第百四十六話 妖精族の里①
何も見えない暗闇の中を、ただひたすらに走っていた。
一体何から逃げているのかさえ分からない。
自分が逃げているということだけは間違いない。
でもその正体は自分で理解していなかった。
走る、走る、走る、ずっとずっと前に向かって走り続け、逃げ続ける。
肺が酸素を求め、呼吸は荒く、心臓は激しく鼓動を打ち鳴らし、脳は欠如した酸素を求め止まれと警告している。
けれども俺は走るのを辞めない……止まることができない!
「クロノスゥゥゥゥ」
「小僧ォォォォ」
「お兄ち゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
突然背後からジェイク、司教、トリアの三人が追いかけてくる!
それは人の姿をしておらず、それぞれが最期を遂げた際の姿形で恐ろしげな声と上げている。
「来るな!来るなァァァァ!」
追いかけてくる三人に叫びながら足を動かし続ける。
だが疲労感か酸欠からか、足を持つらせ転倒してしまった。
小さく悲鳴を上げ、肩で息をしながらもすぐさま立ち上がろうとし、ガッと地面から伸びた手に両腕を掴まれる!
すると地面から黒い髪に脳褐色と青色の互い違いの瞳を持つ男が浮かび上がってきた。
その顔は俺と瓜二つで、男はニヤリと顔を歪ませる。
「は、離せ!やめろおおおお!」
掴まれた腕を振り払おうとしても、力が強すぎて振り解くことができない。
その間にもジェイクたちが背後から迫り、倒れ込むように背中から覆い被さってくる!
「「「人殺しがぁぁァァ!!」」」
「うわああああああああああああ!!」
✳︎
「あああああああああ!!」
悲鳴と共に飛び起きる。
全身にまとわりつく汗のせいなのか、今まで見ていた夢のせいなのか全身が酷く寒い。
手で顔を拭い荒い呼吸を繰り返していると、影山が部屋のドアを開け姿を見せた。
「目が覚めたか。また悪夢でも見たか?」
「はぁ……はぁ……影山、さん?ここは?俺は、どうして?」
見慣れぬ木造の部屋と草のベッド、屋外にいたはずなのに、気がついた時には屋内にいる。
寝起きの頭では理解が追いつかずに尋ねる。
「ここは『妖精族の里』だ。お前は森の中で迷い、そこで幻覚を見せられ、暴走しかけていた所を魔女に助けられたんだ。そこまでは覚えているか?」
「ええ……今回は、はっきりと……」
はっきりと自覚してしまえる程、あの時の感覚は覚えている。
肉体が自分の管理から離れ、誰かに奪われていく感覚も。
別の人間に意識も存在も塗り潰されていく感覚も。
自分という人格が、魂が、黒く染まり飲み込まれ堕ちていく感覚も……全てを鮮明に覚えていた。
堕ちる間際にティアーヌが、またその中から掬い上げてくれたことも。
「そういえば、ティアーヌさんは?」
「魔女は……別室で監禁されている」
「監禁!?どうしてそんなことに!?」
穏やかではない言葉に声を荒げる。
どうしてティアーヌが!?と驚愕していると「落ち着け」と影山に宥められた。
「魔女はお前を助ける時に淫魔の力を使用した。その現場を里の者が目撃していたんだ」
「そんな……じゃあ、俺のせいでティアーヌさんは……」
俺を助けたせいで監禁されてしまったのなら、それは俺のせいじゃないか!
「誤解を解いて、早く助けないと!」
「落ち着けと言っただろ。監禁されていると言っても拘束され拷問を受けている訳じゃない。ただ一室に入れられ、行動を制限されているだけだ」
「でもそれじゃあ、ティアーヌさんがあんまりじゃないですか!あの人はこの里の人に危害を加えたりなんか……」
「里の人たちはそうは思っていない。魔女の事情を知っている俺たちと彼らでは悪魔に対しての印象が違う。それにまだ優しい待遇だ。最初は殺されそうになったんだからな」
その時のことを思い出してなのか影山が小さく笑うが、全然笑えない。
「殺されそうにって……どうやって、折り合いをつけたんですか?」
「ティンカーベル王女が周囲を説得したんだ。『私の友達が信用している方なのなら私も信用します!』とな。結果、里に滞在している間は監視付きで一室に待機することとなった、という訳だ。お前が王女殿下に信頼されていたおかげだな」
影山に俺は返事を返せない。
その信頼をベルが寄せているのは未来のクロノスであって、過去からやってきた|クロノス(俺)ではない。
なんだか、騙しているような気がして後ろめたさを感じていると、気の沈む俺の背中を影山に思い切り叩かれた。
「気に病むのは構わないが、それで魔女の監禁が解かれる訳じゃない。俺たちの目的はティンカーベル王女殿下に同行を願い、難民キャンプやイトナ村の人たちに生きる希望を与えることだ。同行の許可が出れば魔女も解放される。それが最短だ」
「そう、ですね。わかりました」
影山の意見に同意し頷く。
確かにそれ以外でティアーヌを外に出す手段はおそらくない。
ならば少しでも早く彼女を解放できるように努めることしか、今の俺にはできない。
「話は変わるが坊主、お前またあの黒い化け物の姿になりかけていたらしいな。森で何があった?」
影山の質問に顔を伏せ、無言となる。
思い返されるのは森の中で見たジェイク、トリア、司教の三人。
人殺し。
その言葉が俺の胸に今も深く突き刺さっている。
確かに俺は司教と戦った時に彼を殺めた。
でもあれは事故であって、俺が故意に起こした訳じゃない。
それにトリアとジェイクの時だって、俺は……
「まぁ、言いたくないのならそれでも構わん。人に聞かせたくないこともあるだろう」
黙り込んだままでいると影山は何かを察したのか、それ以上聞くのを止めてくれる。
「だがこれだけは心に留めておけ。迷いの森は心に迷いのある者が入り込むと、|その者がもっとも深く抱える迷い(・・・・・・・・・・・・・・・)となって森に閉じ込めるそうだ。お前が森で見た物は、お前が一番恐れていることだ」
「俺が、恐れていること?」
じゃあ、あれは俺の心が俺を人殺しだと責めているってことなのか?
だとしたら、あの光景の意味がわからない。
司教の死については理解できるが、ジェイクとトリアの死に関しては俺が手を下した訳でもないし、望んだことでもない。
じゃあ一体……俺の心は俺の何を責めているんだ?
分からない……俺自身が、俺を責める理由が。
「坊主、考え込むのもいいが、起きたのならそろそろ王女殿下に謁見に行くぞ。先方はお前が目覚めるのを待ってから会うと約束した」
「わかり、ました」
「一度魔女の所にも会いに行くぞ。礼ぐらいは言っておけよ」
草のベッドから立ち上がり、先に部屋を出て行く影山の後に追いかける。
部屋を出た瞬間、俺は外の眩しさに手で顔を覆った。
目が光に慣れ始め、外の光景に俺は驚きのあまり目を見開く。
レイリスやニールたちの住むエルフの集落の様に、そこは木々に家を建てつけていたのだが規模が大きい。
巨大な木を中心に家々が橋で繋がっており、周囲は巨大な湖で囲まれていた。
空は暗雲で覆われており陽の光は刺すことがないはずなのに、ここでは木々の隙間から光が降り注いでいる。
地上では妖精族のエルフやアラウネ、フェアリーたちが穏やかな表情で生活を営んでいる。
「これが、妖精族の里……?」
あまりにも平和的な景色に目を疑う。
ここは魔王に侵略された時代とは縁遠い世界。
そう思わせてしまうほど、笑顔と光に満ちた場所だった。
次回投稿は来週日曜日です




