35.曰く、路地は異界の入り口。
食パン一斤。女将さんへのプレゼントにお小遣いでマーマレードの瓶を一つ──私が食べたいからでもある。それから、じゃがいもに人参にブロッコリー。牛乳も一瓶。
どれもこれも元いた世界の物に"限りなく似た別のもの"なのだろうけれど。同じものと思ったほうが精神衛生上楽だ。
鳩の巣の料理は女将さんとご主人が一緒に作っているらしい。寡黙なご主人の料理の腕は一級品だ。それはもう、ここ最近ご飯を食べるたびにひしひしと感じている。
この素材だと作られるのはシチューだろうか。
鳩の巣がレストランになるのは夜の間だけで、この時間であればもう仕込みは終わっているのだろうから、お使いの品々は明日の朝ご飯か昼ご飯になるのだろう。
ずっしりと重たいそれは、試しにインベントリを呼び出して、半透明のディスプレイに触れさせたらあっという間に消え去った。
アイテム欄の中に燦然と輝く「お使い」の文字。その雑な区切り方は、NPCからの依頼の品を思い出す。
だが、重いものを持たなくて良いと言うのは良い事だ。
アイスをぶつけるアクシデントがあり、あとは興味の赴くまま歩き回っていたら、あっという間に太陽は傾き始めた。
夕陽になりかけの太陽に、シキミは眩しそうに目を細める。
夕暮れが近づいて、店々は一層活気づくらしい。
職務終わりの騎士や、依頼帰りの冒険者が軽食とばかりに食べ歩く姿が増えだした。
昼間とは少々様相を変えた人混みの中、ふと目を遣った、細い路地の向こう。
──店に挟まれた、細い路。
霞がかったようなその薄暗がりの向こうに、シキミは揺らめく暖簾を幻視した。
「──のれん?」
日の差さぬ、薄暗い境界線。
路地裏の、少し奥まったところで揺れる布はやはり何度見ても暖簾のようで。
見間違いでも、故郷恋しさの幻覚でもないらしいそれに、シキミはといえば米もあったし暖簾もあるかな、と思考する事を完全に放棄していた。
それにしても、異世界の路地裏にある小さな店とは、浪漫が溢れて止まらない。
誘われるように足は自然そちらへと向かい、影の落ちた境界線を、シキミはしっかりと踏み越えた。
日の当たらぬ場所というものは、霧の立ち込める薄暗がりに似て静謐であれば少し寒い。
その影に茫洋とぼやけ、溶ける景色の中に像を結んだのは一軒の日本家屋であった。
藍染の半暖簾の向こうにある引き戸には、しっかりと和紙が張られている。
江戸時代の商家のような風情のその建物は、この欧風な異世界にあって一層異彩を放っていた。
「こ、これは…………?」
人がいるなら逆に話が聞きたいと暖簾の向こう、引き戸に手をかけた途端──自分の意志より早くガラリと開かれた扉に、シキミの口から心臓が飛び出した。
「ホアッ──!?」
「おや、まぁ。お客様に御座いましたか」
可愛らしいお客様に御座いますれば、嬉しゅう存じます、と古めかしい言い回しと共に微笑むのは、シキミと同世代ほどの少女であった。
肩上で元気に外ハネする栗色の髪に、分かれた前髪から覗くまろい眉が印象的で、まるで幼子のような愛嬌を感じる。
──そして、何よりもシキミの目を引いたのは彼女の服だ。
目の前の、純粋生粋の異世界人であるところの彼女が纏うのは、巫女装束に限りなく似た何かであった。
改造されているのであろう。白衣の衿は紅く染め抜かれ、なぜか黒いインナーのハイネックが覗く。
緋袴は膝丈に切られ、胸下には大きなリボンがその存在を主張していた。
一体なんの冗談だと思うような格好の少女は、大きな猫目をきゅうと撓らせて「どうぞこちらへ」と言うと、店の奥へと踵を返した。
店の奥は、冥い。
ポッカリと口を開けた闇の中に、派手な打ち掛けと、二房の長い髪に付いた金飾りが、飲み込まれるように消えてゆく。
暫し呆然とそれを眺めていたシキミは、誘われるまま店の奥へと歩を進めた。
和風から逃げられなかった!!!!!
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