15話 サーモンピンク
「……獣を狩ると、とてもお腹が減る」
陽だまり亭に戻った俺たちは、二階の空き部屋に集まっていた。
食堂の改装が終わるまで、ここが簡易的なリビングになっている。
部屋には小さめのテーブルが置かれており、椅子が四脚並べてある。
部屋の入り口側に座ったマグダの斜向かいに俺は腰を下ろし、その俺の背後にエステラが立っている。ジネットは今ちょっと席を外し、この部屋にはいない。
テーブルを見つめるようにやや俯き、マグダが静かに語る。あの人智を超える凄まじい力のことを。
狩猟ギルドで疎まれていた、その原因を。
マグダは、大通りに突如現れた暴れ牛を瞬く間に仕留め、そして瞬く間に平らげた。
話を聞くところによると、こいつらトラ人族は獲物を狩る才能が他のどの人種よりも優れており、しかも狩りに関して特殊な能力も持ち合わせているのだという。
ただし、その能力を使用すると尋常じゃなく腹が減るのだそうだ。
「あの炎みたいなオーラが出ると、お前たちトラ人族は無敵なんだな?」
「……そう。アレが発動すれば、トラ人族は力も速度も数十倍に跳ね上がる」
とんでもねぇチート能力だ。
「……マグダたちは、あの光を『赤いモヤモヤしたなんか光るヤツ』と呼んでいる」
「もうちょっとマシな呼び名を考えられなかったのかよ……」
「……先祖代々そう呼んでいる」
「なんて残念な一族なんだよ、トラ人族……」
ネーミングセンスが皆無どころではない。
もはや面倒くさくなって適当につけたレベルだ。……まぁ、実際そうなんだろうが。
「で、その『赤モヤ』が発動すると、すげえ腹が減って狂暴化するわけだな?」
「……変な略し方は容認出来ない」
「正式名称がすでに変だろうが」
『赤モヤ』を発動したトラ人族は激しい空腹感に襲われ、目の前にある食い物を貪り食ってしまうのだそうだ。
味など関係ない。食えればなんだっていいのだ。生肉だろうが、ガッチガチの甲羅に守られた生き物だろうが……亀の甲羅をバリバリ噛み砕いて食うこともあるらしい。
そして、飯を食っている時のトラ人族が最も恐ろしい。邪魔する者を容赦なく、それも無意識に排除してしまうのだ。マグダは俺を投げ飛ばしたことを覚えていなかった。
食事中に近付くものは何者であろうと排除する。本能にそう刻み込まれているらしい。
犬猫も、食事中に触るとすげぇ怒るもんな。あんな感じだろう。
「……訓練をすれば『赤いモヤモヤしたなんか光るヤツ』を上手くコントロールすることは可能」
「だがお前は、訓練の甲斐なくいまだコントロールが出来ない、と」
俺が言葉を継ぐと、マグダはこくりと頷いた。
つまりこいつは、狩りに出る度に狩った獲物をその場で平らげていたのだ。
狩れるのに収穫はなし。
マグダが言うには、どんな強い獣にも負けることはないのだとか。ただし、相手が強ければその分力を使うことになり、それに比例して空腹感が増すようだ。
小物の獣を狩ればぺろりと。
大物を狩ればその分ガッツリと。
結局、肉の一欠けらも残さず綺麗に完食してしまうらしい。
……あとでスタッフが美味しくいただきましたを地で行くヤツだ。
「でも、狩りさえしなければ小食なんだよね?」
エステラがマグダに尋ねる。
今、マグダの目の前には黒パンとミルクが置かれているが、まったく手はつけられていない。
「……今は、お腹いっぱい」
そりゃ、あんなデカい牛を一人で完食すりゃあな。
しかし、街での一件は本当に危うかった。
下手をすれば大損害を被るところだったのだ。
暴れ牛騒動が収まりを見せ始めた頃、横転していた荷馬車に乗っていた商人がマグダに詰め寄ってきた。
そいつは暴れ牛を業者に連れて行く途中だったそうで、すっかり食い尽くされた牛を見て憤慨していた。肉をすべて食ってしまったマグダに「弁償しろ!」と声を荒らげたりもした。
そこで俺は、咄嗟に行動に出た。
マグダがいなければ、被害はもっと拡大していただろうという趣旨のことを訴えたのだ。
もちろん、牛商人に向けてではない。その場にいた住民、とりわけ大通りに店を構えている人々に向けてだ。
すると、俺に追随するように、この一連で大なり小なり被害を受けた者たちから口々に声が上がった。
「暴れ牛に商品を壊された」「肉や野菜を食い散らかされた」「店舗を荒らされ柱を傷付けられた」などの実害に対する訴えから始まり、果ては「暴れ牛の登場に驚き転んで膝を擦り剥いた」「ウチの爺さんが腰を抜かして立てなくなった」「ウチの子供にトラウマが植えつけられた」などの言いがかりと呼べるものまで。被害自慢合戦の如く、非難の矢が四方八方から掃射されたのだ。
そうしてひとしきり騒いだ後、その場にいた者たちはある一つの結論を牛商人へと突きつけた。
「そもそも牛を逃がしたお前が悪いのではないか」と。
時として、被害者の団結力というのは凄まじい勢いを見せる。ああいった場面なら尚更だ。
ただ、そんな強固な団結力も、きっかけがなければ生まれない。
その場にいる誰もが同じ思いを抱いていると分かっていても、誰もが先陣を切ることを躊躇する。万が一、周りからの賛同を得られなかった場合を懸念してな。
故に、俺がその役を引き受けることにした。
もちろん正義感からじゃない。全くの無関係なただの傍観者なら、口を出すだけバカだ。
が、その場において、俺はマグダの関係者だった。
打ってもまったく響かないマグダ相手じゃ、凄みを利かせて詰め寄ったところで牛商人もそれ以上なす術がないだろう。すると、牛商人は次にどういう行動に出るか。
言うまでもない。関係者探しだ。
そんなことをされては堪らない。だから俺は、自ら進んで火点け役を買ったのだ。
俺の予想は的中し、一度点いた火は業火のごとく燃え上がった。
暴れ牛の被害を訴えるだけに留まらず、マグダを庇うような意見さえも出た。
「この娘がいなければウチの店は倒壊していたに違いない!」「小さい体でよくやったぞ!」「大したもんだ!」などである。
マグダの功績を称賛し、もしマグダに難癖をつけるのであれば、今後この通りを歩かせないとまで豪語した者もいたほどだ。
結果、牛商人は「牛は逃げたと思うことにする」とマグダへの損害請求を取り下げた。
その言葉を聞き、俺は心底安堵した。
牛丸ごと一頭なんて、賠償請求されたらいくら払わなければいけなかったか……焼き肉で腹いっぱい食ったって牛のほんの一部でしかないのだ。……恐ろしや恐ろしや。
ちなみに、あれだけぶっ飛んだことをしでかしたマグダを擁護する意見が多く出たのには、マグダの容姿と、そしてその後の行動に関係しているものと思われる。
マグダは小さく、表情こそ乏しいが顔の作りも悪くはない。可愛いと言ってもいいだろう。
そんな小さな子がご飯をいっぱい食べて、食べ終わった後に満足そうに「ごちそうさま」をしたのだ。
オッサンオバサン問わず、その場にいた大人たちは撃沈していたね。
俺も、ちょっとだけヤバかった。
食っていたのが牛肉でなければコロッと騙されていたかもしれない。……いやほら、満足そうに「ごちそうさま」したところで、「お前、いくら分食ってんだよ!?」って思うと可愛さよりも苛立ちが先に来るだろう?
「遠慮しなくていいぞ」とファミレスに連れて行った子供が、本気で一切遠慮しなかったら、「いや、遠慮しろよ!?」って怒鳴るだろう? そんな感じだ。
俺は、牛肉が減っていく度に「今ので一万……二万…………あぁ五万は飛ぶな」と思っていたから、ハラハラしっぱなしだったぜ。
まぁ幸いなことに、料金は請求されなかったからよかったけどな。
代わりに、牛商人が大通りのブラックリストに載ってしまったようだが。
『杜撰な管理で街に被害を与えた』という旨のチラシが作成され、大通りの掲示板に張り出されることになった。その張り紙がある期間は、あの牛商人は大通りを通れないらしい。
商談に行くにも、商品を届けるにも大通りを迂回しなくてはいけないのだそうだ。
すげぇロスになるだろうな。ただでさえボロい荷馬車だったというのに。
四十二区の大通りは、みすぼらしいながらも、道はきちんと均されている。
馬車の通行にも耐え得る強度だ。
だが、一本路地に入れば悪路に次ぐ悪路だ。……また牛逃がすんじゃねぇの。
ちなみに、掲示板に張り出されたそのチラシが、例の俺の手配書の上に重ね張りされたことで、俺だけが密かに大喜びしていたのは内緒だ。
「お待たせしました~!」
ジネットが焼鮭定食を持って、俺たちのいる二階の部屋へとやって来る。
俺たちが話している間、ジネットはみんなの昼食を作っていたのだ。
この鮭は、川漁ギルドのデリアにもらったものだ。お近付きのしるしとかで十尾ほどタダでもらったので、どのようにして食うのがいいか試食を兼ねていただこうというわけだ。
「うわ……本当に身が赤いんだね」
エステラが焼鮭を見て眉を歪める。
鮭に謝れ、無礼なヤツめ!
「そんな顔をするなよ。こいつは一度海へ出ているんだぞ。海魚みたいなもんだ」
「はぁ? 川魚が海に出るわけないじゃないか。くだらない嘘を吐くとカエルにするよ」
「嘘じゃない。この赤い身がその証拠だ」
「海に出たから身が赤くなったって言うのかい?」
「そうだ」
エステラがあからさまに胡散臭そうな表情を見せる。
逆にジネットは興味津々とばかりに、俺の向かいへ座り身を乗り出してくる。
その隣で、マグダも俺を見つめている。虚ろな目は「……詳しく」と物語っているように見えた。
「塩水に浸ければ、白身が赤く染まるとでも言うのかい?」
「そんなわけないだろう。こいつが赤いのはオキアミを食ってるからだ」
エビやカニの甲羅が赤いのと同じ原理だ。
「さらに言うなら…………この鮭って魚は、実は…………白身魚だ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「えぇーっ!?」……という反応を期待したのだが、全員が黙りこくってしまった。
そして、テーブルに置かれた鮭を見て、次いで俺を見て、一様に気の毒そうな表情を浮かべた。
「……ヤシロ、ついに目まで悪く……」
「とりあえず、他にどこが悪いのか言ってもらおうか?」
エステラが失礼極まりないことをのたまいやがる。
本当に鮭は白身魚なのだ。
そもそも、赤身白身は筋肉の種類によって分類されている。
遠泳に向いているのが赤身。
瞬発力の高いのが白身だ。
そういう分類分けをすれば、鮭はれっきとした白身魚なのだ。
ただ、身が赤いだけでな。
「本当なんですか?」
「俺のいた国は島国だと言っただろ? 魚に関しては、ちょっと進んだ知識があるんだよ」
それ故に、鮭の美味い食い方も知っている。
実はすでに、鮭フレークを作ってあるのだ!
ジネットの取る出汁が美味かったのでそれを使い、酒で味を調えて、かなり美味い鮭フレークが出来た。これで、陽だまり亭に貯蔵されている古米も美味しくいただけるというものだ。
鮭フレークの混ぜご飯。
聞くだけで美味そうではないか。
今日は米を炊いている暇がないから試食はまた今度か……いや残念だ。
「そういえば、ヤシロさんが言っていた鮭フレークご飯を作ってみたんです」
「偉いぞジネット! 今すぐ持ってきてくれ!」
「はい!」
元気のいい返事を残し、ジネットが部屋を出て行った。
厨房も改装中のため、現在は中庭に簡易のカマドが設置されている。俺が造った物だ。
そこでご飯を炊いていたらしい。出来るヤツだ。
あとは、炊けた米と鮭フレークを混ぜれば完成だ。白ごまを振ったり、刻み葱とバターを混ぜてちゃんちゃん焼き風にしても美味い。
あ、そうか。
「見つかったかもしれん、こいつの活用法が」
「本当かい?」
エステラが俺を覗き込むのと、ジネットが再び部屋に入ってくるのはほぼ同時だった。
「ほわぁぁあっ!?」
「えっ!? な、なに、ジネットちゃん!?」
「ヤシロさんとエステラさんがチューを!?」
「し、しし、してない! してないよ!?」
タイミングと見た角度が最悪だったのだろう。
あらぬ疑いをかけられてしまった。
「あのなぁ、ジネット。やるならもっとこっそりやる」
「こ、こっそりもやらないよ!?」
「じゃあ、ねっとりやる」
「ねっとりもしない! って、ねっとりって何さ!?」
エステラが顔を真っ赤に染める。
「赤身だな」
「う、うるさいよ!」
エステラは俺に背を向けるようにして、俺の隣の席へと腰を下ろした。
飯を食うつもりのようだ。
「20Rb」
「あれぇ、おかしいなぁ!? ボクは確か、新作の試食会に『是非とも』参加してほしいと誘われたはずだけれどな!?」
「金を取らないとは言っていない」
「君は本当に、いつかお金に人生を踏みにじられるよ!?」
バカヤロウ。
そんなもんはもう経験済みだ。
「エステラさん。お代は結構ですよ。店主権限です」
「ジネットちゃんがまともな人で本当によかったよ。ヤシロが感染しないように気を付けてね」
俺はどこの新型ウィルスだ。
あらかじめ、「もう食べられない宣言」をしていたマグダ以外、三人前の焼鮭定食がテーブルに並ぶ。焼鮭に、鮭のアラ汁。鮭フレーク混ぜご飯のおにぎり。見事な鮭尽くしだ。
「いい香りですね」
焼鮭の香りに相好を崩すジネット。
一方、エステラは難色を示している。
「……赤いなぁ」
「エビもトマトも赤いだろうが」
「川魚なのに赤いから言ってるんだよ。例えば、牛肉が緑だったらどうだい? キャベツみたいにさ」
「『こ、こいつ……宇宙人か!?』って言うかな」
「……え、それは…………え、どういう意味?」
そうか。
この世界で宇宙人というのは認知されていないのか。
宇宙っていう概念がないのかもしれないな。
まさに、「我、観測する、故に宇宙あり」だ。
宇宙など、気に留めなければないのと同じなのだ。
おかげで折角の面白いギャグが滑ってしまった。由々しき事態だ。賠償問題だぞこれは。
「まぁ、お前がどうしても食べたくないというのなら仕方ない。泣きながら無理してでも口に詰め込め」
「……君には、砂粒程度でもいいから優しさというものを持ち合わせてほしいと願うばかりだよ」
うだうだ言うエステラを無視して、俺は鮭に箸を入れる。
ほっくりと焼けた鮭の身は、箸で押すだけで簡単に解れ、程よい大きさになる。
それを一口、口へと放り込む。……咀嚼…………美味い。
完全に鮭だ。
懐かしい味がする。
「美味しいですっ、これ!」
ジネットが歓喜の声を上げる。
左手で口元を押さえ、大きな目を幸せそうに細めて鮭を見つめている。その視線はまさに羨望と呼ぶべきものだった。
そしてジネットは鮭フレーク混ぜご飯のおにぎりを一口頬張る。
「んっ!?」
瞬間、グルメ漫画よろしく目を見開いて「こ、これはっ!?」とでも言いたそうな表情を見せる。
「お口の中で、鮭の身とご飯の粒がわっしょいわっしょいしていますっ!」
……う~ん、残念っ!
まるで意味が分からない。
俺も鮭フレーク混ぜご飯のおにぎりを一口齧る。
ふむ……これ、米がよければもっと美味くなるな。
「そんなに美味しいのかい?」
「はい。今まで知らなかったのが悔やまれるくらいに美味しいです!」
「……ジネットちゃんがそこまで言うなら…………」
エステラはいまだ疑りながらも、ゆっくりと鮭を口へ運ぶ。
「…………うん。魚だね」
「反応薄いなっ!?」
そこは「こ、こんな美味しいもの食べたことないっ!?」って感激して、ガツガツ食っちゃう場面だろう!?
「海の魚だと言われて出されれば、なんの問題もなく食べられそうだね」
「でも、それはお客さんを騙すことになりませんか?」
「そうかな? ヤシロの話が本当なら、こいつは一度海へ出ているんだろ? 嘘とは言えないんじゃないかな」
「そうでしょうか……」
なんか普通に会話が進んでる。
もっと感激しようぜ。焼鮭の美味さによぉ。
まぁ、俺も美味い飯食ったところでうんちくを語り出すほど食にこだわりはないけどさ。
グルメマンガでもない限り、美味い飯の反応なんてこんなもんか。
「ヤシロさん。この川魚とも海魚とも呼べるお魚をメニューに載せる時は、なんと表示すればいいのでしょうか?」
「んなもん、『焼き魚定食』でいいだろうが」
「あ…………そうですね」
いちいち川だ海だと表示する必要はない。
焼いた魚が出てくるのだから焼き魚定食でなんの問題もない。
「この混ぜご飯もなかなかのものだね」
「米を変えれば数倍美味くなる。もっと高いポテンシャルを持っているはずだ」
こいつは臭い飯をなんとか食べられるようにするための食材ではない。
美味い飯をより美味く食うためのものだ。
「マグダさんも、おひとつどうですか?」
さっきから無言で俺たちを見ていたマグダ。
その視線は鮭フレーク混ぜご飯のおにぎりに釘付けだった。
「食べられるようでしたら、どうぞ」
「……いただきます」
マグダは鮭フレーク混ぜご飯のおにぎりを受け取り、小さな口でパクリと食べる。
「…………美味しい」
「ですよね!」
なぜかジネットが嬉しそうに笑い、マグダの頭を撫でる。
あ、そうそう。
マグダの欠点をカバーする案が浮かんだんだった。
「なぁ、マグダ」
「…………あげない」
「誰がくれと言った?」
マグダがおにぎりを隠すように体をよじる。……腹いっぱいだったんじゃねぇのかよ。
つか、自分のあるし。
「明日、一緒に狩りに行こう」
「……一緒に?」
「あぁ。お前の欠点を克服させてやる。デカい獲物を持ち帰って、狩猟ギルドに売りつけてやろうぜ」
「……マグダに、出来る?」
「出来る。いや、俺がさせてやる」
そして、がっぽり儲けようではないか。
……ふふふ、待ってろよ、狩猟ギルドのいけ好かないオッサン共め。
自分で言い出した契約で、精々苦しむがいい。大見得を切ったこと、後悔させてやるぜ。
「弁当を作るぞ」
「……『べんとう』?」
オウム返しをしたマグダの発音が不安定だった。
もしかして、弁当に該当する言葉がないのか?
「冒険者や行商が長い旅に出る時に飯を持っていくだろう? それの一回使い切りバージョンだ」
「つまり、一食分の食料を持っていく、ということかな?」
「まぁ、そういうことだな」
さすが、エステラはのみ込みが早い。
もっとも、一食分という縛りはないけどな。
「獲物を狩って、凄く腹が減るなら持参した弁当を食えばいい。そうすれば獲物に手を出さずに済むだろう」
「……でも、料理している余裕はない」
「料理は最初からしておいて、向こうでは食うだけにするんだよ」
「……パン、とか?」
そうか。
こっちの世界では調理済みの飯を持ち歩く習慣がないのか。
そういえば、あまり外で食べ歩きしている人間を見ないな。
「例えば、このおにぎりなんかを持っていくんだ」
弁当と言えばおにぎり。そして焼鮭だ。
「でも、出来た料理を持って街の外へ行くと……その、冷めませんか?」
「冷めて何が悪い?」
弁当は冷めていてもなお美味いものだろうが。
俺なんか、一時期炊きたてのご飯をわざわざ冷ましてから食ってたぞ。
「よし。じゃあ明日、みんなで狩りに行こう。そこで弁当の素晴らしさを教えてやる」
「いいですね! みんなでお出かけ、したいです!」
「マグダはどうだ?」
「……いい」
「狩り、出来るな?」
「……任せて」
「なら、決行だ」
上手くいけば、収入源が確保出来る。
大量に余っているクズ野菜を弁当にして、マグダには獣を狩ってもらう。狩った獣は狩猟ギルドが買い取ってくれるし、申し分なしだ。
「エステラさんもご一緒にどうですか?」
「う~ん……」
ジネットの誘いに、エステラは難色を示した。
意外だ。
「ヤシロを疑うわけではないんだけど、ボクはやっぱり食事は温かい方が美味しいと思うんだ。ヤシロを疑うわけでは決してないんだけど」
「何回も言うな。余計空々しいわ」
「冷たいご飯なんて美味しいのかい?」
「俺の国には『冷やし中華』なんて食い物まであるぞ」
夏になるとあちこちで一斉に「はじめました」宣言がなされる食い物だ。夏の風物詩と言ってもいい。
だというのに、エステラはどうも乗り気ではないようだ。
こいつは固定観念に凝り固まっているのではないか?
やれ、赤身は嫌だ、やれ、冷えたご飯は嫌だ。
お前は一度日本へ転生して駅弁でも食ってくるがいい。世界がひっくり返るぞ。
「う~ん……冷たい食事かぁ……」
「そんなに嫌なら来なくていい。材料が浮いて助かるわ」
嫌がるヤツに食わせてやる飯などない!
お前は一人で留守番でもしてろ!
「ジネット。三人分の弁当を頼む。メニューは俺が指定するから」
「え、で、でも。エステラさんは……」
「放っておけ。こいつは別に従業員というわけでもないし、ここ最近はなんの役にも立っていないのに飯ばっかり集りに来るタダ飯食らいだ。折角の弁当を分けてやる必要はない」
「むむ?」
俺が断言すると、エステラは明らかに不機嫌そうな顔をして俺を睨む。
ふん、勝手に睨んでいればいい。お前が何をしたところで、俺が折れるなんてことはないのだから。
「入門税……」
「ん?」
「この街の住人は400Rbだけど、領主に申告していない非住民の場合は5千Rbだよ」
「…………え?」
住民?
申告?
え、そんなの必要なの?
しかも5千Rb? ってことは五万円? 街に入るだけで五万円!?
つか、住民でも四千円って、ぼったくり過ぎだろう!?
「ま、ボクには関係ないことだけどね。なにせボクは部外者のタダ飯食らいだからね」
「エステラ」
「なんだい?」
俺は、へそを曲げたエステラに優しく声をかける。
体の向きを変え、エステラを真正面から見つめる。
「俺にはお前が必要だ」
「……君、このタイミングでそのセリフは非常に最低だと、ボクは思うんだけど?」
「お前がいてくれなきゃ、俺はきっとダメになっちまう……」
「……その心は?」
「5千Rbなんて持ってない」
「………………一回限りの許可証をもらってきてあげるよ。住人になるには、最低三ヶ月は四十二区に住んでいないといけないからね」
エステラは実にいいヤツだ。
褒めておいてやろう。
「今日も綺麗だよ、エステラ」
「そ、そういうの、真顔で言うのやめてくれるかなっ?」
「よっ! 男前!」
「それは褒めてるつもりかなっ!?」
褒めにくい女だ。
「許可証は今日中に取得しておいてあげるよ。その代わり、相応の報酬はもらうからね」
「『ヤシロ君と一日デート出来る権利(費用はそちら持ち)』」
「いらないよっ!?」
「『ヤシロ君の手料理が食べられる権利(費用はそちら持ち)』」
「君の手料理じゃないんだ、ボクが食べたいのは!」
「『ヤシロ君の足料理が食べられる権利(費用はそちら持ち)』」
「足料理ってなんだっ!? 出来るもんならやってもらおうか!?」
結局、許可証と引き換えにエステラは二週間分の昼飯を要求してきやがった。
まったくもってせこい女だ。
「親の顔が見たいぞ、まったく」
「――っ!?」
「ん? なんだよ」
「……ボクたちは、まだそんな段階まで進展はしていないと思うのだが?」
「なんの話だ?」
「え?」
「ん?」
話が噛み合っていない気がするが……まぁ、いいか。
こうして、陽だまり亭の命運を分ける(かもしれない)狩りへと行くことが決定した。
教会への寄付と同時に弁当の下ごしらえもしなければいけなくなったわけだが、ジネットには頑張ってもらわなければな。
と、ジネットを見ると。
「…………」
なんだか、物を言いたげな顔で俺をジッと見つめていた。少し、不服そうだ。
「どうした?」
「……いえ、なんということはないのですが…………」
ジネットが胸を押さえ、一度息を吐き出す。
「…………いえ、やっぱり、なんでもないです」
なんだよ?
言いたいことがあるならはっきり言えよ、気持ち悪いな。
その後、弁当に何を入れるのか、どの門から出てどこまで狩りに行くのか、帰りはどの門を通れば入門税が安くあげられるのかなどを話し合った。
発言は主に俺とエステラで、狩猟に関してのみマグダが一言二言口を挟む程度だった。
ジネットは終始大人しく、なんだか奥歯に物が挟まっているような、そんな居心地の悪さがずっとしていた。
「それじゃ、ボクは許可証の申請に行ってくるよ」
一通り話がまとまり、エステラが立ち上がる。
「あ、お見送りいたします」
つられてジネットも立ち上がり後に続く。
だが、部屋を出てすぐのところで立ち止まり、おもむろにこちらを向いた。
「あ、あの、ヤシロさん」
そして、エプロンドレスの裾をふわりと摘まみ上げ、可愛らしくお辞儀をした。
「どう……でしょうか?」
「どうって……いや、可愛いけど?」
「そうですか! ありがとうございます!」
途端に晴れやかな表情になったジネットは、パタパタと軽やかな足取りで廊下を駆けていった。
……なんだかなぁ。
何と張り合ってんだか。
まぁ、ジネットの機嫌がよくなるならそれに越したことはない。
俺は俺で、適当にやるさ。
「……ヤシロ」
マグダが俺を呼ぶ。……呼び捨てかよ。
「…………マグダ、かわいい?」
「あ?」
「…………」
「…………」
「…………もう、いい」
それだけ言い残してマグダも部屋を出て行ってしまった。
俺の隣の部屋がマグダに貸し与えられたので、そこへ戻ったようだ。
部屋に残された俺。
女心ってやつは理解しがたいね。
決して、惚れられているなどとは、思わないが。
俺は、あえて残しておいた鮭フレーク混ぜご飯のおにぎりを一口齧り、やはり冷えても飯は美味いと確信したのだった。
いつもありがとうございます。
シャケは好きですか?
焼き鮭。
おにぎり。
ちゃんちゃん焼き。
鍋に入れても美味いですよね。
そんな日本人の心、サーーーーーモン!
アメリカでお寿司と言えば、サーーーーーモン!
将来お嫁さんにしたいお魚、サーーーーーモ…………いや、魚は嫁にしたくないな。
私も鮭好きなんですが、実は……皮が食べられないんです……
知り合いなんかは「バッカ、お前、バカ! そこが一番美味いんじゃねぇか! バカ! 子々孫々薄毛で悩めバカ!」と私を非難したりしますが、
分かっていても、どうしてもダメなんです、皮。
エビフライの尻尾とかは大好きなんですが、
魚の皮が……
どうも、匂いが気になりまして……
私、微妙に鼻が利きまして、金木犀以外の匂いに敏感なんです。
(なぜか金木犀の匂いだけ感知出来ないんです……子供の頃から庭にあったからでしょうか? 慣れ過ぎて分からない、的な……)
それで、匂いの気になる物が結構苦手なんです。
飲み会でお座敷とか行くと、オジ様方のかぐわしいお靴下のにおいとかが気になって食欲が消滅したり、
美少女のお素足の香りが鼻に突いて、なんだか妙に興奮したり……ペロペロしたくなったり……
なんてことは、よくあります。
ありますよね?
なので、汗っかきのガチムチのお兄さんにギュッて抱っこされながら眠るとか絶対無理ですね。
鼻がいいもので。
無理ですね。
ぽいんぽいんの美少女にギュッて抱っこされながら眠るのも、まぁ絶対無理でしょうね。
眠れませんよ……そりゃ。
あ、いや、でもどうだろう?
試してみないと分かりませんね、やっぱり。
一回試してみましょうか?
ですので、どなたか協力してくださる方を…………あ、いえ、違います。ガチムチの方じゃなくて、ぽいんぽいんの方で…………ガチムチの方じゃなくてっ! ないですってば!
次回もよろしくお願いいたします。
宮地拓海




