第百三十六 嫌いな自分
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ティアーヌは悪魔という種である己を嫌ってはいない。
肌や瞳の色、身体の一部に悪魔としての特徴が現れる程度だとしても、幸いにもティアーヌは悪魔と人族の間に産まれたからか人族としての血が濃く、角などを隠せば悪魔族には見えないからだ。
しかし、悪魔族としては受け入れられても、淫魔としての自分を未だに受け入れられてはいない。
淫魔の血を引いているだけと言う理由で、ティアーヌにはいくつかの能力が備わっている。
人の心を惑わす『魅了』もその一つだ。
その能力のせいでサキュバスの村から家出してからは散々か目に遭った。
旅ですれ違えば魅了された者に襲われ、人里に入れば悪魔と恐れられるか貴族や奴隷商人に追われ、動物どころか発情した魔物にすら襲われてしまう。
だからティアーヌは淫魔を嫌っている。
己が淫魔である故に、淫魔がどのようにして人を襲うのか知っているからだ。
そこには愛などと言うものは微塵もない。
ただ淫魔の本能として襲い、相手の心も体も弄ぶだけの行為だと、知っているからだ。
だからティアーヌは淫魔が嫌いで、淫魔の血を引く自分も嫌いであった。
「──《エナジードレイン》!」
忌み嫌うその力を……ティアーヌはクロノスを救う為に使う。
サキュバスの能力の一つ、『エナジードレイン』は文字通り相手の生命力とマナを同時に奪う技。
抵抗する相手を屈服、または吸い殺す為に使われることが多いが、当然サキュバスの力を嫌うティアーヌは自衛手段として魔物以外に対しては使ったことがない。
つまり初めてこの力を人に対して使用することとなった。
黒く覆われたクロノスの背に触れた左手を通してティアーヌの体内にマナが吸収されていく。
『「グゥルオオオオオオオオ!!」』
自分のマナが吸収されていきクロノスが吼えて反抗しようとするも、マナと一緒に生命力も奪われている為に力を込めることができず暴れることもできない。
次第に足にも力が入れられずに膝をつき動きが鈍くなる。
エナジードレインの効力でマナが奪われていくと、クロノスの身体を覆っていた黒い装束も消えて人としての姿を取り戻していく。
「いいですよティアーヌさん!もう少し、もう少しでクロくんの姿に戻る!」
マナを吸い上げられ元に戻り始めているクロノスの状態をフロウが伝える。
しかしエナジードレインを発動させているティアーヌはかなりの神経を使っていた。
そもそもエナジードレインは相手の生命力とマナを根こそぎ奪う為の技、加えてティアーヌは人に対して使用するのは初めてな上に相手を殺す為ではなく救う為に使っているのだ。
不慣れな能力故にどれほどの加減をすればいいのか分からず、かなり手を焼いていた。
マナを奪い過ぎず、かつ生命力吸収を最低限に抑えるという本来の用途とかけ離れた使用をし、なおかつ浅い経験。
調整を間違えばクロノスの命を奪い兼ねない……それがティアーヌにプレッシャーを与え余計に疲労感を与えているのだ。
そして、クロノスとてその隙を見逃さない訳がない。
マナを吸い上げられながらも反撃の機会を待ち、身体が動かないならばと奪われ消え行く黒い尾に集中させ形を維持し続けていた。
ティアーヌがエナジードレインの調整に気を張り続け、効力が弱まった瞬間、
『「グルァァァァ!!」』
「えっ!?」
尾を操り背に触れていたティアーヌの左手をはたき落とし、身体を捻りティアーヌの胴体を薙ぎ払った。
勢いがなく威力こそ弱いが、エナジードレインによって身体を動かせないと思い込んでいたティアーヌは防御もままならず、鳩尾付近に尾を叩きつけられ地面を転がる。
「がっ!げほっ!」
「おい魔女、大丈夫か!?」
「ティアーヌさん!」
「来ないで!」
駆け寄ろうとする影山とフロウを手で制す。
今ティアーヌは『魅了』の効力を抑える為に着用していたとんがり帽子を脱ぎ捨て、ローブの留め具も外してはだけさせている。
二人が『魅了』にかかってしまえば、クロノスの救出はますます困難になってしまう。
「私は、大丈夫だから……!それよりバルメルド君は!?」
奇襲のエナジードレインは妨害されたものの、ほとんどのマナを吸えた手応えがあった。
クロノスを覆う黒いマナも薄くなり、ほぼ人間の姿に戻って──いたのだが、
『「ぐっうぅぅ……」』
苦しげな唸り声を上げていたかと思うと、天を仰ぎ深く息を吸い込んでいる。
すると消えかけていた黒いマナが再び活性化を始め、みるみるうちにクロノスはまたしても黒い獣の姿に戻ってしまった。
『「ウオオオオオオオオオオ!!」』
「そ、そんな……せっかく元のクロくんに戻れたと思ったのに!」
「また振り出しか……」
再び化け物と化すクロノスを目に、影山はフロウとティアーヌを一瞥する。
成功かと思われたティアーヌの秘策は失敗した。
あのクロノスは消耗しても再び元の姿に戻ってしまい、正常な精神状態にも戻らなかった。
これ以上戦闘が長引けばどうなるかは容易に想像できる。
此処らが潮時か、と腰のケースから魔石を取り出そうとして、
「待って、カゲヤマさん。まだ……やれるわ!」
影山の不穏な気配にティアーヌは杖を支えに立ち上がる。
「もう一度、もう一度よ!」
「さっきの攻撃、まともに喰らっただろ?しかもエナジードレインは失敗したんたぞ?それでもまだやるのか?」
「やるわよ。失敗はしたけど手応えはあったし、考えがあるの。今度は上手くいくはず」
まだ何かティアーヌには考えがある。
だが影山は安易にそれを認めることはできない。
さっきの奇襲が成功したのはほぼ奇跡のようなものだ。
また同じように成功するとは限らないし、クロノスは警戒してティアーヌを近づけようとはしないはず。
分の悪い賭けに付き合い、全滅するのだけは避けなければならない。
「なら……次失敗した場合は、俺はクロノスを殺す」
「えっ、クロくんを殺す!?」
影山の発言にフロウが驚愕する。
助けに来たはずの親友を始末すると影山は言い出すのだ。
当然フロウは反論を口に出す。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいカゲヤマさん!?さっきは失敗はしたけど、クロくんの姿は戻ったんですよ!?次失敗しても、続けていればもしかしたら」
「人の姿に戻っても、人として意識を取り戻すとは限らない。現に坊主の身体からあの黒いのが剥がれかけても、人としとて一面を見せることはなかった。それに魔女は今、反撃を受けた。致命傷にはならなかったが、次失敗した時も五体満足のままの保証もない。危険過ぎるんだ、魔女一人にリスクを背負わせるのは」
影山に説き伏せられフロウは反論することができない。
クロノスを覆う黒いマナを取り除けるエナジードレインを支えるのはティアーヌのみ。
それが必ずしもクロノスを元に戻せるかは不明。
なにより、この危険な賭けに身を投じるのは影山でもフロウでもない、ティアーヌなのだ。
攻めてこない三人に、ついにクロノスが飛びかかってくる。
鋭い爪が空を切り迫るが、弾けたように三人が散らばり避けると目標を失った凶爪が黒ずんだ大地を抉る。
「決断しろ、ティアーヌ!クロノスを救う為に危険を顧みない覚悟があるのなら!」
諭すように影山はティアーヌに問いかける。
まるで背中を押すかのような言葉。
ティアーヌは目を見開き、数秒ののち力強く頷き返してみせた。
その返答に影山は小さく笑みを浮かべる。
「カゲヤマさん、ニケロ村長!次で成功させる……もう一度バルメルド君の動きを止めて!」
「了解だ!村長、手を抜くな、本気で攻撃するぞ!」
「は、はいっ!」
影山は魔導靴の魔石を取り替えながら叫ぶ。
マナを失い石ころとなった風の魔石を投げ捨て、黄土色の魔石に差し替え、装填されると魔導靴に土属性の魔法効果が付与された。
『「あグっ……グゴァァァァ!!」』
クロノスが再び攻撃を開始する。
纏ったマナを消費して氷属性の魔法を操り、凍てつく風と氷の刃を同時に放つ。
対してクロノスのマナをエナジードレインで奪い回復したティアーヌは火属性の魔法で対抗する。
「《火の精霊よ。踊り狂い全てを飲み込み溶かしつくせ!フレアストーム!!》」
掲げた杖から炎が嵐のように吹き荒れ、氷の刃を飲み込み溶かす。
マナを回復した分出し惜しみをする必要が無くなったので、単純な魔法の威力でならば修練を積んでいるティアーヌの方が遥かに上である。
だがそれで終わりではない。
クロノスは魔法が衝突し発生した煙に紛れ姿を眩まし、気配を消して接近する。
煙により視界を奪われた影山の背後に回り込み、鋭い爪で肉体ごと心臓を貫こうと右腕で突きを繰り出し、
「──読んでいたぞ!」
突きを躱され、右腕を左脇に挟まれ動きを封じられた。
腕を引き抜き逃げようとするクロノスだが、土属性の魔法効果を付与した魔導靴のおかげで影山は山の如く微動だにしない。
『「グルァ!ガアアアア!!」』
「さっき俺に蹴りを喰らったのを根に持っているのだろう?真っ先に俺の所に来ると思っていた。おかげで魔石が無駄にならずに済みそうだ」
影山が魔導靴に装填した土属性の魔石は、装着者が受ける痛みを軽減させ多少の衝撃に耐えられるようになるが、その分他の魔石に比べ動きが著しく遅くなる。
風や雷の魔石を装着した時のように劇的に俊敏性を高める効力はない。
その代わりに高い守りと重い一撃を発揮できるのだ。
影山の言葉を理解できないクロノスは何度も掴まれた腕を引き抜こうとするが、その行為が無理だと判断すると舌打ちを始め火属性の魔法を撃とうと、
「はぁッ!」
もちろんその行為を影山は許すことなどなく、至近距離で外すことのない土属性を付与された右足でクロノスの顎を蹴り上げる。
風属性の一撃を喰らった時よりも重く、鈍器で殴られた以上の痛みと衝撃を与える。
顎を蹴りられた反動で大きく仰け反るクロノスの視界にフロウが駆け寄るのが見える。
苦しげな表情でフロウは盾を装着した左腕を右手で抑え、
「クロくん、ごめんなさい!!」
謝罪をすると「ぬぅん!!」と力強い掛け声と共に全体重をかけ、盾の表面でクロノスの頭を殴りつけた。
脳天を金属の盾で殴打されクロノスの姿勢が大きく揺らぐ。
痛みが今までの中で相当強烈だったのか、視界が歪み、足取りはおぼつかず、何が起こったのか理解できずにふらついている。
「ティアーヌ、今だ!」
影山の合図でティアーヌはクロノスとの距離を詰める。
(一度は失敗したけど、感覚は掴めた!もう失敗はしない!必ず成功させる!)
駆け寄るティアーヌを近づけまいと、ふらつきながらもクロノスは腕を振るう。
間一髪のところでティアーヌはそれを避けるが、爪がはためくローブに引っかかり大きくはためかせた。
ローブの下に隠れていた艶態と共に、頭に生えた巻角とは別に、黒い羽と細く長い尻尾と言った悪魔の特徴が露わとなる。
だがティアーヌはそんなことは気にせず、弱々しく暴れるクロノスに力強く抱き締めた。
「《エナジードレイン》!!」
逃げられないよう抱き締めながら再びエナジードレインを発動させる。
今度は左腕一本からではなく、密着した肉体全てからクロノスのマナと生命力を奪い取ろうとしているのだ。
『「グルゥァァァァ!!ガァ、ヴゴァァァァ!!」』
またしても奪われる生命力とマナを感じクロノスは暴れ出す。
ティアーヌを引き剥がそうと駄々っ子のように振り回される両腕を影山とフロウは抑えにかかる。
(まだ大丈夫!もっと、もっと……!!)
一度目はクロノスを死なせないようにと勢いを抑えたが、今度は抑えずに奪い続ける。
身体を覆う黒いマナが全て無くなれば元に戻ると考えるティアーヌは、生命力よりもマナを多く奪うように調節している。
それでも元に戻らなければクロノスの生命力を全て奪い死に至らしめてしまうかもしれない。
クロノスの生命力が尽きるのが先か、マナが尽きるのが先か……
『「ギャァァァァ!!あグっ、アが、がっ、ああああ!!」
エナジードレインに悲鳴をあげていたクロノスの体から徐々に黒いマナが引き剥がされ霧散する。
獣じみた姿だったのが人の姿へと完全に戻り声も戻り始める。
鋭い爪も、尾も無くなり、失っていたはずの手足も人の形に戻り五体満足の状態だ。
「いい加減、帰ってきなさい!バルメルド君!」
『うグっ、あガあアあアあアああああああ!!」
曇天の下、焼け野原にクロノスの絶叫が響き渡る。
それが途切れると共に暴れていたクロノスが力無くうな垂れた。
ティアーヌはエナジードレインを解き、抑えていた影山とフロウは、腕から力が抜けるのを感じ拘束を少し緩める。
「成功……したんですか?」
「わからない。だが、あの殺気立った気配はもう感じない」
二人の言葉を耳にしながらティアーヌは抱き締めるのを止め、気を失いうな垂れるクロノスの頬に手を当て顔を伺う。
憑き物が落ちたかのように、本当のクロノスは静かに呼吸を繰り返しているのだった。
次回投稿は来週日曜日22時
GW中は5月1日から6日までの連続投稿を予定しています!




