十七話 白虎が如く
盾を構えたまま老人に向けてはしりだす。どうやら相手は地面の土を隠し持っていたらしく、それを投げつけてきた。空間の歪みにより、任意で吸収。
アスロはそのまま突撃するのかと思われた。老人もそれを読み、横へと回避行動に移る。
だか今回は青年の方が上手だった。相手の横を通り抜けた瞬間に盾の構えをほどき、その際に発生した盾裏面の空気抵抗を利用して、老人への方向転換を成功させた。
簡単に言えば、ゲオルグの背後をとった。
鉈の刃が相手の小さな背中を襲う。
老人はアスロの方向転換に気づき、片ひざをつくほどに姿勢を低くしていた。短剣を背後に動かし、鍔で鉈を受け止めると、もう一方のあいた腕を後方に伸ばす。
青年の股関を前腕で狙う。予定通りに命中したが、手応えに違和感があった。
『えげつねえ爺だな』
老人の後頭部をめがけて、盾を振り下ろす。
「年寄り相手に容赦せんのはどっちじゃ」
金的は効果が薄いと悟れば、今度はアスロの片足を腕でつかむ。
老人は身体を起こしながら、背中で背後の青年を押す。
見事に転ばされても、まだアスロは闘気功をまとっていた。
「その歳で、どんだけ熟れとる」
確かに転倒はしたが、老人はまだ完全にこちらへ振り向けていない。アスロは相手の片足を自分の両足で挟み込むと、盾を手放して、あお向けからうつ伏せに体位を入れかえる。ゲオルグは姿勢を崩した。
対して青年はうつ伏せのお陰もあり、両手を地面について身体を起こす。表面の歪みに盾そのものを吸い込ませ、所有空間に戻しておく。
「アスロっ!」
その声に反応してベルを見れば、彼女の頭上には赤く発光する球体。
なにをする気か察すると、アスロは急いで老人から離れる。
「依頼内容を忘れんなバカっ!」
精霊に願えば、赤い球体は徐々に加速する。
老人は体勢を立て直すより、転倒してから片膝をついた方が速いと判断していた。短剣を持たない腕に硬気功をまとわせれは、目前まで迫っていた球体を素手で受け止め背後に流す。
地面に激突したそれは燃え上がるが、敵は無傷。
何事もなかったかのように立とうとするが、そうはさせまいと鉈を地面に置き、発生させた空間口からゴブリンの剣を取り出す。
老人の近くにも、同じような空間の歪みが発生していた。
「深くは覚えとらんが、飛び道具には良い思い出がなくての」
アスロの投げ放った剣はそれに弾き落とされる。
「マダ精霊去ってナイ!」
言われて上を見れば、まだ宙に火が浮かんでいた。ベルは先ほどよりも多くの魔力を送り、感謝を精霊に伝える。
さっきは近くにアスロがいたため、威力をおさえていた。だか今は青い光をまとっている。
「火の精霊よ、私たちはこの道を進みたい。行く先を阻む者に火玉となりて力を示し、もう一歩が踏みしめますよう」
火玉はもはや球体を保てず、所々から炎が吹き出していた。恐らくこの精霊にとって最大の火力。
老人は硬気功をまとっていなかった。青年を横目にみて。
「闘志や気合なんぞ、そうそう表にさらすもんとは違う」
もはやまとう空気は年寄りのものではない。身体は光っていないのに、触れてはならない何かが、ゲオルグの皮膚から沸き上がる。
ベルは気圧されて一歩さがるが、嫌な予感を振り払って精霊に願う。
「行って!」
先ほどよりも、宙を駆ける速度は断然速い。
「気力は身の内に沈め、ここぞの場面で」
それは叫び。
否。脳が人の発した声とは認識せず。
それは咆哮。
精霊の火玉は触れることすらなく消し飛んだ。老人は立ち上がる。
ベルは声もなく、強く握っていたライターを地面に落とす。
アスロは鉈を地面から拾い、空間口から盾を取り出す。
『消えてよし』
構えを整えて老人に接近する。
「面白いのう、そういわんと消えんのか?」
青年の鉈を短剣で受け止める。
「戦意も失せんとは、大したものじゃ」
闘気功を身の内に沈める技術などない。それでも青年は赤い光をまとっていた。
「お前さんは気功術にまったく頼っとらんね。戦いの軸はすべて武術から来とる」
強化された肉体に任せた戦い方はしない。
若さもあって力はアスロの方が上。ひ弱な老人の腕ごと短剣を弾き飛ばし、隙のできた胴体に盾を叩きつける。
次の一瞬だった。ゲオルグの全身が赤く輝く。握り拳が盾の端を殴り落とす。アスロは盾ごと地面に跪いた。
老人は追い打ちを仕掛けることもなく、青年から距離をとる。
「攻撃に迷いがないの」
戦意を失ったベルに視線を向けていた。
「この青年、一人や二人どころじゃないぞ」
人を殺した回数。
あろうことか彼女は、敵であるゲオルグから視線をそらしてしまう。
「ベルさんっ!」
アスロの声に反応する間もなく、老人は闘気を発すると、赤い影となって駆け抜ける。
「まずは一人」
老人の掌底がベルの鳩尾に減り込んでいた。両膝から崩れ、嘔吐したのち倒れたまま動かない。
盾を投げ捨て、アスロが叫ぶ。
『忠道っ!』
不意討ちのために隠していた一手を捨て、黒い影がベルと老人の間に割って入る。
その隙にアスロは低い姿勢のまま接近すると、鉈でアキレス腱を斬ろうとするが、足を上げて回避された。
忠道は老人の肩に向けて赤ナイフを振り下ろすが、その前に手首をつかまれ勢いを止められる。
上げた足を動かし、屈みながらアスロの顔面を靴底で狙う。
掴んだ忠道の腕を引っ張り落とす。そのまま手首を捻じれば、体の構造により忠道は片膝をついた。
顔面を強打される寸前でアスロは横に倒れて回避する。地面についた片ひじを軸に老人の足を払う。
それによりゲオルグは倒れたが、転びながらも忠道の脇腹に蹴りを当てた。
三名全員が転倒する。
この相手に寝技では勝てないと判断し、横に転がり距離をとった。しかし起き上がれば、そこには首を腕の関節でねじ切られた忠道がいた。
アスロは鉈を握りなおす。それは得物を自分の身体で隠す構え。
老人は近場に空間の歪みを発生させていた。中から何かを取り出そうとする。
「なんつう小僧だ」
未だ闘志は衰えず。赤い光は強さを増すと、老人との距離を一気に詰める。
鉈はこれまで魔力を送っていなかった。そして今、剣鉈となったことにより、老人の想像する間合いよりも長い。
狙うは丸腰のゲオルグ。
見極めての一閃。
脇差を鞘から抜けば、そのままの一手で剣鉈を弾き返す。
返す刃により、アスロの肩から胸を切り裂く。
ゲオルグは数歩さがる。
短剣の鞘を空間口に帰し、脇差のそれを腰に差す。
「もう終わった。なぜ倒れん」
『まだ集中は途切れてない』
地面に転がっていた盾を、表面の空間口に吸いこませる。
近場に空間の歪みを発生させ、そこから盾を取りだす。片腕では装着に時間が必要だが、相手はなぜか待ってくれているので問題ない。
『熱さは感じる。でも痛みはない』
口から血を吐きだしながらも、アスロは盾を構えていた。
「命を削っているのがわからんのか」
老人は青年に対し半身で構え、左手は鯉口にそえる。右手の脇差は左肩の上に持っていき、その切先は天に向ける。
盾の表面に空間の歪みを。もし相手の得物に精霊が宿っていれば、どれだけ好かれているかにもよるが、自分の所有空間に吸い込むのは難しい。
それでも弾くことはできる。この化け物が仰け反ったら、全身全霊を込めて盾で殴る。
「連中が目指したのは、こんな子供を産む国だったのか」
白髪に黄色い肌。
皺だらけの顔を一層に歪めながら、その瞳が銀色に輝いていた。
ゲオルグは斬りかかる。
眼光に危険を感じ、一瞬の判断により、盾で受ける位置をずらした。
すべての物には斬りやすい切り口と角度がある。
「狙ってるのは、空間口よ」
左上から左下に振りおろす。
その一手により、盾表面の歪みが切断された。
「空間魔法でな、そういった線がワシには見える」
片足をアスロの股下へと踏み込みながら、左下から右上へと斬る。
その二手により、亡骸より受け継いだ盾は両断され、アスロは片方の前腕に深手を負う。
「まだ続けるか」
もう両腕が動かせない。
『まだ、足が残っている』
老人は一歩さがった。腰から鞘を抜くと、それでアスロを小突く。
青年は転倒した。
アスロは血まみれの肩へ向けて、動かない片腕を無理やり持っていく。
「治癒気功か。あれはの、実際に身体の仕組みを知りえんと無理じゃ」
内臓の位置。その傷の状態を理解し、どのようにすれば良くなるのかを考える。
『医術の…心得が必要って……ことか』
「しゃべるな」
口からの出血も止まらない。
「お前さん確か、アスロといったな」
そういえばベルが何度も言っていた。
「その名を引き継いだんじゃろ?」
あのガイコツが使っていた、あの光を思いだす。
名前には強い力がある。
アスロの腕が黄色い光に包まれていた。
内臓の位置くらいならなんとなくわかる。でもそれだけ。
とりあえず出血を止めたい。
損傷した血管をどうにかして欲しい。もし肺が傷ついているなら、それを。
『痛てえ』
「痛覚がもどったか」
この痛みを和らげてもらいたい。
暖かい。
「……ベルさん」
アスロは寝転ぶと、大切な味方を探す。
地べたを這いずりながら、彼女のもとを目指す。
老人は所有空間から布をとりだす。振って血を払ったのち、脇差の刃を切先に向けて拭う。
鞘に帰す。
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目覚めると、うつ伏せで倒れた記憶があったが、今は空が見える。
ボロボロの青年が傍らで倒れていた。
半身を起こすと、腹部の皮ベルトが血まみれだった。
老人は小岩に座り休んでいた。
「すごいのう。その若造、治癒気功を習得しおったぞ」
これはアスロの血。ふと青年を見れば、彼の傷は。
「ぎりぎりの致命傷じゃ」
ベルは両腕で彼をあお向けに返す。重たくて腕だけでは難しい、肩も使って自分の体重を利用する。
「どうしよう」
手で押さえつけるが、出血が止まらない。
「もう助からん」
「うるさい」
唇が紫になっていた。
「なんで、これからだったのに」
顔面も真っ青。
「なんなの……この子。なんで」
ぽたぽたと垂れていく。
「平気な顔で嘘つくのに正直で」
これまでずっと堪えてきた。
「平然と殺せるくせに、後になって落ち込んで」
ぽつぽつと落ちていく。
「平和な国じゃないの、なんでこうなるの」
押さえても抑えても液体は流れていく。
老人は記憶をたどる。
「ワシの産まれた国はの、政権が入れ替わったんじゃ」
ベルは相手を見る。
「旧政府は無条件で王都を開放したんだかの、ワシの故郷は新政府を受け入れなんだ。または受け入れさせてもらえなかった」
そんな国はこの世界にはない。少なくとも大戦後は。
「新政府はワシの故郷に刃を向けてきた。我らは徹底抗戦を選んだが、最後には年寄から青年まで兵士となった」
この老人はいったい、なんの話をしているのか。
「初陣はその時だった。故郷のためと死ぬつもりで剣を握ったが、いざ前に出ると怖くてたまらなんだ」
倒れているアスロを見る。
「まるで手負いの『虎』じゃった」
「トラ?」
これはしまったと、この世界での似た生物を思いだし。
「虎じゃな。手負いの時こそ危ないって意味じゃったかね?」
ゲオルグは小岩から立ち上がると、腰を叩く。自分の鞄を持ち、その中を探る。
「お前さんはリドーの者じゃろ?」
「なんで」
知っている。
「生命の大精霊っつう存在を知っとるか?」
ベルは左右に頬を揺らす。
「それは闇と光の属性を合わせ持つ」
倒れる青年のもとに歩く。気づいたベルは短剣を手に取り、その切先を老人に向け。
「来ないでっ!」
「ワシの負けじゃ……ほれっ」
ベルのもとに転がり落ちたのは、魔光石だった。
「お前さんは光の精霊と相性が良いはずだよ。騙されたと思って、挑戦してみるとええ」
「まだ里にいたころ試したけど、駄目だった」
相性を調べるにも、そのたびに魔光石を使わなければいけないため、なんども行うことはできない。
「そりゃ何年前のことじゃい。ベルさんとやらも精神的に成長しとるだろ?」
この老人はなにがしたいのか。
「戦団員としてのケジメはつけた。あとはお前さんら次第よ」
青ざめたアスロの顔をみて。
「もうしばらくすれば、里の者が馬車でここを通る。それに乗って村へ行け」
「里長たちは全部知ってたんですか?」
渡人が村に逃げる。戦団でこの事実を知っているのはゲオルグただ一人。
「ゲーリケの森人を恨んじゃいかんぞ。我々はどの道、帰りに各村を調べて回る予定だったからな」
撤退時に村での捜索をするが、簡単なもので終わらせる。
「過去に受けた森人への大恩に報い、今回は見逃す。ただしひっそり暮らすことじゃ、もし悪魔側の連中が接触するようなら、ワシらは今度こそ刃を交える」
それが向こうからの一方的な接触であったとしても。
二人に背を向けてゲオルグは歩きだす。
「言っとくがな、今の団長はワシよりずっと穏健派だ。命令も殺害ではなく確保だしの」
かつて魔人に保護された青年がいた。悪魔側でなかったと知られた時点で、本来であれば殺されていたかも知れず。
ゲオルグなりのケジメ。
「その青年が生き残れるかどうかは、すべてお前さんにかかっている」
ベルは地面に転がっていた魔光石を拾い、短剣の尻で砕く。
腕が輝く。
呼吸を整える。
「光の精霊よ」
これで一章は終了となります。しばらく間が空くと思いますが、ここまで読んでくださった方がおりましたなら、本当にありがとうございました<(_ _)>




