命の重さ六
寝坊し過ぎて朝餉を食べそこねて、頭に糖分が足りてない。
今日は馬越さんも救護室に来ないし、何だか幹部の方々も見かけないな?
「福田!いるか?」
藤堂さんが、黒い着物を来て上がって来た。
「あれくれ!ペタペタする貼るやつ」
羽織の紐を結んで、胸から足袋を出した。
「え?絆創膏の事ですか?」
藤堂さんは絆創膏を受け取ると足袋を履いた。
「昨夜は災難だったな?」
「あ!………ありがとうございました」
お礼を言うのを忘れてた。
「まあ色んな奴いるから気を付けな。あいつにはきつく言っておいたからな!だから、姉ちゃんによろしく」
………だから、姉ちゃんいないってば
「今からどこかにお出かけですか?」
「ああ。会津の世話役と壬生狂言見るらしい。こんな揃いの着物着てな」
新しい着物で、藤堂さんはいつもよりきりりと見えた。
「幹部の皆さんいかれるなら、昼餉はいらないですか?夜は戻って来られますか?」
「いらねえかもな。詳しい事は土方さんにでも聞いてみな」
土方副長……………
昨夜のことを思い出して耳がくすぐったくなった。
「あ!噂をすればなんとやらだな、じゃあな!」
藤堂さんと入れ替わりに、土方副長が訪ねてきた。藤堂さんと揃いの黒い着物で。
ああ………いつもに増して素敵です………
「昨夜は沖田が世話になったな」
「え?」
何もお世話なんかしてないけど?
土方副長は救護室を見渡して声を落とした。
「近藤さんが、お前を沖田の嫁にすると言い出した」
………えーっと、今、沖田さんの嫁と聞こえたのは気のせいじゃないよね?
土方副長の顔を見つめていたら
「おい。聞いてるか?断るか?沖田は全力で断っていたが」
「全力!?」
何だと!?私だってお断りだ!
「なんでそんな話になってるんですか?」
「昨夜付きっきりで沖田の側にいたろう?………実は近藤さんも沖田が狂っちまったかと思うくらい、昨夜は手が付けられなかったらしい………理由は知ってるな?」
人を斬った………
沖田さんが言った言葉
こくりうなずく。
「それが朝にはいつも通りの沖田だ。お前が側にいただけで………」
「………それは、違いますよ。私は何も出来なくて………いつも通りの沖田さんになったのは、沖田さんが一人で解決したんです。それに………」
「それに?」
………しまった!沖田さんに好きな人がいるのは内緒だった!
「何だ?」
「えーっと………」
なんと答えようか迷っていたら、土方副長が御守りを畳に置いた。
「沖田が落としたものだ。………お前腹に沖田の子がいるのか?」
それ、私が間違って渡した安産祈願の御守り!?
「いるわけないじゃないですか!私まだ生娘なのに!!!」
大声で否定して、自分の発言に血管がぶち切れるくらい恥ずかしくて後悔した。
なんで生娘なんて言った?!
私の馬鹿ぁー
土方副長は鼻で笑って
「だろうな。はたから見ていたらお前ら兄弟みたいだもんな」
土方副長は立ち上がって
「嫁の件は近藤さんの誤解だと伝えておく。それから夕刻には一度戻るが………おい、聞いてるか?」
聞いてるけど恥ずかしくて土方副長の顔が見られないよ
「気にするな。お前が生娘だって事は皆知ってらぁ」
ぼおっ!と、顔の温度が上昇した。
「お前赤くなったり、青くなったり、おもしれぇな………」
全然面白くない!
昼餉は幹部の分はいらないと、かよさんに伝えに行った。
八木邸の玄関の方に、会津藩の人達だろう、数人訪ねてきていた。
私には関係ないので、いつも通り救護室に戻って待機しよう。
暇なら掃除して洗濯でもしよう。
下着とか作ろうかな~
「福田!」
沖田さんが救護室の縁側に座って待っていた。
土方副長と同じ新しい着物で。
「あれ?壬生狂言見に行かないんですか?」
「お前を嫁にする気はない」
いきなり沖田さんがきっぱり宣言する。
「私も、間違っても沖田さんの嫁だけにはなりません!」
負けじと宣言する。
「気があったな」
「はい。お光さんの事は内緒にしておきましたから!」
土方副長が持ってきた安産祈願の御守りを手渡す。
「頑張って下さい!応援しています」
沖田さんが真っ赤になった。
「………もう大丈夫ですか?」
昨夜は大変だったと土方副長が言っていた。
私も、あんな沖田さん初めてだった。
沖田さんは真顔に戻ってうつむいた。
「悪かった。俺はまだ決意が足らなかった。甘かった………だけどもうこれで………なれる………」
最後の方はよく聞こえなかったけれど、やっぱり辛そうで、隣に座って沖田さんの手をぎゅっと握った。
沖田さんは顔をあげて顔をしかめた。
「………悪いが、お前を嫁にはしないぞ」
「安心して下さい。手を握ったけど、ただ心配なだけで恋愛感情はこれっぽっちもありませんから。沖田さんも私に惚れたりしないで下さいね?」
「お前こそ安心しろ。そんな心配は無用だ」
お互いにっこり笑った。
一人部屋で正座して縫い針を動かす。
もう二回も指に針を刺した。
単純な作業だと色んな事が頭に浮かぶ。
馬越さん今日は来ないな………非番でどこか遊びに行ったのかな?
可愛い顔して無表情で、何考えてるか分からないけど、昨夜は珍しく怒ってた。
殴り合いの喧嘩なんて始めてみた。
糸を玉止めして、反対から縫い始める。
殴られた事なんてないから、どれだけ痛いのか分からないけど。
ふと壁に立て掛けられた銀ちゃんが目に入った。
「刀で斬られたら痛いよね………」
沖田さんは斬ったと言ったけど、それは………
………殺したという事?
プチリと指に針が刺さる。
赤い膨らみが大きくなって垂れて布に染みを作った。
誰を?
殺したの?
誰も責めないから、誰も口にしないから、犯罪ではない気がしてしまう。
私の世界では人を殺した人なんて、テレビのニュースでしか観たことなくて、自分に関わることなんてないんだと信じていた気がする。
でも、ここにいると多分、たくさんの人が殺されたり殺したりこれから起きるんだ。
演劇部の台本と同じように。
「でもね。みんな全然普通なのよ………」
お兄ちゃんの友達みたいだし、親戚のおじさんみたいだし、近所の犬にも似ているし………
だから、人を斬ったと言われても、怒りとか恐怖とか、当たり前に浮かんでくる感情が、おかしくなってどうしたらいいのか分からなくなるんだ。
昨夜だって、誰を斬って、相手がどういう状況かきちんと聞いて、役所に届けなければ行けなかったんだよね。
現実ならそうする。
きちんと罪は償おうって………
でも、ここでは罪にならないの?
誰も責めない。
役所にも届けない。
それでいいの?
時代が違うから?
命の重さも違うの?
そもそもどうして人を斬ったの?
もちろんそんな事聞けるはずもなく、布に広がる染みを眺めていた。
「どうしました?」
隣に井上さんが座っていた。
「痛ったい!」
びっくりして針が指に刺さった。
「声かけたのですが、返事がないので入りました。痛そうですね………何縫ってるんですか?」
慌てて背中に隠した。
下着だよ!
「何か用ですか?」
「血が出てますよ?」
井上さんのせいじゃん!
「………殿内さんが斬られたそうですね」
!?
「本当に斬り合いになってしまいましたね………」
井上さんは淡々と話した。
殿内さんを斬ったのは………
「沖田さんですか?」
「………それは分かりません。確かに沖田さんは殿内さんに刀を向けた事はありましたけど………どうして沖田さんだと思うのですか?」
井上さんは知らないの?
昨夜の出来事を。
もしかして、他の人に話してはいけない事なの?
だから誰も何も言わないの?
皆で沖田さんをかばってるの?
「井上さん………」
茶色の瞳はいつも通り優しい。
けれども、
「浪士組存続のために誰かが斬らねばならなかった。沖田さんでも、立派にお役目を全うされたでしょうね」
優しい目でそう言った。
やっぱりここは命の重さも罪も違う。
皆が沖田さんをかばっていたのではない。
皆のために浪士組のために、沖田さんは人を殺した。
それが立派な事だって井上さんは言った。
「大丈夫ですか?顔が真っ青です」
井上さんはいつも通りで。
「………井上さんこれは普通なの?いいの?」
「何がですか?」
きょとんとした顔を見ていたら、私の方がおかしいのかと思えてきた。
「誰かを殺してまで、浪士組を守る事です」
みしり、縁側がきしんで馬越さんが上がって来た。
「侍なんて皆そうです。お家の為ならなんでもします。夜討ちに切り捨て、娘は政略結婚。町民がやれば罪でも侍は許されます。あれ?場違いな話しましたか?」
大きな風呂敷包みを畳に置いた。
「俺は侍の出ではないですからね。井上さんの様に何の疑問もなく、浪士組のためだと今回の一件を受け入れることは難しいです」
風呂敷を開くと着物が出てきた。
「江戸から来た仲間を斬られたと、隊士達の中にも、動揺している者もいますし………障害になるものは、例え仲間であっても斬られるなんてあんまりじゃないかと………」
馬越さんは話ながら、私と井上さんの前に着物を配った。
「皆が井上さんみたいな人ばかりではないですからね」
「………何か私が間違っていると?」
井上さんが珍しく語気を強めた。
「そんな事言ってません。井上さんは上の方に忠実にお仕えする、武士の鏡の様な人ですから。俺の様に上の方のやり方に、疑問を持ったり、殺さなくてもいいじゃないかなんて考えたりしないんでしょうね………」
馬越さんは私と同じように思ったの?
私だけがおかしいのかと思いそうだったけど。
「浪士組の基盤を固めて、攘夷決行に備え、将軍をこの国を御守りする。その為に下された決断です。何を余計な事を考えるのですか!」
井上さんは怒鳴り付ける様に馬越さんへ言った。
「………分かってますよ。そんな事言われなくても。井上さんは正しいです。………俺はそういう考え方に慣れていないから、すこし戸惑っただけです。それに、少し苛々していて、八つ当たりしただけです………申し訳ない」
謝る馬越さんより、井上さんの方が傷付いて見えたのは気のせいだろうか?
「井上さん?大丈夫?」
井上さんは返事の代わりに、にこり笑い返した。
「はい。お詫びにお梅さんから二人へ、浴衣の差し入れです。こんなひれくれ者の甥と、仲ようしてもろておおきに~だそうです………」
「え?頂いていいんですか!」
井上さんは嬉しそうに、浴衣を広げた。
二人は言い合った事なんてなかったように、いつものように談笑している。
私はどうしても、井上さんの話が正しいとは思えなくて貰った浴衣を黙って見つめていた。
「やっぱり具合が悪いのではありませんか?」
井上さんが心配そうに声をかけてくれたけれど
頭も胸ももやもやして、「大丈夫です」が言えない………
「………馬越さん浴衣ありがとうございました。私、昼餉の支度手伝ってきます」
逃げる様に救護室から外に出た。
ここは夢の世界だから私には関係ない
誰が死んでも殺されても
浪士組が嫌なら出て行けばいい
そんなに考える込む事ではない
ここは幕末で私の世界とは違うから
人の命も浪士組のためなら奪っても許されるどころか
立派にお務めを果たした
なんて思われる………
そういう所だと知らなかっただけ
「………さて、どうしよう。私ここでまだ頑張れるかな………」
頭が痛い。
朝餉を食べてないから血糖値が上がらない。
ずるずる前川邸の壁に、持たれたまま座り込んだ。
「何してるのですか?」
馬越さんが腕を取って、立たせてくれた。
「井上さんの様になれとは言いませんが、そう考えなければ、居られませんよ。ここには」
「………馬越さんはおかしいと思わないの?」
「思ってもしようがないですから。さっきは侍だからとか言ってしまいましたが、俺の奉公先でも似たような事ありましたし………そんなもんだと諦めないと………」
馬越さんは腕を放して
「とりあえず、剣術はもう少しやった方がいい。その辺の娘より細すぎる」
「はい?」
いきなり何の話だ?
「近藤局長の親戚ならどっち道、辞める事なんて無理でしょう?諦めて薬でも取りに行きますか」
馬越さんは先に歩いて行って振り返った。
「もう、話すの疲れたからこれ以上は慰めませんよ。井上さんといい福田さんといい………真面目に考えすぎなんですよ………」
慰めてくれてたの?
そういえば今日の馬越さんはよく話す。
「馬越さん、やっぱりいい人ですね」
馬越さんは無表情で何も言わずに先を歩いていく。
お腹空いたなぁ………




