第三十一話 夜の蜘蛛は親でも殺せ
フロウ・ニケロースは目覚めた瞬間、自分がどこにいるのかわからなかった。
どこかの穴の中で寝かされていて、誰かが寒くないようにと上着をかけてくれたことは理解できた。
「ワタシ、どうして……」
フロウが覚えているのは禁断の森に立ち入ったところまでだ。
屋敷へと帰宅中にカーネ・モーチィたちに遭遇した。
カーネたちはフロウを虐め為に待ち伏せしていたのだが、フロウは度胸試しをすると宣言したのだ。
いつまでもクロノスの影に隠れてはいられない。
彼のように強く変わりたいと思い、クロノスや大人たちに絶対に近づくなと言われた禁断の森に入ってしまったのだ。
カーネたちが禁断の森へ出入りしているのは知っていた。
クロノスとレイリスに助けられた日、カーネたちに禁断の森に入り度胸を見せろと迫られたのだ。
だが臆病だったフロウはそれを拒んだ。
結果三人がかりで虐められることになったのだった。
しかしそれがきっかけでクロノス、レイリスと友達になれた。
二人は強く、いつもフロウを守ってくれた。
レイリスから魔法も少し教えてもらったし、クロノスからは剣術についても少し教えられた。
それは子供が遊びで使うレベルの技術しか教わらなかったのだが、フロウは二人のおかげで自分が前よりも強くなったと思えたのだ。
だからカーネたちの挑発に乗ってしまったのだ。
自分の大切な友達を馬鹿にするカーネたちに腹を立て、度胸試しをしてみせると啖呵を切ってしまった。
でもその結果、禁断の森に棲む魔物に襲われてしまったのだ。
それは本当に一瞬の出来事だった。
森に入って歩いていたらいきなり襲われ、悲鳴を上げる間も無く糸に絡まれ、訳も分からないまま繭に包まれ目の前が真っ暗になり、カーネたちの声が遠くなった。
その時になってカーネたちに置いていかれ、これから自分は魔物の餌となってしまうことに気づき、気を失うまで泣き続けた。
ただただ恐ろしかった。
魔物か現れても、魔法を使えば何とかできると思い込んでいたのだ。
でも実際には、何もできずに捕らえられてただ泣き叫ぶことしかできなかった。
領主の家の子として自らを情けなく思う。
どうしてワタシは、クロノスの様に上手くできないのだろうと。
「だ、誰か……いませんか?」
暗闇の中で声を出す。
フロウにはクロノスの持つ『夜目が効く』目がないので、完全な暗闇の中で目が覚めた。
だが魔物に捕まった時と違い、手足か自由で上着までかけられていたので、誰かが助けてくれたのだと思ったのだ。
しかし返事は返ってこない。
かけられた上着の大きさが自分の背丈とそう変わらないのに気づく。
「もしかして……クロくん?」
クロノスが助けに来たのだろうか?
彼ならば禁断の森でも魔物たちを掻い潜り、自分を助けることもできるだろう。
そう考え、フロウは立ち上がるとクロノスが隠れ場として作った横穴から出てしまう。
「クロくん?どこ?」
クロノスを呼びながら暗闇の中を歩く。
すると背後の穴から音が聞こえた。
「クロくん?そこにいるの?」
フロウは恐る恐る歩き、音の聞こえた背後に振り返る。
だがそこにいるのはクロノスの姿は無く、八つの目の赤い目が光っていた。
巣穴を巡回していた蜘蛛に見つかってしまったのだ。
フロウと蜘蛛の目が合う。
その瞬間、フロウは自分が襲われた時の事を思い出す。
糸を吐き、赤く大きな目で自分に襲いかかってきた魔物の姿を思い出す。
「あっ、あぁ……!イヤァァァァァ!!」
フロウの悲鳴が洞窟内に木霊する。
それと同時に蜘蛛はフロウへと襲いかかった。
✳︎
クロノス視点
フロウの悲鳴を上げる数十分前──
「来てる来てる!後ろから来てる!」
「わかってるよ!土よ!」
尿意を済ませてフロウの元に戻ろうとしていた俺とリス神様は蜘蛛の群れに追われていた。
背後から迫る蜘蛛の群れから逃げ一定の距離まで離した所で、振り返りマナを込めた左手を地面に叩きつける。
土属性の魔法で迫ってくる蜘蛛たちを分断しようと通路に壁を作ったのだが、間に合わず二匹の蜘蛛が壁が生成される前にすり抜けて迫ってきた。
迫る一匹が天井を這って先回りし退路を塞ぐ。
俺は蜘蛛二匹に挟まれる形となってしまった。
蜘蛛はじりじりと脚を伸ばし俺との距離を縮めてくる。
「おい神様、あんた何か魔法使えないのかよ」
「無理だよ!僕今リスだもの!」
「ほんっと戦闘面じゃ役に立たないなあんた!」
戦闘を避けるのは無理そうなので諦めて腰の剣を引き抜く。
もう一度土属性の魔法を使って、通路に新しい道を作るのも考えたが、それをやって別の道でまた蜘蛛に見つかったら元も子もない。
左右の蜘蛛が体を起こす。
あの糸を警戒し、俺は左手にマナを込めてまた糸を風で吹き飛ばしてやろうと──
「違う!毒液だ!」
肩に乗っていたリス神様が叫ぶ。
右側の蜘蛛が起こしていた体を下げて走り出す。
左側にいた蜘蛛が腹ではなく頭を突き出して、口から紫色の液体を吐き出した。
俺は神様の声で咄嗟に身を屈め倒れながら、マナを込めていた左手を頭の上で振るう。
「風よ!」
風属性の魔法で頭上に強風を作りだす。
左側から吐き出された毒液は風の流れに沿って、俺の頭上を飛び越える。
そのまま毒液は反対側へと飛来し、右側から迫っていた蜘蛛の全身に降り注いだ。
「ギィィィィ!!」
毒液を全身に浴びた蜘蛛が苦しみ悶える。
その身体が毒液により肉が解け始め地面に倒れる。
「あっぶな!神様ナイス!」
「まだ左から来てる!」
毒液を吐いた蜘蛛が接近してくる。
俺はまだ地面に倒れたままで、体勢を立て直していては間に合わない。
「ならこれで!」
身体を転がしながら右手にマナを込めて剣を投擲する。
投擲された剣はマナを帯びたまま、突進してきた蜘蛛の頭部に突き刺さった。
「ギィィ!」
「火よ!燃え上がれ!」
右手に残したマナを火属性への魔法へと変換させる。
それに呼応し、剣に宿ったマナも火属性の魔法へと変換され発火し、蜘蛛の身体が燃え上がった。
「ギィィィィ!?」
突然身体の内と外側が火に焼かれ悲鳴を上げる蜘蛛。
しばらく地面でのたうち回る蜘蛛だったが、全身を火で焼かれ絶命し動かなくなる。
俺は水属性の魔法を燃え上がる蜘蛛にぶっかけると剣を引き抜いた。
「ふぅ、何とか勝てた」
「お疲れ様。やるじゃないか」
「これでも騎士目指して頑張ってたんだ。半年前よりかは強くなってるよ」
「その割に剣は一回しか使わなかったけどね」
「リーチが短いから仕方ないだろ」
俺が持ってるのは子供用の短い剣だ。
こんなので大人のふた回りも大きい魔物に剣が届く範囲で戦うなんて無理だろ。
「しかし、まさか毒液飛ばして来るとはなぁ」
先程毒液を全身に浴びた蜘蛛に歩みよる。
毒液を浴びた部分は今でも溶解を続けており、だんだん蜘蛛としての原型がなくなりつつある。
相当強力な毒らしく、わずかに湯気が立ち込めていた。
「これ、死んでるよな?」
「うん。僕がいたことに感謝しなさい。そのおかげで避けられたんだから」
「感謝はしてるよ」
実際神様がいなかったら、俺はあの毒液を風属性の魔法で防ごうとしただろう。
それで完璧に毒液を吹き返すことができたかは分からないが、もし防げず体に浴びてたら今頃死んでただろうな。
「蜘蛛って毒液を口から飛ばすんだな」
「普通のは出さないよ。魔物はベースとなった生き物とほとんど同じ構造で出来てるけど、少しだけ違うところがあるんだ。だから普通の蜘蛛なら出来ない口から毒を吐くなんてことができるんだよ。まぁ、蜘蛛が毒持ってるって知ってれば予測できたかもしれないけど」
「俺の勉強不足ですね。へいへい」
前に見た口裂け狼も普通の狼とは違う魔物だからこそ口が裂けるなんて構造してたってことか。
今度から魔物についての勉強もしとこ。
すっかり時間かかちまった。
早くフロウの所へ戻ろう。
「イヤァァァァァ……!!」
「悲鳴!?」
洞窟内に悲鳴が響き渡る。
聞こえてきた俺が隠し穴を作った方角だ。
まさかフロウが!?
「相棒!」
「わかってる!」
蜘蛛の死骸を飛び越えフロウの元へ急ぐ。
途中の突き当たりで、蜘蛛たちに追いかけられるフロウの姿が見えた。
「フロウ!」
名前を呼ぶがフロウは俺の声に気づかずに走り去ってしまう。
てかフロウのやつ、俺たちが脱出してきた道を逆走してなかった?
あっちって何があったっけ!?
「あ、待った相棒!ダメだダメだダメだ!」
「何だよ神様!?フロウが追われてるんだぞ!?」
「あっちにあるのは──あっ」
肩で騒いでいたリス神様がプツンと糸の切れた人形のように動きを止め、俺の肩から地面に転げ落ちてしまった。
「神様!?どうした!?」
それを見て慌てて足を止める。
地面に倒れたリス神様はバッ、と身体を起こすと俺を見て、
「きゅう」
きゅう?
何突然可愛らしい鳴き声出してんだあの神様?
え……ちょっと待って、鳴き声?
「あ、あの……神様?」
俺が声をかけるとリスは逃げるように走り出す。
いや、文字通り逃げたのだ。
人間の俺から……
「ああああああああああ!?最悪だァァァァ!!」
ギルニウス神様がリスからログアウトしましたァァァァ!!
ウッソだろこのタイミングでかよ!!
前回も大蛇に鉢合わせしたらネズミの体から追い出されたって言ってけど、今回も追い出されたのかよあの神様は!?
じゃあこの先はもしかして、あの蜘蛛の卵があった場所か!?
「だぁぁぁぁもうちくしょォォォォ!!」
俺は最悪の展開に怒りを露わにしながらフロウを追いかける。
こうなったらもう俺一人の力でフロウを助けるしかない。
フロウと蜘蛛の後ろを追いかける。
悪い予感は的中し、フロウが逃げた先はあの大量の蜘蛛と卵が保管されている空間だった。
大量の蜘蛛が蠢く中でフロウの悲鳴ご聞こえる。
「嫌、嫌ァァァァァ!!」
「フロウ!どこだ!?フロウ!」
悲鳴を上げるフロウを呼ぶが、蜘蛛に囲まれてパニックを起こしているせいで俺の声が届いてないらしい。
だが蜘蛛だけは俺の存在に気づいており、壁や天井にいたのが糸を垂らしてどんどん降りてくる。
このままじゃ俺もフロウもまたあの繭に閉じ込められて逆戻りだ。
「仕方ないか!風よ!」
全身にマナを込めて風属性の魔法を発動させる。
跳躍すると足元から風が巻き起こり、俺は高く飛び上がる。
蜘蛛の大群を飛び越えると、その中央でフロウが蜘蛛たちに囲まれて座り込んでいた。
俺はフロウの元へと落下しながら両手にマナを込める。
「もう出し惜しみなんてしてらんねぇ!氷よ!降り注げ!」
両手に込めたマナを宙に拡散させる。
空気中の水分を凝縮し無数の氷の槍を作り上げた。
それは地面に向かって降り注ぎ、地面にいた蜘蛛たちに突き刺さる。
それを見届けながら俺はフロウの前へと降り立つ。
結構な高さから降りたせいで着地した時足の裏に激痛が走る。
「ぐぬ!くぅ……!フ、フロウ、大丈夫か!?」
「……ク、クロ、くん?」
フロウが信じられないものでも見るかのような顔をしている。
だがそのやり取りの間にも蜘蛛たちはゾロゾロと増えていき、目の前が蜘蛛たちで溢れかえる。
正直吐きたくなるほど眼前の光景は気持ち悪い。
でもここで死にたくはない。
まだこの世界に転生してきてまで掲げた目標を達成できていないのだ。
「フロウ、俺から離れるなよ」
左手でフロウの手を握り、右手で剣を構える。
「来いよ蜘蛛ども。俺は簡単には死なないぞ。俺はなぁ──童貞卒業するまで死ねねぇんだよ!!」
目の前の化け物どもに啖呵を切る。
その意味が蜘蛛たちに通じるなんて思っちゃいない。
襲いかかる蜘蛛たちに俺は剣を突き立てた。




