第二十九話 夜の蜘蛛は縁起が悪い
暗闇の中で意識が覚醒する。
何にもない世界を前に、また夢の中なのかと思ったが、これ夢じゃねーわ。
「風よ……」
体内に少しだけ戻りつつあったマナを使い、自分の周りに風を巻き起こす。
イメージは鎌のように切り裂く風。
すると何かが裂ける音と共に俺の体が落下する。
「痛……くないわ」
頭から落ちそうになり慌てて体勢を変えたが、どうやら落ちた先が柔らかかったみたいで痛みを全く感じなかった。
体を起こして辺りを見回す。
高い天井から無数の繭がぶら下がっている不気味な空間に俺はいた。
「えーと、確か俺は」
意識を失う寸前までの出来事を思い出そうとする。
禁断の森に入り蜘蛛の魔物に襲われ、レイリスを逃がすのに成功はしたけど、俺だけが捕まってしまったんだ。
「しかし、なんだここは」
頭上に見える無数の繭を見て眉間にしわを寄せる。
繭は全て天井からぶら下がっているのだが数が多すぎる。
数百を超える繭が糸で吊るされているのだ。
その中に一つだけ割れて中身のない繭を見つけた。
俺はあの繭の中に入っていたのか。
「もしかして、この全部の繭の中があの蜘蛛の魔物に餌として捕まった生き物なのか!?」
だとしたら、この中にフロウがいるかもしれない。
俺はフロウが閉じ込められている繭を探す為に壁をよじ登り、天井から糸によってぶら下げられた繭を一つ手繰り寄せる。
繭の粘着性のある不快な手触りに我慢しながら、右手で腰に携えた剣を引き抜く。
中に何がいるのか分からないので、ゆっくり丁寧に糸を切り繭を開く。
初めに開けた繭の中にいた生き物と目が合う。
「うわぁぁぁぁ!」
悲鳴を上げて俺は再び地面に落ちる。
繭の中にいたのは鹿だった。
鹿ぐらいで驚くなんて笑われるかもしれないが、繭の中にいた鹿が……溶けていたのだ。
頭も体も溶けて、鹿の目がこちらを見ていたのだ。
いや、もうきっと死んでいて、目がこちらを見たのではなく、ただ俺を映していただけなのかもしれない。
でも俺には目が動いたかのように見え、恐ろしくて悲鳴を上げてしまったのだ。
溶解した鹿の姿がフラッシュバックする。
恐怖で震えていると糸が切れる音が聞こえる。
頭上を見上げると、俺が開けた繭が割れ、中に入っていたのか溶解した鹿の死骸が落ちてきた。
「う、うわ、あぁぁぁ!」
それを見て悲鳴を上げながら逃げる。
先ほどまで俺がいた場所にドロドロに溶けた鹿の死骸が一面に広がる。
溶解した肉の中に臓器や目玉も見えて、俺はその光景に嘔吐した。
「うぷっ、おえぇぇぇぇ!」
夕飯に食べた物を口から吐き出す。
胃に入っていた物を全て吐き出すまで嘔吐し続けた。
嘔吐が静まり手の甲で口を拭う。
口の中が酸っぱい……頭がくらくらする。
気分は最悪だ、早くこんな所からフロウを連れておさらばしたい。
蜘蛛の生態はよく知らないが、あいつらは生き物を溶かして食うのか?
だとしたら、溶かすのはどうやって?
繭に包まれてると自然とああなるのか?
それとも蜘蛛の体内に体を溶かす毒液があるのか?
もし前者だとしたら、数時間前に捕まったフロウはもう……
「く、そっ!あきら、めるか、よ!」
おぼつかない足取りでもう一度壁によじ登り別の繭を切り開く。
その度に繭の中の生き物だった物を目撃し嘔吐しそうになる。
もう吐き出す物なんてないはずなのに、嘔吐感だけは毎回感じる。
それからどれだけの繭を開けただろうか?
もう嘔吐感すら感じなくなり始めた頃、ようやくフロウが入った繭を見つけた。
「探したぞ……フロウ……」
フロウは繭中で眠りについていた。
どうやら中で泣いていたみたいで頬が真っ赤だ。
体を確認するが、まだどこも溶けてはいなかった。
溶かされる前に見つけられてホッとする。
繭からフロウを引きづり出し地面にまた落ちる。
起き上がると目を覚まさないフロウを背負い、溶解した生き物たちの屍を踏み越え、俺はこのクソみたいな餌場を脱出する。
曲がりくねった穴の中を歩く。
マナ切れのせいで右眼の能力が使えず、薄暗い穴の中をただ歩き続ける。
途中で茂みを見つけその中で休憩することにした。
木の枝に引っかかりながら茂みに身を隠す。
腰を下ろし深呼吸すると、どっと疲れを感じた。
「あ〜……最悪な夜だ」
やはり禁断の森に入るべきではなかった。
あの抜け道を確認した時点でひきかえすべきだったかもしれない。
でもあそこで蜘蛛に捕まったからフロウを助けることができたのだ。
どちらを選べば正解だったかはわからないが、少なくともまだ二人とも生きていたことを喜ぼう。
だがここからどうしようか。
そもそもここはどこなんだ?
あの蜘蛛の魔物の巣だろうし、禁断の森の中であることも間違いない。
しかし、あの森の中にこんな空洞がどこにあるのだろうか。
「あーくそ、頭が回らねぇ」
さっき盛大に吐いたせいでまだ頭が回転してない。
マナ不足で体も怠い。
どうやって外に出よう、どうやって大人たちに自分たちの居場所を知らせよう……。
考えることが多すぎて、どうしたらいいかわからない。
「なんか食べ物持ってくりゃよかった」
何でもいい、とりあえず口に入れたい。
喉も渇いたけど、減ってしまった貴重なマナを使いたくない。
これから先何があるか分からないし、できれば緊急時用にマナを温存しなくては。
「あー、誰でもいいから何か食いモンくれー」
穴の中に俺の声が響き渡る。
言っても無駄だとわかってはいるけど、愚痴をこぼさずにはいられないのだ。
すると、上に続く坂道から何か音が聞こえる。
それは次第に音を大きくしながら俺たちの方へとやってくる。
最初は蜘蛛かと思ったが音が違った。
コツン、コツンと坂を転がり小さいな物体がやってくる。
何だろう?と思いながらそれを受け止める。
手にしたそれは小さな木の実だった。
「これ……マナの実か?」
手に入れた木の実はエルフの集落で長老から貰ったのと同じマナの実だ。
こちらの方がサイズが小さいが間違いない。
「でも、なんでマナの実が」
森の中だしマナの実が実っている木があるのは分かるが、どうしてこんな場所に?
どこから木の実が落ちてきたのか疑問に思っていると、坂の上から次々と木の実が転がってくる。
それを追いかける一匹のリスの姿が見えた。
なんでリス?と思いながらも落ちてくる木の実を手で受け止める。
リスは俺の手を見ると走るのを止め、落ちていた木の実を一つ拾うと俺に差し出してきた。
「もしかして、今僕が救いの神に見える?」
俺は差し出された木の実を受け取り、
「すっごく見える!」
リスの体を借りた神様に俺は心の底から答えた。




