形代
――――やっぱりここは夢だった。
高く舞った網笠の侍の姿が、一瞬紙ふぶきに変わった。
そして屯所から走ってきた侍の体を覆った。
急に強い風が吹いて、埃で目を閉じた。
――次に目を開けると
二人の姿は消えていた。
「…………何?いまの……」
周りを見渡すと、吉川先生が地面に四つん這いになっていた。
「先生!?大丈夫ですか!」
地面に膝をついて、顔を覗き込んだ。
「……腰が……割れた……」
風が吹いて、人型に切った手のひらほどの紙が一枚、目の前に飛んできた。
侍に踏まれてぎっくり腰になってしまった吉川先生を、どうにか八木邸の玄関まで運んだ。
「先生、どうしたら良いですか?お光さん呼んできましょうか?」
先生は玄関の板間から這って、畳の部屋でうつ伏せに寝転んだ。
…………ゾウアザラシみたいだな
「……しばらく横にさせてくれ」
ちょっと臭いの気になる布団をしいてあげた。
お湯を八木邸の厨でもらって部屋へ戻ると、吉川先生はうつ伏せのまま、さっき拾った人形の紙を眺めていた。
「……先生それ……」
「京の都は昔から不思議なことが仰山起こる……」
先生も侍が紙吹雪になったの見てたんだ。
「……あれって、何なんですか……?」
「さあて。何やろな……人が紙になる呪術かいな?」
呪術?
「手品みたいなものですか?」
吉川先生はうーっと唸りながら、体を横へ向けた。
「あんなんで驚いてたら、都じゃ暮らしていけへんで。前に神泉苑で会うたときは、影のような獣がうようよしてたわ……」
そういえば、魔王の宮様って言ってたよね?
「魔王って、人間ですか?文をくれた人……」
あの籠から降りてきたお内裏様のことだろうか。
「わしもよう知らんねんけど、お付きの人らがそう陰で呼んどった……」
八木邸に吉川先生を残して救護室へ戻った。
さっきの侍がいないか、警戒しながら救護室の前まで来たけれど、前川邸には人の気配はなかった。
救護室の障子は開いていて、外から部屋を覗いたけれど誰もいなかった。
事の原因の文は、救急箱の上へ置いてあった。
「……さっさと捨ててしまおう」
文を掴んで燃やしてしまおうと、火鉢に投げ入れた。
けれど、白い灰が舞っただけで炎は上がらない。
しまった!
火をおこしてなかった!
最近暖かいし、昨日から救護室でお湯も沸かしてなかった……
――破ってしまおうかな
破って外で燃やそう。
八木さんの竈へ投げ入れてこようかな……
文を持って救護室を出てうろうろしていると、横から文を取られた。
「ぎゃー!魔王が出たー!」
腰の脇差しに手をかけて後ずさると、頭巾を被って背中に荷物を背負った男が文を開いた。
「…………なんや?けったいなもん送るやつがおるんやな……」
笑いながら振り返った顔は――
「……山崎さん……びっくりした……って!勝手に文を読まないで下さいよ!」
取り返そうとすると、ひょいとかわされた。
「はあ?なんやこの歌は……虫酸が走るわ~」
笑いながら救護室へ歩いて行く。
「山崎さん!」
「……はて?福田はん。逢い引きの刻限は過ぎておま……」
急に立ち止まって振り返った。
「行きませんよ!さっき大変なことが有ったんですから!」
山崎さんは笑うのを止めて、門の方を見つめた。
視線が上に移る。
私も振り返ると、編笠の侍が横を通って、山崎さんの手から文を取った。
さっき屯所の前で待っていた方の人だ。
「――先程は失礼つかまつった」
びっくりし過ぎて声も出ない。
「雪という娘を、兄ごと亡き者にした方が手っ取り早いと思うたが……宮様がお気づかれになられた」
侍は文に目を通すと、どうやったのか、手の中で燃やしてしまった。
……手品でぼっと一瞬で炎に包まれて、燃えて消えるやつそのまんま……
本物の手品なら拍手するところだけど、話してる内容はとんでもない。
「……さて、話だけはしておく。浪士組は会津預かりと聞いたが、宮様に近い立場を取ると言うのであれば優遇致すが、その条件に妹を預かりたい」
編笠の侍は私と山崎さんを交互に見つめた。
「――それは宮様のご希望であるが……これからは拙者の独り言だ」
侍は一息吐いて
「雪は国へ戻った……もしくは嫁いだことにして下さらぬか?この際なんでもいい……死んだことにしても……」
……えーっと……
私の思考が理解する前に、山崎さんが口を開いた。
「どこの馬の骨ともしれん娘を宮様から遠ざけたいんでっしゃろ?」
馬の骨!?
「どこぞの姫さんならまだしも、ようわからんちんちくりんな小娘に懸想文を送られて、お付きさんのご苦労察しますわ」
ちんちくりん!?
「――雪だけではない。気掛かりはまだ数多にも及ぶ。流石に面倒になって、皆始末してしまおうかと思ってしまった」
編笠の侍は山崎さんへ愚痴ってため息をついた。
「さて。雪の兄とやら。如何に致す?浪士組のためにを差し出すか?それとも、都を去るか?」
急に話を振られて、山崎さんへ目で助けを求めた。
「……つーか、雪って福田さん、あんたの……」
「わー!!!!妹は国に帰りましたから!もう来ないで下さい!訳分かんないし!」
山崎さんの袖を引っ張った。
「すごく迷惑です!もう文とか送らないで下さい!」
編笠の侍は驚いた様にしばらく目を見開いて、予想外の笑顔になった。
「宮様からの誘いを断るとは以外や以外。巷の娘なら玉の輿と喜ぶものを……感謝致す」
笑うと以外と若く見えた。
「ちなみに宮様の側女になるとどれだけの金子が親には入るんでっか?」
山崎さんの質問に
「一生食うには困らぬ」
答えながら笠の顎紐を結び直した。
「だが大抵の親はその金のせいで不幸になる……娘もしかり……」
山崎さんはうなずいて
「あんたええ人やな」
「ええ人は宮様のために人を殺めようとはせぬ。長居をした」
背を向けて門へ歩いて行く編笠の侍に山崎さんは頭を下げた。
「ご苦労さんです」
私も慌てて頭を下げた。
「……なあ、福田さん」
山崎さんは頭を下げたまま
「さっき……あの侍が空から紙吹雪になって降りてきた様に見えたんわ……気のせいかいな?」
「京の都は昔から不思議なことが仰山起こるそうですよ……」
背筋がぞくりとした。
見上げた庭の木の枝の先に、例の人型の紙が一枚ひっかかっていた。
そのままにしておくのも気味が悪いので、どうにか山崎さんと木の枝にひっかかっていた紙をとった。
触るのは気がひけて、ひばさみで掴んで八木邸の竃へ持って行った。
「何やそれ?」
八木さんちの男の子が走って来て、紙を取った。
「わ!触んないほうがいいよ……えっと為三郎君?」
「お雛はんか?もうとっくに終わってるやんか。火にくべるなんてけったいなことして……ばち当たりめが。おかあちゃんに言いつけたる!」
山崎さんは懐から、懐から色紙を取り出して、人懐っこい笑顔で
「ほんまばち当たりやな福田さんは。これやるから堪忍な?」
えー!?燃やそうって言ったの山崎さんもじゃん!
うれしそうに人型の紙と色紙を交換して為三郎君は部屋へ戻って行った。
「大家に悪い印象残してどうします」
何、自分だけ無関係みたいな顔してんだ!
為三郎君から取り返した紙を指でつまんで、笑顔でこっちへ向けた。
「お雛はんなら川へ流してき」
「……だから何で私が?」
その笑顔は嘘笑顔だって知ってるから私。
「何で俺やねん」
離れの方から、吉川先生の唸るような声が聞こえてきた。
すっかり忘れてた……
「私、患者さんがいますので失礼」
やっぱりこの人ちょっと苦手だ。
人懐っこい笑顔を浮かべた山崎さんへ背を向けた。
吉川先生は玄関の柱へ寄りかかって、草履を履こうとしていた。
「大丈夫ですか?!」
「腰痛は癖になっとるからどもない……」
苦悶の顔はどうもないことないやろ……
「わいが送るわ」
山崎さんに後ろから襟を引っ張られて、背中に何か入れられた。
「福田さんじゃこの人は支えられへん。怪我もまだ治りきってないやろ?ゆっくり川でも見て涼んどったらええ」
……知らない人が聞いたら、なんて優しい人なんだろうって想うかも知れないけれど
かさり
背中に絶対さっきの人型の紙感触!
「嫌ー!取ってー!!」
暴れると袴で閉めているところまで落ちてしまった。
「皆さんお疲れさんです」
「吉川先生!どうされたんですか?」
「持病の腰痛ですか?お光さん呼んできましょうか?」
紙を背中から取ろうと身悶えていると、玄関から話し声が聞こえてきた。
最初に入ってきた井上さんに
「お願いです!背中の紙取ってください!!」
そう言って背を向けた。
「かみ?かみって?」
「背中に人型に切った紙が入ってるんです!」
井上さんは困った顔をしてなかなか取ってくれない。
「じゃあ俺が――」
馬越さんの声がして、背中に冷たい手が当たった。
「あの……まだ下ですか?」
冷たい手は馬越さんかと思ったら、井上の声がそう言った。
「早く取って下さい!」
少しくすぐったい背中で、かさりと紙の音がした。
「取れましたけれど……?」
井上さんが人形の紙を不思議そうに眺めていた。
「わ!触っちゃ駄目!」
その手を思わず叩いてしまった。
取って貰っておきながら、触るなもないんだけれど……
ひらり土間に落ちた紙を手拭いで包んだ。
「ちょっと川に捨ててきます……あ……」
井上さんの後ろで腕を組んで立っている馬越さんと目が合った。
「一番近い川ってどこですか?」
「――井上さんやらしいわ……」
馬越さんはぼそり呟いて
「四条まで上がればあるでしょうに」
沖田さんと入れ替わるように、外へ出て行ってしまった。
なんか機嫌悪い?
「あ……しまった」
井上さんはため息ついて
「これ。土産です」
持っていた紙包みを私に差し出して馬越さんの後を追うように出て行った。
包みからはあまい香り!
急に喉もからからで、お腹も空いていたことを体が思い出した。
川へ紙を投げ入れ手を合わせた。
「……もう来ないで下さい……」
ゆっくり流れていく人形の紙を眺めながら、今日の出来事を思い返した。
色んな事があった一日だった。
「人が紙吹雪になるなんて……やっぱり夢だな……」
夢なら肩の怪我も治ってくれたらいいのに……
ぐるりと右肩を回すと、刺すような痛みが走った。
「明日から吉川先生の所へはお弁当と水筒持っていかないとね――あ、腰痛だからインターンお休みかな……」
何だかんだ言って、編笠の侍からかばってくれたし……
屯所へ戻りながらふと小悪魔こまちちゃんを思い出した。
「……そう言えば、なんでこまちちゃんがお雪を知ってるのかな?公家さんのことも……?」
接点と言えば……
「馬越さんしかないな」
凄まれて超怖かったし……
前を見ると、遠くから山崎さんが戻ってくるのが見えて、慌てて前川邸の門を潜った。
救護室に上がると、沖田さんが刀を持って出てきた。
「どこ行くんですか?」
「大坂へ戻る。――ああ、お前の銀ちゃんだけど真っ二つに折れたからどうする?」
どうすると聞かれても
「折れたのくっつかないですよね……」
「芹沢局長の剣を受けようとしたのが間違いだったな……あんな無理はもうするな。近藤さんも馬鹿だけど、お前はもっと馬鹿だ――」
沖田さんはじっとこっちを見つめて
「あんな目にあってもまだ居る気か?」
私は黙って頷いた。
「……マジですか……」
沖田さんらしからぬ言葉を吐いた。
「マジです」
「女でも置くとか芹沢局長も超マジですかってか……」
ちょっと使い方変だよ……
「お前、マジで馬鹿だな。もう俺は知らないからな……勝手に芹沢局長とよろしくやってくれ……」
「……はい」
沖田さんはぶつぶつ文句を言いながら、門を出て行った。
――――前の私なら、迷惑なんだ……とか、落ち込んだけれど
「もう慣れた。夢だから平気だもんね」
そうそう……紙吹雪の人間なんて夢だから。
「夢だから平気だもんとはどう言うことですか?」
救護室の縁側に馬越さんが出てきた。
「……なんでもありません。井上さんは?」
「逢い引きです」
逢い引き?
「それって!女の子とデート!?」
「でいとは知りませんが、女に呼び出されて居なくなりました」
――何かビックリしすぎて、胸が痛いよ……
女の子苦手じゃなかった!?
団体でなければ平気だったかな……
いつの間にそんな人が?
「――そんな泣きそうな顔、せんといて下さい」
「!?してませんよ!」
ちょっとビックリしただけで――――
「あ、そんなことより!馬越さんにちょっと聞きたいことがあるんですけど……こまちちゃんの」
馬越さんは急に救護室へ引っ込んだ。
後を追うように救護室へ入ると刀を取って部屋を出ようとしていた。
「ねえ、馬越さん。こまちちゃんと会ったときにね。公家の文の事も知ってたし、妹のお雪の事も知ってたんです。それに――」
縁側に座って草履を履く馬越さんの横にしゃがんだ。
「凄い怖い顔で睨まれて、負けませんて言われたんです。どんなことしてもあきらめないって……」
馬越さんは顔を上げてこっちを見た。
「超怖かったんです。こまちちゃん……」
「――知ってます」
「どうするんですか?」
「怖いから逃げます」
「――は?」
馬越さんは刀を差して立ち上がった。
「……あの、お言葉ですけど、こまちちゃんのこと好きじゃないなら、ちゃんとお断りした方がいいのではないでしょうか?そうしたら、こまちちゃんだって」
「断りましたよ。好いた娘がいるって」
前川邸の問の方を向いたままそう言った。
――そういえば山崎さんも言ってたな。
好きな人がいるって……
「お雪さんが好きだと言いました」
「!? お雪さん……って!私!?」
「……福田さんではありません。お雪さんです。迷惑ですか?」
馬越さんはずっと門の方を見たままだ。
……これはどういうことだ?
八木の奥さんが言ってたのは……私に惚れているというのは本当だったの!?
……いやいや。ありえなくない?
私のこと散々気持ち悪いとか、ケンカして殴られたりもしてるし……
「……あの……まさか、怖いこまちちゃんから逃げるために、お雪の名を出したわけではないですよね?」
それしか考えられないんだけど!
馬越さんは振り返ってこっちを見下ろした。
「……今考えると、何故ゆえにそんなことを言ったのか俺も分からないんです」
いつもの無表情顔でそう言われても、こっちの方が分からないんですけど
「……本当にお雪のことが好きなの?」
聞きながら顔が熱くなってきた。
「……怖くて怖くて。兎にも角にもあの場を逃げ出したくてつい……」
「――つい?」
「あんなに見かけは好みなのに、腹黒いなんて……。知ってたら声なんか掛けなかったのになぁ……」
「ついお雪の名前を出したってこと?」
――――熱かった頬の熱が、頭に上って行くのはなぜだろうか?
「迷惑でしたか?」
「……今すぐ、こまちちゃんの所へ行って、誤解解いて来てっ!!」
馬越さんは可愛い目を丸くして
「嫌ですよ……怖いから」
腕は使えないので、右足で馬越さんのお尻に回し蹴りを入れた。
……もう、何だか最近新選組の夢なのに、全然違う所で色々あるというか……
新選組と言ったらさ。
池田屋事件とか志士との斬り合いとか、もっと残忍な事件に彩られてなかっただろうか?
……そういう私も、演劇部の台本以外はよく知らないけど……
「……それはそれで嫌だけど」
皆いつ大坂から帰ってくるのかな……
ため息ついて救護室へ戻ろうとすると
「福田はん。ちょっと付き合うてな」
山崎さんが笑顔で手を上げた。
――怪しい。
「……私は忙しいので……」
「あんたの都合は聞いてへん。馬越の想い人、お雪はんになって、茶屋へ付き合え言うてんのや」
笑顔でも語気はきつい。
「茶屋?お茶したいなら、関わりたくない私ではなくて、他の人誘ったらいいじゃないですか?その方が山崎さんも楽しいでしょう?」
「つべこべ言わんと着替えてこいや……」
にこにこしながら、山崎さんに左手を引っ張られた。
「なんで私なんですか!?」
「あんたやないと出来ひん任務や」
「任務?」
何だ。仕事なの?
仕事ならしょうがない。
「局長にたのまれたんですか?」
「……いや。土方副長や。鴨川沿いの茶屋街には志士はんらも多いやろうからな」
「潜入捜査ですか?」
「……よう分からんが、そないなもんや」
私を掴かんだ山崎さんの腕を、誰かの手が掴んだ。
「離して貰えますか?」
井上さんが山崎さんの腕を掴んでいた。
「今から二人で茶屋へ行くとこや。あんたらも一緒に行くか?」
もう一方の井上さんの腕に、うっちゃんさんがくっ付いていた。
「いやん。福田はん。そんなうぶなお顔して、こちらのお兄はんとそんなとこ行かはりますの?」
女と出掛けたって!うっちゃんさん!?
だったら教えてくれたらいいのに――
最近、井上さんは私の事が邪魔みたいだ。
隊士募集係も外れろって言うし、前はウザい位一緒にいたのに……
「……山崎さんと二人で行きたいので……着替えてきます……」
「福田さん――」
井上さんの呼ぶ声が聞こえたけど、救護室へ入って障子を乱暴に閉めた。
風呂敷から女物の着物を引っ張り出した。
――うっちゃんとくっついてた。
「……なんだ。二人は付き合うのなら、教えてくれてもいいのに。私のこと友達だって言ったじゃないか……」
お梅さんもうっちゃんさんはいい子だって言ってたし……井上さんより歳上じゃないかな?
歳とか関係ないけど……山崎さんはこまちちゃんファンぽいしさ……
桃色の着物を羽織った。
髪は適当にお団子にした。
この部屋には姿見がないから、着物が綺麗か分からないんだけれど。
障子を開けると、井上さんが縁側に座っていた。
あ、と急いで立ち上がった。
「茶屋へ二人で平気ですか?任務とは言え、その……」
「大丈夫です。うっちゃんさんと仲良しなんですね……馬越さんが悔しがりそう」
笑うと井上さんは目をそらした。
「行ってきます!」
草履をはいて、早くその場を離れようとすると
「福田さん」
左手を引っ張られて止められた。
「大丈夫には見えないのですが……」
振り返って心配そうな井上さんの顔を見たら、何故か泣きたくなってきた。
ふわり、うっちゃんさんの香りがした――
「触らないで!」
もう。
胸がぐるぐるする。
井上さんを突き飛ばして、門まで走った。
「――で、何で泣いとるんや?わしが泣かしてるみたいやんけ……」
山崎さんと歩きながら、涙が止まらなくなった。
「……気にしないで下さい……私だって、よく分かんない……」
友達なのに……、疎外感、仲間外れ、結婚しないって言ってたじゃん、
本当に胸がぐるぐるして分かんないのに涙が出る。
「何や……無理矢理嫌がる娘を、茶屋へ連れ込む助平じじいちゃうねんぞ……」
すれ違った女の人が振り返った。
「大丈夫……山崎……さんはじじいではない……ですから……」
山崎さんは足を止めて振り返った。
「……井上なら、さっきの女とは何もあらへん。借金の事で、店へ話に行きよっただけや。あいつ、ホンマに女に興味ないらしいからな……」
山崎さんの顔を見ていたら、大きなしゃくりが出た。
「……泣き顔はまだ見れるやんか……てか、早よ泣き止め!」
頷いて涙をふいた。
二人で無言で東へ進む。
山崎さんはいつの間にか、侍の格好から背中に荷物を背負った行商人の姿になっていた。
――今頃気付いたけれど、大坂で初めて会ったときの格好と同じだ。
山崎さんは色んな格好をして、尊皇派の志士を探る係りなのかな…………?
それこそ密偵?
急に帯を引っ張られて、道の端へ寄ると、お尻を出した飛脚が後ろから抜いていった。
「……あのな。私情で心ここに在らずとかええ加減にせえ……どっち道、あんたら皆、成就せえへん恋やさかい……諦めや」
「……成就せえへん恋って?何のこと?」
山崎さんは大きな目を見開いて
「あほ。あんたが井上好きで、馬越があんた好きで、沖田が医者の出戻り好きで、井上はあんたが気にはなるが気付いてへん……佐々木はあの娘やし、松原は例の後家で……他にも隊内恋事情聞きたいか?」
――この人何でこんなに詳しいんだろう
「て言うか!私と馬越さんと井上さんは違うから!」
きゅっと、頬をつねられた。
「どの口がほざいとんのや?びーびー泣いとったくせして……」
「泣ひたのは井上さんが好ひなんじゃないひ……」
「わしの情報収集をなめんな……好きやろ?」
「違うひ!」
言い合いをしていたら、通りの人が、私たちを大きく避けて通って行った。




