第四十一話 隠された日記
「ギャアアアア!!」
穏やかな昼下がりのバルメルド邸にまたしても汚い悲鳴が響き渡る。
おやつのケーキを食べた後も俺はクラウラたちに追いかけ回されていた。
今度は誰が一番早くクロノスを捕まえて遊ぶかという訳のわからんルールの遊びだった。
当然オモチャにされるのは嫌なので全速力で走って逃げる。
「コラァ!待ちなさいクロノス!」
「絶対嫌です!そう言って、止まった瞬間にみんなで酷いすることつもりでしょう!?エロ同人みたいに!!」
「なに訳のわからないこと言ってるのよ!大人しくしなさぁい!」
今度は魔法を使ってこない分マシだが、六人から追いかけられるのはかなり恐怖を煽られる。
俺は廊下を曲がると近くの部屋に飛び込み扉を施錠した。
クラウラたちは俺が廊下を走り抜けたと勘違いし、そのまま部屋の前を通り過ぎていった。
脅威が去ると扉にもたれかかりため息を吐く。
「はぁ……屋敷にいる間、ずっとあの子たちに追いかけ回されなきゃいけないのか」
滞在期間は一週間ぐらいだったっけ?
持つかなぁ……俺の体力。
もう一度深いため息を吐いて立ち上がる。
逃げ込んだ先は書庫だった。
大きな部屋ではなく、空いた一室に棚を置けるだけ置いて片っ端から本を詰め込んだだけといった感じだ。
それでも定期的に掃除はされているようで埃一つない。
もう夕飯になるまでここに隠れていようか。
時間を潰すにはここは最適だろうし。
「そうと決まれば手頃な物を……」
綺麗に整頓された本棚を端から眺める。
『ライゼヌスの歴史』、『ライゼヌスに生息する魔物について』、『世界不思議発掘』、『魔法大全 第一章』──いいねいいねぇ!
これだけラインナップが揃っていると退屈せずに済みそうだ。
気になった本を手当たり次第に引き抜いて床に重ね置きする。
その場に座り込むと俺は『ライゼヌスの歴史』を開いた。
かつてこの大陸は、五つの種族によって国が別れていた。
人族、獣人族、精霊族、海人族、天海族──彼らは互いの領地に侵入することを拒み、彼らだけの世界で暮らしを営んでいた。
しかし地獄の門から悪魔が溢れ、この大陸を支配しようとした。
四つの種族はこれに対抗するが、育ちも文化も違う彼等は衝突してしまう。
結果多くの領土を悪魔に奪われてしまった。
誰もが悪魔たちの侵略に為す術なく蹂躙され絶望に打ちひしがれる。
そんな時、天から慈愛の神が現れた。
神は悪魔から五種族を助ける為に、神の遣いとして『異界の戦士』を召喚した。
『異界の戦士』は五種族を束ね、神々と共に長く苦しい戦いの果て、地獄より現れた魔王を打ち倒し封印する。
神と『異界の戦士』は、共に戦った五種族の中からそれぞれの長を選出する。
大陸の中央に王国を建国したのちに、選出された種族の長たちの子をつがいにさせ、全ての種族の血を交わらせた子を王とする。
『異界の戦士』はその王が国を治めるに相応しい人物となるまで仕え、王が成人すると共に何処へと旅立ってしまった。
神もまた天界へと還る際、人々に教えを広め去っていた。
王は神からの教えを大陸に広め、五つの種族は互いを家族としこの国に移り住んだ。
全ての種族が住むこの国は王の名からライゼヌス王国と名付けられ、今日までに種族間の多くの壁を乗り越え、繁栄したのである。
「『異界の戦士』か。俺みたいに異世界から召喚された人がいたんだろうか」
本の内容を読み進めて行きながら、この国の歴史を確認する。
重大な事件や戦争が起きた時、必ずと言っていいほど神々の介入があったようだ。
ギルニウス以外にも複数の神が存在し、歴史の節々でその姿を見せていた。
この大陸に自らの教えを広めただけあって、ライゼヌス大陸ではギルニウスが一番懇切丁寧に解説されていた。
どうやらあの神様は慈愛の神と呼ばれているらしい。
慈愛だなんて、あの人を知る俺からしたら鼻で笑うレベルなんだが、やはり歴史上に何度も現れ人々を導いてきたのだから慈愛の神というのも間違いではないのだろう。
異種族皆家族とか教えを広めたぐらいだし。
『ライゼヌスの歴史』を読み終え、新たな本を手にする。
結局日が暮れるまで書庫に篭って本を読み続けていた。
窓から射す夕陽に眼を細めながら一息つく。
「ふぅ……ここはいい部屋だなぁ。もう一週間ずっとここに閉じこもっていようか」
ここならあの悪魔どもも入って来ないだろうし、なにより落ち着ける場所で暇つぶしの本が大量にある。
読みきれないほどの量だし、種類も豊富だから飽きたりしない。
ただ明かりが窓からの光しかないというのがちょっと不便だ。
陽が出てる間しかここで読めないからな。
そろそろ部屋の中も暗くなってきたので、読んでいた本を戻すことにする。
一冊一冊を元あった場所に戻していたら、本の後ろにボロボロで色褪せた本を見つけた。
手を伸ばしてその本を引き抜く。
色褪せた本に題名は無く、汚れ具合から長いこと放置されていたのがわかる。
一体なんの本だろうか?
適当なページを開くと、そこに書かれていたのは誰かの日記だった。
春 ⚪︎月×日
今日はパパとママと劇を見に行った。
劇の内容は『異界の戦士』をモチーフにしたお話だった。
僕もあんな風に神様の遣いになって人々の為に戦ってみたい。
簡潔に書かれた日々の日記は男の子が書いたもののようだ。
めくり続けると、結構日を跨いで日記が書かれていた。
この持ち主は飽きっぽい性格だったようだ。
それでも日記にはその日楽しかったことや、どんなことをして遊んだかが書かれており、これを書いた時は本当に楽しかったのだろうということがわかる。
しかし日記のページが残り少なくなり始めたところから、急に内容が怪しくなる。
冬 ⚪︎月×日
今日はパパとママに怒られた。
僕はただあの子と仲良くなっただけなのに、どうしてあんなに怒られなきゃいけないんだろう。
最近は勉強も剣の稽古にも手がつかない。
あぁ、もっと色んな子と仲良くなりたい。
春 ⚪︎月×日
最近は僕の家のメイドたちとも仲良くなった。
メイド長のサティーラとは仲良くなれそうにはないが、彼女たちと僕は仲良し。
そのことを咎められたりしないだろう。
だけど、またパパと稽古が厳しくなってきた。
もうやめたいと言ったら、すごい怒られてまた厳しくなった。
もう嫌だよ、剣の稽古なんて。
夏 ⚪︎月×日
学校の成績があまり伸びなくてパパがもっと頑張れって僕を叱ってきた。
ママに言ったら「ちゃんとパパの言うことを聞きなさい」とまた怒られた。
最近じゃハグもしてくれなくなって寂しい。
剣の腕も全然上達しない。
だけど学校じゃ僕が一番強いから、これ以上やらなくてもいいかな。
また新たしい友達もできたし、このままでいい気がする。
日記の内容がどんどんネガティヴになっていく。
この頃になると毎日日記が書かれていた。
でも内容は「誰それとのケンカに勝った」だの、「またパパとママに怒られた」だの、「他の子と仲良しになった」だのばっかりだ。
読んでるこっちの気が滅入りそうになってくる。
だけど他の子と仲良しになろうとする辺り、持ち主はかなり社交的だったのだろうか。
いよいよ最後のページになると、紙がしわくちゃになっていた。
どうやら書きながら涙を溢したみたいで、あちこち文字が滲んでいる。
秋 ⚪︎月×日
僕が色んな子と仲良くしてるのがパパとママにバレた。
パパからは思い切り殴られ、ママには大泣きされる。
なにが悪いのかわからずにいると、この屋敷から出て行けと言われてしまう。
必死に謝ったけど許してもらえず、荷物をまとめろと部屋に押し込まれた。
今僕はこの日記を泣きながら書いている。
これを誰にも見つからない場所に隠そう。
そして僕がここにいた証にしよう。
だけど僕はいつか必ず、この家に戻ってくる。
パパとママの子供だと、バルメルド家の人間だと、胸を張って言えるようになって帰ってくる。
日記はそこで終わっていた。
持ち主はどうやら、この屋敷を追い出されてしまったようだ。
でもそれがいつの話なのかがわからない。
もともとぞんざいに扱われていたせいで、傷み具合からどれだけ前の日記なのかもわからない。
日記に多く出てくる「パパ」と「ママ」……この二人が誰かわかれば、持ち主もわかるのだろうけど。
謎の日記の持ち主を考えていると、扉が開きイルミニオが入ってきた。
お互いに人が来るとは思わず驚く。
「クロノス?どうしてここに?」
「イルミニオ……さん」
「そんな他人行儀でなくていい、気軽におじいちゃんと呼んでくれたまえ」
イルミニオは厳つい顔で小さく笑うと書庫に入ってくる。
その後ろにはサティーラが控えていた。
「クロノス御坊ちゃま、こちらでございましたか」
「ええ、クラウラ姉さんたちに追いかけ回されまして、ここに避難してました。ここは静かですし、いい本も沢山ありましたから」
答えながら本を棚に戻そうとするとサティーラが代わりに片付けてくれる。
俺の答えにイルミニオは納得したと頷く。
「この場所は、あの子たちには立ち入るなと言ってるからね。隠れるにはうってつけだろう」
「そうだったんですか?すいません、勝手に入ってしまって」
「いや構わんよ。元々、クラウラたちが本にイタズラするから立ち入りを禁止しただけだからね」
「あぁ……でしょうね」
確かにあの六人はまだ読書を嗜むなんて行為とはほど遠いだろう。
どちらかというと、本を投げて遊ぶタイプだよあれは。
「もし気に入ったのなら、自由に出入りしていい。数冊なら部屋から持ち込んでも構わないよ」
「本当ですか?ありがとうございます」
よっしゃ、許可貰えたぞ。
これで滞在中はここに逃げ込めるし、本も読み込めるから退屈と騒がしい悪魔たちとはオサラバだ。
そうだ、イルミニオならこの日記が誰の物か知っているかもしれない。
「あの、イルミニオおじいちゃん」
「ん?おすすめの本でも教えようか?」
「それはあとで教えてください。本棚にこの日記が隠すように置かれていたんですけど、誰のかご存知ですか?」
手に持っていた日記を見せると、イルミニオはそれを手に取り開く。
しばし日記を眺めると、それを閉じてサティーラに渡した。
「さぁ、分からんな。おそらく当家の誰かの物だろうが、ここに置いておくのは書いた本人も恥ずかしいだろうし、別の場所に移しておこう」
「そうですか……」
「そろそろ夕飯の時間だ。クロノス、君はもう行きなさい。ジェイクとユリーネが探していたぞ」
「わかりました。失礼します」
頭を下げると書庫から出て行く。
廊下に出た俺は……近くの柱に身を隠した。
しばらくしてイルミニオとサティーラが書庫から出てくる。
深刻な面持ちで、あの色褪せた日記を持っている。
「……まさかまだあったとは」
「申し訳ありません。まさか本棚の裏に隠していたとは思いませんでした。ですが、発見したのがクロノス御坊ちゃまなのが幸いでした」
「そうだな」
二人の会話を盗み聞きする。
あの日記の他にも似た物があったようだ。
しかも俺以外の人間が見つけたらマズイ代物だったらしい。
「もう一度屋敷の中を調べ直しますか?」
「いや、子供や孫たちが来ているのだ。帰ってからの方がいい」
「かしこまりました。この日記はいかがいたしましょうか?」
「──焼き捨てろ」
イルミニオの命令にサティーラが頭を下げる。
サティーラが手に持っていた日記に魔法で火を点けると、日記は一瞬にして燃え上り塵一つ残さず消える。
二人は廊下の奥へと去った。
なにやらきな臭くなってきた。
あの日記の持ち主については知られたくないらしい。
この一週間の滞在期間、本当に退屈せずに済みそうだ。




