第六十一話 少年は海底都市の夢を見る
あの深い海底のことを思い出すと、私の中の渦巻く極度の恐怖はやわらいでいく。
このような夢を見る度、私は常日頃からあの都市のことを考えてしまう。
だが未知の深海を恐れることなど何もない。
むしろ奇妙に引きづられている感じがするのだ。
ジェイクから六年前の事件を聞き、今度美味しいレストランに連れてってもらう約束をした。
その後、テラスから屋敷に戻り厨房に立ち寄りココアを飲んでいた。
まぁ御察しの通り、外で長話してたから身体が冷えたのである。
明日の仕込みをする使用人たちの邪魔にならないように隅でココアを啜っている。
「クロノス、美味しいお店に連れて行く件だが……お母さんの体調が戻ってからでもいいか?」
「ええ、構いませんよ。家族全員で行かなきゃ意味ないですから」
となると、明日の予定は一日空いてしまうな。
本当は午前中はまたクラウラたちから逃げて、ジルミールについて調べる予定だったんだけど、本人に今日会っちゃったからな。
「でも、母さんは大丈夫なんでしょうか?」
「体調はすぐに良くなるだろうが、心の方はわからない。ジルミールに会ったのがきっかけで昔のショックを思い出したのだろう。立ち直るのにまた何年もかかるなんてことにはならないだろうが、時間は必要だろうな」
「なら、明日は母さんとも話してみます。ケーキのお礼ももう一度言いたいし」
「そうだな。そうしてやってくれ。きっと喜ぶ」
本当にジルミールは厄介な日に来てくれたものだ。
どうせなら昨日の段階で来てほしかったものだ。
まぁそもそも現れてくれないのが一番嬉しかったんだが。
ココアを飲み終え、ジェイクと別れて自室に戻る。
時刻は夜の十時近く。
最近は夜遅くまで起きていたから、まだ眠たくはないのだが──
「お、鈴の音だ」
窓の外からいつもの鈴の音が聞こえてくる。
また騎士団の人が巡回しているのだろうか?
毎日決まった時間に警備をしていて頭が下がる。
眠気なんて全然感じなかったのに、あの鈴の音を聞いていると一気に眠気が押し寄せて来る。
これなら今日も快眠できそうだ。
俺はベッドに潜り込むと、規則的に鳴り響く鈴の音を耳にしながら目を閉じる。
徐々に強くなる睡魔に身を任せ、俺は眠りについたのだった。
✳︎
気がつくと、俺は暗い闇の中を歩いてた。
頭の中にあの鈴の音色が鳴り響いている。
だがそれに不快感はない。
むしろ鈴が鳴り響く度に脳に快感を感じる。
ずっとこの音色を聞いていたい。
音色はもっと闇の奥へと進めと言っているような気がする。
俺はそれに従い闇の中を歩き続ける。
どこに向かっているなんて分からないが、わからなくてもいい。
ただ鈴の音に導かれるがままに歩き続ける。
ふと足が地面から離れる。
いつの間にか、俺の身体は水の中へと落ちていた。
青く澄み切ったこの水で、俺は自分が海水の中にいるのだと理解する。
しかし呼吸は全く苦しくない。
周りに目を向けると、俺以外にも大勢の子供たちが海中を漂っていた。
豪勢な服装な子供から質素な服の子供、皆一様に海中をもがくこともなく沈んでいる。
足下に光が差し込む。
下を向くと、海底に煌びやかに光る造形物が見えた。
この世の物とは思えない狂った線と形で構成された無数の造形物は、まるで人の住む都市のようにも見える。
その中心には巨大な門のような物が聳えていた。
すると、その海底都市の影から何かが飛び出してきた。
一匹や二匹ではない。
何十匹にも及ぶ『ソレ』は海底都市の周りを嬉々してと泳ぎ回っている。
まるで海中を沈む俺たちを待ちわびているかのように。
泳ぎ回っていた『ソレ』の数匹が群れから離れ、俺たち目掛けて海中を上昇してくる。
距離が近づくにつれ『ソレ』の姿が次第に確認できるようになる。
魚のように見える身体だが、そこには水掻きのついた手足が生えていた。
成人男性ほどの背丈の『ソレ』を見た俺は、あれはこの世界に住む五種族の一つ海人族ではないだろうかと考える。
手足に水掻き、首の両脇に鰓、魚のような動き、人型の体躯。
俺が本で読んだ海人族の特徴と合致する。
やはりあれは海人族なのだ、きっとそうに違いない。
そう、頭の中では思っているはずなのに……俺の中の何かがそれは違うと言っている。
あれは海人族ではない。
『ソレ』の頭は確かに魚のような様相なのだが、よくよく見ると顔は蛙とも思える。
その酷く歪で冒涜的な姿が、俺の中の考えを否定するのだ。
群れから離れ俺たちに迫ってくる『ソレ』は、一番近くまで沈んでいた子供の体を水掻きのついた両手で掴むと海底都市へと連れ去っていく。
それを合図にするかのように、今まで遊覧水泳をしていた他の個体たちも一斉にこちらに向かって泳いできた。
比較的海底から離れた位置に浮かぶ俺の所に『ソレ』はやってこない。
だが俺よりも沈む速度の速い子供たちは次々と『ソレ』に身体を掴まれ海底都市へと連れて行かれてしまう。
このままでは俺も、他の子供たちと同じようにあの魚とも蛙とも似つかない怪物の手によって、海底へと連れ去られてしまうだろう。
だが、先程から頭の中に響く鈴の音が「あの都市へ行け」と命じているので、逃げる気が全くと言っていいほど起きない。
もし仮に逃げる意志を持てたとしても、水中の中ではあの魚の様に悠々と泳ぐ奴らから逃げることはできないだろう。
一人、また一人と子供たちが『ソレ』の手によって海底都市へと連れ去られて行く。
その中に甥と姪であるクラウラたちとベルの姿があった。
彼女たちは抵抗することもなく海底都市へと連れて行かれてしまう。
そして子供たちの数が次第に減り、ついにあの怪物が俺に向かって泳いでくる。
至近距離で目視する前に、怪物は俺の背にするりと回りこむと、鱗に覆われた長い両腕で俺の身体を抱え海底へと進み始める。
『──ッ!』
刹那、俺の頭の中に鈴以外の音が響く。
だがその声はノイズが入っているかのようで聞き取ることができない。
『──スッ!──だ!』
ノイズのかかった声は繰り返し脳内に響き、その度徐々に聞き取れるようにノイズ消えていく。
しかし、その間にも俺の身体は海底都市に向かって怪物の手によって沈んでいく。
『──ノスッ!い──で──りだ!』
ノイズのかかる声を聞きながら海底都市へと近づく。
すると、海底都市から巨大な影が姿を現した。
巨大な影は海底都市を中心に大きく旋回しながら泳いでいる。
俺はただただその泳ぐ影をじっと見つめている。
『──ロノスッ!起き──かれるぞ!──ろ!』
脳内の声がはっきりとするにつれ、眼下で泳ぐ巨大な影の姿も理解してくる。
巨大な影は今俺たちを海底都市へと連れ去ろうとしている怪物がそのまま巨大化したもののようだ。
海底都市へと連れ込まれる子供たちを見て動きを止める。
巨大な影は泳ぐのを止めると、その大きな頭をゆっくりと動かしこちらを見上げようとする。
狭まった頭部、魚とも蛙とも似つかない顔、てらてらと光る鱗、手足についた水掻き。
見つめれば見つめる程俺の中の何かが警告音を鳴らす。
直視してはいけないと、今すぐに眼を反らせと。
だが固定されたかのように俺は巨大な影の姿に眼が釘付けになる。
そしてついに、巨大な影が顔を上げ、奴の顔が、俺の目に映され──
『起きろって言ってるだろ、この白髪頭!!』
脳内に知っている声が拡声器のようにガンガンと響き渡る!
その瞬間、俺の意識が急速に覚醒し始め、先程まで聞こえていた鈴の音が消え去り目の前の光景がまるでレンズで見ているかのように歪み遠く離れていく。
巨大な影と海底都市、海中に先の見えぬ闇の中、どこかの教会に何かの壁画、様々な物が一瞬だけ見え、遠ざかり、フィルムのように繰り返され眼に焼きついていく。
頭を殴られたかの様な衝撃を何度も覚え、俺は夢の中から眼を覚ました。
✳︎
眼を覚まし瞼を開くと、まず先に自室の天井が見えた。
そして次に俺を襲ったのは、強烈なまでの熱を放つ両眼の激痛だった。
「うおおおおおおおお!あっちいいいいいいいいい!」
まるで眼球が沸騰しているかの如く膨大な熱を帯び激痛を与えてくる。
そのあまりの痛みに俺は両手で眼を抑え、ベッドの中で転がり悶え苦しむ。
苦しみ転がる勢いの余りに頭から床に転げ落ちてしまった。
鈍い打撃音と共に頭部に痛みを感じ、両眼の激痛が合わさり更に痛みを激化させる。
「ぐ、うおおおおおおおお……!!痛いィィィィ!」
床の上でうずくまり痛みに耐える。
なんでこんな眼球が焼けるように熱いんだ!
こんなん初めてだぞ!?
くそっ、このまま熱を帯び続けてると!
「天照とか目からビーム使えるようになりそ……ぎゃああああ!熱い熱い冗談抜きで熱いィィィィ!!」
ダメだ、これは耐えられるような痛みと熱さじゃない!!
このままでは本当に眼球が爆発する!
「み、水!とりあえず水を……!」
手の平にマナを集中させ水魔法を発動させようと
「アッツゥァァァァ!!マ、マナを込めると、眼が更に熱くアアアア!!」
手の平にマナを収束させようとすると、眼球の熱が更に増していく。
何がどうなっているかは分からないが、どうやらこの眼球の発熱はマナが関係してるらしい。
しかしこのまま高熱を我慢するのも無理だ!
俺は立ち上がると全速力で走り部屋を飛び出す。
目指すは水のある場所、俺の部屋からだと厨房が一番近い!
「ぐぉぉぉぉ!水みずミズぅぅぅぅ!!」
屋敷の廊下を全速力で駆け抜け厨房に辿り着く。
流し台に水の張られた桶を見つけ、俺は桶に顔を突っ込んだ。
桶の中に顔を突っ込むとじゅわっと水が蒸発するような音が聞こえる。
水の中で目を開けると、高熱の眼球が次第に冷えていき、一分間程でようやく熱と痛みが引いてくれた。
「ぶはっ!あぁ、マジで眼球爆発するかと思った!」
水の中から顔を出し両手で目を擦る。
もう先程まで感じていた熱は全く感じない。
どうやら収まってくれたらしい。
だが桶の水面に映る俺の両眼は未だに光を放っていた。
これ、両眼にマナが流れたままってことだよな?
左の青い瞳と右の濃褐色の瞳、それぞれが強い光を放っている。
こんな症状初めてだ。
今までマナを込めた際に眼が熱くなることあったが、あれは自分の意思で流し込むマナを調整していた。
だけどさっきのは、俺の意思に関係なく勝手に体内のマナが眼に流れ続けていた。
もちろん今もそれは続いている。
「あーあ、おかげで目が覚めちまった」
悪態をつきながら濡れた顔を袖で拭う。
時刻はまだ深夜、まだ朝日だって顔を出していない。
せっかく鈴の音を聞きながら快眠してたのに、あの神様人の夢にまた出てきやがって!
神様に憤怒すると、そこで俺に一つの疑問が浮かぶ。
「あれ……夢って、なんの夢見てたんだっけ?」
先程まで見ていた夢の内容を覚えいなかった。
目覚める直前で神様の声が聞こえたのは覚えている。
だけどそれより以前に見ていた物が分からないのだ。
思い出そうとしてもすごく曖昧で断片的な部分しか思い出せない。
確か……そう、どこかの海底にヘンテコな形をした建物があって、そこで何か、何かを見ていたような。
「ダメだ。全然思い出せない」
意味もなく頭を振りかぶる。
でも思い出せないってことは、どうせ大した内容ではないだろうし別にいいか。
神様の声が聞こえたってことは、もしかしたら神様の夢を見ていたのかもしれないし。
それはそれで思い出すと腹が立つからやっぱ忘れたままでいいや。
しかし困ったなぁ。
熱のせいで眠気が完全に吹き飛んでしまった。
今も外から鈴の音が聞こえているのに眠気を全く感じない。
チクショウ、この両眼にこんな欠点があるのなんて初めて知ったぞ。
明日ギルニウス教会に行って神様に文句言ってやる。
「しょうがない、またココアでも飲もう」
ココア飲んで一息つけば、また眠気もやってくるだろう。
そう考えてカップを探しに食器棚に歩み寄ろうとして、何かにつまづいた。
「おっと、なんだ?何か置き忘れか?」
転びそうになるもつま先で踏みとどまる。
柔らかくて固いものに足がぶつかり、何が置いてあるのかと振り返る。
そこに転がっていたのは、食材を床にぶちまけて倒れている使用人のメイドだった。
「ちょっと、メイドさん?どうしたんですか?!」
床に倒れるメイドを心配して耳元で声をかける。
だがメイドは俺の声に反応を示さない。
「ちょっと起きてくださいって!お客さん終点ですよ!」
心配になりもう一度呼びかけながら、今度は肩を強く叩くが、それでもメイドは気づかない。
つか、これ寝てるんじゃね?
寝息を立ててめっちゃ幸せな顔してるんだけど。
いや、でも起きないのはさすがにおかしい。
俺が誤って蹴飛ばした上に、耳元でこんなに騒いでるのに身動ぎ一つしない。
寝相がいいのにも程がある。
「あぁもう!仕方ないから、誰か他の人を」
使用人は他にもいるのだから大人の手を借りようと通路に出る。
だが通路に出た俺の目に映ったのは、
「なんじゃこりゃ……」
屋敷の廊下のあちこちで床に倒れたままいびきをかきながら寝る使用人たちの姿だった。
「ちょっと皆さん、起きて下さいよ!そんなところで寝てたら風邪引きますって!」
一人一人に声をかけて起こそうとするが誰も反応を示さない。
起きてる人がいないかと屋敷内を駆け回る。
だがどの廊下や部屋にもその場に倒れて寝息を立てる使用人と親族しかいない。
「どうなってんだよこれ……何が起きてるんだ!」
俺の中で不安が募り始める。
自分以外の人が全て眠ってしまったこの状況に危機感を覚える。
まさか、この屋敷で起きてるのは俺だけなのか!?
そうだ、ジェイク!
ジェイクのところに行こう!
そう思い至りすぐさまジェイクとユリーネのいるはずの寝室へ向かう。
俺はドアをノックするのも忘れ、二人の寝室に飛び込んだ。
「父さん!母さん!」
二人を呼びながら姿を探す。
この二人なら、最悪ジェイクなら起きてるかもしれない。
そう思っていたのだが……寝室にいた二人も他の人たちと同じように深い眠りについていた。
ユリーネはベッドの上で、看病をしていたジェイクもベッドの隣で寝息を立てている。
一緒に看病をしていたと思われるメアリーの姿もすぐ側で見つけた。
もっとも彼女も気持ちよさそうに寝ているのだが。
「ジェイクとユリーネもかよ!ちょっと、二人とも起きて下さいよ!屋敷の様子が変なんです!」
淡い希望が砕かれ、二人の体を乱暴に揺らしながら呼びかける。
だがこの二人もやはり俺の声に身動ぎ一つしない。
「くそっ!こうなったらもうフライパンとお玉で起きるまで大合唱してやる!」
声をかけても起きないのでかなりヤケクソ気味になってきた。
後で怒られるかもしれないが起きない方が悪いのだ。
うんそうだ、そう思って皆を起こしてこの不安感を払拭しよう!
ジェイクたちの寝室を出ると再び厨房に戻る為走り出す。
厨房に戻る途中、玄関が見下ろせる廊下を通る。
窓の横を走り抜けた時、視界の端に人の姿が見えて足を止める。
眼を凝らして確認してみると、門を開けてクラウラや他の甥と姪たちが外に歩いていくのが見える。
「クラウラ?あいつらどこにいくつもりなんだ?」
いや、そもそもクラウラたちは起きてるのか!?
さっき起きてる人間を探して屋敷を走り回っている時にはクラウラたちは起きてなかったはずだ。
気がつくと、周りの家からも子供たちが門を開けて出て行くのが見える。
子供たちは皆同じ方角に向かって歩いていく。
そこに一体何があると言うのだろうか。
俺は窓を開け外へと飛び降りると、クラウラたちの後を追いかけた。
ああもうやりたい放題で無茶苦茶だよ
ギアミソフヨフマワヌオ22ギムモセミキセヤヌ




