一話 兄弟
回復魔法。結果から言うと成功はしたものの、ベルは老人より受け取った魔光石だけでなく、手持ちのすべてを使い切った。
気を失っているアスロを森中に隠す。ゲオルグの情報が正しいかは不明だが、自身も木の幹に潜んで森人を待つ。
馬車に乗ってきたのは兄と妹だった。そして謝罪をされたのち、念のために用意していたという、大樹の治癒ポーションを二つ渡される。
しかしベルは受け取りを拒んだので、謝罪の品は青年に持たせることになった。
アスロは結局その日は目覚めず、ララツの村長宅で朝を迎える。聞いた話では、ベルたちは里には戻らず、そのまま旅立っていた。
色々な理由があるのだと納得はしたものの、予定とはまったく違う現状に不安が残る。
もともと人間不信な彼からすると、数日いると聞いていたベルがいないのは恐怖でしかない。
用意されたのは村長宅の離れ。そこは客人用の一室だったため、地下の小屋にくらべればずっと快適だった。
致命傷だった傷は治っているが、もう痕は消えないと言われた。なによりも違和感というか、脳が痛みを覚えているらしく、寝たきりの生活となる。
そのさい治癒気功を試してみたが、この名前によるお陰か、黄色い光を腕にまとわせることができた。すでに良くなっている傷口に当てると、痛みが鎮まるので何度も世話になった。
食事の時以外、一週間はほとんど誰とも接触することなく過ごす。
そんな折、ニルス戦団がララツに訪れる。しかし隊をいくつかにわけていたようで、この村を調べて回ったのはゲオルグの指揮する小隊(五十名)だった。
不審な若者が来ていないか、または現れたら知らせるようにとだけ命令したのち、屋外だけを見て数時間で去っていく。
後から聞いた内容は二つ。
もしゲオルグのこういった話しがなければ、村側はアスロの受け入れを拒んでいた。
ニルス戦団が遺跡森より撤退する数日前。念のため里内の捜索もしたいとの要請があり、大樹の地下空間にも団員が足を踏み入れたとのこと。
里側も国から補助金を受けているため、無下に断ることができないと知る。
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三カ月後
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寝袋ではなく、アスロが目覚めたのはベッドだった。といっても向こうのそれとは違い、弾力はほとんどない。
木枠で囲まれているので、そのまま足をおろすのも難しい。ただ時代背景からして、それは十分すぎる代物だった。
「起きたか、兄弟」
生活しているのは村長宅の離れではない。そこは町から来た若者を受け入れるための、居住施設とでも言うべきか。
木の柱に石壁。窓がある方面は白い壁となっている。
「おはようさん、昨日は遅くまで悪かったな」
名はリックと呼ぶのだが、彼には自分と同じく姓がない。
親の死亡や虐待などにより、居場所を失った子供も少なからずいる。彼ら彼女らは路頭に迷ったのち施設に預けられ、町で清掃活動などの仕事を与えられながら生活する。
そして成人後は町の姓を習得するため、各村に送られていた。
「気にすんな。最初からある程度の読み書きは出来てたし、もうちょっとすれば完璧だよ」
村長宅で傷が癒えたころ、彼を紹介されたのが出会いだった。最初は言葉の訓練で、今は読み書き。
「いや、ほんと助かったわ」
村で産まれた者は成人すると町やダンジョンへ出稼ぎにいく。村でもそれなりの仕事はあるのだが、若いからこそ夢を追う者も少なくない。だがそうすれば自然と人手は足りなくなる。
「まあララツには俺も世話になってるしな、このくらいは安いもんよ」
つまりこの青年は、アスロが渡人だと知っている。本人は親と大喧嘩して家を飛び出したと言っているが、読み書きができる時点で他の者とすでに違う。
村長は彼の出所を知っているようだが、もしかすると良い所の出身ではないだろうか。
「まあお前に対しては借り一つってことだ。揺りかごに挑戦するときは、頼むぜ兄弟」
ダンジョンに憧れがあるらしい。
二人は畑の草むしりや収穫作業、積み荷の上げ下ろしなどを手伝うこともあるが、村の自衛が主な仕事となっている。
「今日は見張り番だっけか?」
リックは支給された朝食を机に並べていた。
「そうそう。だから午前中は自衛団に顔出して、午後は仮眠って感じでいいか?」
ベットのふちが出ているので、下りる時に太ももが痛い。木板の窓はすでに開けられており、外の空気が取り入れられていた。
基本的に町からくる子供は立場が弱く、村によっては酷く扱われることもあった。そのため管轄する町から数カ月に一度監視員が来るのだが、最悪だとその役職が村とグルな可能性も。
しかしララツは里長が信用する村なだけあり、リックが言うにはここらでは一等地らしい。
椅子につき、卓上の料理を確認する。
「全部準備させちまったな。パン一つやる」
「おし、それで許す」
木の実や干し豆を煮しめたものを、小麦粉を水で混ぜて焼いたので包んで食べる。
固いパンは玉ねぎらしき野菜のポタージュに浸す。
最初は緊張したものだが、今は同部屋なだけあって、だいぶ気心も知れてきた。もともとアスロは顔色をうかがいながらだが、そこまで人付き合いができない性格でもなかった。
食事前の祈り。
食事中、リックはあまり喋らない。使うのはスプーンくらいだが、その動作は洗練されており、やはり出所を推測してしまう。嫌がるだろうから触れはしないが。
食後。相方はすでに身支度を終えていたが、アスロは起きてそのままだった。
本当は朝食の前に歯の手入れを済ませた方が良いのだが、習慣のためか朝食後に例の液体を使って磨く。ブラシはこの時代の物を使っているが、サイズも一回り大きく奥歯まで届きにくい。
使われているのは何の毛か不明だが、それなりの値段がした。
自衛団の詰め所に行くのであれば、訓練もすると思われるので、相応の装備をしてからでる。鎖帷子は肩から胸のあたりを斬られてしまったが、今は丈夫な紐で補修をしていた。
腰のベルトは両肩から吊るせるよう、村の雑貨屋に町から革製の物を取り寄せてもらった。右肩は左腰に、左肩は右腰へと伸びている。
リックはアスロの装備を眺め。
「しかし渡人ってのは準備が良いよな」
髪は暗い茶色でボサボサ。森人というよりも、少しだけアスロに近い人種だった。
色男というよりも、近づきやすい顔立ちとでも言うか。なんとなく第一印象で面接などに強そうな感じ。
人付き合いに恐怖はあったが、頑張って数名から話を聞き、大まかな相場を調べた。雑貨屋に頼み一部のアクセサリーを売ったが、細工のぶんもあって予想したよりも多く貰える。
アーデン紙幣。リアの領地内だけでなく、テッド傘下の一帯もこれが使われていた。
「リックだって準備はしてから出ただろ?」
一見は普通の革装備。アスロは未だに感じることはできないが、恐らく何品かには精霊が宿っている。
なにより彼の得物には戦輪というものがある。かなり変わり種な武器だが、感想としては優秀な飛び道具だった。大きさとしては成人男性の頭にすっぽりとおさまりそうで、普段は丸盾の一部に固定されていた。
腰には短剣。
「まあな。そんじゃ行きますか」
治安の良い村だが、貴重品は村長宅に預かってもらうことになっていた。しかしリックは渡人だと知っているので、今はアスロの所有空間を頼る。
「俺は構わねえけど、もし死んだら取りだせんかもよ」
「へへっ 死ぬときゃ一緒だぜ、兄弟」
やめてくれと息をつく。
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この世界に降り立った時、向こうでは七月だった。こちらにも四季というのはあるらしいが、温度差にそこまで大きな違いはないらしい。
冬は気持ち肌寒い程度とのことで、夏もすこし湿った暑さはあるが、居られないほどではなかった。
基本的にリックは人当たりの良い性格で、村人に朝の挨拶をしてくれるので、アスロはそのあとに続くだけでいい。
年齢は一つ歳下らしいのだが、もし兄弟であるとするのなら、自分は彼を兄と呼びそうな気がする。
「のどかだねぇ」
ここらで見えるのは個人宅の小さな畑のみ。村のそれは居住区のまわりにあり、自分たちは夜のあいだ獣などから守る。
「でもなアスロ、ちょっと気をつけた方が良いかも知れないぞ」
その名を使って治癒気功を習得した時点で、なんとなく自分はもうアスロなのだと理解していた。
「賊か?」
最近になって活発化しているらしい。
「少し前にニルス戦団が来たろ。連中が居なくなった後はいつもなんだがよ、どうも今までと様子が違うんだと」
息を潜めていたぶん、去ってしばらくすると騒ぎ出す。
アスロなりに考えながら。
「正規兵は動かないのか?」
「町だけじゃなくて、物流の護衛もあるからな」
独自に兵を雇っている商人もいるが、領主付の商隊も関係なく盗賊は狙ってくる。
「まだ近辺の村にも大きな被害は出てないから、たぶん要請しても動かないんじゃないか」
自衛団は素人ながらも、普段から訓練を行っている。
「乗合馬車も守らにゃいかんね。あれ一応は町の運営だったよな?」
リックは何度もうなずくと。
「物だけじゃなく、人も人材ってことだ」
平坦な道はやがて上り坂となり、畑の向こうには森と山々が広がっていた。今の季節は向こうでいう秋とのことだが、葉っぱに色の変化はそこまで見られない。
道の周りが木々になった頃、その建物は見えてきた。
自衛団に参加している人数は三十名ほどだが、彼らに用意された屯所に全員が入るのは難しいだろう。
彼らにも村での仕事があるので、皆がすぐに戦闘態勢を整えるのは難しい。
二人は屯所とは名ばかりのボロ小屋を抜けると、裏手の小さな広場に向かう。切り株などが残っている簡単な作りだが、そこには十名ほどが集まっていた。
自衛団には女性も数名いるのだが、今日は全員が男だった。
「お疲れさんです」
「おはようございます」
リックに続いて挨拶をすれば、今から訓練のためだと思われるが、気だるそうな返事を数名からもらえる。
「朝からご苦労さん。んじゃ集まったことだし、そろそろ始めるかね」
形式上では今日のリーダーとなっている中年男性が声をかけると、面倒くさそうにしていた連中も覚悟を決めてストレッチを始める。
今日の夜はこの面子で村の見張りを行うことになっていた。足を揃えて広場を数周回ったのち、畑道を通って居住地につくと引き返し、また広場にもどって数周走り込む。
中年男性の掛け声に合わせて皆が続ける。
「はーいやめー 次は気功術の練習だぞー」
他に用事があれば参加もできないが、これはほぼ毎日行われていた。
気功術の練習は大体三十分。
木の幹に乾燥草と布を巻き、闘気をまとって木剣で打ち込む。
二人一組。たんぽ槍のような物から、硬気功をまとって我が身を守る。
それが終わると、今度は木製の剣と盾をつかって打ち合う。
「怪我に気をつけろよー」
生傷は絶えないようだが、とりあえず皆バラバラの防具はしていた。アスロも今は厚手の布を借り、それを頭に巻いている。
「リック」
「嫌だよ。だってお前、手加減しらないんだもん」
周りの連中も視線をそらしていた。
基本は生活態度の良いアスロだが、実は訓練の初日にやらかしていた。体育会系よろしく、始めての打ち合いでは新人いびりとまでは行かないが、その場にいた全員と一対一をする。
前半は腕に自信のある者や、同じく新人の若者。そして疲れ果てたころに自信のない先輩へと続く。
あの時は一番初めにリックと戦い、最後は中年男性だった。
一人残された青年に、家庭持ちの優しい顔の先輩が話しかける。
「アスロ君、僕と一緒に素振りでもしようか」
「すんません」
打ち合いは嫌らしい。一時間経たないうちにそれは終わった。最後は組んだ相手と協力してストレッチをする。
やる気は兎も角として、訓練は真面目な内容だとアスロも感じている。
「では夜もよろしく頼むね。リックと君がいれば心強いよ」
「ありがとうございました」
優しい先輩に頭をさげる。
リックとの実力だが、接近戦ではアスロに分がある。
「よう兄弟。お疲れい」
戦輪は投げ道具であり、なおかつ彼は闇や水の精霊と相性が良い。そもそも精霊術の心得がある時点で、もう町の家無し子とは思えない。
最初は戦団側の見張り役かとも予想したが、それならここまで大っぴらにはしないだろう。
アスロは恨みのこもった眼差しで相手を睨む。
「悪かったって。まあ俺だって怪我するのは嫌でな」
皆の認識だとアスロは穏やかな人らしい。ただ戦いになると訓練でも容赦がない。
「お前やっぱ変なんだよ。普段は恥ずかしがって話もろくにできない癖に、相手が女でも関係ないじゃん」
「そういうもんだって身体に染み込んじまってんだよ」
実力差があったため大けがはなかったが、あの人との組手は嫌な思い出だった。ゲオルグとの一戦では、ある意味それが役に立ったのだが。
「大体ここの女姓って強いだろ。手加減なんて下手にできねえよ」
気功術。
そもそも自衛団を志願するということは、リックと同じように将来はダンジョンに挑むつもりなようで、やる気のない村人よりもずっと真剣だった。
「んで、これからどうするよ兄弟?」
「日中の見回り。それが終わって雑貨屋覗いたら、夜に備えて仮眠かな」
この村は朝と夜の二食。
二人がこれからの予定を立てていると、中年男性が近寄ってくる。
「お前ら用事ないなら、この後だが村長の家に行ってくれ。なんか話があるんだとさ」
「なんですか、もしかして仮の姓もらえるとか?」
やったな兄弟とこっちを見るが。
「俺もお前もまだ一年経ってないだろ」
アスロは三カ月。リックは半年と少しほどと聞く。
「じゃあそういうことで、確かに伝えたからな」
リーダーは訓練前、村長宅に顔を出す決まりとなっていた。
互いに顔を見合わせると。
「じゃあ見回りがてら行ってみるか。雑貨屋は後回しでも良いか?」
「おうよ」
何者かは不明。それでもアスロにとって彼の存在は、村での生活に大きな助けとなっていた。




