるか分かりませんが、数日おきに公開していきます。
是非、お暇な時に覗きに来てくださいませ。
ちなみに、
今回のSSは、『異世界詐欺師のなんちゃって経営術(2)』の購入特典を想定したものですので、
キャラたちの関係性がその当時のものであり、
ロレッタとかレジーナなんかは出てきませんので、あらかじめご了承ください。
マグダ「……エステラの胸が育つ前の話」
エステラ「今でも育ってないよ! 悪かったね!?」
購入特典風SS、一本目は、公式発売日の8月1日を過ぎた後を予定しています。
書籍を読了後お読みいただくことをお勧めいたします。
というわけで、感謝とおっぱいと告知だけで埋まってしまいました。
むしろおっぱいになら埋まりたいところですが、あまり長くなってもなんですので、
今回はこの辺で。
なんだか、いろいろとあっちこっちでやっておりますが、
どうか私と一緒に発売記念のお祭り騒ぎを楽しんでいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします!
今後ともよろしくお願いいたします。
宮地拓海




