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第25話

「くくく、あっはははは――」


花梨は自分なりに強い決意を秘めてこぶしを握ったのに、ヴィンセントから返ってきたのは笑い声だった。

しかも、腹の底からの本気笑い。

もう一度拒絶されることも覚悟していたのに、まさかの笑いで返されたことに、花梨は目を白黒させる。

そして、ヴィンセントの初めて見るような素の表情にも驚いてしまった。

ナルシストで女たらしで、いつも表情を作っているようなヴィンセントが、目の横に皺を寄せて口を大きく開けて笑っているのだ。

初めて見るそれは、ヴィンセントをとても若く見せて花梨をどきりとさせたのは内緒の話。

さっきのエーメの話からすると、確か二十三歳くらいだってことでそれなら花梨の学校にいる新卒の先生くらいの年齢なのに、今は同年代の男子みたいだったのだ。

今まで大人のイメージでしかなかったから少し焦った気持ちになる。


でも――あんまりにも笑い過ぎじゃないかな。


「いや、確かに残念です。あの時、あなたがいなくて――」


まだ笑いながらヴィンセントはそんなことを口にする。

笑ってそんなことを言ってもバカにされているように聞こえるんだけど。

驚いて、圧倒されて、花梨の涙はいつの間にか止まっていたが、わずかに残る涙の名残りが目縁の辺りでひりひりしている。

ぐいっと手の甲で拭っていると、ようやく笑いが止まったらしいヴィンセントが腕を伸ばしてきた。


「あぁ、そんなに乱暴にしません。ほら、赤くなったじゃないですか」


男の手には見えないきれいな指が花梨の目元に伸びた。

片方の手で頬を固定して、花梨の涙の跡をもう片方の指先が拭っていく。

そんな花梨を覗き込むような一対の瞳――先ほど寂しげに見えた夕暮れの空のような瞳が、今は蠱惑的に輝いていた。


「カリンは本当に破天荒な人ですね。言うこともやることも、まるで男の子のように活発で飾り気がなくて、けれどそれがどうしてこんなにも心に響くのか。カリンがどんなに男の子のように乱暴に振る舞っても、私には魅力的な女性に見えてしまう。どうしたらいいでしょう?」


ひぃ……。

ヴィンセントのセリフに花梨は心の中で悲鳴を上げた。

タラシだ。

今、ヴィンセントは私をたらそうとしている! 負けるな、自分!

全力で自らを鼓舞して平静を取り戻そうとする花梨だが、目元を行き来するヴィンセントの指先がそれを阻んでしまう。

もう涙は乾いているはずなのに、指先は執拗に目元やこめかみ、耳の辺りを行き来しているのだ。

皮膚が薄いせいか、肌の上を行き来する指の温度がやけに生々しくて背中がぞくりとした。


「いや、いやいやいや。そんなの私が女だから女に見えて当然ですよ! どうもしなくていいから。ってか、どうもしないで下さいっ」


固まっていた体がようやく動いて、花梨は全身でヴィンセントを押し退けた。

寒いわけでもないのに鳥肌が立っている。

足も微かに震えていた。

ヴィンセントはというと、何だか舌打ちの音が聞こえた気がした。

くそぉ、これが女たらしのワザか! 

恐るべし、ヴィンセントめ。


「も、戻ろう。みんなが心配してるから」

「おや、それはそれは」


一刻も早くこの二人きりの状況から脱せねば、と花梨はヴィンセントを急かした。

苦笑して花梨と共に歩き出したヴィンセントだが、ふと立ち止まって眉を顰める。


「彼は一体何なのでしょうね」

 

ヴィンセントの視線を先を見ると、そう遠くない木陰に黒ずくめの男が立っていた。

シピだ。

猫耳の影は間違いようがない。

一体いつからシピはそこにいたのか。

会話は聞こえないだろうが、何かあったらすぐにでも駆けつけられる距離だ。

果たして、見守っているのは花梨か、ヴィンセントか。


「シピは、一族の閉鎖的な性質をそのままに受け継いでいるような人間で、本来親しくしている私たちにもあまり積極的に関わろうとはしないのです。魔物退治で招集をかけても、戦いが終わったらすぐに帰っていきます。こうして私の屋敷にまで共に帰って来るなど今までなかった行動なのですが」

「帰るって、普段シピはどこにいるの? 王宮に住んでるんじゃないってこと?」

「シピが暮らしているのはウル族の村です。ここからトーメの泉を挟んで反対の位置にあたるでしょうか。ずいぶん閉鎖的な孤高の一族で、外部の人間が村に入るのを極端に嫌い、彼ら自身が外に出ることさえも稀です。まぁ、例外はいますけどね」


花梨が曲げた人差し指を唇に当てて考え込んでいると、ヴィンセントはさらに言葉を続ける。


「先ほどのように誰かにひざまずいたり、国からの命以外に誰かの言いなりになったり、ましてや誰かに興味を持ち、こうして跡をつけるなど今までのシピからすればありえないこと」

「そ、そうなんですか」


ヴィンセントの迫力がちょっと怖い。

思わずかしこまってしまう。


「カリンは本当にシピに会うのは初めてなんですか?」

「初めてだよ。初めても初めて。あんな猫耳さんが知り合いにいたら大変なことになってしまう」

「では、どういうことでしょうね」


それは私が一番知りたいことです、はい。

ヴィンセントに疑問を投げかけられても花梨は答えようがない。


「実は彼には姉がいましてね。彼女はウル族にしては珍しく活動的で探求心の強い女性で、まぁ、そのせいで現在ずいぶんな憂き目に遭っているわけですが……」

「ヴィンセント?」


後半、ずいぶん声を絞っていて花梨にはちゃんと聞こえなかった。


「いえ。それで、実はシピの姉である彼女が教えてくれたんですよ。『祝福されしディーンの剣』の存在を」

「そうなの?」

「彼らの一族にだけ伝えられている話です。彼らの語る史実は私たちキャロウエヴァーツの国に伝わるそれとはまったく違うようなのです。ディーンの剣の存在もそのひとつ。私たちは知りませんでしたからね、そんなすごい剣がこの世界に存在したことなど。全く興味深い話でした」

「ふぅん?」

「彼女が教えてくれたウル族に伝わる史実には、他に伝説の黒い魔物の話もあります。二百年前のディーンの剣を巡っての戦争の際、ディーンの剣を王宮から盗み出し消滅させたという魔物ですが、一般的にそれはウル族だと伝えられていて、現にそれが元でウル族は我が国に従属することになったのですが、彼らの史実では別にいるらしいんですよ」

「伝説の黒い魔物? 何か聞いたフレーズだな。もしかして、リベルトが最初の頃よく口にしていたヤツかな」

「あぁ、そうですね。なぜかリベルト殿下が一番黒い魔物の存在を気にしていましたか。まぁ、魔物と言っても先ほど見たあの魔物とは実際違って、魔物と並び立つほど恐ろしい存在だというならいなのですが」


伝説の黒い魔物という名は、ウル族が一様に肌が黒いから名付けられたらしい。

人々がそれを信じ、ウル族を怖がったからウル族は表に出てこなくなったとも言われている。

そんなウル族の史実では、伝説の黒い魔物はウル族とはまったく別に存在していて、ウル族にとっては特別な位置にある生物らしい。

一般的にウル族なら誰もが知り得る史実以外にウル族の族長にしか伝えられない話もまたあるらしく、黒い魔物の話がそれに当たる。

シピの姉は自身が族長の家系に生まれたからこそ少しだけ知ることは出来たが、それでもそれ以上は誰も教えてくれないらしい。だが、次期族長であるシピはすべての話を知っているだろうとも。

そこまで話したヴィンセントは、ふっと口を閉じて花梨を見た。


「私は、もしかしたらあなたこそがそうではないのかと思うのです」

「そうではないかって?」


ヴィンセントのセリフの意図がつかめなくて花梨が首を傾げると、彼は逡巡するように瞳の色を濃くする。

けれど――。


「いえ、憶測で物を言うのは止めましょう。少し嫉妬しているのかもしれませんね。カリンに近付く新たな男の出現に」


ヴィンセントはさっさと話を締めくくってしまった。最後はやはりヴィンセントらしい発言だ。

ヴィンセントの視線を追って、花梨もシピの立つ木陰を見遣る。

遠目に見えるシピは耳をぴんと立てていた。

もしかして、あの距離まで会話が聞こえていたりするのか。

猫耳の性能は普通の人間のそれとは違うのかもしれない。

そうなると、今の状況はちょっと陰口を叩いているみたいで嫌だな。


「冗談ばっかり言ってないで、さっさとみんなのところに戻ろう。シピもだよ」


セリフの後半はシピに向けて声を大にし、猫耳の彼のいる木陰へ駆けていく。

そんな花梨の背中にヴィンセントのため息が投げかけられたのだが、花梨は気付かなかった。


「冗談でもないんですけどね。シピは強力なライバルになりそうですから」


その後のヴィンセントの呟きも――。


リベルトの話もそろそろ書きたいな


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