第百四十一話 役立たず
「バルメルド君ッ!」
もう一つの魂により剣を抜けずにいた俺の前にティアーヌが躍り出る。
スケルトンの一体が持つ錆びた剣が彼女に振り下ろされる!
「ティアーヌさ……ダ、ダメだ!」
剣のグリップは握っているのに!
抜けない、剣を抜けない!
抜いた瞬間に、俺は……俺が!
「ふッ!」
剣を抜くのに躊躇しているとティアーヌは手にした杖で錆びた剣を薙ぎ払う。
骨だけで構成されているからか、ティアーヌの力でも錆びた剣を簡単に弾き飛ばせていた。
「《ロックブラスト》!」
剣を弾いてすぐさま魔法を発動させた。
突き出された左手から岩弾の雨が放たれ、スケルトンたちは脆く崩れ去り地面に散らばる。
「バルメルド君、どうしたの!?一体何を呆けて
振り返るティアーヌが、震える俺を見て言葉が途切れる。
未だにグリップを握ったまま震えが止まらない。
少しでも剣を抜こうとすると、鞘から溢れ出る黒いミミズが見え、身体を乗っ取られる恐怖と不安が胸に渦巻き、剣を抜くことができずにいる。
「バルメルド君、あなた……」
「二人とも何をしている!?まだ来るぞ!」
影山の呼び声にティアーヌは震えて動けない俺と湧き続けるスケルトンの群れを交互に見る。
しばし思案したのち、俺の視線を振り払うかのように踵を返し、スケルトンたちへの向かって行く。
剣を抜くことができず、ただ震えているだけの俺はその様子を見つめることしかできず、ただただ──己の惨めに唇を噛み締めることしかできなかった。
✳︎
それからしばらくして、戦闘が終わった。
結局戦っていたのは影山とティアーヌの二人だけ……俺は援護どころか戦闘にすら参加していない。
ただ馬車の近くで、力を使うことでもう一つの魂が表に出てくるのはではと不安で仕方なかった。
不甲斐ない自分に俯き、黒いミミズに侵蝕されていた右手を見る。
剣を手放した瞬間から、もう右手にも剣の鞘にも黒いミミズの姿はどこにもなかった。
「坊主」
戦闘が終わると影山が歩み寄って来る。
帽子のせいで彼の顔色は窺い知れないが、目の前に立つと彼に襟首を掴まれ馬車に叩きつけられた。
「何故戦わなかった?馬がやられれば移動手段を失い、目的地まで到着に時間がかかることはお前も理解しているだろう?」
「カゲヤマさん、彼は……」
「魔女は口を挟むな」
弁明しようとしてくれたティアーヌを制し、影山は俺の目を見つけて来る。
その眼から逃げるようにして、俺は視線を伏せた。
「そんなこと、俺だって分かってます。でも……」
「お前、震えているのか?」
俺だって、戦えるのなら戦いたい!
何もできずただ二人が戦う姿を眺めているだけだなのがこんなにも惨めな気分になるなんて!
「怖いんです……俺。戦うことで、自分がまた暴走するのが……」
「なんだと?」
「俺の中には、俺とは別に違う魂が入っていて……俺の精神が不安定になると、俺を喰って表に出てこようとするんです。そして飲み込まれたら、俺はもう……二度と元に戻れない」
不安や恐怖を抱かなければ、表に出てこようとはしてこないと思い込んでいた。
でも、俺が剣を引き抜こうと戦う意思を見せただけでも奴は身体を取り戻そうとした。
もしかしたら、ほんの些細な心の変化だけでも奴は出てくるのかもしれない。
なら、俺はもう……
「スケルトンの群れと戦うと剣を引き抜く時、暴走した時と同じ黒いのが見えたんです。それが、俺を喰らおうと右腕を覆ってきた……だから俺は!」
「──そうか」
俺の事情に納得してくれたのか影山の視線が落ち帽子で隠れる。
理解してくれたことにホッとし──不意に頬に痛みと衝撃を受けた。
ピシャリとした音が耳に届くと共に頬が熱くなるのを感じ、一瞬何が起きたのか理解できず困惑する。
手で微かに衝撃を受けた頬に触れると、僅かに腫れているのがわかり、俺はそこでようやく、影山に頬を叩かれたのだと理解できた。
「あ、え……?」
何故、俺は今影山に引っ叩かれた?
どうして、俺は頬を叩かれなければならなかった?
頭の中に浮かび上がる疑問は言葉にならずに混乱するばかり。
「な……ん、で」
呆然とし開閉する口からようやく絞り出されたのはその一言。
影山は帽子を被っているせいで、怒りから俺を叩いたのか、呆れているのかさえ読み取れない。
「お前の事情は理解できた。だが、それはお前が何もしない言い訳にはならない。今の戦闘でお前は一度でも何かをしたか?ただ呆然と、俺と魔女が戦っているのを眺めていただけだろ」
「で、でも、戦おうとすれば俺は、もう一つの魂が……」
「剣以外にも、お前には魔法を使うことも、盾で魔女の身を守ることもできたはずだ」
「それ、は……」
「お前は自分の身を案じるばかりで、俺たちのことを考えようとはしなかった。今回は運良く被害が出ずに済んだが、もし俺たちの身に何かあれば、結果的にお前もどうなるか、想像できない訳ではないだろう」
影山の言っていることに、間違いはない。
二人が倒れてしまえば俺は戦うこともできずに死ぬだろう。
でももし、もう一つの魂に飲み込まれれば、俺は二度と……!
「だったら……だったら、俺はどうすればいいんだよ!!もう一つの魂に飲まれたら、俺は消えるんだ!もう元に戻れないんだ!あれから、もうずっと頭の中で声がするんだ……体を返せ、体を渡せって!気を抜いて、瞬きをして次に目を開けた時、俺は俺じゃないかもしれないんだ!!」
何が崩れたかのように感情の叫びが言葉となって次々と流れ、影山にぶつける。
「教えてよ……教えてくれよ!!どうすれば俺は、この不安と恐怖から抜け出せるんだよ!!」
ルディヴァに告げられた時からずっと脅えていた……些細なきっかけで俺と言う存在が消えてしまうことに。
関係のない影山にその不安をぶつけてしまった。
言葉にしてから思う、自分は最低だと。
こんな駄々っ子のように喚いて口調を荒げ叫んだところで、影山が答えを持っている訳なんて──
「あるぞ、答えなら」
事も何気に、確かな言葉で影山は口にした。
その一言に俺は顔を上げ唖然とする。
ある……のか?
この不安と恐怖から抜け出せる方法が!?
「あるん、ですか?答えを知っているんですか!?な、なら、教えてください!俺はどうすれば
答えを求め、縋り付くように近寄る。
しかし影山は俺を突き放し、じっと目を見つめ、
「その答えは、もうお前自身が知っているはずだ」
俺が、答えを知っている?
そんなはずはない。
知っていれば、今俺はこんなに苦しんでいない。
でも、影山は嘘は言っていない。
目が真剣だ。
本気だ……本気で俺が知っていると言っているんだ。
「でも、そんな答えなんて……俺……」
意味が分からず言葉を詰まらせる。
だが影山は背中を向けるとヨハナの元へと行ってしまう。
「馬車に乗れ、日が暮れる前に目的地に急ぐぞ」
それだけ告げ、影山は御者台に姿を消す。
するとティアーヌが俺の肩を杖で軽く叩いた。
「さ、早く馬車に乗りましょう」
「でも、まだ答えを……」
「カゲヤマさんの言ったように、貴方はもう答えを知っているわよ」
「え……」
ティアーヌには影山の答えの意味が理解できたのか?
なら教えて欲しい、どうすればいいのか。
「答えがわかったのなら、教えてください!俺は、どうすれば……」
「自分で考えた方がいいわ。他人に教えられた答えより、自分で出した答えの方がきっと一番納得できるわ」
「で、でも……答えを出す前に乗っ取られたら……」
「大丈夫。そうなる前に、私が貴方を元に戻すわ」
何を根拠に大丈夫なのかがわからない。
馬車に乗り込む直前ティアーヌは「それに」と言葉を続ける。
「貴方は多分、またあの黒いのに覆われたりはしないわよ」
そう言って乗り込んでしまう。
黒いのとはもう一つの魂のことだろうけど、覆われたりはしないと言ったけど、それも何の根拠もないはずなのに、どうしてそんなにハッキリと言えるのだろう。
「どうした、早く乗れ坊主。出発するぞ」
結局、影山が伝えようとした意味を理解できないまま俺は馬車に乗り込む。
剣の鞘から覗いていた黒いミミズの影はもうなかった。
明日で5日目?
22時からです!




