形代、二
前に馬越さんに連れて行ってもらった、四条通をずーっと真っ直ぐ西へ進んだ。
あの時は楽しかったな。
お買物もして、祇園社でお守りを買ったりした。
荷物を背負って数歩先を歩く山崎さんの背中を見つめて、足を止めてため息をついた。
……今日は全然楽しくない。
でも、お仕事だからしようがない……
お仕事は、我慢して頑張った分のお給料をもらう事だって、スピリチュアルな人も言っていたし……
「お雪!」
数歩前で山崎さん人懐っこい笑顔で呼んでいた。
この先は四条大橋だ。
「ほな、お雪。この辺りで具合悪ろなれ」
「……は?」
「仮病で旅籠か茶屋で休むんや。なんでもええ。今日はじめじめしとるから……暑さにやられたことにするか……はよ、やれや」
笑顔でいきなり仮病で倒れろって言われても……
「……お仕事は我慢した分の……」
自分に言い聞かせて、目を閉じて貧血で倒れてみた。
そのまま頬に地面の感触――――
支えないのか!山崎!!!!
我慢我慢…………
ここからは目を閉じて山崎さんの名演技を聞いていた。
近くの宿?だろうか……の部屋へ通されて、布団へ寝かされた。
医者はいらない。少し休めば良くなると、山崎さんの言葉に障子の閉まる音がした。
「……もう、目開けてええ……」
素直に従うと、窓の手すりに寄り掛かって、外を眺めている山崎さんが見えた。
階段を上ったから二階なのかな?
四畳半位の部屋だ。
「……あの、ここで何の任務ですか?そこから見張るんですか?」
山崎さんの隣で外を眺めると、鴨川が見えた。
風が心地いい……
「薬の行商人や。あんたも旅装束にしとくんやったわ……ちょっと店の者に礼も兼ねて見てくるわ」
山崎さんは大きなつり目気味の目でこっちを眺めて
「頭……えらいことになってるで。髪結い呼ばな……」
興味無さげに呟いて、部屋を出ていった。
ただでさえ、一つにまとめただけの頭が、倒れた拍子に解けてしまっていた。
鏡もないから綺麗にシニヨンには出来ない……
ゴムを外して髪を下ろした。
ここでは寝ても覚めてもいつもポニテだから、妙な感じだ。
「……あ、枝毛」
髪をいじりながら、ふと窓から鴨川を見下ろした。
すぐ下をゴザの様なものを、頭から被った人が歩いていく。
着物も破れて汚れた素足が見えた。
河原沿いを歩いていくのを眺めていた。
山崎さんが戻ってきても、その人から目を逸らせなかった。
「なんや……?」
「……あの人、家がないんですか?」
山崎さんも窓から見下ろして
「河原乞食か?ないからここへおるんやろ」
……河原乞食……
胸がしゅんとした。
「ほな。おいとましますか」
山崎さんは何もなかったように、部屋の荷物を担いだ。
「……寒い冬はどうしてたんだろう……」
「そんなん気にしてもしゃあないやろ?どこにでも家のないもんはおる」
「……いないよ。私は見たことない。ホームレスの人だって実際は見たことなかった……」
また、心がしゅんとした。
「……世間知らずのお嬢とでも言いたいんか?それより何より……」
山崎さんはため息ついて
「その頭を気にせえ」
髪結いを呼ぶかと言われたけれど、すぐにまたポニテに戻すのにもったいないと、自力でシニヨンを作り直した。
宿の人にお礼を言って外へ出た。
「怪しい人いました?」
山崎さんは嘘笑いを顔に張り付けたまま
「薬の卸の話は出来た。まあ、よそ者には冷たいからな……次の機会の繋ぎにはなるやろ」
「……山崎さんて、浪士組の新規事業部?」
「……また訳の分からん事を言う奴っちゃな……」
「市中見回り以外に、薬屋さんの営業も始めたんですか?」
「……それは突っ込んでもええとこか?大真面目な話か?」
「え?」
山崎さんは嘘笑いをやめて
「まあ、ええ。そんだけアホなら誰も浪士組だとは気付かへんやろ。次行くで」
アホ……
全く山崎さんの言ってる意味が分からない。
荷物をよいしょと担ぎ直す山崎さんの横へ並んで
「……あの、だから山崎さんの仕事は何なんですか?」
にこり嘘笑いを浮かべた。
「薬売りや。お雪はん」
「……絶対嘘。密偵でしょ……!」
頬をつままれて、嘘笑いで念を入れられた。
「く・す・り・う・り・やで。お雪はん。あんたはわしの……妹は似てへんから……嫁にしとこか」
「……え?い」
「嫌なんはお互い様や!」
――仕事とは我慢した分の……
スピリチュアルな言葉を頭で繰り返して、近くの宿やお店を回った。
皆、愛想よく対応してくれたけれど、薬は少しも売れなかった。
門前払いだ。
たまに刀を指した侍とすれ違ったけれど、山崎さんは特別何をすることなく歩いていった。
後をつけたり、お店で張り込んだり、そんなことをイメージしていたけれど、本当に薬の行商人の仕事にしか思えなかった。
しかし、じめじめ暑い。
帽子も被っていないから、本当に頭が暑くてしばしば目の前が暗くなった。
建物の影で足を止めて少し目を閉じた。
不意に頭に手拭いを巻かれた。
「そのひどい頭は目立つ……次から、髪結い呼べや」
きゅっと、山崎さんが顎の下で手拭いの端を結んだ。
「今日はもうええ。茶屋でも入るか?茶店の方や」
頷いて、お金を持っていないと話すと
「……旦那が奢ったるわ。次、義理の兄さんにもっとええもん奢らすさかい」
ちょっと言い方が、馬越さんに似てるなと話すと
「誰がじゃ!ぼけ」
と、本気で嫌そうに怒られた。
でも、巻いてもらった手拭いのお陰で凄く涼しくなった。
……初めて会った時から思っていたんだけど、山崎さんて良くしゃべるよね。
「でな!芹沢局長が浅葱のだんだら羽織着たまんま、大坂の町うろつくやんか?只でさえ目立つのに……まあ、あそこ襲ってくる浪士もおらんやろけど。近藤局長も真似して出掛けるもんやから、土方副長が怒らはってな!」
…………浪士組の芸能記者か!
「でも、浪士組の皆さん、大坂で頑張ってるんですね。将軍様の警護が最初の目的だったんだから。次は攘夷…………」
外国との戦争……
皐月、五月十日に攘夷を決行するって、決まったんだよね?
「山崎さん……浪士組も五月十日に攘夷に加わるの?」
山崎さんは茶店のお姉さんにお茶のおかわりを頼んで
「……どうやろな。それは会津にでも聞かな」
そこは記者でも詳しくないのか。
「吉川先生は攘夷なんかしないって言うんです。幕府は開国したいんでしょう? 天皇は攘夷でしょう?会津はどっちなんですか?浪士組は攘夷でしょう?でも、会津藩預かりだから、会津の決めたことに従うのかな……」
本当に政治のことは難しくてわからない。
実際、現実でも国際問題や外交の事なんて、全然詳しく知らない。
ネットやニュースなんかで、知ろうと思えば分かる事なのに、全然興味もないし。
まして、幕末のことなんてわかろうというのが無理なのかな?
知ろうと思っても、一般人はどこから情報を仕入れたらいいのだろう?
「浪士組はこれから、どうなってしまうんだろう……」
「どうもこうもまだ何もしてへん。何もしてへんから、何か手柄を上げな。浪士組は役に立つ。頼りになる。さすが浪士組と言われな……」
山崎さんの言葉に、ぐるぐる考えは一瞬で落ち着いた。
そうだ。
浪士組はまだまだ有名でもなんでもない。
局長の名前だって出しても誰も知らない。
前に井上さんも、今は隊を作る大事な時期だって言ってた。
そのためには、浪士組を守るためにはなんだってするって……
「攘夷とかそんなこと言ってる場合じゃないってこと?」
「大元は揺らいだらあかんけど、今わしらが何か言うて、会津が聞くか?幕府が聞くか?帝が聞くか?」
山崎さんは茶店の娘が持ってきたお茶を笑顔で受け取った。
「聞いてくれないと思います……じゃあ、どうしたらいいんですか……」
「そないなこと自分で考え。わしは、三条、河原町、祇園界隈の出入り先を見つける。あんたは薬屋の嫁として、ついてきたらええ」
「分かりました。出入り先を見つけて、怪しい奴がいないか探るんですね!何だ、やっぱり密偵……」
「やないと、何度言ったら分かるんや……お雪。今度その言葉言うたら、鴨川に叩き込むで……大体、あんたは何考えてるか分かりすぎるほど分かりやすいんや!何もせんでええ。薬売りの嫁だと思い込んどれ」
頬をつねられたまま頷いた。
「しかし、餅みたいやな……もちもちや」
「……馬越さんにも言われた……」
「あいつと一緒にすな!」
山崎さんが大声を出すと、仲がええおすな~とお店のお姉さんが笑って、おまんじゅうを持ってきた。
「……で、あんたいくつや?」
「え?今年十六歳になります……」
「はあ!?餓鬼やねんか……十六……」
「誕生日来てないからまだ十五何ですけど」
しまった。
浪士組芸能記者に年齢教えちゃったよ。
「誕生日?生まれた日っちゅうことか?待て待て……まさかとは思うが、満で十五ちゅうことか?」
満で十五?
そういえば、もう亡くなった曾ばあちゃんが、数えでとか満でとか言ってたような……
「昔って数え年ですか?もしかして」
「今も数え年や……ややこしい言い方すな。十七やないか」
「え?私って十七歳なんですか!?二個も歳とった……誕生日が来たら十八てこと?」
「……誕生日が来ても十七や。正月が来たら十八になるんや」
「?そうなんだ……山崎さんは何歳なんですか?」
「わしか?わしは三十路で、お前の惚れてる井上は二十二。馬越は十九……てか、わしの事はどうでもええ!歳の数え方も知らんのか!!あほか!!」
「惚れてないから!!」
まあ、ホンマに仲がよろしゅうおすなと、お店のお姉さんがお茶のおかわりを注いでくれた。
「……あほ。大声出すからはよ出て行け言われたやろ……」
「え?お姉さん笑顔だけど……」
「笑顔と腹ん中はちゃう。それが京女や」
山崎さんに通りの名前を教えてもらいながら、前川邸へ戻る。
四条通の一本上が三条通。
西に寺町、御幸町、麩屋町、富小路……えっと……何本か過ぎて
油小路を通って堀川通りまで来て、名前の通り川を渡る。
ここまで来ると、私でも屯所までの道は分かる。
堀川沿いを下って四条通を西に進んだ。
大宮通りを抜けて畑を下ったら到着!
前川邸の門を潜ろうとすると、中から知らない侍が出てきた。
「ここで働いてる者か?」
訛りが芝様と同じ……会津藩の人?
突然の質問に頷いてしまった。
「山崎丞という隊士に用だが、誰も居らぬ……物騒ではないか?」
「屯所に誰も居ないですか?山崎さんなら……」
振り替えると、山崎さんが八木邸の門を逃げるように入って行くのが見えた。
山崎さんへ訪ねてきたお侍を任せて、救護室へ戻った。
「疲れた……」
さっさと着物を脱ごう。
帯を解いて、やっぱり袴の方が楽だなと、自由になった胸で大きく深呼吸した。
「福田さん……小町ちゃんの所へ行ってきましたよ。早う七日経てばいいのに……」
障子が開いて、馬越さんが戻ってきた。
帯と着物を畳んで、シニヨンを解いた。
「ちゃんとお雪の誤解は解いたんでしょうね!」
馬越さんは、ごんと鴨居に頭をぶつけた。
「大丈夫ですか!?」
背が高いから少し頭を下げないとぶつけてしまうんだよね。
額がみるみる青くなって、たんこぶになった。
ぼんやり立ち尽くしてるから、打ち所が悪かったのかも知れない。
手を引いて無理矢理座らせた。
冷やさないといけない。
「水汲んできます!」
部屋を出ようとすると袖を掴まれた。
「……福田さん……いや、お雪さん…………」
馬越さんの可愛い顔を見下ろすと、大きな目がゆっくり瞬きした。
「その身なりは、いくら永倉さんや思ってる俺でもかまいます……」
身なり?
裸じゃないよ。
ちゃんと肌襦袢という着物を着ているよ。
「……肌襦袢で外へは出ないものなの?」
いつもは浴衣に袴だから良くわからない。
「肌着でうろうろしてる国やったんですか?福田さんとこは……品はないけど行ってみたいわ……」
肌着?
下着ってこと?
ブラとパンツと一緒ってこと!?
見上げる馬越さんの目を両手で覆った。
「変態!!早く言って下さいよ!!」
足で浴衣と袴を引き寄せた。
「だから、言ったではありませんか……変態なら教えませんよ」
「――あ、そうか。ごめんなさい」
馬越さんから離れて浴衣を羽織った。
別に馬越さんは私のこと胸のある永倉さんだと思ってるから、気にしなくていいし、私も裸じゃないから恥ずかしくもないんだけど……
「ああ……いい香りがする。初めて会ったときもこんな香りがしてた……何か匂袋でもいれてますか?」
振り替えると、脱いだ桃色の着物を胸に抱いて顔を埋めていた。
「ねえ?この香りの元はどこで手に入ります?贈り物にしたら喜ばれそうや……」
前言撤回!
「やめてー!変態!!」
帳面で頭を殴った。
前後へ出来たコブを冷やすために、水を汲みに行きながら、あの香りはお内裏様に貰った人形の香りではないかと思い出した。
「お内裏様が魔王の宮様?……あの人形、馬越さんにあげよう……うん……」
しかし、今日は日差しが強い。
毎日こんなに暑いと夏バテしそう。
「皆、大坂でバテてないかな……」
留守でひっそりしている雑魚部屋を眺めた。
救護班としては、浪士組の健康も考えた方が良いのではないだろうか……
「うがい、手荒い。バランスの良い食事。睡眠……」
うんと頷いてつるべを井戸へ落とした。
こまちちゃん問題も解決しただろうし、食事のこと、お梅さんに聞いてみよう。
「……あと二日は行きませんよ」
お梅さんのお店へ一緒に行こうと馬越さんを誘うと、そう言って断られた。
あと二日はこまちちゃんが店の手伝いをするらしい。
「そんなに苦手ですか?こまちちゃん可愛いのに……」
濡らした手拭いでおでこのコブを冷やした。
「……あの匂いの元をあげようかなと思ったんだけどな~」
一瞬、眉がぴくりと上がったけれど
「行きません」
「じゃあ、山崎さん誘おう。あの人こまちちゃんファン……お気に入りだから」
「……あほやな……おっさん……ええ歳して」
刀を取って立ち上がった。
どこへ行くのかと見ていたら
「行きますよ。匂いの元貰いますから。井上さんも行きますよね?」
障子を開けると、井上さんが縁側に腰掛けていた。
「……いえ。私は留守を預かります」
馬越さんが隣に腰掛けて、草履をはいた。
「――粉の臭いがする。いつの間にええ人でも出来たんですか?留守番お願いします。福田さん早く着替えて来てください」
まだ袴を着てなかったので、障子を閉めて急いで着替えた。
――粉の臭い。
ええ人……
縁側に腰掛けている井上さんの横で草履をはいた。
「じゃあ、いってきます!夏バテ対策料理を聞いてきますね!」
「はい。お気を付けて」
いつもと変わり無く、私も井上さんも笑顔で別れた。
もう、胸も痛くなかった。
やっぱり私が井上さんに惚れているというのは、山崎さんの勘違いだ。
こまちちゃんの視線を無視して、二人で店の奥でお梅さんに夏バテレシピを教えて貰った。
屯所へもどり、うがい手荒いの張り紙を作った。
文字は馬越さんが書くんだけどね。
「あと、掃除当番も要りますよね?布団干し当番とか……」
「飯炊き当番と、洗濯当番?要りますか……これ」
紙に書き出した当番名に、筆でピンをつけられた。
「だって!布団も部屋も超臭かったんですよ!清潔にするのも健康には大事ですから!」
馬越さんは持っていた筆をおいて、自分の着物を匂った。
「……臭いですか?」
顔を近づけると
「――臭い!汗臭っ!!」
「……二日しか着てないんですけど」
「毎日着替えようよ……」
「じゃれとるとこ邪魔するわ」
開け放した障子から、山崎さんと井上さんが見えた。
「……邪魔せんといて下さい」
馬越さんがすかさず噛みつく。
「井上さん!見て!馬越さんと浪士組の健康を守るために色々作ってみました」
縁側に井上さんと座って、うがい手荒いの紙と、夏バテレシピを見せた。
「へえ……梅を使った料理もこんなにあるんですね……」
山崎さんは救護室へ上がって、馬越さんに何か渡した。
井上さんはレシピを眺めて
「作ってみましょうか。お浸しと魚はどこで手に入るかな……」
「八木さんに聞いてきます!」
次の日、馬越さんと井上さんが大坂へ発って、代わりに島田魁さん、川島勝司さん、それから林信太郎さんが戻ってきた。




