命の重さ五
その日の午後、雨は降ったり止んだり。
時折、笛や太鼓の音が聞こえてきた。
「お祭りでもあるのかな?」
芹沢局長に貰った試作品の羽織を畳んだ。
今日は誰も訪ねてこないし、薬を頼みに行った馬越さんも帰って来ない。
夕餉の支度まで、まだ時間があるし………
吉川先生の所でも行ってこよう。
また留守かも知れないけど、電話もないし不便だな。
障子が開いて、沖田さんが入ってきた。
「いたのか………」
そのままごろり横になる。
「お帰りなさい。気分でも悪いんですか?」
「別に、熱なんてないぞ。あ、俺今夜帰って来ないから」
「えー!また、近藤局長の隣で寝るんですか………」
勘弁して!また眠れない………
「近藤さんもいないから」
沖田さんは寝ころんだまま飴を口に入れた。
「そ、そうなんだ………」
…………………………沈黙
沖田さんはもう一つ飴を口に入れた。
実は気になっていることがあるけど、聞いていいかな………
救急ガイドブックをパラパラめくりながら、沖田さんを盗み見ると
「何だよ?」
「………あの、沖田さん。吉川先生の所の美人さんですが………」
子供居るって知ってる?
あれ?でも、うちの娘が沖田さんのこと大好きって言ってなかった?
「出戻りで子連れのお光さんのこと?」
かりりと沖田さんは飴を噛んだ。
「………はい」
知ってたんだ。
「娘がいるんだもんな………それも、ものすごくかわいい。大きくなったら俺の嫁になってくれるって」
「も、もてもてじゃないですか~」
「死んだ父親に似てるんだって」
………え?
「最悪だ」
沖田さんはもう一つ飴を口に入れた。
「………黙るなよ。福田」
「だって………」
悲しすぎて、なんて言ったらいいのか分からないんだもん。
「あーあ。あんなきれいな人この世にいるんだなー………」
「子供がいても、旦那さんに似ていても、沖田さんが好きならいいんじゃないでしょうか?」
「嫌だよ。俺見ながら、旦那のこと思い出してるなんて………」
それはつらいな。
「………じゃあ、あきらめるんですか」
「それも、嫌だよ」
「じゃあ、どうするんですか?」
けっこう、うじうじ引っ張るタイプなのか?沖田さんて
「顔、変えてぇ………」
「近藤局長みたいだったら、全然似てなかったですよね」
「それは嫌だな」
失礼だぞ!おい!!
沖田さんの手に、こないだ神社で買ったお守りを手渡す。
「恋愛成就のお守りです。ま、とりあえず頑張ってみたらいいじゃないですか?後悔しないように。私、吉川先生の所へ行くんですけど、一緒に行きます?」
「いい」
救急ガイドブックを胸に入れて、部屋を出ようとすると
「待て。福田」
「大丈夫です!誰にも話しませんよ。いつでも、私でよかったら話してくださいね」
ちょっと、うじうじしてる沖田さんは新鮮だった。
「安産祈願て………なんだよ!」
え?恋愛成就と間違えた!!!
沖田さんはごろりとうつぶせになった。
「………ちょっと安産は早すぎましたね」
新選組の沖田総司も複雑な恋路に落ちたりするのだ。
「あ、傘借りてこようっと」
救護室を出て、隊士の雑魚部屋の入口に無造作に挿してある傘を取りに行った。
「救護室の福田さん」
隊士に声を掛けられて振り向くと、四.五人の隊士が雨に濡れた着物を脱いでいた。
「ひっ………!な、何でしょうか!!」
褌見えてるって!!
何か汗臭っ!!!!
「ホンマ女みたいな顔してんな………真っ白やし」
奥の隊士が呟く。
「俺らみたいなごっついのより、馬越や福田さんみたいな方が手当してくれた方がええやろ?」
「女医さんやったらもっとええけどなぁ………」
笑いが起こって、私もあははと笑っておいた。
「気に障ったか?冗談や。それより、あんた局長の親戚なんやろ?聞きたいことあるねんけど………」
最初に声を掛けてきた隊士が、改まって咳ばらいをした。
「給金はいつでんのや?」
「はい?」
「いや、副長助勤に聞けばいい事なんやけど、何か聞きづらくてな………」
「誰ですか?」
「佐伯さん」
誰?
あんまり、他の隊士達と話したりしないから知らないんだよね………
「知らんのか?」
「えーっと、すみません!入ったばかりで知りません」
「まあええ。聞いてくれるか?」
「はい。局長に聞いてきますね!」
「俺の名前も、もちろん知らんわな?杉山だ」
「………すみません」
そういえば、八木家の下女のかよさんが、給金なんて出ないとか言ってたな………
私は居候だから、出ないだろうし。
杉山さんに頼まれて、八木邸に行くと、山南さんが出てきた。
「近藤局長は留守だよ」
給金なら、毎月三両出ることになっているからと教えてもらった。
「勘定方に聞きに行ってごらん。河合耆三郎さんて人だよ」
河合耆三郎さんも知らないな。
山南さんが八木邸の奥を指さした。
栗色の羽織の男の人の事らしい。歳は原田さん達くらいかな?
「お疲れ様です………河合さん」
その人は、入ってすぐの部屋の隅で帳簿を机に広げて、難しい顔をしていた。
「はい?」
「隊士の方に聞かれたんですけど、給金て、いつ出るんですか?」
「いきなりなんですか?いつ?そんなの私が方が聞きたいです!」
そろばんを弾きながら、乱暴に帳簿をめくる。
………何か怒られたよ
「だって、聞いて来てって頼まれたから………」
「出ますよ。月末には………」
「月末ですね?ありがとうございました!」
なんかイライラしてるみたいだから、さっさと杉山さんに教えに行こうっと。
「あ、名前なんだ?救護室の………」
「福田です」
「福田さん。薬代は隊士に出させてくださいね!治療費もばかになりませんから」
「え?そうなんですか?」
「当たり前です」
「いくらもらったらいいんですか?」
河合さんは、顔をあげてそろばんを投げて渡した。
「そんなん福田さんしか分からんこと、聞かないで下さい!それ、貸しますから」
飛んできたそろばんを持って部屋を出た。
どうしよう………
治療費なんて、全く分からない。
「あ!吉川先生に聞いたらいいよね!」
杉山さんに報告して、吉川先生の家へ向かった。
京都の町は相変わらず分からない………
「地図が欲しい………」
同じような所を何回かぐるぐる回って、ようやく吉川先生の家にたどり着いた。
雨で道もぬかるんで、草履も足袋も泥だらけ。
外から声をかけても誰も出てこない。
「また、留守か………」
帰ろうとしてぱちり傘を開いた。
「あ!兄ちゃんや!」
傘もささず男の子が走ってきた。
「正太くん!」
夢の中で初めて会った親子だった。
「一人なの?お母さんは?」
「向うの寺におる。治療費払いに来たんか?頭もうええんか?思い出したんか?やっぱり浪士組の人やったんか?」
続け様に質問する正太くんに、傘を差して
「うん。まあ、そんなとこ。頭の治療してくれたの吉川先生だったの?治療費払うの忘れてた………」
正太くんはそれには答えず、
「良かったな~アホが治って」
持っていた手拭いで、濡れた頭をわざと乱暴に拭いてやる。
「………そりゃどうも。家近くなの?」
「ううん。朱雀の方」
どこ?
「雨やから花も売れん………兄ちゃん花いらんか?」
「いらんと言えばいらんけど………いいよ!お世話になったし」
「毎度おおきに!」
正太くんは背負っていた篭から、菜の花や桃、野の花を数本取り出した。
いくらなんだろう?
花束ってそんな安くないないもんね。
胸から布でくるんだ小銭を取り出す。
「きれいだね!この銀色ので足りる?」
四角い銀色のお金を見て、正太くんは溜め息ついて
「まだ、アホ治ってないやん」
と、丸い穴の空いた銅色の硬貨を10枚取った。
「騙されんように気いつけや?」
帰ろうとする正太くんに傘を渡す。
「風邪引いちゃうよ。貸してあげる。そうだ。あーんして!」
お光さんにもらった飴を持っていたのを思い出して、正太くんの口に一つ入れた。
「うまい!」
紙に包んであった残りの飴も手渡す。
にこにこしながら大きな傘を差して帰って行く背中を見送った。
さて、私も帰ろう。
頭に手拭いを掛けて雨の中を走った。
胸にたくさんの花を抱いて。
かよさんに花をおすそ分けして夕餉の準備をしていたら、またお祭りの囃子みたいな音が聞こえてきた。
「壬生狂言の音や。そこの寺でやってます」
かよさんは竈の火を見ながら教えてくれた。
「そう言えば、福田さんを訪ねてお医者様が来られました」
「え!吉川先生?上野の西郷さんみたいな人?」
「西郷はんは知りまへんけど、目のぎょろっとした恰幅のええ方でした」
吉川先生だ。
入れ違いだったんだ………
「本がどうの、救護室の方に言われてはったなぁ………」
お櫃を前川邸に運ぶ。
雑魚部屋の隊士の中に馬越さんを見つけた。
隊士の一人が馬越さんの頭を軽く叩いた。
馬越さんも不機嫌に叩き返す。
そのまま取っ組み合いの喧嘩になった!
どうしよう………!?
馬越さんに馬乗りになった隊士が、馬越さんの顔を殴った。
すかさず上にいた隊士を馬越さんが畳に叩きつけて、お返しに二発殴った。
痛そう………
回りははやし立てて止めようとしないし!
怪我しちゃうよ!
「や………止めなさい!ご飯ですよ!!」
気がつくと大声で叫んでいた。
救護室に馬越さんと自分のご飯だけ、別に持って来た。
馬越さんは口の端が切れて青くなっていた。
絆創膏を貼ってやった。
馬越さんは何も話さず、ご飯を口に押し込んだ。
私も手を合わせて、箸を取った。
「聞かないのですね。なぜ喧嘩になったのか?」
食事が終わると馬越さんはそう言いながら、箸を置いた。
「………聞かない方がいいかなって思って………」
「救護室は女顔で選ばれているのか。局長の好みで選ばれたのか。そういえば、親族の福田は、夕べは八木邸にお呼ばれだったな。今夜のお相手にはお前が呼ばれるのか………それから………」
馬越さんは淡々と話し続ける。
「………馬越さん、それっていかがわしい事の相手って事?」
かっと顔が熱くなる。
「………何で福田さんだけ沖田さんと救護室に寝ているのか。そうか、沖田さんのお相手してるのか」
何だ!それ!!
食べかけの茶碗を握り締めていると
「………殴りにいきます?」
馬越さんは、お膳をもって立ち上がった。
「どこのどいつだ!そんな事言う奴は!!」
頷いて、食べかけのお膳を持った。
けんか相手を外に呼び出して、馬越さんと二人対峙する。
相手は馬越さんより顔が腫れ上がっていた。
「あ?昼間の仕返しか?女救護班同士で。見目麗しいわな~」
「私達は、そんないかがわしい事なんてしていません!」
相手は、笑いながら
「いかがわしい事なんて、思ってないわ。衆道こそ高尚な遊びや。ホンマ近くで見ると可愛いな」
顔を覗き込まれて一歩下がる。
「私も局長も沖田さんも!男同士でそんないかがわしい事しませんから!」
「そんないかがわしい事ってなんや?」
相手が一歩近付く度に、一歩下がる。
「そのいかがわしい事、俺とやってみるか?」
肩を掴まれて、悪寒が走った。
「………触らないで………」
黙ってた馬越さんが、口を開いた。
「別に衆道は人それぞれですから、そういう趣向の人達が勝手にやるのは構わないと思います」
馬越さんは相手の胸ぐらを掴んだ。
いつもの無表情に、とても冷たい侮蔑が浮かんだ。
「ただ、そんな気のない相手に無理強いする奴は………殺したいほど嫌いだ」
馬越さんが殴る前に、相手が横に吹き飛んだ。
「うちの先生に、いかがわしい事なんて教えんな。こら………」
藤堂さんが殴った手を、ぶらぶら振りながら倒れた男の側にしゃがみこんだ。
隣で永倉さんが竹刀片手に
「いかがわしい事考える元気がまだあるか?よし!夜稽古してやろう!」
と楽しそうに倒れた隊士を引き起こした。
「福田はなぁ………いつ患者が出てもいいように救護室で寝て待機している。沖田は雑魚部屋が嫌だって言うから………あれ?あいつだけ特別だな?ずるいな。………それから、良からぬ事を考えるお前みたいのがいるから!福田は、別に寝かせてんだ!!文句あるか!馬越も一人で寝かすぞ、こら!」
藤堂さんは殴った隊士の頭を叩いた。
「冗談ですよ………それなのに、いきなり殴ったり、呼び出されたり………」
藤堂さんはもう一発殴った。
「馬鹿野郎!冗談で、福田が辞めたらどうするんだ!まだ、姉ちゃん紹介してもらってねえのに!!」
………藤堂さん。だから姉ちゃんいないってば
「何騒いでるんだ?」
土方副長が歩いてくると、藤堂さんと永倉さんは、そそくさ隊士を引きずって稽古場へ消えていった。
「………衆道ってのがいたか………」
副長は頭を掻いて
「今夜は二人とも俺の隣で寝ろ」
他の隊士に聞こえるように大声で言った。
「土方副長まで、変なふうに言われますよ………」
私のせいで、沖田さんも近藤局長もそんなふうに見られているなんて………
「変?間違ってもそんな事はない。他に寝たい奴はいるか?いないのか?」
副長は隊士を見渡して、大声でもう一度言った。
「………俺は大丈夫です」
馬越さんは雑魚部屋へ帰って行く。
「私も!大丈夫です!!」
後に続こうとして、襟首つかまれた。
「お前は来い………」
近藤局長とは別の意味で眠れないんですけど………
土方局長の隣に強制的に布団を敷かされた。
もちろん二人っきりではないし、その隣には藤堂さんや永倉さん、山南さん………いわゆる近藤局長派の幹部の皆さんも眠っている。
疲れていて眠たいはずなのに、頭は休もうとしてくれない。
暗い部屋の中で寝返りを打つと、土方副長と目が合った。
「沖田がいねぇと眠れないのか?」
「ちっ、違います!………」
大きな声を出してしまって、慌てて周りをうかがう。
起こしてないよね?
「お前もこんな所で難儀だな………やっぱ最初から、その格好は無理があったな?」
「男の格好ですか?」
土方副長は顔がくっつくくらいそばによって囁いた。
「………永倉達は知らねぇ………」
………耳が息でくすぐったい
「………娘のままおいた方がお互い楽だったんじゃねえかって、思わなくもないんだが………」
………頬っぺたが熱い………
「近藤さんがうんと言わねえしなぁ………」
………こめかみの血管が………
「………どうした?目ぇひん剥いて?」
ドクドクしてブチ切れる!!!
「ト!トイレ行ってきます!!!!」
土方副長の顔を押しのけて飛び起きた!
誰かを踏んだ気がしたけど、八木邸の玄関を飛び出した。
いつものくせで、救護室まで歩いてきてしまった。
袴着てないから、足元が寒い。
縁側に腰掛けて、ため息ついた。
「………土方副長は心臓に悪い」
熱いほっぺたを両手で叩いた。
風が冷たい
ふと土蔵の方を見ると、扉に寄りかかって沖田さんが座っている。
何してるんだろう?
「沖田さん?こんな所で何して………!」
近付いて声をかけると、びくり体を震わせた。
見上げた沖田さんの顔は、全身で拒絶と恐怖に毛を逆立てて警戒するのら猫のようだった。
それにこの臭い………
私が夢を見始めて初めて嗅いだ血だまりの臭い……
「どこか!けがしたんですか?!」
「………来るな」
のら猫の目で拒絶された。
なんだか様子が変だってことは分かる。
酷く傷付いて怯えて………
けれど、どうしたらいいのか分からない……
このまま一人にするのも心配だし、でも来るなっていうし。
とりあえずちょっと離れて、土蔵の前に膝を抱えて座ってみた。
今が何時なのか分からないけれど、もうみんな休んでとても静かだ。
星もよく見える。
あのひしゃくの形は北斗七星。
「……てことはあれが北極星かな?幕末も北極星はやっぱり北だよね?」
きれいだな。
天の川までくっきり見えるよ。
「………口開いてる」
沖田さんの声から、ちょっと警戒心がとれた。
「上向いたら、口が開くんです」
空を見上げたまま答える。
「具合悪くないのか?馬越君から聞いたが………」
「大丈夫です。只の寝不足ですから。………私より、沖田さんのが重症っぽい」
春の星座って何があったかな?
あんまり星が多すぎてよく分からない。
「………人を斬った」
ぽつり独り言のように沖田さんがつぶやいた。
ズキリ胸が傷んで、やっとの思いで声を絞り出して返事をした。
「………………はい」
なんて答えたらいいか分からない。
沖田総司は冷酷な人斬りではないの?
台本の沖田総司は、人を斬っても平然とにこにこしてたんだよ。
だけど隣にいるのは痛々しい程傷付いて怯えている沖田総司だ。
沖田さんがなんて言ってほしいのか。
なんて言ったら、のら猫みたいな恐怖心が安らぐのか
どうしてあげたら一番いいのか、何も思い付かない。
あの美人なお光さんなら、沖田さんの欲しい言葉が分かるのかな………
私には何もしてあげられない。
阿比留さんの時と同じ。
北斗七星が涙で滲んだ。
涙がこぼれないように、空を見上げて必死で知っている星座を探した
空が明るくなった頃
「寝るか」
と、部屋へ歩いていく沖田さんに気付かれないように涙を拭った。
その日の朝は二人でひどく寝坊したけれど、いつもならからかう永倉さんや原田さんも、時間に厳しい土方さんもみんな何も言わなかった。
そして、またいつものように沖田さんは巡察に出て行き、私は救護班の仕事が待っている。




