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幕末最前戦の戦士たち  作者: コトハ
はじまりは夢の中で
45/54

井馬福同盟、三

ふと目が覚めた。


部屋はまだ真っ暗。


静かすぎても眠れないものなのかな……


眠れなくて雨戸を開けて外へ出た。


雨は止んでいて、生ぬるい風が浴衣一枚の足元を吹いて行った。



闇にぽっと光が飛んだ。


びっくりして体が痙攣した。


「火の玉?!」


光はふと弱くなって、門の方へ飛んでいく。


…………何?


慌てて追いかけると、通りを越えて前川邸の門の上から中へ入って行った。


光は強くなったら弱くなったりしながら、雑魚寝部屋の前を飛んで、庭の木の下の草の上に停まった。


もしかして…………初めて見たけれど


こんなにも儚げできれいだなんて…………




「蛍?」


黄緑色の光に手を伸ばすと、光が飛んだ。


「待って!」


両手でふんわり捕まえると、指の隙間から光が漏れた。


強くなったり弱くなったり


光はしばらく繰り返していたけれど、光が消えたきり……


「あれ?」


不思議に思って手のひらを開くと、飛んで行ってしまった。


「…………初めて見た……蛍……」


ぼんやり飛んで行った空を眺めていたら、雑魚寝部屋に明かりが見えた。


雨戸が開いていた。


「!?だ……誰」


誰もいないはずなのに、誰か帰ってきたのかな?!


様子を見に行こうと思ったけれど、浴衣一枚の格好なのに気づいた。


それに泥棒だったら……


八木さんに知らせた方がいい?


でも、こんな夜中に迷惑だよね。


留守番は私だけだし、屯所を守らないといけないよね……


とりあえず見つからないように様子だけ伺おう。


稽古場の隅にあった竹刀を取って、忍び足で雑魚寝部屋に向かった。








開いた雨戸からそっと中を覗いてみた。


明かりは左の方からもれてくる。


でも、人の気配はしない。


思わず身を乗り出して部屋を覗くと、背中を踏まれて廊下にぺたり胸をついた。


「誰!?」


首を回して背中の足の主を見上げた。


「……いた。井上さーん、いましたよ~」


足で背中を践まれたまま、明かりと顔が近付いてきた。


「どこ行ってたのですか?探しましたよ」


「……馬越さん……足退けて!痛い!」


「まだ駄目です。井上さーん」


後ろから走って来る音がして、馬越さんが足を退けた。


体を起こすと、目の前の馬越さんを睨み付けた。


「何するんです……ひっ!?」


「良かった……」


後ろから抱き締められた。


馬越さんが足を上げて、私の顔の横に蹴りを入れた。


そこには井上さんの顔があった。


「そのはぐ?癖、治した方が良いですよって言うたやろ……」


「……申し訳ない。つい……」


井上さんの顔面にある馬越さんの足を手で退けた。


「もー脅かさないで下さい……泥棒かと思いましたよ。で、二人は何してるんですか?大坂は?」


馬越さんは雨戸を開いて、廊下に胡座をかいた。


「行ったは良いが、部屋が足りなくて帰されました。見習いは役立たずだと思われてるみたいで」


少し膨れた頬で横を向いた。


……頭の中は変態だけど、こういう顔はめっちゃ可愛い


「違いますよ。私達は隊士募集係りとしての務めを仰せつかったんです……福田さんの事も心配でしたけれど……」


井上さんの優しい笑顔に、思わず私もそのお腹にハグしたくなった。


手を広げると、後ろから襟首を掴まれて、井上さんの方へ行けなくなった。


「あのおっさんはどこですか?誰もいる気配がしないですが……」


「馬越さん放して」


「そう言えば……山崎さんも具合が悪くて居られるはずですね」


井上さんも土間から、雑魚寝部屋を覗いた。


「山崎さんなら入隊希望の人と大坂へ行きましたよ……放してって!」


井上さんは


「入れ違いになってしまいましたね。まだ朝まで一刻程あるので、休みましょうか」


そう言って部屋へ上がって行った。


馬越さんに襟首を引っ張られて一歩下がった。


「怪我の具合はどうですか?」


「え?大分良くなりました……」


「良かった……」


後ろからハグされて、思わず痛くない左手で裏拳を顔面に叩き込んだ。


「っ痛!」


「すみません!思わず拒否反応が……」


「……井上さんなら良くて、俺は殴るのですか……」


……そう言われればそうだね?


何でだろう?


井上さんにはもう一回ハグして貰っても全然オッケーだし……


「って!何考えてんだ!!恥ずかしい!!」


熱くなった頬をぺちぺち叩いた。


「ふーん。何だ。恥ずかしかったのか……そうか」


馬越さんが独り言の様に呟いた。


「別に!何とも思ってないから!!」


井上さんの事なんて!


部屋の奥から、井上さんに二人ともここで寝るかと聞かれたけれど、私は八木邸へ一人戻った。








隊士募集係なら、今までやってきたことと変わらないと思っていたけれど……


「福田さんは募集係から抜けて下さい」


朝餉の途中で、向かい合って座った井上さんはいきなりそう言った。


「どうしてですか?私は芹沢局長に女でも救護班やっても良いと言われましたよ?浪士組にいてもいいって」


井上さんは箸を置いて


「……福田さんは芹沢局長に目を掛けられていますから、選べないでしょう」


意味が分からなくて、井上さんの隣でご飯を口に入れた馬越さんを見た。


馬越さんはご飯を飲み込むと


「井上さん。福田さんはあほやから、分かるように言わないと」


あほ!?


「怒らないで下さい。易しく言うと」


「馬越さん……」


井上さんが眉を寄せた。


「芹沢局長に付くか、近藤局長に付くか、そう言うことです」


「……どういうことですか?」


「……まだ分からんのか?」


…………分からん


確かに浪士組に局長が三人とか、最初から多すぎじゃない?とは思っていたけれど、今更どっちに付くかなんて………………!


「もしかして!局長選挙でもするんですか?」


二人の顔が?になった。


「……選挙てまだないのかな…………えーっと、どっちが局長に相応しいか、皆で決めるんです。紙に名前を書いて多かった方が局長に決まり!」


馬越さんが味噌汁をすすった。


井上さんは箸を取って


「そうですね。局長はいずれ一人になるでしょうね。選挙とやらで、決められたら良いですね……」


しばらく目を伏せて黙り込んだ。


「局長を決めるんじゃないんですか?」


馬越さんが器を重ねて


「だから、俺と井上さんは近藤局長に付くのですよ!隊士募集も、近藤局長に付いてくれそうな人を選ぶのです。ここまで言ったら分かりますか?」


…………そんな……そんなこといきなり言われても……


「……どうしてそんなことしないといけないんですか?」


どっちか選べなんて……


「この事は他言無用です。福田さんは近藤局長の身内ですから、信用して話しましたが…………」


井上さんを見ると、いつもの優しい雰囲気が消えて、感情のない茶色の瞳が見下ろしていた。


…………怖い……


「何があっても近藤局長に付かれるなら、隊士募集係りに加わっても構いません」


何があっても………………


思わず目をそらすと、二人は御膳を持って部屋を出ていった。







一人八木邸へ戻って器を洗う。


「どっちか選べなんて出来ないよ……大体、私は隊士でもないんだから、選べる立場じゃないじゃん」


でも、井上さん達が近藤局長に付いたということは、芹沢局長に付いた人もいるわけだよね?


佐伯さんとか野口さん……あと名前忘れた芹沢局長と一緒にいる人達はそうだよね。


別にどっちがなっても良くない?


このままではだめなの?




昨日の布団干しの続きをしたかったけれど、痛む右手はまだ重いものは持てない。


見上げた空もどんより黒い雲が広がっていた。






特にすることもなく、救護室で救急ガイドブックをパラパラめくる。


もうお昼も近いのに、二人は帰ってこないし……


雨の音がした。


二人とも傘を持って行ったかな?


悩んだけれど、傘を持って前川邸を飛び出した。


傘を開きながら飛び出して、門のすぐ外に人がいるのに気付かなかった。


ぶつかって傘を落とした。


「すみません!大丈夫ですか!」


「…………あ……」


女の人が赤い傘を落とした。


儚そうな美人……


「浪士組のお方どすか?」


傘を拾って渡すと、困ったような笑みを浮かべた。


「はい。皆今大坂へ行ってまして。何か御用ですか?」


女の人は懐から帳面を出して


「借金返済の催促に来たんやけど……」


借金返済!


どうしよう……河合さんも居ないし


「あの……それって、今日中じゃないと駄目ですか?」


女の人は子首をかしげて


「うーん。駄目と言えば駄目やけど……」


「今日中は無理です……どうしたらいいですか?」


女の人は笑って


「どないしよ。何か形になるもんでも貰っとこかな……」


えー!


そんなもの何にもないよ!!


私はお金もないし、刀だって折れてないし……


「あんた可愛い顔してるはるから、貰っとこか?」


「え?…………えー!!」


もしかして!借金の形に身売り!!


「嫌です!他のにしてください!!!」


女の人が急に吹き出した。


「あはは。おもろい子やな~」


「代わりに俺貰ってくれますか?」


声のした方を向くと、馬越さんと井上さんがずぶ濡れで立っていた。


女の人は品定めするみたいに、二人に近付いて


「ええよ。特に…………」


馬越さんを素通りして、井上さんにしなだれた。


「兄さんなら直ぐにでも」


井上さんは顔色一つ変えず女の人を見つめていた。


「……何か胸に黒いもん抱えてそうや」







耳元で囁いた。


「……だめ!」


叫ぶと三人がこっちを見た。


女の人を井上さんから引き剥がして、馬越に押し付けた。


「こっちにして下さい!」


女の人がほんのり笑う。


「戯れどすえ……可愛らしい子やな。あんまり可愛らしいから……」


馬越さんと井上さんの腕を引き寄せた。


「意地悪したくなるわな……」


どろっと、嫌なものが胸に広がった。


何だろう……この感覚は…………嫌だ……


何だか泣きそう……嫌だ……嫌……





「なら、俺に意地悪してみますか?」


笑顔でアピールする馬越さんの声で、その感覚がぶっ飛んだ。


「あんたは面白い子やな~」


頭をぽんぽん撫でられて嬉しそう……あほかこいつは


「また来ます」


赤い傘をくるくる回しながら、通りを曲がって行った。


「……誰なんですか?」


井上さんが濡れた髪を上げた。


もう手遅れだけど転がっていた傘を渡した。


「借金取り」


「借金取り?」


さっき井上さんの腕にくっついてたよね


くっついてた…………


「何か嫌なことを言われましたか?」


「え?」


「顔が怖いですよ?」


無理矢理笑顔を作った。


「別に何にもありません。二人とも早く着替えないと風邪引きますよ!馬越さんも!」


傘を拾って馬越さんへ渡した。


「……福田さん」


「なに?」


「腹ん中黒いともてるのでしょうか?」


…………お前は真面目な顔して、そんなことばかり考えてんのか!


呆れて何も言えん。


私も濡れたから着替えよう。


「ねえ……福田さん」


無視。


「やっぱり井上さんに取られるんかな……」


「……井上さんはあんな人はタイプじゃないと思うよ。安心して頑張って」


井上さんは先に部屋へ上がって行った。


「あれは美人やけど……ちょっと苦手やな……」


門を潜りながら、馬越さんはにこり笑って


「でも、気を付けな。井上さんみたいな人はころりと騙されるかも知れませんよ」


「……まさか」


「次いつ来るかな~名を尋ねとけば良かったな~」


もう来なくていいよ。


「早くお金返したい……」


マジもう来ないで…………







そう願っていたのに、何でこんなところで会うかな……


「あら?壬生浪士の可愛らしい子や!」


お見舞いに来てもらったお礼に、お梅さんの店を訪ねると、ばったり店の入り口で鉢合わせてしまった。


「うっちゃん忘れ物……あら福田はん!具合はどうなん?」


中からお梅さんが出てきた。


うっちゃんて、友達?


二人の顔を黙って見てたら


「福田はんて言うんか……」


うっちゃんは少し困ったような儚い笑みを浮かべた。


悔しいけど、とても色っぽくて綺麗です……


「知り合い?」


お梅さんの問いに


「ちょっとな?」


「そうなん?うちの甥のお友達や。早う浪士組辞めさせなー思ってるんやけど……」


「ふうーん」


うっちゃんは首を少し傾げて、こっちを眺めた。


「……お梅さんの友達ですか?うっちゃんさん?」


「うっちゃんさんやて!」


笑い出したうっちゃんに背中を叩かれた。


「ええ。昔お店にいたころのお友達や。名前が同じ梅やから、うっちゃんて呼んでるんや」


「そうそう。お姉さんにはお世話になりました。福田はんもうっちゃんでええよ」


急にうっちゃんは腕を絡ませて


「……次に取り立て出来ひんやったら、あのお兄さん貰って行くから」


「?!」


耳元で囁いた。


「ホンマにおもろいな~福田はんは!そんな顔されると、よけいにからかいたくなるわ~」


頬を両手で挟まれてぐりぐりされた。


笑顔で帰っていくうっちゃんを見送ると、お梅さんが


「悪い子やないんやけど……昔からああやって、可愛い子からかう癖があんねん……気にせんといてな」


「気にしてなんかいません!気にしてなんか……」


あのお兄さんて…………井上さん?馬越さん?


暇があるなら何か食べて行けと言うお梅さんに甘えたかったけれど、吉川先生の所にも診察に行かなければならないと断った。



吉川先生の診察を終えて、屯所へ戻る途中、隊士募集中の二人を見かけた。


二人は浅葱色のだんだら羽織を着ていて目立ちすぎるほどだった。


剣道の防具を竹刀の先に掛けて肩にのせた男と話している。


近くに道場でもあるのかな?


前にちらし配りをしたとき、からかわれただけで、何の役にも立たなかったことを思い出して足を止めた。


私がいたら馬鹿にされる――――


先に戻ってご飯の用意でもしとこう。


本当は


私もあそこで三人で


一緒にいたかったんだけどな…………


「辛いな娘」


ぽんと肩を叩かれて小さく悲鳴を上げてしまった。


「よっしゃ。何か食いに行くが。どうしたその怪我は?」


振り返るより先に、腕を握られて路地へ引っ張られた。


「ちょっと!何するんですか?!」


へらへら笑いながら、振り返ったクセっ毛の男は確か…………


「天然の近藤さんとこへ寄ろうと思ちょったが、誰もおらん。浪士組は下坂のお供が出来るほど偉くなったんか?」


前に公事宿にお仕事に行ったときに、お店で声を掛けてきた……


「もし暇なら、海軍に入らんかと……ん?不満そうな顔して……腹はへっちょらんか?」


近藤局長のお知り合い。


「……手を離して。ナンパなんて最低」


「なんぱ?」


ナンパって昔の言葉ではないのかな?


「とにかく!手を離してください!!」


「つれないな~」


「つれるか!」


二人でもみ合ってたら、通りの人が立ち止まってこっちを見ていた。


急に腕を離されて、地面に手をついた。


思わず痛めていた右手をついて、その場にうずくまった。


「すまん」


文句を言おうと顔を上げると、隣にお座りして怒られて反省している大型犬みたいなのがいた。


「大丈夫ですから……」


立ち上がろうとすると、大型犬が手で制した。


「……走れるか?」


私の後ろを凝視したまま。


「何?後ろに誰かいるの?」


なんとなく振り返ってはいけない気がして質問すると


「おう。刀抜いた男がわしの事斬ろう思っちょる。逃げよ」


「え?!」


振り返るのが怖くて、逃げ出した大型犬の後を追いかけた。




足早すぎでしょう!!


右腕を吊っているので走りにくいのもあったけれど、狭い路地だか、人の家の庭だか分かんない所を勝手に横切って行く。


走りながら、別に一緒に逃げなくてもいいことに気付いて足を止めた。


「帰ろう」


いつの間にか川沿いに出た。


あまり遠くまで来て迷子になるといけない。


少し歩くと、後ろから誰か走ってきた。


「なあ。ここはどこじゃ?」


大型犬が隣に並ぶ。


追手は巻いたのだろうか?


「さあ……私も京都はよく分かりません。あなたも京都の人じゃないんですよね?江戸の人?」


袖を引かれてうんざり振り返る。


「何?」


「腹が減った。ここで飯にしよう」


走ってのどはかわいていたけれど……


「結構です」


少し歩くとまた袖を引っ張った。


「……何?」


「わし今日は一人でさびしいんじゃ……天然の近藤さんはおらんし……連れにも明日の朝まで会わんき……」


はあ?!


知らないし!


そんなこと!!!


「……ていうか、私あなたのこと知らないし」


「ほうか……わしは坂本……地蔵。江戸で近藤さんの出稽古先で何度か話したき、知り合いじゃ」


……地蔵?!変わった名前……


「そうなんですか?福田睦月です。じゃあ、さようなら」


そう言っても、袖はしっかり握られたままで、離す気配がない。


捨てられる犬みたいな顔してこっちを見ている……


「大人でしょう?一人でどうにかして下さい」


「頼む!一人で店入ってさっき『一見さんはお断り』言われたんじゃ~恥ずかしくて顔から火が出た」


だから!知らないし!!そんなこと!!!


周りの人もこっち見て笑ってるし!!!


ふいに坂本地蔵が袖から手を離して、ぴょんと後ろに飛びのいた。


さくっと、今坂本地蔵の足のあった所へ脇差が飛んできて刺さった。


「うわぁ!」


遅れて私も飛び退く。


「こら、おっさん。うちの隊士に何か用か?」


坂本地蔵の頭を後ろから帳面で叩いたのは


「……馬越さん?」


地面に刺さった脇差を井上さんが抜いて、腰の鞘に戻した。


これ投げたの井上さん?!


「前にお会いしましたよね?公事宿の近くの甘味屋で」


やっぱり井上さんて忍者なのでは…………


手裏剣みたいにさくって地面に刺さったよ


坂本地蔵は、おもいっきり笑顔になった。


「お前ら暇か?飯食いに行かんか?」





坂本地蔵に強引に誘われて、四人で食事をすることになってしまった。


隣に座った井上さん浅葱色の羽織を着たまま


「……どういういきさつですか?」


と聞いて来たけれど、私だってよく分からない。


「……近藤局長を訪ねてきたら留守だったそうで…………」


「福田さんは何食べますか?」


目の前で馬越さんは坂本地蔵とお品書きを眺めている。


「天ぷらは……鱧はまだ早いかな……」


「何でも頼め!わしの奢りじゃき。睦月は何にする?」


じゃあと、馬越さんは遠慮なく注文してるし


「……睦月って親しい間柄でしたか?」


井上さんの言葉に


「いや、会うのは二度目じゃ。早く頼まんか。なんでもいいか?」


目の前の二人は、どんどん注文して、私と井上さんの分まで勝手に決めてしまった。


「あの」


井上さんが少し語気を強くして声を掛けた。


「失礼ですが、局長とはどのようなご関係ですか?」


坂本地蔵は、おうと皆を見回して


「坂本と申す。江戸の桶町におった時に何度か会うたことがあって……まあ、言うたら顔見知り程度じゃ」


……顔見知りって、そんなもんで訪ねてきたの?!


隣の井上さんもそう思ったのだろうか、目が泳いでいた。


「顔見知り程度で、何しに来たのですか?」


馬越さんが、だんだら羽織を脱ぎながら質問した。


「海軍操練所を作る助けにならんかと思ってな。金もかかるし……」


「そりゃ、無理な話です。うちは貧乏ですから」


馬越さんはそう言って話をさえぎった。


「お前、可愛い顔してはっきり言うの……まあ、金はええが人もいる」


「海軍操練所なんていいとこの出しか入れないでしょう?」


「そう思うか?いろんな奴がおるぜよ。勝先生を慕っちゅう奴は」


料理が運ばれてきて、坂本は箸を取った。


「勝先生とは、開国論者の勝麟太郎のことですか?」


井上さんの問いにうなずいて


「そうじゃ。不満そう面じゃが何かあるんか?」


面白そうに問う坂本地蔵に対して、井上さんの顔は曇った。


「まあ、いろんな考え方があるき。話は後で。まずは腹ごしらえじゃ」



まずは腹ごしらえって言ったのに、坂本地蔵はずっと話しっぱなしだ。


海軍の必要性だとか、敵を知らずしてどうやって戦うのだとか…………


井上さんは、質問をしながら聞いていたけれど、意外だったのは馬越さんが真面目に聞いているところ。


開国するのがどんなに楽しいことなのか、坂本地蔵の話はわくわくするほど引き込まれた。


私には鎖国という感覚がないので、普通に海外に行けたり、外国人と話したりなんて特別な事でもなんでもない。


もっとびっくりしたのは、他の藩にも自由に行けないことだ。


前に井上さんが脱藩は重罪で、お姉さんたちが剣術修業に出たことにしていると言っていたけれど、不法滞在と同じになってしまうのかな?




…………でも


私は天ぷらとうどんを食べ終わって、一息ついた。


「でも坂本さん。それってどっちみち戦争するってことですか?」


三人の視線がこっちに停まる。


「……だから、戦をする話しかしないんだなーって。確かに、外国の方が船も武器も強いと思いますけど……開国して、武器を買って、その武器で戦争するんでしょう?仲良くすることは出来ないのかなーって。戦争はいいこと一個もないって、おばあちゃんが言ってたから、戦争しない方法はないのかな」


「それはそうかも知れんが……いざ攻められて、なんの抵抗もなしに、異国の思うがまま踏みにじられたら…………」


「自衛隊みたいなこと?」


また三人の視線が停まった。


今私全然違う事言ったよね。


「あ……すみません。話続けて下さい……」


お茶を一口飲んで


「…………でもでも。前に日本は外国に負けるって話したら、ものすごく怒られました。怒ったのは沖田さんていう人なんですけど、近藤局長と同じ道場の人だから、きっと近藤さんも同じ考えなんじゃないでしょうか……」


井上さんは箸をおいて


「そうですね。局長は幕府と天皇が同じくして攘夷に踏み切ることを望んでおいでですから。話はとても興味深かったのですが……今は外よりも内をどうにかしなければ、誰でも異国へ行くことなど出来ようがありません」


坂本地蔵にお礼を言って、先に店を出て行った。


しばしの沈黙。


私の知っている教科書程度の知識では、幕府がなくなって明治になっても、鳥羽伏見の戦いがあって、西郷さんも戦う。


その後も、戦争は続いて、第二次大戦までずっと戦争は続く。


「…………まあ、うだうだ考える前に、目の前のことやらな」


馬越さんはそう言って漬物を口に入れた。


「おう。そうじゃ。わしは資金集めに駆けずり回ることにするき。お前らはどうする?」


どうするって……?


今何をするかってこと?



――――――私は何をしなければならないのだろう



黙って坂本地蔵の顔を見ていたら


「海軍に出資しろってことですか?それって、何か得になるのですか?」


馬越さんは頬杖ついて、いつもの抑揚のない声で呟いた。


「得?うーん……おう!そうじゃ!!」


ぽんと手を打って


「船に乗せてやるっちゅうのはどうじゃ?」


船?海軍の船?


「そんなの一般人が乗れるわけないじゃないですか!勝海舟って超有名人だし、幕府の偉い人でしょう?!」


「まあ、今すぐは無理じゃが、そのうち乗せてやる」


自信満々に言うけれど、この人も幕府のお偉いさんなのだろうか……


坂本地蔵なんて教科書に載ってなかったし……坂本……


「坂本……龍馬の親戚とか?」


「龍馬?」


馬越さんは知らないみたいで、可愛い目を少し見開いた。


「はて?睦月はその名を何故知っちょるのか……近藤さんにでも聞いたか?」


「坂本龍馬なら誰でも知ってるでしょう?薩長同盟、近江屋暗殺、大政奉還は違ったかな?あとは……」


急に坂本地蔵が笑い出した。


「わしも大概なホラ吹きと言われようが、睦月も大概じゃ!」


何かおかしなこと言った?私……


馬越さんは机に、小判を一枚置いた。


「いつか船乗せて下さいよ。うちの親父やったら、もう少しふんだくれたかも知れませんけど」


「可愛いの……お前…………!」


坂本地蔵はごちそうさまと席を立った馬越さんに抱きついた。


「必ず乗せちゃる!」


馬越さんはうんざりした顔で


「……井上さんといい、この人といい……最近巷では、はぐが流行なんですか?」


「さあ……?」


坂本地蔵は馬越さんから離れて、こっちに向かって両手を広げた。


「睦月も来い。乗せちゃる!」


「…………いや、私は結構です」





坂本地蔵と別れて、馬越さんと連れ立って歩く。


馬越さんは腕に掛けていた羽織に袖を通した。


「……変わった人でしたね」


「本当に船に乗せてくれるのかな……馬越さん一両も寄付して大丈夫ですか?」


「大丈夫ではないですね。どうやってしのいでいこうかな…………」


「……またお梅さんのとこでただ飯食べようとか思ってるでしょう?」


馬越さんは足を止めて、羽織の紐を結んだ。


そういえば、お梅さんのお店の小町ちゃんって、馬越さんの事が好きだって言ってたな。


浅葱の羽織紐を結ぶ横顔は本当に可愛くて、喉仏と節くれだった指がアンバランスで、妙に色っぽく感じた。


……頭の中は変態だけどね。


馬越さんは


「いつか……」


そう言いながらこっちも見ずにまた歩きはじめた。


「はい?」


「一緒に船に乗せてもらいましょうね」


「……私も?」


「駄目でしょうか?」


「駄目ではないけれど……」


「では、約束」


たまに見せる、ずるいくらいの可愛い笑顔を向けられて、頭が一瞬くらっとした。


差し出された手に、思わず自分の手を重ねると


「…………銀二十匁」


「え?」


「一両を三人で割ったら銀二十匁でしょう?手数料はまけときます」


すぐに意味が分からなくて、可愛い笑顔を見上げていた。


「あ。財布盗られてすっからかんでしたね」


「…………三人て、私と馬越さんと井上さんで、寄付したお金割るってこと?」


「はい。船乗るでしょう?」


乗らないし!と、手を引っ込めようと思ったけれど、三人で船乗るのも楽しそうだなと……


「……今度でいいですか?」


「もちろん。利子は付きますけど~」


「利子なんて取るの?!悪どい奴」


「悪どい?悪どかったら福田さんなんて、とうに売っぱらってますけどね」


風で羽織の裾がふくらんだ。


「井上さんのように、今まで通りなど俺には無理です」


真顔で見下ろされて、乗せていた手を引っ込めようとしたけれど、ぎゅっと掴まれて止められた。


無理?


女だからもう友達ではいてくれないということだろうか。


それは仕方がないよね……


「……分かりました。今まで仲良くしてくださってありがとうございました」


ちょっと悲しくて、目頭が熱くなるのをこらえて、掴まれている左手を握り返して握手した。


「井馬福同盟。ばれない、ばらさない、今まで通りも無理です」


黙ってうなずいた。


「ばれない、ばらさない、今まで以上にしませんか?」


……………………今まで以上?


「はい。決まり。新条約記念に、利子は付けないでおきますね。井上さんはどこまで配りに行ったのかな。夕餉までには戻りますから、うまい飯お願いします」


「……はい…………?」


走っていく浅葱の羽織を見送って、一人残されて立ちすくんだ。


今まで以上?


「…………て、仲良くしてくれるってことかな?」


ふと視線を感じて振り返ったけれど、蕎麦屋の屋台とそこから出てきた町人と親子連れが向うへ歩いて行くだけだった。



















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