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第百四十二話 迷いの森の罠


 相変わらずの曇天の空。

 魔王ベルゼネウスが復活してから太陽を覆うように出現したと言う雲は、今日も陽の光を遮っている。

 おかげで朝も昼も周囲は暗く、闇を好む悪魔や魔物たちにとっては快適な環境であろう。

 だが俺たち人族にとっては違う。

 太陽が昇っているではあろう時間帯でも、平原は暗く不気味な雰囲気に包まれているせいで、昼か夜かも分かりづらい。

 そんな平原を馬車で移動する俺たちは魔物たちの恰好の餌食に見えるのだろう。

 難民キャンプを発ってからこの三日間、俺たちは魔物の襲撃を何度か受けてしまった。

 スケルトンや口裂け狼など、平原に生息する魔物は数多い。

 だけど……俺は未だに剣を手に戦うことができていない。

 剣を握る度にもう一つの魂が体を乗っ取ろうと活発化し、全身が震え役立たずとなってしまう。

 だからずっと、戦闘中は魔法で援護するか、盾を使ってティアーヌを攻撃から守っている。

 その行動だけは唯一、もう一つの魂が活発化しないからだ。

 と言っても、俺の魔法の熟練度は高くないしマナの薄いこの時代では大きな威力の魔法は使えないから足止めと牽制ぐらいにしか役に立っていない。

 そんな俺をティアーヌは「気にする暇があるのなら、魔法の技術を磨け」と焚き付けられる。

  影山に関しては以前の一件以来特に口出しをしてこない。

 俺がもう一つの魂に飲み込まれないようにする為にはどうしたらいいか?

 その答えを影山は、俺は既に知っていると言っていたが、その答えが何なのか?

 俺はまだその答えに辿り着けていない。

 それが何かと質問しても「自分で考えろ」と一蹴されてしまう。

 だが別に不仲な訳でもない。

 影山は必要以上に喋ろうとはしないだけで、話しかければ受け答えぐらいはしてくれる。

 そんな二人と共に旅をして、俺たちはようやく目的地に到着した。

 その場所は──


「着いたぞ。『迷いの森』だ」


 停車した馬車の前には、どこまでも広がる森。

 それは円を描くように立ち並んでおり、不揃いに生える木々は立ち入る者の方向を感覚を惑わす為なのだろうか。

 入らずとも分かる。

 この森は普通の森とは違う。

 ニケロース領とエルフの集落の間にあった『禁断の森』に近い感じがする。

 ただ、『禁断の森』は侵入者を拒むかのような雰囲気を醸し出しいたが、目の前に広がる『迷いの森』はなんと言うか──拒むことなく、まるで足を踏み入れるのを待ち兼ねているみたいだ。

 風で揺れ聞こえる葉音すらも手招きのように感じる。

 不気味だ……足を踏み入れれば二度と森から出られないような気がして……


「しっかりしろ坊主」


 森をじっと見つめていると影山に背を叩かれる。

 そのせいか、感じていた不気味さが少し和らいだ気がした。


「ティンカーベル王女がいるのはこの森の先だ。『妖精の里』に匿われている」

「『妖精の里』?」


 初めて聞く地名だ。


「妖精族だけが住む村里よ。エルフやフェアリー、ノームなどの複数の種族が住んでいるわ。アラウネのティンカーベル王女も妖精族だから、里で匿われたのね。納得だわ」


 ティアーヌの説明に俺も納得する。

 にしても、妖精族だけが住む里か──きっと神聖な空間であちこちに小さな妖精が飛び回る場所なんだろう。


「だけど『妖精の里』に行くには、この『迷いの森』を抜けなければいけないわ。死ぬ前にね」


 物騒な発言に頭に浮かんでいたお花畑を飛び回る妖精の図が吹き飛ぶ。


「そんなに危険な森なんですか、ここは……?」

「一度森の中で迷えば最後。死ぬまでこの森から抜け出すことができないと聞いたことがあるわ。だから付いた名前が『迷いの森』って訳よ」


 ティアーヌの言葉に息を飲む。

 そんな森にこれから踏み込むなんて……


「ッ!」


 僅かな不安を感じていると左手に何が這いずる感覚に襲われる。

 反射的に右手で左腕を抑え目で確認すると、指先から手の甲にかけてを黒いミミズが何匹か這い回っていた!

 黒いミミズを目にし、悲鳴を上げそうになるのを堪え目を瞑り、掴んだ手首を強く握りしめる。

 恐る恐るもう一度目を開けた時、もう左手に黒いミミズの姿はなく、俺は安堵する。


「それで……馬車はどうするんですか?多分森の中、通れませんよ」


 気持ちを落ち着かせてから訊ねる。

 そこまで大きくないとは言え、森の地面は木の根が顔を出しており、足場の悪さが伺える。

 とてもじゃないが、馬車で進めば車輪が嵌るのは間違いないだろう。


「ヨハナは同行させ、馬車はここに置いていく。元々積荷はないんだ。シートを被せて落ち葉でも被せておけば、動物や魔物に破壊されることはないだろう」


 影山の指示に従い、荷物を降ろし馬車を森の入り口から離れた岩場に運び雨除けのマントを被せ、落ち葉を拾って上から被せておく。

 それが済むと影山がヨハナの手綱を取り、俺たち三人は『迷いの森』へと足を踏み入れる。

 先頭を影山、ティアーヌ、俺の順番で進む。

 森の中に三人と一匹の足音だけが聞こえるが、他の音は何も聞こえない。

 虫の鳴き声も風の吹く音も、何も……

 やっぱりこの森も同じだ。

 『禁断の森』と同じ、異質な場所なのは間違いない。

 幼少時代にフロウを助ける為に『禁断の森』に入った時のことを思い出してしまいそうだ。

 巨大蜘蛛の魔物とか、捕らわれて繭に包まれ溶解した鹿とか……うぷっ、思い出したら吐き気が。


「この森、魔物とか出ませんよね?」

「『迷いの森』には魔物はいないと聞いてるわ。“森自体が魔物だから”──噂ではそう聞いてる」

「も、森自体が……魔物?」

「足を踏み入れた侵入者を迷わせ喰らう、そんな話もあるのよ。実際のところは知らないけどね」

「ど、どうして?」

「森に迷った時点で喰われてしまうのなら、生きて帰れないじゃない」


 確かに迷い込んで外に出られないのならば、それを誰にも伝えられないから知らされることもないのか。

 影山、ティアーヌの後に続き森を進んでいると徐々に周囲を霧が包み始まる。

 霧が出るほどの気温ではないはずなのに、突如として視界を妨害するかのように満ち始めた霧。

 異常な霧の濃度に警戒心が高まる。


「影山さん、ティアーヌさん、霧が……」


 周囲に漂う霧を知らせようと前を歩く二人の背中に声をかける。

 その時──


「お兄ちゃん」


 少女の声が聞こえ歩みを止めてしまう。

 しかも、その声は初めて聞く声じゃなくて……前にも聞いた、聞き覚えのある声……


「お兄ちゃん!」


 またしても背後から聞こえる声に俺は振り返り声の主を見る。

 霧に包まれた森の中でも、彼女の輪郭ははっきりと視認できる。

 背後に立っていたのは、まだ年端もいかぬ少女。

 無邪気な笑顔を俺に向けているのは、名も無き村死んだはずの──トリアだった。

明日で連続終わりになりますが、明日もよろしくです!

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