65.曰く、夕暮れに鴉。
「ごめんなさい……だってサ」
「……はぁ?」
とある屋敷の一室。貴族然とした青年と、貴族らしからぬ砕けた服と雰囲気の青年という妙な取り合わせが、穏やかな夕暮れの中で顔を突き合わせていた。
唐突に謝られたリーンハルトは、怪訝そうな顔でシャウラを見遣る。軽薄そうな見た目の通り軽薄な彼は、時折大事なものを全てすっぽかして、適当なことを言うから信用ならない。
「白銀の糸のお嬢さんがさ、お前の大事な大事な天使君のおべべにシミつけちまったことを気に病んでるんだと」
「……あぁ、そんな事もあったわね。……律儀ねぇ、こっちはほとんど毎日、血と臓物でグチャグチャになるんだから……甘いアイスクリームなんて、可愛いものよ」
「知りゃしねェんだから、そら気にも病むよナァ」
そう言ってケラケラと嗤う彼は、そんな初な反応をする「シキミ」という少女が、酷くお気に召したらしい。
素性どころか出生すら掴めないというのに、お気楽な話である。
「……で? わざわざ呼び出したのがそれだけだっていうなら今すぐに殺すわよ」
「もう随分長いことオナカマしてンのに、あんまりつれねぇこと言うなよな」
「あら、こんなに長くオナカマで居るのに、私が本気だってこともわからないのかしら?」
「……へーへー。ま、お察しの通り、謝罪の伝言はついでな。メインは──例の心中事件についてだ」
何かを書き留めていたリーンハルトの手が止まる。朝焼け色の瞳が、静かに続きを促した。
「もう耳には入ってるだろうが、二代目が死んだ。それも突然暴走して──だ」
「初代と同じように?」
「魔力中毒でな」
魔力中毒の症状は、服毒したときの中毒症状と殆ど同じで、見分けるのは難しい。
体内の魔力濃度の測定ではっきりするのだが、時間が経てば経つほど、魔力の濃度は落ちる。
マッティアが「服毒」とされたのは、恐らく死んでから時間が経っていたから。
人の技とも思えぬ、あの凄惨な現場から考えれば、彼が魔力暴走していたとするのが自然だ。
「同じことが、狙いすましたように二回……ね」
「まぁ、実験……だろうな」
「カフスボタンは?」
「潰した。でももう、これはボスに話すべき案件だ」
一瞬で張り詰めた空気が、二人を覆う。大きな溜め息が、リーンハルトの薄い唇から吐き出された。
魔力暴走の実験。全く以て厭な響きだ。
十中八九、これに関わっているのは──
「魔王……かもしれないのね」
ああ愚かで無知なる者。人々の敵よ。
疾く疾く失せろ。二度と日の目を見るな。
──というよりも、面倒事をこれ以上増やしてくれるな。
「平和な国家」「平穏な世界」たった五文字の達成は、かくも試練に満ちている。ふざけるな。
ぎり、と奥歯が鳴る。噛み締めた口内に、血の味がしないだけマシだ。
リーンハルトの悲哀に満ちた、声なき罵倒は、誰かに──ましてや世界に届くわけもなく。
「さっさと連絡を入れるに限るわね。あんまり遅いと拗ねるから」
彼のほっそりした美しい指が、不思議な印を結ぶ。
夕暮れ色に染まった水中を、優雅に泳ぐ魚のようなそれは、たった数秒で終わりを告げた。
リーンハルトの手中に蠢く、何か小さくて黒いものの群れ。シャウラによって、無言で開けられた窓から、黒の集団が帯のようになって飛び出した。
窓を超え、空に飛び出した先から、黒の塊は何羽かの鴉へと変じる。
つややかな黒い翼が、夜に追い出される太陽の後を追って、芥子粒のようになって消えた。
遥か遠い空を見つめながら、もうアンジュを抱き締めて癒やされないとやってられないわと、小さな愚痴が零れ落ちた。
昨日書いてたところから急遽一話 (ワンシーン)入れたくなって書き上げました。
リーンハルトと鴉って絶対に合うって作者は知ってるので…………。
ここまで読んでいただきありがとうございました。





