第百四十五話 森に喰われる②
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深い霧に包まれた森の中で深きものに包囲されてしまう。
人の姿をし、魚と蛙とも似つかぬ頭、テラテラと光る鱗のを持ち、ヒレと水掻きの生えた生物。
かつてライゼヌスのインスマス教会で見た化け物だ。
でもなんでディープ・ワンがここに!?
もしかして、これもトリアと同じで偽物なのか!?
『────!』
『────!』
ディープ・ワンたちが口を動かし何かを話し合っているかのように見える。
だが俺にその言葉は聞こえない……と言うより理解できない。
全く聞き覚えのない、この世界の物ではない言語で話しているからだ。
何より、理解してはいけないと俺の中の何かが警告している。
『──!──!────────!』
突如としてディープ・ワンたちが一斉に口を開け何かを叫ぶ。
ただでさえその見た目は不気味で悍ましく、目にするだけでも不快感が強いのに、ディープ・ワンたちの声は俺の頭に強く響き渡り、まるで粘土でこねくりまわされるような奇妙な感覚と酷い吐き気に襲われる。
吐き気を無理矢理抑え込み、頭を振るい不快感を紛ら回す。
ディープ・ワンの群れは襲いかかっては来ないが、もしこれも偽トリアと同じ物ならば、早くここから離れないと危険だ。
倒せるかどうか分からないが、魔法で何体か倒して突破を!
「また、そうやって殺すのか小僧?」
ディープ・ワンたちの声が止み、年老いた男の声がする。
群れが割れ、俺の目の前に歩み出たのは、白いローブを身に纏い頭に歪な王冠を被るインスマス面の老人。
インスマス教会で司教をしていた……俺が、あの日初めて殺した人だ。
司教は生前と同じ姿で俺の目の前に現れた、やはりこれも偽物だ。
もしかしたらこの『迷いの森』は俺の記憶を盗み見て、俺の心に傷を負わせた人や魔物の幻を見せているのか!?
でも、幻なら打ち消せるはずだ。
ギルニウスは、俺が両眼の能力を同時に使うと、幻惑効果のある魔法を無効にできると言っていた。
この能力を使えば!
両眼にマナを込め、脳褐色と青色の瞳を光らせて能力を発動させる。
これで司教もディープ・ワンも、この森の幻も全部消えて──
「……消えない!?どうして!?」
両眼を発動させているのに目の前の司教たちが消えない!
それどころか、視力が向上するはずなのにその効果もない。
見えているのは何も変わらない風景だけだ。
両眼の効力が発揮されずに狼狽えている俺を見て、司教が微かに笑う。
「ククク、消えない?消えるはずがなかろう!貴様は最初から、我らのことを見てはいないのだから!」
「見て……ない?」
「貴様は自らが犯した罪から目を逸らし、それを忘れようとしている。いや、既に忘れている。小僧ォ!思い出せ、我を殺した時のことおおおお!」
叫びとともに司教の顔が変化し、整っていた顔が急激に歪み始めた。
蛙が潰れたような声を出しながら変形していくその表情に恐怖と共に、記憶の奥底に抑え込んでいた光景が蘇る。
深海の海底で司教と戦った時、瓦礫に潰され死んでいたのを見つけた時と同じ表情。
「ひっ……!」
ひしゃげた顔の司教に小さく悲鳴を上げ後ずさる。
思い出されるあの日、初めて人を殺したという事実に恐怖した感情が蘇る!
「小僧ォォォォ!!」
凄惨な顔面のまま司教が近づいてくる!
そのあまりにも恐怖を駆り立てる姿に心拍が高まり、全身が震えてしまう!
に、逃げないと……ここから逃げないと!
「お゛に゛い゛ち゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛」
すぐ側からトリアの声がし全身の毛が逆立つ。
ディープ・ワンの隙間を縫うように全身を燃え盛るトリアが現れた!
「と゛う゛し゛て゛み゛す゛て゛た゛の゛お゛お゛お゛お゛!!」
「うああああああああああ!!」
怨みの篭った言葉でトリアが叫び、俺悲鳴を上げて二人の反対方向へ逃げようとする。
が、走り出した先で何者かと衝突する。
衝撃を感じるのなら、幻じゃなく実在する人!
影山かティアーヌが探しにきてくれたのか!
「探したぞ、クロノス」
男の声、なら影山か!と期待して顔を上げ──ぶつかった人物の顔を見て、俺は絶望する。
見上げた人物は望んだのとは全く別人だったからだ。
目の前に立っていたのは、俺を庇って魔王に殺されたジェイクだったのだ。
「と、とう、さ……!?」
ほんの僅か、死者を目にした恐怖よりも生きている父が目の前にいることに喜びが込み上げてしまう。
でもわかってる、このジェイクも本物じゃない!
この時代の彼はもう、死んでいるんだ!
湧き上がる感情を押し殺し離れる。
この森は悪趣味すぎる。
こんなものまで見せてくるなんて!
ジェイクの偽物は哀しみに満ちた表情で俺を見つめてくる。
「酷いじゃないか、クロノス。私はお前を守って死んだのに、墓標を前にしても涙一つ流さないなんて」
「俺は、涙を流さなかった訳じゃなくて、流れなかったんだ。どうしてかは、分からないけど……」
ジェイクの墓の前で俺は涙を流さなかった。
自分を守ってくれた父親の死を、悲しいはずなのに何も感じることができなかった。
「でもあの時俺はまだ頭が混乱していて、父さんの死も自分のことでさえ、気持ちの整理を付けることができなくて……」
「違うな。お前は、本当は私の死を悲しんでなどいない」
「え?そ、そんなことはない!俺は、俺を庇って死んだ父さんのことを
「頭ではそう思っているだけで、本心は違うだろう?それはお前が一番よくわかっているはずだ。何せ、お前自身が自らに施したのだから」
な、なんだ……?
ジェイクは何を言っているんだ!?
俺が父親の死を本心から悲しんで、いない!?
「ち、違う!俺はジェイクが倒れた時、あの時……俺はそれが原因でもう一つの魂に!!」
「ならば何故今のお前は何事も無く生きている。何故未だにクロノス・バルメルドとして生きている。分かっているだろう?お前は、本当はどうでもいいからだ!父親の死など、自分が生きてさえいればどうでも!!」
ジェイクの言葉に激しく動揺する。
自分のことしか考えていない、そう言われたからだ。
そんなはずはないと、大声を上げ否定したい。
できるはず、言えるはずなのに……俺はまごつくことしかできない。
どうして……
──図星ダカラダ
「っ!?」
頭の中に声が響き頭を抱える!
あいつだ、もう一つの魂だ!
──コイツラノ言葉ガ図星ダカラ、ダカラ反論モ否定モデキナイ
違う、違う!
俺は……俺は!
──司教トノ戦イデ、オマエハ司教ヲ殺シタ
違う、あれは事故だったんだ!
弾いた魔法が司教の杖に当たってそれで……!
「我を殺したのは小僧、お前だ。この人殺し!」
いつの間にか頭を抱える俺を司教、トリア、ジェイクが囲んで見下ろしている。
司教が俺を人殺しと罵られた途端、強烈な頭痛と全身が焼けるように熱い!
──本当ハ、トリアヲ助ケラレタハズナノニ、オマエハ見殺シニシタ
それも違う!
あの時、助けようと手を伸ばしたけど間に合わなくて!
「ひ゛と゛こ゛ろ゛し゛い゛い゛い゛い゛!!」
トリアにまで責め立てられる。
その瞬間、右腕と左足の自由が利かなくなり、あの黒いミミズが姿を現わす!
──父親ノ死ヲ、墓ヲ前ニシテ、オマエハ目ヲ逸ラシタ
「この人殺しッ!!」
ついにジェイクにまで人殺しと呼ばれ、左眼が焼け落ちるように熱くなり視界が濁る!
俺の意思とは関係なく、眼球が動き回り始める!
「うぐっ……!あがああああああああああ!!」
苦悶の声を上げ地面に膝を着き頭を抱えた。
三人は俺の頭上から「人殺し人殺し」と連呼し浴びせ続けてくる。
その度に黒いミミズの侵蝕が加速して行く!
以前見た時よりもペースが早く、もう右上半身と左下半身は感覚が無くなってしまってた。
「人殺し!」「ひ゛と゛こ゛ろ゛し゛!」「人殺しッ!!」
「あぐっ、グっウあアあア!!やメろ……!」
左腕と右脚が黒く染まる。
「人殺し!」「ひ゛と゛こ゛ろ゛し゛!」「人殺しッ!!」「人殺し!」「ひ゛と゛こ゛ろ゛し゛!」「人殺しッ!!」
「やメろ……!ヤメろォ……!!」』
指先の感覚が、もう無くなっていく。
「人殺し!」「ひ゛と゛こ゛ろ゛し゛!」「人殺しッ!!」「人殺し!」「ひ゛と゛こ゛ろ゛し゛!」「人殺しッ!!」「人殺し!」「ひ゛と゛こ゛ろ゛し゛!」「人殺しッ!!」
顔半分も全て侵蝕され、そして、
『「ヤめロおオおオオオオッ──ハハ、アハハハハハハ!!」』
俺の意思に反して口が開き、大笑いし始める。
もう自分の意思で肉体を動かすこともできず、だんだん右眼で見えていた視界さえも黒ずみ始め、何も……見えなく……
「クロ君!この香りを嗅いで下さい!」
どこか遠くで懐かしい声が聞こえた。
ふと漂う、甘く眠気を誘う香りが鼻腔をくすぐり、体の動きが一瞬止まる。
刹那、背中に軽い衝撃と柔らかい感触を感じる。
誰かが背に抱きついてきたのだ。
「《エナジードレイン》!!」
体を強く抱きしめられながら耳元で誰かの叫びが響く。
すると、体の力が急激に失われて行くのを感じた。
力も、マナも、感情さえもが吸われて行くような感覚に身を委ねると意識が遠のいて行く。
「良かった……間に合ったわ」
「クロ君、しっかりして下さい!クロ君!」
気を失う直前、誰かの話し声が聞こえる。
ボヤけた視界に、頭に花の咲いた少女が心配そうに覗き込むのを最後に、俺は瞼を閉じた。
クロノスが再び立ち上がるのはもうすぐ?
次回投稿は来週日曜日22時です!




