91.曰く、神器達は明日の夢をみるか。
「──お疲れ様に御座いました」
戻った、と思った瞬間。身体の力が抜けてゆく。
暗く、堕ちてゆく視界と意識の端で、倒れてゆく己の器を認識した。
この感覚ばかりは、まだ慣れない。
小さくついたため息は、多分、次元の隙間に落ちてしまっただろう。
落ちた意識を取り戻したウィスタリアは、ただひたすらに深い闇だけを知覚した。
もはや居慣れた、我が家のような場所である。
『……で? マスターはなんだって?』
『……我らがマスターは、私達のような過剰戦力を無計画に使うことを良しとしないようですよ』
『何じゃ、一言物申してくれると息巻いておきながら、丸め込まれやったか?』
『……あの子が自分で立ちたいと言ったのです。異を唱える必要が?』
『相変わらず駒鳥ちゃんに甘いね、ウィスターは』
黙りなさい、と一喝して、ウィスタリアはいつも通り、何もない場所へと腰掛けた。
辺り一面暗闇ばかり。不思議と自分の身体と、他の神器達の姿だけが、闇にぼんやりと光って見える。
冥い世界の中で、それぞれ好きなように座っていて──ウィスタリアからしてみれば、暗闇の中に変な格好で浮かんでいるように見えるのだが──少し、不思議な光景だ。
壁も無く、床も無く、であれば当然のように家具も無く。
ただ、座ろうと思えば座れてしまうのだから不思議な話である。
しかし、こうして全員起きているのは珍しい。ほとんど全員待機しているのが常だ。
『随分、手こずったご様子で』
そう言ってニコリと、意地悪く微笑んだヒスイを始め、神器達は皆、宙に浮く大きな水晶玉に釘付けになっていた。
ここに、我らがマスターの姿が写っているのだ。
音は聞こえず、ただ映像だけが流れるその水晶玉は、今はベットに潜り込む少女のみを映していた。
『あの優男の入っていたベットだと思うと腸が煮えくり返りますね』
思わず漏れる舌打ちに、ヒスイが深く頷く。
『全く同感です。仕方ないとはいえ、こう……もやっとするよね』
『俺様全然わかんねぇけど、なんならスパッと殺そうぜ』
『馬鹿かな? 馬鹿なんだねスメラギ君』
『ハァ〜??? あんまチョーシ乗ってンとそのお綺麗な面引っぺがすぞ』
ぎゃいぎゃいと騒がしい、既知同士の戯れ合いは日常茶飯事。
煩いのは気に食わないが、読書ができるわけでもなし。目くじらを立てるほどでもない。
『で、どのように取り纏めよった? 妾は早うそれが知りたいぞ』
『……まず、戦闘中──戦闘開始時に勝手に出てこないこと』
『なんと』
『具体的に言えば、HPゲージが半分になるまで自発的に顕れることはしません。……逆に言えば、半分を切るような事態になれば、強制的に私達が出ます』
途端、悲痛な沈黙が空間を支配した。
騒がしくがなりたてていたヒスイとスメラギの声も消え、吸い込まれそうな無音が広がる。
『そうなるまで僕達出られないってこと? 冗談じゃないよ!!』
エヴァンズの、垂れ目がちの青に涙が溜まる。幼子のような表情で、彼は勢い良く仰向けに倒れ込んだ。
『ぜぇっったい! ムリ! 僕絶対出たくなっちゃう! マスター殴ったヤツは肉塊にするでしょ? 普通だよね?』
『半分まで指咥えてみてなきゃいけない可能性……が、あんのか。や、俺様も無理……』
脳筋二匹は呆けたように虚空を見つめ、無理……と呟き続ける機械と化した。
一方のヒスイ、ニシキは黙り込み。その目には、ひどく真剣な光が宿る。
『夜、安全な場所でなら出てもいいというお許しは勝ち取ってきました』
『流石にそれも駄目ってなると、僕は泣きながらマスターの夢枕に立つことになる』
『俺様もやるわ』
『止めぬか戯け。妾の役目ぞ』
『では間を取って俺が』
全員の心が一致したところで、現状が変わる訳もなく。
誰からともなく、重々しい溜め息が吐き出される。
彼女は、こんなふうに悶々とする神器達の姿など知らぬだろう。──知らぬでいいのだが。
『まぁ、結局。戦闘という局面において勝手に出ること──つまり、直接的に干渉することは禁じられました。しかし、ですよ。裏を返せば、出なければいいだけの話なのです』
『そうなるとですよ。問題は、その条件でどこまで手出しが……干渉が可能か、ってことだね?』
『声……なら何とかならぬかぇ? 声を送るだけぞ。……やり方は知らぬが、己が身ではなく、声だけ送りたいと思えば、あるいは……』
『霧のお二人に聞くのが良いかもしれません。俺達の知らないことを、全部知っている二人だ』
霧の二人──ウィスタリア達を神器へと変えた、導き手。
神の類かと思えばそうでもないらしく、しかし、その立ち居振る舞いはどこまでも人らしくない。
栗皮色の癖っ毛と、やや幼い顔立ち。
底冷えのするような、意志の読めぬ若緑の瞳は、果たして何時を視ているものか。
その時。ず、ず、と何かを擦る音がして、この場に合わぬ、明るい声が響く。
「ヤァ/\、皆さんお揃ェで」
にぱ、と朗らかに笑って見せる、目当ての人が立っていた。
少年と青年の間の声が、暗闇の奥へ消えてゆく。
『噂をすれば影が射す……ですね。いえ、呼ばずとも来ていただけるだろうとは思っていましたが。そういう御方ですから』
「なんでェ碧いニィちゃん。ちッくとばかしご機嫌斜めだネィ?」
『これでご機嫌でいられるのなら、私は神器をやめますよ』
「ハハン……お嬢の我儘か。ソレ聞いちまうオメェさんらも大概甘ぇナ」
でもま、気持ちはわからんでもない……と、頷く彼に、「流石、日々妹御に振り回されているだけの事はあるな」と、ウィスタリアは他人事である。
何処からか取り出した、長い煙管を咥えれば、男の周りを紫煙が囲む。
それに満足そうに微笑んだ彼は、大層勿体ぶって、懐から一本の巻物を取り出してみせた。
「──では、そなたらには此れを授けて進ぜよう……」
『スクロール……ですか?』
ウィスタリアの手のひらに、しっかりと握られたそれを、少し紐解いてみれば魔法陣の端が見える。
見た目こそ大仰に、秘伝の書の如き風体だが、中は白々と新しい。
「ご名答ォ! 魔力は必要ない上に、陣に触れるだけで相手に声を聴かせられる……だけでなく」
『だけでなく……』
「お嬢の声も聞こえ〼」
『…………対価は?』
一拍分の緊張が、神器全員の間に走る。
男は意地悪く、まあるい猫目を歪めると、ひらひらと手を振った。
「廻り廻って我が妹の為。ならば対価は取るまいて──マ、神様のご都合主義ってヤツだねェ」
芝居がかった節回しが、告げる言葉は朗報の。
てっきり何か、とんでもない物を要求されるのではないかと踏んでいた神器たちは、大いに湧いた。
『妾はてっきり、融通の効かぬ唐変木と思うておったが、なるほど妾の間違いぞ』
「なんでぇそんな事思ってたのか? 俺ァやる気がねぇだけョ」
『オヤ失言。しまった、シマッタ』
そんなやり取りを横目に眺めていれば、手にしていたスクロールが、脇から伸びる手に攫われた。
慌てて振り向けば、してやったり顔のエヴァンズが、早速とばかりに陣に手を置いている。
薄朦朧と光る、複雑な図形の重なりに、エヴァンズの瞳が輝いた。
──まずい。
『マ──』
『大馬鹿者! 駄犬! 寝てますよもう!』
『痛ッつ……! 酷いなぁウィスター!』
慌てて、その軽薄な金髪頭を叩けば、涙を溜めて痛いと騒ぐ。痛いように叩いたのだから当たり前だ。
スクロールに乗せられていた手は離れ、陣は輝きを失った。
水晶玉を確認すれば、些か寝苦しそうな顔をしているマスターが、寝返りを打つのが映されている。
どうやら、起こすほど聞こえていなかったようで。思わずホッと息を吐く。
『……これはまた明日。折角なら、日の光の下で間抜け面を拝みましょう。今は駄目です』
『ウィスターはその、微妙にへそ曲がりなの何とかならないの?』
『煩いですよ駄犬』
似たような悶着を二三度繰り返し──やがて、一人、二人と目を閉じる。
待機の状態に移った彼らは、明日の事を夢想する。
あの子はきっと驚き、あわあわと動揺してみせるのだろう。
ウィスタリアは、ふと己の笑みを自覚して、苦笑した。
『──おやすみなさいマスター。良い夢を』
陣を使わぬこの声は、彼女に届きはしないのだけれど。
水晶に映る少女が、少し微笑ったような気がした。
神器たちは神器たちでめちゃくちゃに騒がしいです。
普段あんなに取り澄ましてるのにね。(澄ましてるか?)
何も無い暗闇不思議空間の中で、ただひたすらに水晶玉に映る自分の大切な人を凝っと見守り続けるという在り方は、運命を捻じ曲げようとしている彼らの罪であり、罰であり、試練ではあるんですが。
まぁめちゃくちゃ楽しんでるフシがあるので、結論としては幸せなのです。
(そのうち奇譚(シリーズ内別作品)でちゃんとできたらいいね)
ここまで読んでいただきありがとうございました。





