十三話 食事と老い
里中を移動して数分。女の子と手を振ってわかれた頃には、大樹の根も地面へと完全に埋まっていた。
精霊の宿る大樹ほどではないが、同じ種と思われる大木の上には、立派な家屋が建てられていた。そこは梯子や網状の縄でなく、しっかりとした階段で地面と繋がっている。
護衛と思われる守人も数名いるが、武具だけで防具はまとっていない。
「あそこが里長の家になるのですが、まず先にこちらで待機してもらえますかな」
ドリノが指さしたのは、地面に建てられた小屋。扉や窓のまわり、所どころに飾り彫りが確認できる。他の家はもっと簡単な造りなため、来客用なのかも知れない。
「わかりマシタ」
「ベル殿は私と共に来ていただけるか」
すでに里長への報告はされているようだが、アスロと顔を合わせる前に繊細を聞くのだろう。
「行って大丈夫?」
「あの小屋ダレもいなければ、一人でキラク。なので護衛のカタも不要」
ずっと心細かったくせに、周りに他者がいると息が詰まる。本人も面倒くさい性格だと思っているが、そうなのだから仕方がない。
「なにか食べ物とかお願いしとくね。お腹すいたでしょ」
一日一食でやってきたが、体力的にはギリギリだったのも事実。
「ナにからナにまで、スミマセン」
「これは申し訳ない、もう昼すぎですな。アスロ殿は同胞を助けてくださった恩人、急ぎ用意いたしますので気兼ねなく」
彼としては自分のせいもあると思っているので、心置きなくとはいかないが。
朝と夜の二食。昼もあるということは、ここは生活が安定しているのだろう。
「アリガとザいます」
もともと十七歳といえば、育ち盛りであることに違いはない。
案内された小屋の中は良い香りがした。机や椅子も専門の職人が手掛けたと思われる立派な物。
窓は二カ所で、そこには硝子がはめられているが、すこしだけ開けられていた。
壁の一部には緑や茶色の大布が飾られており、卓上ランタンには明かりが灯る。部屋の脇にも小さな机があり、お香が炊かれていた。
全体的に真新しい感じはなく、年月により滲みでた独特の味わいが、どこか心を落ち着ける。
『ちゃんとした家屋に入ったのも、今回が初めてになんのか』
自然の中を移動してきたこともあり、身体はそれなりに土草で汚れていた。室内は綺麗に掃除されているので、靴のままでも問題はないようだが、あまり歩き回りたくもない。
出入口の扉付近に座りこむ。天井には黄色い布。
『緑は森で、茶と黄色は精霊さまってとこかな』
この里には戦団の団長が来ることもあるらしいから、そういった人物をまずはここに通すのだと思われる。
鼻から空気を取り込む。好みは別れるかも知れないが、嫌な気分はしていない。
所有空間からリュックをだし、水筒を手に持つ。
『これは別にして入れといた方が、なにかと楽かもな』
リュックを内に帰す。水筒を傾けて喉を潤したのち、それも空間の歪みに当てる。
『消えてよし』
盾にできないかと考えていたら、強化後に空間の入り口を木盾の表面に出現させることが可能になった。
通常は一度発生させたら、その場から動かすこともできないが、盾のそれは表面に同化している様子。
では普段から異世界への転移を考えていたら、強化するときに時空の大精霊からその力をもぎ取れるのか。
『無理だな』
転移する時の紋章は、今よりずっと複雑で大きかった。
『精霊殿か』
この遺跡には祭壇と呼ばれるピラミッドが存在するが、恐らくそれなのではないか。しかし現状では時空の精霊紋=渡人となっていた。
こちら側にも向こう側にも、時空の大精霊はもう居ない。契約のために呼んだところで、成功確率は無いに等しい。
『ご先祖さま、か』
王弟はどのように契約したのか。
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時間が経過するにつれて、頭の中で嫌な思考が浮かんでくる。
ここにきて森人が自分を戦団に渡すと判断したら。ベルは味方だとしても、里の人間はまだわからない。
アスロは想像を巡らせる。
食事を持ってきてくれるらしいが、それが知らない森人であれば注意すべきか。毒ではないとしても、痺れや眠気を誘われる危険もある。
先ほどまで歩くことすら躊躇していたくせに、アスロは室内の観察を始める。
まずは離れた位置から窓の外を探る。怪しい人影はない。耳をすまして屋外の様子も調べたら、今度は布をめくって壁を探る。
お香の匂いに幻覚の作用などはないようだが、姿勢を屈めると慎重に窓まで近づく。開いていたのは一方だけだったので、閉まっていた窓からも空気を入れて循環させる。
今のところ、鍵などはされていない。椅子を窓の近くに置く。いざという時はこれを足場にして外に逃げよう。
本人は再び扉の付近に座る。これまで通ってきた風景を思い出し、逃げる場合の経路を考える。
人質は通用するのか、ゲーリケも敵に回るのか。
もしそうなれば今の時点で詰んでいる。
森人側が戦団を呼んでいるとすれば、それなりの時間はかかるはず。
考える。活路はあるのかと。
やがて扉が開いた。
「アスロ、ご飯もってきたよ~」
両手にお盆らしき板を抱えていた。
「あれ?」
そのまま足を踏み入れるが、中には誰もいない。室内を見渡すと、ななめ後ろにアスロが立っていた。
「スミマセン、感謝です」
窓の近くには椅子が置いてあり、すこし開いていた。
お香の小さい机は窓の近くに移動している。
最初の位置関係は彼女も知らないが、なにをしていたのかは理解したようで。
「気持ちはわかるけど、失礼だよ」
「ゴメンなさい」
無言でアスロを見つめたのち。
「助けようとしてくれた相手も、そういう行動で方針を変えることだってあるんだよ」
「なにもしないコワイ」
もう一度、動作で謝ってから、椅子などの位置をもとにもどす。
「森人が自分ダメ判断くだすなら、きっとベルさんは反対する」
本当は怒りたい。
「ソウなれば、一時的に拘束される可能性タカイ。でもイマ、ご飯モッてきてくれた」
今日までこうやって彼は生き抜いたのだと、解ってしまうので怒れない。
「バカ」
聞こえないように文句を言い終えると、溜息をついて机の上に食事を並べる。
「衣類は洗濯して返すからね」
ベルは森人の服に着替えていた。
「自分モ一緒に。洗いタイ、服アル」
ジト目で。
「その前になにか言うことないかな?」
明るい緑のワンピースは、腰上あたりでベルトを使い引きしめられていた。なびくスカートの下からはズボンがうかがえる。胸下までの茶色いポンチョをはおり、その隙間からは飾りのボタンが顔をだす。
「素敵デス、似合ってマス」
「えへへ」
言わされた感もあるが、実際に可愛らしかった。
「布ノ服デモ、精霊アラバ、丈夫にするデスカ?」
「うん、でも精霊さまが宿った防具のほうが、やっぱ頑丈だよ」
青年は顔を赤くして視線をそらしていた。これまでとベルの雰囲気が変わり、どうやら照れているらしい。
「ほらっ 椅子すわろ」
可愛いとは感じるが、別の面を知っているせいか、素直にそうだとも思えず。
「ベルさんも一緒デスカ?」
「うん、食べ終わったらドリノさんと里長を呼ぶからね」
ギャップ萌えという言葉もあるが、それとは何かが違うのだろう。
机の上には少し固そうなパンと木の蜜を煮詰めたもの。とろみのある白いスープには緑の野草とモセルパが入っており、湯気にのった香りが食欲をそそる。
「エルフは肉クう?」
「食べるよ、だってもともと狩猟が生業だし」
家畜を育てているのなら、乳の加工品もあるのだろうか。
木製のコップに何かのお茶を注いでくれる。
「コレは?」
「木の根や花とか実とか、もう色々混ざってるから、正式名称はありませんとのことです」
漢方茶とでもいうのだろうか。
「はいっ 毒は入ってませんよーだ」
頬をふくらませてソッポを向く。
「ゴメンなさい、ゴチソウになりマス」
苦味は多少あるが、食事には合いそうな味だった。
「里長から、たいした持て成しもできなくで申し訳ないだそうです」
ベルに食事の配膳をお願いしてくれたのも、森人側の気づかいだと思われた。
「感謝しかナイです」
「たしかに信用し過ぎるのも危ないけどね、どこかで線引きをしてかないと」
事が起こってから考えるのでは遅いが、なにもかもを疑っていては精神が擦り切れる。
「少なくとも私は森人を信頼してます。育ててもらった恩もあるけど、彼らは誇り高い一族だもん」
中立の立場。
人間からは怪しまれ、亜人からは非難もされてきた。
「大戦が終わってからも、大半の遺跡管理を一任されているし、これまで亜人だって助けてもきた」
各国も大戦により憔悴したせいか、保守派だった亜人に大きな咎めはなかったが、それでも生き残った彼らの立場は弱かった。
戦後も弱体化をしていないのは、森人を含めた二種族だけ。
「ベルさん信じるナラ、森ヒトも信じる?」
「確実にとは言わないけど、なんていうか判断材料にはしてほしい」
両者は机につき、椅子に腰をおろす。
「わかタ」
「冷めちゃうね」
ベルがいただきますの姿勢をとれば、アスロもそれに習う。
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確かに簡単な内容だったが、すごく美味しかった。メープルシロップというのが、こんなに美味いとも知らず。
「木の幹にボウ刺すデスカ?」
ベルは身振り手振りで説明してくれる。
「うん。でその棒に穴が開いててね、中を通ってちょっとずつ、ポトポトって垂れてくるの」
下に桶をおいて溜めて、それを煮詰めるとのこと。砂糖とかで甘みを増す必要はないのだろうか。
中を通ってと説明するさい、親指と人差し指で輪っかをつくり、そこに別手の指をいれるものだから。ムッツリ助平としては反応に困る。
そんなこんなで食事も終盤にさしかかった頃だった。
『誰だよっ!』
ふと窓を見れば、外から森人が覗いており、驚いて向こうの言葉を使ってしまう。アスロの視線を追ってベルも気づいたようで、椅子から立つと窓まで歩き。
「どうかしましたか?」
「わしゃ飯を食ってないんよ、腹が減ってしもうてな」
その森人は年寄りだった。ベルは開けた窓から里長の家をのぞき込むと。
「もう皆さん食べたと思いますよ」
「あれ、そうだったかの?」
老人は素知らぬ顔でベルの乳に手を伸ばそうとするが、叩き落される。
「婆さんのいけず」
「私はお婆さんではありません」
では息子の嫁か、違いますとのやり取りをしていると、扉の閉まる音が外から聞こえる。
「こりゃ爺、勝手に外へでちゃいかんと言ったじゃろ!」
今度は老婆の声が聞こえてきた。
「婆さん、飯かね?」
「わたしゃ婆さんだがね、お前さんとこのはもう死んどるよ」
はっきりと言われると、森人の老人は肩を落とし。
「なんじゃアイツ、もうくたばっちまったのか」
そう言いながらも、声には力がない。
「ほれっ また迷子になったら困るじゃろ、家にもどるぞい」
里長の家からまた声が聞こえてきた。
「おーい! ワシの歯はいつになったら生えるんじゃ!」
「もう無理じゃっ! パン粥でも食っとれ!」
見張りをしていた守人も、申し訳なさそうにこちらまで来て、お爺さんをつれて行く。
やれやれと腰を叩いた老婆は、ベルの方を向いて。
「すまんかったの。もうすぐ飯も終わる、ちっと待っとくれな」
「いえ、でも大変だ」
老婆もとい里長は苦笑いを浮かべると。
「夕方にくらべりゃ大したこともないわい。家に帰るっつっての、どうやって登る気なんじゃ」
どうやら里長の家は、お年寄りを預かっているようだ。
アスロも席を立つと、窓まで近づいてから頭をさげる。
「コノタビは、お忙しいナカ、世話になってしまい」
「お前さんが渡人かい。すまんの、大した持て成しもできんで」
彼女も面倒を見ている者たちと、一見ではそこまで歳は変わらないように見える。
「なにか手伝エルことアラバ」
「いらんよ。あたしがボケた時は、お前さんたち若もんの面倒になるがね」
人と接することが苦手なはずが、なぜかこの人物に対して警戒する気がなくなっていた。
「少し離れとるが、馴染みが長しとる村がある。詳しくは後ほど説明するが、紹介状みたいなもんは用意しとくから安心せえ」
シワだらけの顔なのに、とても笑顔が素敵だった。
「ナニからナニまで」
「困った時は互いさまよ。まあ貸し一つってことじゃね、なにかあった時は助けてもらうぞい」
里長とはもっと厳格な人物かと思っていた。老婆は家の方を向くと。
「あの、たわけが」
ベルと一緒に窓から身を乗りだす。
先ほどの老人が守人の手を振り切って、大声で叫んでいた。
「馬鹿にするな、わしは一守人ぞっ! 支えなど不要」
森人の娘が杖を持って里長の家から出てきたが、一人でも歩けると言い、ふらふらの足で階段を上ろうとする。
「好きにさせてやれ」
老婆は守人を後ろにつかせ、老人の意地を見守らせる。
なかなか足はあがらないが、その戦士は上だけを睨みつけ、ゆっくりと一歩ずつ踏みしめていく。




