第26話
「やあ、カリン。お邪魔してるよ」
「あれ、ブルーノだ。久しぶりだね」
ヴィンセントとシピと一緒に部屋に戻ると、もうひとり頭数が増えていた。
久しぶりに顔を見たブルーノだ。
リベルトより薄い金髪に、泉のような水色の瞳は、ブルーノの優しい印象をそのまま具現化しているように見える。
冷たく整ったリベルトに比べると、春のような柔らかい美形だ。
うん、癒しだな。
そんなふうに考えていたら、とんでもなかった。
「兄上からディーンの剣のことを聞いたよ。カリンが持っていた剣が本当に魔物を斃したって。今日はそれをカリンも見たらしいね。あぁ、僕も見たかったな。ね、どんなふうに魔物は消えたの? 剣に触れたら消えた? それとも――」
「ブルーノ。やめないか。カリンが驚いている」
ブルーノが目の色を変えて矢継ぎ早に投げかける質問を、隣にいたリベルトが止めてくれた。
そうか、ブルーノは研究者だって言ってたな。
だから、あんなふうにリベルトの腰にある闇姫をよだれを垂らさんばかりに見つめているんだ。
研究バカだ。理系オタクだ。
癒し系なんて思った自分が間違っていた。
花梨が何となくがっかりした。
やっぱり癒しは猫耳しかないんだな。
しみじみ思って、花梨の背後の壁に立つシピを振り返る。
花梨と目が合ってもシピは表情も変えなかったけれど、なぜか、わずかに尻尾が揺れている幻想を見た気がした。
「だって、兄上に聞いても消えたの一言で詳しく教えて下さらないじゃないですか。じゃ、兄上が教えて下さいよ。剣はどんなふうに魔物に刺さったんですか? どこか急所か何かを見つけたとか?」
「ブルーノ。きさまは何か用事があってここに来たのではなかったか」
リベルトが疲れたように額に手を当ててため息をついている。
そのとたん、ブルーノが「あぁ」と我に返ったように体を起こした。
テーブルにあった包みから、金属製の小さな部品を取り出している。青光りする金属は、花梨が耳にしているピアスと同じものだ。
「そうそう。ようやくこれが出来たからカリンに持ってきたんだ。カリン、ちょっと失礼。耳に触らせてくれる?」
近寄ってきたブルーノの言葉に、花梨は反射的に耳を隠すように両手を当てる。
ピアスをつけられたときの激痛を思い出したのだ。
あんな痛みはもう嫌だっ。
ぶるぶる震えて花梨が嫌だと首を振ると、ブルーノは申し訳なさそうに眉根を下げる。
「あの時は本当にごめんね。でも、今日は大丈夫だよ。これはね、カリンのそのピアスに魔力を供給する機器なんだ」
「魔力を供給する?」
「そう。ちょっと見せてくれる? あぁ、とりあえず今は見るだけでいいから。うん、やっぱり色が薄くなってるな」
花梨のすぐ横に立ったブルーノが腰を屈めて花梨の耳に注目していた。
その言葉に、皆の視線が自分の耳に集まった気がする。
うわ、耳が熱い。
「カリンは魔力が全くないから少し問題なんだ。本来、この世界にいる人間はその量に差はあれど魔力は必ず備わっている。だからこのピアスも、その人が持っている魔力を使って役割を果たすのだけど、カリンの場合はそれがないから外から魔力を入れてあげなきゃならなくなる。今はそのピアスを作ったときの僕の魔力を使って働いているけれど、時間と共に消費されてしまってて、多分あと数日もしないうちにただの装飾品に成り下がってしまうんだよ」
「えっ。ってことは、また言葉が通じなくなるってこと?」
「うん。カリンが魔力がないってことだからもしかしてと思って急きょこの機器を開発したんだけど、やっぱりそうだったね。でも、間に合ってよかったよ」
そうか。しばらくブルーノの顔を見なかったのは忙しかったわけだ。
花梨はテーブルに置かれた小さな機器を見る。
同じものが2つということは、それぞれのピアスにつけるのだろう。
花梨の耳にはまる炎の意匠に似た飾りがついているそれは、黒っぽい小さな石がついていた。
フック式で、これを今のピアスのどこかにつけるのか。
小指の爪ほどしかないから、多分つけても邪魔にはならないだろうけど……。
「痛くない?」
顔を上げた花梨は、目の前に立つブルーノを見上げる。
じっと見上げると、わずかにブルーノの白い面が赤くなった気がした。
「だ、大丈夫だと思う。多分、前回は魔力のないカリンにむりやり魔力に触れさせたから拒否反応を起こしたんじゃないかって思うんだ。でも、今回のこれはピアスに直接作用させるもので、カリンの体に魔力を使うものではないんだ。だから、痛みはないはずだよ」
「――わかった」
女は度胸だ。
花梨さまはそんなに弱くはないぞっ。
そう胸を張ったけれど。
「涙に潤んだカリンの眼差しは、こう妖しい気分にさせられますね。もっと泣かせてみたくなると言うか」
「そこっ! 問題発言しない」
堂々とセクハラを口にするヴィンセントに、びっと指を突き付けてやった。
それに、泣いてなんかないんだからね。私はっ。ちょっと目に水がたまっているだけだから。
その証拠に怖くなどないからサクッとやってばかりに、ブルーノに耳を突き出してやった。
「大丈夫だよ。痛くないからね」
ブルーノの声が優しくトーンダウンした。
花梨の耳朶にブルーノの指先が触れる。
何だか、耳が異様に熱い気がするな。
カチリと金属の触れ合う音がして、花梨は思わず首をすくめた。
目まで瞑ってしまったことはちょっと不覚だ。
「はい、終了」
「あれ?」
「ほら、痛くなかったでしょ?」
間近でにっこり笑うブルーノに、花梨は小さく頷く。
何だ。痛くないじゃん。
「じゃ、反対側も」
その言葉に、今度は本当に素直に耳を差し出すことが出来た。
ほらほら。全然痛くない。
「それじゃ、魔力を入れるね」
「あ、待って下さい。それは私にやらせてもらえませんか?」
ブルーノの行動を遮ったのはヴィンセントだ。
「カリンは私の屋敷に滞在しているのですから、おそらく私が魔力を入れる機会が多いでしょう。慣れていた方がいいと思います」
「うん、そうだね。でも簡単なんだよ。ピアスに触れて魔力を与えればいいだけですから」
「なるほど。それでは、カリン。失礼しますよ」
うわ。ヴィンセントがするとなると、なぜか身構えてしまうよ。
セクハラ大王だからかな。
何となく奥歯を噛みしめてしまった花梨だが、ヴィンセントの白い指先が右の耳朶に触れて思わず声を上げたくなった。ぐっと我慢したけれど。
さっきのブルーノの指より、わずかに温度が低い。
けれど冷たいとまではいかないその指が、脅かさないようにか、そっと耳朶全体を覆った。が、あまりにそっと過ぎて、逆にゾワゾワする気がする。
もっとガツンとやってよ。
花梨がそう言おうかとしたときだ。
「ひゃっ」
耳朶からぴりりと駆け上がってきた刺激に思わず悲鳴を上げていた。
体の中心を電流が貫いたような痺れに、椅子に座っていた体が大きく揺れる。
「おっと」
それをヴィンセントが抱きとめてくれたけれど、花梨は全身の小さな痺れが止まらなくてそのまま凭れかかってしまった。
痛いとか苦しいとかとは違う。
ただ、気持ちが悪い。いや、気持ちが悪いというか、ざわざわと落ち着かない感じかもしれない。
びりびりと小さな電流が未だ全身を駆け巡っている気がする。
もしかして、これも魔力の拒否反応かな。
「ヴィンセント。きさま、カリンに何をしたっ」
ヴィンセントに凭れたまま花梨が目を空けると、リベルトが血相を変えて立ち上がっていた。
横ではシピも少々物騒な目つきで二人を見つめていた。
「何もしていませんよ。今回は本当に」
飄々とそんなことを言うヴィンセントに、リベルトは逆に眉をつり上げた。
いや、今のは私もどうかと思うよ。
今回はって、何。
何とか痺れも取れてきて、花梨は信用ならないヴィンセントを丁重に押しやった。
「いいんですよ。もう少し凭れてなさい」
「ヴィンセント、きさま。今度という今度は――」
「待って下さい、兄上。たぶんヴィンセントの言う通りでしょう。魔力に触って、カリンが何らかの拒否反応を起こしたんだと思います。でも、おかげでほら。ピアスの魔力も回復――あれ?」
リベルトを宥めていたブルーノが、花梨を見て眉を上げた。
ブルーノの上げた声に、皆の視線が花梨の耳に集まった。その誰もが、驚いた反応をしている。
「なに? 何なの?」
「これは、私の色でしょうか?」
ヴィンセントの指がピアスに伸びる。
触れた指先は、先ほどより少し温度が上がっている気がした。
ブルーノ再登場です。何だか、ほのぼのしてるな。一部を除いて




