第七十五話 虹の輝きに包まれて
あの悍ましく私を狂気へと誘う姿と声。
どんなに逃げても奴は私を追って来る。
暗闇の中からじっとこちらの様子を伺い、幾つもの眼球で見つめ、幾つもの口が呪詛を吐く。
いつか私はあの虹の輝きを放つ魔の手に捕まるだろう。
クロノスがジルミールと出会う少し前──
「そのまま陣形を維持、あの魚共を押し返してやれ!」
ジェイクは団員たちに指示を出しながらもクロノスの身を案じる。
まだ一緒に生活をして二年近くだが、ジェイクはクロノスの性格をよくわかっていた。
クロノスは人にあまり嘘を吐かない。
吐くとしても他人を貶める為ではなく、他人を気遣う嘘がほとんどだ。
別れ際にクロノスが自分にしてきた質問を思い出す。
それに答えた時、クロノスは明らかに追求を逃れようとしていた。
脱出するようには言ったが今までジェイクは知っている。
こういう時クロノスは勝手に行動するのを……
「そこの二人!」
「「はっ!」」
近くで待機していた団員二名を呼ぶ。
クロノスを連れ出すだけならこの二人で大丈夫だろうとジェイクは考えていた。
「反対側の通路に、おそらく逃げ遅れた子供がいる。探して外まで連れ出してくれ。白髪の子供だ」
「「了解しました!」」
団員二人は命令を受けると戦線を離れ捜索に向かう。
あの二人はそろそろ体力に限界が近づいており動きが鈍くなり始めていた。
クロノスを見つけて一緒に外まで出せば安全なはずだ。
そう考えながらジェイクは迫るディープ・ワンをまた一体仕留める。
まだこの戦いは終わりそうになかった。
✳︎
クロノス
俺が背後から声をかけるとジルミールは驚き身体を強張らせる。
こちらを振り返り俺の姿を確認すると睨んできた。
「ク、クロノス、なんでここに!?」
「俺、ここに忍び込んだ時にその下水道から来たんだ。だからあんたはここに来るだろうって思ってな」
外は騎士団が包囲しているのだ。
もう逃げるのならこの下水道しかないだろう。
しかし逃げるにしても何故ジルミール一人だけしかここにいないのだろうか?
司教たちは儀式部屋の方に向かったと言うのに。
「まぁ、あんたがいればいいや。逃げようたってそうはいかないぞ。あんたをとっ捕まえてぶん殴るまではな!」
右手で持つ剣をジルミールへと向ける。
するとジルミールは、俺の言葉にキョトンした顔を見せた。
「逃げる?誰が?」
「あんたがだよ。下水道使って王都の外に逃げるだろ?だがなぁ、その下水道の出入り口は狭くて子供でなきゃ……」
あれ、なんかおかしくね?
ジルミールは俺の言葉に言っている意味が分からないと顔に出ている。
もしかして、下水道から外に逃げるのとは違うのか?
「君が何を勘違いしているのか知らないけど、僕は逃げる為にここに来たんじゃない」
「じゃあ、何しにここに?」
そう尋ねるとジルミールは鈴を取り出す。
あの催眠効果を引き起こす鈴だ。
まさかそれを取りに来たのか?
鈴の効力で包囲網を突破する……なんてつもりじゃないだろうな。
もしそうだとしても俺には両眼がある。
「悪いけど、俺にはその鈴は効かないぜ」
両眼にマナを込めて能力を発動させる。
神様の話では両眼が発動している間は精神干渉を受けなくなる……らしい!
実感がある訳でもないから自分じゃわからないけど、この身体に転生させて能力を植え付けた神様本人が言うのだから間違いはないだろう。
両眼にマナが流れて光、視界が良好になる。
普段は片目ずつしか発動させていないから両眼の視力が良くなると少し違和感を覚える。
ジルミールがゆっくりと鈴を鳴らし始める。
チリンチリン──鈴の音が鳴り響く。
だが両眼のおかげか鈴の音を聞いても全く眠気が訪れない。
地味だと思っていた両眼だけど、かなり便利だ。
ありがとう神様!
こんな変な眼をくれて!
ジルミールは何度も鈴を鳴らし続ける。
しかし俺には何の変化もなく、そろそろ鈴を鳴らすのを止めさせようと近づく。
「さぁ、もう気は済んだだろ。大人しく……」
「いあ──いあ──くとぅるふ、ふたぐん」
歩み寄った瞬間、ジルミールの口から謎の単語が溢れる。
聞いたことのない言語で、実際に俺が耳にした単語は違うのかもしれない。
何かの呪文と思われる言語を唱えながらジルミールは鈴を鳴らし続ける。
「──ッ!──ッ!」
理解できない言語を、呪文を唱えながら鈴を鳴らすジルミールが恐ろしくなり後ずさる。
一体何をするつもりなんだ!?
「──ッ!──ッ!」
呪文の詠唱が終わったのか、ジルミールが鈴を鳴らすのを止める。
何が起きるのかと身構え周囲を警戒するが、特に変化はない。
呪文に失敗したのか……?
そう思い、警戒を解いた矢先それはやってきた。
下水道へと続く階段の奥から何かが聞こえてくる。
ベルと下水道を歩いていた時の事を思い出す。
確かあの時、下水道のどこかから不気味な声が聞こえてきた。
それを掻き消そうと大声で歌を歌って忘れようとした……あの時の声が!
テケリ・リ テケリ・リ──!
あの嫌悪を誘発する無数の声が聞こえ後退すると、下水道への階段から玉虫色の粘液が這い上がってきた!
粘液は保管庫に入ると床を、壁を、天井にまでその姿を広げ部屋の半分を覆う。
下水道と同じ悪臭を放ち、虹色に輝きを見せる玉虫色の肉体──その肉体から無数の目と口が開いた。
牙の生えた口からあの不気味で嘲るかのような声が吐き出される。
テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ!
玉虫色の化け物を目にした瞬間、両眼が熱くなる!
なんだこの化け物は魔物なのか!?
ジルミールが鈴を鳴らすと玉虫色の化け物の鳴き声が止む。
無数の眼球と触手はくねくねと動き続けている。
「ま、魔物なのか……こいつは……!?」
「こいつの名前は《ショゴス》!司教様たちが使役している生物の一体だ。魔物とは違うそうだ」
「あんた、この化け物を見て何とも思わないのか!?」
「僕も最初はこいつを見た時はそうやって震えたよ。でももう慣れた。素晴らしい生き物じゃないか!」
狂ってやがる!
この玉虫色の化け物が素晴らしいだと……?
一体どんな感性してんだジルミールの奴!?
ショゴスと呼ばれる化け物の粘液が徐々に保管庫内部をその肉体で侵食して行く。
部屋ごと俺の存在も虹色に輝きに包まれてしまいそうだ。
「さぁショゴス!あの子供を喰ってしまえ!」
手に持った鈴を鳴らしてジルミールが指示を出す。
大人しくしていたショゴスが待っていたと言わんばかりに歓喜とも取れる鳴き声を上げながら、無数の触手を俺に向かって伸ばしてきた!
テケリ・リ、テケリ・リ!
「テケテケうるさい!」
鞭のようにしなる触手を落ち着いて避ける。
動きは早いが見えないほどじゃない。
しっかりと目を離さないようにしていればそう簡単には捕まらないはずだ!
連続で振るわれる触手を避けながら機を窺う。
俺を串刺しにしようと突き出された触手を避けるとその攻撃は地面を抉る。
チャンスだ、今剣を振ればこの触手を一本斬り落とせる!!
「こんのォォォォ!!」
剣を両手で持ち全体重を乗せ、触手に振り下ろす!
玉虫色の触手に刃が触れ、その触手が──切断されなかった。
刃が……通らない!?
ブヨブヨとした肉体に阻まれ切断することができない!
しかも剣で斬りつけた部分には血すら出ていなかった。
剣で斬りつけても刃が通らないとか一体どんな構造してんだよこいつ!?
攻撃が通らずに焦りを覚え始めていると、また別の触手が再び俺に襲いかかってくるのだった。
あぁ〜心がテケリ・リするんじゃ〜
次回投稿は明日22時です!




