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第三十二話 くもはながれる


「フロウ、こっちだ!」


 左手で握りしめたフロウの手を引き寄せる。

 飛びかかり、糸を飛ばし、毒液を吐いてくる蜘蛛の群れを相手に俺はフロウを守りながら戦っていた。

 すぐにでもこの空間から逃げたいのだが、倒しても倒しても蜘蛛たちはまたぞろぞろと現れて一向に減る気配がない。

 自分たちの卵があるせいか、蜘蛛たちもそんなに派手な動きはして来ないが、このままだと俺はすぐにやられてしまうだろう。

 一応一つだけ脱出できる方法は思いついたけど……


「あんまりやりたくないんだよなぁ……」

「ク、クロくん?」


 抱き寄せたフロウを見る。

 俺一人ならここからすぐに出られるだろうけど、フロウを置いてなんていけない。

 かと言って、このまま戦い続けてもジリ貧なのは変わらない。

 なら、やるしかねぇよなぁ。


「フロウ、俺の背に回ってガッチリと俺に掴まれ」


 フロウを背中に回し、両手で俺の腰に掴まらせる。


「どうするの!?」

「ちょっと無茶する。舌噛むなよ!」


 空いた左手をポケットに突っ込ませ、可能な限りの木の実を拳に握って取り出す。

 これは全て神様が持ってきてくれたマナの実だ。

 マナの実は一つ食べれば、体が失ったマナを元に戻そうとして、空気中に漂うマナを急速に取り込む。

 だが一度にこの実を多量摂取すると、体がマナを限界以上に吸収しようとし吐き気やマナ酔いを起こす。

 下手をするとマナの過剰吸収に体が耐えられずに、内蔵が損傷したり、体が破裂するなんて言われている。

 正直言えば怖い話だが、俺は今それを試そうとしている。

 手に持ってるマナの実の数は四つ。

 これを一度に摂取したら、どうなってしまうか分からない。

 でも、俺の考えが間違ってなければここから脱出できるはず。

 迫る蜘蛛を前に、俺の背中に張り付き震えるフロウに振り返る。

 不安げな瞳をした彼女に笑ってみせた。

 

「心配すんなフロウ。お前は、必ず俺が守ってやる」

「──クロくん」


 左手に握っていたマナの実を全て口の中に放り込む。

 全ての実を奥歯で嚙み潰し飲み込んだ。

 その瞬間、体に変調が起こる。

 全身の毛が逆立ち、手足が震え、寒気を感じ、視界がボヤけ、頭に霧がかかったかのように思考が鈍くなる。

 体の奥から何かが開くような感覚がし、全身にマナか溢れかえった。


「ぐ、おォォォォ……!」


 手足の感覚が遠のいていく。

 胸の奥が焼けるように熱い。

 腹の中で何かが混ざり合い溶けるような錯覚を覚える。

 予想以上にマナを吸収する量が多い、意識が持っていかれそうになる。


「が、あぐ、がぁ!」


 目の前が白く染まっていく。

 そして、俺は──


「クロくん!」


 フロウが俺は名を呼ぶ声を耳にした。

 そうだ、俺には守るって約束した奴が後ろにいるんだ!

 まだ若いんだから、多少の無茶もやって見せろよ!

 俺の体ァァァァ!!


「イ……グ、ゾォォォォ!!」


 全身に力を込めて踏ん張る。

 体内ではち切れんほどの渦を巻き誇大化するマナをコントロールしようとする。

 マナの過剰吸収でこの症状が起きるなら放出し続ければいい。

 だがこの状態では、意識を集中させることも魔法を使うイメージもできないだろう。

 でも俺にはマナの用途をイメージしなくても使える魔法がある。

 この世界に転生した時に神様から貰った、地味で使い所がイマイチ分からないけど便利な物が!

 両眼に意識を少しづつ向け、マナを流し込む。

 それに呼応し、右の濃褐色の眼と左の青色の眼が熱くなり光を帯びる。

 初めてマナを込めて両眼を覚醒させる。

 その眼にはいつもよりもはっきりとした世界が見えた。

 よし、上手くできたぞ!

 まだ体の調子は悪いが、これならやれる!


「フロウ、飛ぶぞ!」


 俺は迫ってくる蜘蛛たちを無視し、


「風よ!」


 風属性の魔法を使い空高く飛んだ。


「うわぁぁぁぁ!?」

「口閉じてろ!舌噛むぞ!」


 突然空を飛んでフロウがパニックになっているが、口を抑えてやる暇はないので放っておく。

 空を飛んだ俺たちを蜘蛛が凝視する。

 天井や壁に張り付いている蜘蛛たちも俺たちを見て飛びつこうと身構えていた。


「でも、それ分かってるのよね!」


 俺は別にこのまま天井をぶち破って外に出ようとした訳ではない。

 このまま外に飛び出してもこいつらはきっと追いかけてくる。

 でも、ここで出来る限り魔法で巻き込んで俺たちもこの空間から脱出する方法がある。

 空を飛んだまま両手にマナを込める。

 どれだけの大量のマナを込めても、マナの実のおかげで全くマナ切れが起きる気配がない。

 むしろ込めた分を取り戻そうと尋常じゃないスピードで体がマナを取り込み続けている。

 取り込んだマナをまた両手に込めると、無くなった分がまた体内に戻る。

 俺はそれを何度も繰り返し、両手がマナで破裂しそうな程の量を練り上げた。


「しゃあ、行くぞ虫どもォォォォ!!」


 限界までマナを込めた両手を広げて壁に張り付く蜘蛛たちに構える。

 そして──


「水よ!大蛇となれェェェェ!!」


 大蛇の姿を模した水を両手から放った。

 放たれた水の大蛇は壁に向かって突進し、張り付いた蜘蛛たちを壁から引き剥がしながら地面へと流れ落ちる。

 俺の両手からは止め処なく水が勢いよく噴出され続け、みるみる地面は水に浸水し、水に飲み込まれた蜘蛛たちが通路へと流されていった。

 俺がマナを放出し続けているので水も止まらない。

 落下しながらも俺が出す水は木の内部に溜まっている。

 この中に入れば、たぶん外まで水によって流し出されるはずだ。


「フロウ、お前泳げるか!?」

「え、およぐ!?なにそれ、どういうこと!?」

「だよなぁ……じゃあ息止めて、しっかり俺にしがみついてろ!離すなよ!」


 マナの放出を止める訳にはいかないので両手から水の魔法を噴出したまま洪水の中へと飛び込む。

 さすがに真冬とあって水中は凍えるほど冷たい。

 水中の中では通路へと水が流れ出しており、飲み込まれた蜘蛛たちも次々と通路へと流れ出している。

 俺は手から噴出している水の勢いを強くし、それを反動に水中を移動する。

 勢い良く流れる水流に身を任せ外を目指す。

 両眼の力は今でも継続中なので、通路の先がどこに続いているのかも分かる。

 時々軌道修正しながら流され続けていると、蜘蛛たちと一緒に木の中から流され空中へと放り出された。


「きゃぁぁぁぁ!」

「うぉぉぉぉぉ風ェェェェ!?」


 突然外へと飛び出して驚く。

 地面に激突する前に咄嗟に風属性の魔法を使って突風を起こし、体を浮かばせ勢いを殺してから地面に着地した。

 しばらく水中にいたので思い切り空気を吸う。

 冷えた風が肺の中まで流れ、水に濡れた体が余計に寒く感じた、


「はぁ、はぁ、はぁ……生きてるかフロウ?」

「う、うん……生きてる」

「そうか、生きてるな俺たち」


 よくやくあの最悪な蜘蛛の巣穴から脱出できた。

 外はまだ陽が昇ってないらしく、森の中は暗かった。

 脱出できたことに安堵し、今までの恐怖を搾り出すように俺は深く息を吐き出す。


「ふぅ……ウォータースライダーみたいで楽しかったな!」

「どこが!?ワタシ、すっごく怖かったよ!!」

「え、そう?」


 俺は久しぶりにスリルあるアトラクションを体験した感じで結構楽しかったんだけど、フロウはお気に召さなかったみたいだ。


「でもクロくんは大丈夫なの?すごいたくさんマナを使ったけど」

「マナの実たくさん食ったから大丈夫だ。それに何だかすごく身体の調子がいいんだ」


 マナの実を食べた後からずっとマナを使い続けていたからか、先ほど感じたマナ酔いは全くない。

 むしろ身体の調子がすごくいい。

 この世界に来てからこんなに絶好調なのは初めてだ。

 とにかく、これで外に脱出は出来た。

 今度はこの禁断の森から脱出しないと。


「ギィィィィ!!」


 突如として蜘蛛の鳴き声が聞こえる。

 振り返ると巣である大樹から洪水によって流し出された蜘蛛たちがあちこちで鳴き声を上げていた。

 どの蜘蛛も皆一様に地面に転がっている無数の白く丸い割れた物体を見て鳴いている。

 その姿はまるで嘆き悲しんでいるかのように見えた。

 その様子を見ていたフロウも異常な光景に怯えている。


「な、何あれ?」

「嫌〜な予感がする」


 あの丸くて白いのって、確か蜘蛛の卵じゃなかったっけ?

 俺が水の大蛇作って水没させた部屋は、確か蜘蛛の卵を保管してた場所だったはずだ。

 てことは、あの卵は水流に巻き込まれてそのまま流され、外に流された拍子に地面に落ちて割れたのだろう。

 嘆き悲しんでいた蜘蛛たちが一斉にこちらを向く。

 赤く丸い大きな八つの眼が、憎悪に満ちかのよう赤黒く染まり輝いている。


「ク、クロくん。あれ、もしかして怒ってる?」

「もしかしなくても怒ってるよアレ!」

「ギィィィィィィィィ!!」


 卵を壊され蜘蛛たちが激怒している。

 赤黒く染まった八つの眼が俺とフロウを捉えている。

 そして蜘蛛たちが一斉に頭部を上向きにする。


「ヤッベェ!それは洒落にならねぇぞ!」


 あいつら俺たちに毒液を吐くつもりだ!

 あんな大勢の蜘蛛から一度に毒液を浴びたら跡形もなく溶ける!

 逃げようと後ろに踏み出すとバシャリと水の音が聞こえる。

 足元を見下ろすと、大樹から俺たちの足の下まで地面が水浸しになっていた。


「フロウ、もう一回飛ぶぞ!」

「え、わっ!」

「風よ!吹き荒べ!」


 フロウの体を抱きかかえ後方に飛びながらもう一度突風を起こす。

 俺たちの体は水浸しとなった地面から遠く離れるが、蜘蛛たちは逃すまいと毒液を吐き飛ばしてきた。

 だが不思議なことに、飛んでくる毒液がとてもゆっくり飛んで来るように俺の眼には見える。

 どの毒液がどこから飛んできて、体のどこに浴びてしまうかも予測できるほどに。

 どうしてこんなに世界がゆっくりと見えるのか分からない。

 でもこれなら、あの蜘蛛たちを攻撃した後も対処できる!

 右手にマナを込める。

 まだ体は異常な速度でマナを吸収してるので一撃を喰らわせるのには十分だ。

 イメージする。

 あの蜘蛛たちを一度に葬り、大樹を裂き焼き焦げるほどの威力を持つ雷を。

 

「雷よ!落ちろォ!」


 右手を振るい雷属性の魔法を使用する。

 俺はまだ雷属性の魔法をコントロールできない。

 だから雷を狙った場所に落とす事ができないのだ。

 でも今回は確実に狙った場所に落とせる自信があった。

 だって、雷は高い所に落ちる性質があるのだから。

 雷鳴と共に空から雷が落ちる。

 付近で一番背の高い木である蜘蛛たちの巣に雷は直撃した。

 一瞬目の前が白く染まり、轟音と共に大電流が流れ大樹が真っ二つに裂け燃え上がる。

 大樹から流れ地面に満ちていた水にも電流が走り、脚が水に接し全身が濡れていた蜘蛛たちは高圧の電流に襲われた。

 宙に逃げていた俺もフロウもその電流に襲われることなく安全な場所に着地する。


「土よ!壁となれ!」


 地面に着地した瞬間に土属性の魔法を使って足元の土を壁として突き立せる。

 俺たちに降り注ぐはずだった毒液は全て土の壁に阻まれ、俺たちを溶かすことはできなかった。


「ふぅ……なんとかなったぁ!」


 今日何度目かも分からない安堵の声を出す。

 壁から顔を出すと、蜘蛛の巣となっていま大樹は雷により真っ二つに裂け燃え盛っており、その下にいた蜘蛛たちは全て電流によって感電死していた。

 身体から湯気を出しビクビクと脚を痙攣させている。

 鼻につく焦げ臭さを我慢しながら俺とフロウは毒液が付着した壁から離れた。


「お、終わったの?」

「……みたいだな」


 雷によって火事となった蜘蛛の巣であった木からは蜘蛛たちが出てくる様子はない。

 おそらく水流の中で感電死したのだろう。

 これでもう、この森に蜘蛛の魔物はいないはず。


「よし、フロウ。一緒に家に帰ろ……」


 家に帰ろうとフロウに振り返り、俺は気づいてしまう。

 茂みのあちこちに無数の赤黒い光が見える。

 それは俺たちを取り囲むように木の上からも見下ろしていた。

 俺たちは、数百の蜘蛛に囲まれてしまったのだった。

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