第三十四話 帰還
心地良い風を感じ目を開けると、目の前にあの草原が広がっていた、
見渡す限りの原っぱに、青い空、流れる白い雲、
「やぁ相棒。お疲れ様」
そしてムカつく爽やか顔の神様。
「相変わらず酷いなぁ君は。僕の顔見る度にムカつくって……命の恩人だよ僕?すんごい忙しかったのに助けに行ったんだよ僕?」
「わかってるけどムカつくもんはムカつくんだよ。後、人の心勝手に読むな」
恩だってちゃんと感じてる。
だから開幕から殴りかかってないし。
神様は「まぁいいや」と人の心を読んだ後一人で納得していた。
もう三度目となるこの空間──ギルニウスルームとでも名付けて置こうか。
何度来てもここは穏やかな空間で、何だか安心する。
「しかし、よく生き残れたね君。リスとの憑依状態が解けた時は、もうダメかと思ったよ」
「俺もそう思う」
あの時は確かに詰んだかと思ったわ。
フロウは蜘蛛に襲われるし、神様はいなくなるし、しかも数は多いしで絶望しかなかった。
だが俺は今回も生き残ることができた。
本当に運が良かったとしか言いようがない。
でもそれだけに自分の非力さを痛感することになった。
「何暗い顔してんだい?」
「神様、俺は強くなったつもりだった。こっちの世界に来て、バルメルド家に迎えられてからずっと鍛錬を積んできた。もう大蛇の時みたいな死に目に遭いたくなかったから」
この危険な世界で生きていくのに力は必要だ。
だからずっと鍛えてきた。
剣術も覚えたし、魔術も覚えた。
それでも魔物を相手にするのも、フロウを守るだけで精一杯だった。
「このままじゃ、俺はいつか死んでしまう。だから教えてくれ神様、俺は……俺はどうすればもっと強くなれる?」
俺はもっと強くならなければならない。
そうしなければこの世界で生き残ることはできないのだから。
俺の真剣な眼差しを受けながら神様は困った顔で頭を掻く。
「あのねぇ?忘れてるだろうけど、今君の体は幼少期なんだよ?たかだか五歳ぐらいの子供が魔物に勝てる訳ないじゃない」
「でも蜘蛛とは言え、魔物は何匹か倒したぞ」
「それが出来ること自体子供としては異常なんだよ」
やれやれと神様は頭を垂れる。
しかし俺の幼少期で既に二回も死にかける事件に遭遇したのだ。
もっと強くなるに越したことはない。
「僕は努力する人間が好きだから、ラノベみたいに異常なまでの強さにするの嫌なんだよなぁ」
「神様って以外と庶民派?」
「下界の娯楽は天界には無いのが多くて好きなんだよ」
神様はしばし悩むと名案を思いついたのか手を打った。
「君は強くなりたいんだよね?その方法はこちらで決めてもいいかい?」
「そんな無茶苦茶な内容じゃなければ」
「大丈夫、ちゃんと人の範囲内で出来る内容にするから」
修行と称して雪山に放り込まれるとかは嫌だなぁ。
いきなり魔物ばっかりの大陸に連れて行かれるとかも勘弁したい。
「君の童貞を捨てるって願いを叶えるだけなら、そんなに無茶なことさせるつもりはなかったんだけど、そこまで言うならもっと素敵な人生を送らせてあげよう」
「お、お手柔らかにな?」
「ダメ。今更言っても遅い」
ニタニタと笑う神様を前にちょっと後悔する。
神様がそんな邪悪な笑顔していいのかよ。
「ま、心配しないで。約束通り、君をより良き未来に導いてあげるから。でもそこまでの努力は自分の力でするんだよ?」
「分かってるよ。努力しない人間は好きじゃないんだろ」
うん!と神様は満面の笑みで頷かれる。
「とりあえずは風邪を治しなさい。来る時が来たら、ちゃんと場を用意するから」
「え、待って、俺風邪引いて寝込んでるの!?」
「気づいてなかったの?もう三日間も寝たきりだよ君」
「えぇ!?なんで、どうして!?」
「そりゃ真冬に魔法で作った水の中にいれば風邪ぐらい引くよ」
そういやそうだった……あん時は温水にしようとか考えてなかったから忘れてた。
「後、マナの実を一度に大量に摂取したでしょ?それも原因の一つだよ。体が過剰に吸収したマナを順応しようとしてるんだ」
「やっぱ、一度に四つもマナの実を食うのはマズかったか?」
「食べてすぐに限界ギリギリまで魔法を使ってたから、破裂はしないと思うよ?」
魔法使ってなかったら、破裂すんのかよ!
怖いわぁ、この世界のマナ怖いわぁ。
そうだ、聞かなきゃいけないことがあったんだ。
「なぁ神様、俺とフロウか囲まれた時に火属性の魔法を使おうとしたら、暴走しかけたんだけど、あれは何だったんだ?」
「暴走?」
「あぁ、なんか体の奥が一気に熱くなって、力がどんどん溢れ出たんだ。でもすごく恐ろしかった。まるで自分が自分でなくなるような感覚がして、自分以外の全てを燃やそうとしたんだ」
あの時の感覚は未だに胸の奥に残っている。
ただ蜘蛛を燃やそうとしただけなのに、どんどん感情が昂り、蜘蛛どころか森までも火の海にしようとした。
それをやめようと無理矢理マナを炎に注ぐのを止め、感情も抑え込んだ。
夢で見た時と同じような結果になる気がして、本当にあの時は恐ろしかった。
「それは多分、マナの過剰吸収による暴走だろうね」
「過剰吸収による暴走?」
「マナはこの世界の人間にとって、精神を安定させる物でもある。マナと精神は繋がっていて、精神力で人はマナを魔法として使うんだ」
「じゃあマナが無くなるとすごい疲れるのって、精神がすり減ったみたいなもんなのか」
「そんな感じ。しかも君はマナの実を多く摂取したから、大量のマナに精神が侵食されて感情が昂ぶったんだと思うよ」
薬みたいな物か、おっかねぇ。
「もう暴走したりは……」
「また過剰な量のマナを吸収しなければ、暴走したりはしないよ。だから次からは気をつけるんだね」
「うぃっす」
俺もあの感情を味わうのは遠慮したい。
あの暴走状態、たぶん一度でも抑えきれなくなったらもう俺では止められないだろう。
マナの過剰吸収は精神に毒と、しっかり覚えておこう。
「じゃあ最後にもう一個あるんだけど、俺たちを助けてくれた青白い光を放つアレ。あいつの背中に乗ってたのって、神様だよな?」
「よくわかったね」
「俺に対して頷いてたし、何より腹立つ顔が見えたからたぶんそうだろうと」
「判断基準そこ!?」
「ところで、あの青白いの何だったんだ?」
あれは本当に美しいと思えた。
シルエットしか分からなかったが、鹿にしては大きかったし、何だったんだだろうと気にはなっていたんだ。
「君、大樹ユグドラシルって知ってる?」
「あれだろ?俺たちが使うマナを生み出す樹の名前。確か、定期的に世界中を移動する謎の多い樹だって聞いてるけど」
「僕が乗ってたのは、そのユグドラシルなんだよ」
「あの鹿っぽいのが?大樹ユグドラシル?またまたぁ〜」
「嘘じゃないよ。大樹ユグドラシルは人の手に渡らない様に一定周期で移動するんだけど、その時はあの鹿に似た姿に変身しているのさ。君が見たのはその時の姿なんだ」
あんなスラッとしたのが大樹!?
嘘だろ……大樹ってか、普通に動物にしか見えなかったけど。
「普段は樹の姿をちゃんとしてるよ?移動の時だけ鹿に似た姿をしているのさ」
「もしかして、俺がマナを過剰吸収したのって」
「そ、マナの実を食べた後にマナを生み出す大樹ユグドラシルが近くにいたからだよ。ユグちゃんいっつも高純度のマナを生み出し続けてるから、それを体内に吸収し続けたのも原因の一つだろうね」
ユグちゃん……神様からしたら、大樹ユグドラシルはペットみたいなもんなのか。
神が植えた木って言われてるから、やっぱり愛着があるんだろうか。
「そろそろ時間だね。君の肉体が目を醒める頃だよ」
神様が空を見上げながら告げると、俺の体が光に包まれ始める。
いつもの浮遊感を感じる。
「まだしばらくは僕も忙しいから、ちゃんとおとなしくしてるんだよ」
「俺も出来ることならそうしとく」
短く答えると俺の体は青空へ浮いていく。
神様に見送られながら、俺はギルニウスルームから目覚めた。
✳︎
目を開けるとまず自室の天井が目に映る。
何だか体が怠いし、節々が痛い。
頭もなんだかボーッとする。
そういや神様が、俺は風邪引いて寝込んでるって言ってたっけ。
「あら、クロちゃん目が覚めた?」
声をかけられ顔を向けると、ベットの傍に椅子に腰掛けながらユリーネがこちらを柔らかい笑顔で見守っていた。
「お義母さん?」
「あなた、禁断の森から帰って高熱を出して三日間も寝込んでたのよ?」
「……ごめんなさい。心配かけて」
「もう散々怒ったから許します。でも、元気になったら村の皆にも謝りましょうね」
「はい。必ず」
ユリーネに怒られた記憶が全くないんだけど……そもそも三日前に森から戻ってきた後の記憶がかなりあやふやだ。
ジェイクに助けられた所ぐらいまでは覚えてるんだけど、その後どうやって家に帰って来たんだっけ?
「そうだお義母さん、フロウは?」
「フロウちゃんなら、あなたと同じで高熱出してお休みしてるらしいわ」
「あぁ……やっぱり」
「その顔、原因に心当たりがあるわね?」
「えぇ、魔物から逃げる為にちょっと」
どう考えても大量の水の魔法作って、その中に入った時だよなぁ。
俺だけならとにかく、フロウにまで熱を出させてしまうとは申し訳ない。
「クロちゃん。あまり無理はしないでね?養子とは言え、あなたは私たち家族の息子なの。もしあなたに何かあったら、私もお父さんも悲しいわ」
「わかってます。ごめんなさい」
ユリーネに謝ると、また頭がボーッとして眠気が強くなっていく。
大きく欠伸をすると、ユリーネは俺の頭を撫でてくれる。
「まだ眠いでしょう。ちゃんと寝て、早く元気になりましょうね」
「……はい。おやすみなさい」
「おやすみ。クロちゃん」
暖かな手に撫でられながら深い眠りに落ちる。
その日はとても心地の良い夢を見れた気がした。
俺が風邪を治して完全復活するのは、その二日後である。




