八話 まっすぐな瞳で
本当は見張りをしなくてはいけないのに、忠道に任せて気功術の練習を始めたアスロ。彼は気づいていないが、よほど心細かったのか、こちらに来てから独り言が多くなっている。
『闘志か』
何に対して闘おうと決意すれば良いのだろうか。第一に戦う相手がいない。
とりあえず小岩から立ち上がると、構えを作ってみる。自分に害なす相手を想像すれば、恐らく国となるのだろうか。
『勝てる気がしねえよ』
それでも、絶対に生き抜いて見せると、一応の闘志を燃やしてみる。あとは魔力を重ねるとのことだが、自分の場合は血流の想像により、精霊紋に魔力を送っているのでそれの応用。
目を閉じる。
口や鼻で空気を取り込み、肺から酸素を血液に乗せて、心臓より一気に廻らせる。
闘志が心を満たす。魔力も血管を通り全身を流れる。
ゆっくりと瞼をひらけば、うっすらと赤く光っていた。
『薄いか』
闘志が弱いのかも知れない。
『こりゃ精神修行の分類だな』
山賊との戦いを見た限り、戦意が喪失すれば、気功術も解けるようだった。どれほど訓練を重ねても、実戦未経験で最初から使えるとすれば、その人物は天才と言って問題ないだろう。
『行けるか?』
彼は気功術というのを知り得たばかりだが、要素はもう身につけている可能性が高い。
練習というよりも、試行を次の段階に移す。
『痛みを覚悟して、気合を込める』
上半身裸の大男が、しゃあこいと胸を突きだす。相手はやってやるぞと水平チョップをそこに打つ。
しかしこのとき意識を込めているのは胸だけなはず。もし相手が腹を殴ったり、頭突きなどをすれば、たぶん大男は対処できない。
『できるか』
アスロは頭の中で敵を想像する。構えは防御で、受けると決断したのは左の前腕。そして魔力もそこに集中させる。
『ピンポイントも可能ってことか』
硬気功は左肘より先の部位だけだが、袖の下からでも青く光っているのが解る。
盾だけでは防ぎ切れず、足などを狙われたさい、もしこれが実戦で可能となれば。
『性分ってのもあるかもな』
確かに青い光の方が難しく、彼女も闘気功の方が楽だと言っていた。それでも何故か、アスロは硬気功の方がイメージしやすい。
その後は赤よりも青に重点を置いて練習をしていく。
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視線を動かし、ベルを確認。
恐らく眠っている。イタズラをしたいと思っても、心の中で止めるのがムッツリ紳士というもの。
次に目を閉じて、忠道の様子をみる。ずっと拠点の周りを回らせているのも申し訳ない。彼は精霊とは違い、魔力が成長の糧となるわけでもないが、なんとなく黒の紋章に感謝を込めて送っておく。
すべての確認作業を終えると深呼吸をする。硬気功の試行と訓練をしているうちに、アスロは良いことを思いついていた。
『よし、やるか』
もしもの場合もあるのだが、鎖帷子をずっとまとうのは疲れるので、今は脱いでいた。ズボンの紐を緩めて服をめくると、銀の紋章に直接さわる。
深呼吸を一つ二つ。
今から痛いことをするので、覚悟を決めて全身に気合を込める。酸素は血液に乗って全身をめぐっている。
心と体は別としても、それらは等しく重なった。
焚火の灯りに照らされて、アスロは青い光を帯びる。
瞳を閉ざし闇を映す。銀色の紋章に意識を、奥に。深く。
もっと、もっと。
どこにいる。
探す。深く。
会いに行く。
誰に。
見張りそっち退けで、どれほどの時間そうしていたのか。
ある意味、すごい集中力だとも思う。
『いた』
当初の目的を忘れ、探すことに没頭していたのだから、当然として。
『痛っ!』
アスロは地面に倒れ、右脇腹を押さえながら悶絶する。
「どうしましたか!」
寝ていたベルは飛び起きて、転げ回っていた彼を確認すると、起きてそのままに駆け寄った。
「大丈夫ですか」
右脇腹を押さえていたので、手をつかみ退けて確認する。銀の精霊紋が描かれた肌は、血の色に染まっていた。
「採ってくれた中に化膿予防の薬草がありましたんで、今から準備します。火と水借りますよ」
台は小岩で良いとして、もう一つ手ごろな小石が欲しい。それらを熱してから、水で洗ったのち薬草を磨り潰す。
「リュックなか、処置道具アリます」
「わかりました」
ベルは彼の荷物まで行くと、中をあさる。
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傷口を消毒したのち、ガーゼで保護すると紙テープでとめた。痛みも落ち着き、今は互いに向き合って正座していた。
両者に違いがあるとすれば、ベルの背筋は伸びていたが、アスロの背中は丸まっていた。
「私も森人の姓を許された者です」
転移者が時空の精霊と契約していることは知っている。
「隠したいようでしたので黙ってましたが、強化をするなら時と場所を選んでください」
「ゴメンなさい」
マジ説教をされていた。
「アノ、闘志を上手く想像デキナかったノで、痛みを覚悟スルのホウが容易かとオモイ」
二人は寝袋があるのにそこを使わず、草もないむき出しの地面に座っていた。
「それはつまり、強化した経験があったということですよね?」
ふと思い出す。たしかあの人には説教されたことがなかった。いつも言い返して喧嘩をしていた映像が、ボヤけながらも頭に浮かんだ。
「時空紋の強化は進めていくと、そのうち治癒気功の使い手や、光精霊の契約者がいなければ危険だと聞いたことがあります」
それは初耳だった。
「不用意にやるのは今後絶対に避けてください」
「すンません」
怒りを吐きだすように息をつくと、伸ばしていた背筋を和らげ。
「それじゃあ、私たぶんけっこう休んだから、交代しましょう」
ベルは立ち上がると、膝についた土を払う。
「ごめんなさい、汚しちゃった」
「おキになさらず」
脇腹を押さえながら立ち上がると、彼女は屈めないアスロの代わりに、土汚れも落としてくれた。
「ありがとマス。それと」
指させば、ベルの足裏やサポーターも汚れてしまっている。
「こっちも汚しちゃった」
「ソレ使い捨て、大丈夫。コチラこそ、申し訳ナイ」
突然のことで痛みも忘れていたようだが、思い出すと症状が現れたみたいで、ゆっくりと歩きながら小岩に座る。アスロはペットボトルを渡し。
「ツカウください」
「ありがとう」
汚れた足を水であらい、乾いたのちにサポーターを巻かせてもらう。
人間性なんて簡単にはわからないと彼女は言った。
怒られたのは、すごい久しぶりな気がした。
青年は作業をしながら。
「自分ココくる前エ、色々あった」
下を向いたまま巻いているので、アスロの表情をベルからは確認できず。
「だからヒト、すごくコワい」
そういえば昔、一度だけ本気で怒られたことがあった。
「死にたくない」
もう半分諦めていた、それでも今は。
「生きヌきたい」
本当に困ると会ったばかりの相手でも、構わずに助けを求めてしまう。
「ベルさん、力かしてくれ」
任せてくださいなどの返事はなかった。すがりつくように、首を垂らす。
「頼む」
なぜか頭をなでられた。
やがて手当てが終わる。柔らかな手の感触が、そっと離れていく。
会話はなかった。アスロは情けなさに、相手を見上げることもできず。
ベルがつぶやく。
「対等な関係で行きましょう」
言葉の意味がわからず、思わず相手の顔を覗きこんでしまった。
笑いもせず。
「報酬をください。とりあえず前金替わりで、依頼の達成後に残りをもらいます」
「わかった」
青年はリュックを手元に引っ張ると、宝石や貴金属のアクセサリーが入った袋を取り出す。
「好きなの選んデくだセい。これはムコウ職人、細工シタいっぴん」
「なんこでも?」
苦笑いを浮かべてしまったが、納得してうなずく。
「じゃあ、これが良いな」
彼女が手に取ったのは、白銀の指輪だった。それには波のような模様が刻まれている。
「一つ、イイのか?」
「うん」
もう他の物には目もくれず、火の灯りに照らしながら色んな角度で眺めていた。青年にさせる訳でもなく、彼女は自分で指にはめる。
「合った」
報酬の指輪を青年に見せると。
「依頼は確かに受けました」
君は笑いもせず、まっすぐな瞳で。
「これで私は、絶対にアスロを裏切らない」
彼は同じ眼差しを知っている。
「信用してくれますか?」
「ベルさん、味方。信頼スル」
人生は選択の連続だと、偉い誰かが言っていた。




