命の重さ二
他の隊士に混じって寝るのは心配だからと、八木邸の近藤局長の隣で寝たまでは良かったけれど
「いびきがうるさくて、全然眠れなかった………」
寝不足でぼんやりする頭で竹刀を握る。
土方副長に教わった構えで素振りをする。
今朝、阿比留さんを訪ねると、まだ休んでいたので、そのまま朝稽古に向かった。
眠っていないせいか、 竹刀を振りながら夢の中へ落ちそうになる。
いやいや、こっちが夢の中だった………
意識がなくなりかける度に、学校の黒板が見えた。
数学の時間だ。
方程式を男の先生が白いチョークで書いていく。
斜め前の久美ちゃんが、ノートをとって不意にこっちを振り返った。
目が合うと、慌てて気まずそうに前を向く。
あれ?何?今のは………
喧嘩した?してないよね?
思い当たることは、ひとつしか浮かばない。
三つ隣の真面目に授業を受ける充の横顔を見た。
あんたのせいだよ!絶対!!
まさか自分が三角関係に陥るとは夢にも思わなかった。
久美ちゃんは充が好き。
充は私が好き………何で?
私は断然!久美ちゃんが大事!!
充を睨み付けていたら、殺気に気付いてこっちを向いた。
声は出さずに口を動かして何か言っている。
何?
同じく口だけ動かすと、充はゆっくりもう一度言った。
オ・キ・ロ・バ・カ!
「起きろ馬鹿!って、沖田さんが言ってますが」
視界のピントがあって、馬越さんの無表情顔をとらえた。
その馬越さんごしに、少し離れた所から、沖田さんが歩いて来るのが見えた。
竹刀を支えにして、立ったまま眠っていたらしい。
「阿比留さんですが、どうも具合が悪いようで、今日発たれるのは無理そうですよ」
馬越さんはそれだけ言うと離れて、他の隊士に混じって、朝稽古に参加した。
急いで救護室に向かおうとすると、
「よ!福田君。朝から居眠りとは太てぇ奴だな?そこに直れ!」
永倉さんが、にやにや笑いながら竹刀を突き付ける。
「………おはようございます。だって!局長のいびきがうるさくて眠れなかったんです!」
そう返事しながら駆けだすと、後ろで爆笑が起こった。
救護室では障子が開いたままになっていて、中で人影が動いた。
「どうもこうも!あいつらとは反りが合わん!!会津の田舎侍に頭下げて取り入ってもらったのは、誰のお蔭だ。そもそも、ここへ来たのは将軍の警護のためであって、天皇のお気に入りの会津の手先になりに来たのではないわ。清河の暗殺にも失敗しよって………」
暗殺?
その言葉に足を止めると、後ろから急に口をふさがれた。
「ふごっ!!!!」
「しっ!福田さん」
井上さんの声?!
そのまま、井上さんに土蔵の影まで連れて行かれた。
そこに、近藤局長がいた。
「なんですか?!」
井上さんを振りほどいた。
「………いや、客人が来ていたろう?阿比留君も積もる話もあるだろうから、邪魔しちゃいけねえと思ってな?」
でも、局長の目線はずっと救護室をうかがったまま。
「見張ってるみたい………」
ぽつり、つぶやくと局長の小さい目が大きくなった。
「へ?何のことかな?」
とぼけた!絶対見張ってるし!!
隣で、井上さんが眉間にしわを寄せて目を閉じた。
「誰の許可を取って浪士組の敷居をまたいだ!!」
救護室の方から、芹沢局長の怒鳴り声が聞こえた。
中から黒い着物の武士が縁側から地面に転がった。
近藤局長が額を押さえて、困った顔で救護室の方へ歩いて行く。
「阿比留!お主殿内と何を企んでおる?死に際に花でも咲かせるつもりか?」
殿内?聞いたことある名前だ。
「井上さん、殿内って………?」
「………はい。皆さんと江戸から来られた浪士組の方です。今は、もうご一緒には行動されていませんが」
殿内に掴みかかろうとする芹沢局長を、近藤局長はなだめて
「阿比留君に別れを言いに来ただけです。わしが許した」
「別れ?わしらを斬り捨てて、浪士組の局長にでもなる話ではないのか?」
殿内さんは、着物をはたいて言い捨てた。
「あいにく!脳もない烏合の衆なんぞ興味ないわ!せいぜい会津に捨てられぬよう気を付けるのだな。会津に見放されれば、ここも解散!元の田舎道場主と浪人に逆戻りよ!」
殺気がした。
いつの間にか、騒ぎを聞きつけて隊士たちが集まって来ていた。
その中から、沖田さんが歩み出て、刀を抜いた。
「局長、斬り捨てます」
無表情で刀を構えた。
殺気は沖田さんだけじゃない。
少し離れた所にいる土方副長、そしてその隣の山南さん、井上源三郎さん
ああ、この人殺されるなって本当に思った。
刀って大きな包丁みたいで、ギラリと光る刃紋は
本当に切れるんだなって、初めて実感した。
おもちゃじゃない。
ちょっと指を包丁で切っただけでも、あんなにいたいのに…………
怖くて体が動かない。
刀を向けられた殿内さんも、真っ青な顔をしたまま動かなかった。
ふと、芹沢局長が笑い出した。
「いいぞ!沖田君!!殺ってしまいたいが、今日は我慢だ」
ぽんと、殿内さんの肩をたたいて
「今日はわしが止めてやったが、次は知らん。さっさと江戸に戻った方が身のためだな」
殿内さんは振り向きもしないで、前川邸を出て行った。
「あんな奴、斬っても刀がさびるだけだ~砥ぎ代がもったいね~」
藤堂さんがふざけて、沖田さんの頭を叩いた。
ぞろぞろ隊士が戻って行っても、沖田さんは刀をだらり右手に下げたままその場に立っていた。
地面を睨みつけて
「総司!お前も戻れ!!」
近藤さんの声も聞こえていない。
さっきまでの殺気は消えて、なんだか怒られたのにごめんなさいが言えなくて、意地になっている子供みたいな顔をしている。
恐る恐る、少しずつ近寄って、飴を差し出した。
「………何だよ………」
「飴。お医者の所の美人さんに貰いました。渡しといてって頼まれた」
左手を無理矢理こじ開けて握らせた。
「なんかよく分からないけど!さっきの人嫌な奴!!」
「………お前は何にも分かってないだろ………」
「だから!分かってないけど、嫌な奴!」
縁側に出てきていた阿比留さんと目が合った。
「調子が悪いそうですが大丈夫ですか?」
「………騒ぎを起こして申し訳………」
いきなり激しく咳き込んだ。
阿比留さんの背中をさすりながら
「今日はゆっくり休んで、明日様子を見ませんか?局長良いですか?」
近藤局長はため息をついて、空を見上げた。
「偉くならなければな………」
「局長?」
「ああ………そうしなさい」
阿比留さんの呼吸が落ち着いて、救護室の外へ出た。
あくびして縁側に座って、今にも降りだしそうな空を見上げる。
この夢を見出して、何日たったのだろう?
人斬り事件に巻き込まれて、お世話になることになって、沖田さんと銀ちゃんを買った。
救護班になって、井上さんと馬越さんとちょっとだけ、京都観光した。
お梅さんの里芋美味しかったな………
阿比留さんが労咳になった。
何にも出来ないって、井上さんの肩で泣いた………
まぶたが重たくなって、目を閉じた。
「どうして、こんな夢見るんだろう………」
こつり。柱に寄りかかる。
そう………こんな風に人の肩で泣いたのは初めてだった。
「難儀ですね。あなたも………」
すぐ側で、井上さんの声がした。
「変な所で生真面目ですから。でも、今朝は驚いたな」
ん?馬越さんだ。
「あんな沖田さんに飴渡すのですからね。俺、怖くて足が動かなかった」
縁側がきしんで、右から抑揚のない馬越さんの声が聞こえた。
井上さんが笑って
「はい。変な所で肝が座っているのでしょうかね」
「………鈍いだけかも?」
馬越さんの一言に目を開けた。
井上さんの肩から頭を起こす。
「誰が鈍いって?」
両手を上げて背伸びをする。
本当に今日は眠い………
「阿比留さんの具合はどうですか?」
井上さんがあんまり近くにいたので、ちょっと離れて座り直した。
「咳は止まりましたけど、どうしたら少しでも楽になるのか分からないんです………吉川先生もお留守で聞けなかったし………」
「少しでも元気なうちに、江戸へ帰らせた方がいいでしょうね」
井上さんは声をひそめて言った。
「江戸までもつかはわかりませんが………」
馬越さんもこくり頷いた。
もう、何度も繰り返し考えた言葉を口に出す。
「絶対に治らないんですか?」
井上さんはうつ向いて膝の上で拳を握った。
「私は医者ではないので、絶対とは言えませんが、残念です」
「………ごめんなさい」
あまりにも辛そうな井上さんの顔を直視できなくて、思わず謝る。
「腹減ったな。飯食いに行きませんか?」
馬越さんはそう言って、
「阿比留さんに滋養のあるもの作ってもらいましょう。うちの叔母に」
にやり笑った。
「馬越さんて、やっぱりいい人ですよね」
お医者さんを心の準備が出来るまで呼ばなかった件といい………
「え?ただ飯食いにいく口実ですよ?」
阿比留さんは少し良くなったら江戸へ帰る。
だけど、お梅さんのお店から戻ると、阿比留さんは救護室からきえていた。




