第百三十話 壊れる器
花粉症が舞う季節になりましたね
この時期はいつも辛いです
クロノスたちが魔王ベルゼネウスの罠に陥る少し前、
「皆さんこちらです!慌てずに進んで下さい!前の人を押さないで!」
ニケロ──フロウ・ニケロースは難民キャンプの人たちを避難誘導していた。
他にも誘導する者はいるが、魔王が現れたと聞き誰もがパニックを起こし、様々な憶測が飛び交い別の場所へと避難する者もおり、場は混乱を極めていた。
もはやフロウたちには誰が避難しており誰がいないのか把握することすらできていない。
ただただ目の前の人たちをこの場から逃すことだけに専念するしかないのだ。
「ニケロ村長!」
避難していた人集りの中からティアーヌが波を潜り抜け現れた。
「バルメルド君を見かけなかった!?」
「クロくんを?いえ、見てないですけど……一緒じゃなかったんですか?」
「私は別行動していて、彼は家族と一緒にいるはずなの。でもどこにもいなくて」
クロノスがジェクス、ユリーネと家族で食事をしていた頃、ティアーヌは遠慮して坂田たちから魔王軍の侵攻状況を確認していた。
家族と一緒に避難しているかもと思い来たのだが、どこを探しても姿が見つからなかったのだ。
フロウもどこにいるか知らないと聞き、ティアーヌは嫌な予感に支配されているとユリーネが現れる。
「ユリーネおば様!」
「ニケロちゃん!うちのクロちゃんを知らない!?どこにもいないのよ!」
「落ち着いておば様!ジェイクおじ様は?」
「主人は魔王の足止めに協力するって。でもその時クロちゃんは近くにいなかったのよ!てっきりこっちにいると思ったけど、ここにもいなくて……!」
その言葉を聞いてティアーヌはまさかと思い始める。
募る危機感に応えるかのように、避難したキャンプ地で黒い瘴気が天を穿つのを目撃した。
あれが魔王ベルゼネウスの力だと知っているティアーヌはいつの間にか走り出していた。
「ちょっと、ティアーヌさん!?そっちに行っちゃ……」
「ここにいないのなら、バルメルド君は確実に魔王の所にいるはずなの!連れ戻さないと!」
「危険です!ワタシたちと一緒に避難しな
「彼は!もう一度魔王と対峙させたら駄目なのよ!」
制止を振り切り走り出す。
ユリーネに避難するように言うと、フロウはその後ろを追いかける。
ティアーヌは知っている。
一度クロノスがベルゼネウスと対峙して黒い瘴気に当てられ死にかけたことを。
しかし彼女が助けた時、クロノスはそのことを覚えていなかった。
だからこそ胸の内の不安が大きく増し、焦燥感に駆り立てられるのだ。
クロノスがベルゼネウスに敗北したことを覚えていないのは、おそらく恐怖心が限界を超えたことによる防衛本能によるものだとティアーヌは考えている。
そんな彼がもう一度魔王と対峙してしまえば……
「また……壊れてしまう!」
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クロノス視点
魔法陣による効力で苦しげに膝を着いていたはずの魔王が不気味な笑みを浮かべた瞬間、俺の視界は闇に支配された。
でも俺は、その時何が起こったのか理解することができなかった。
きっと周りの人たちも同じはずだったであろう。
動きを封じられ、魔法の雨を撃ち込まれ続け、影山の強烈な蹴りを受けていた魔王から突然瘴気が瞬きする間もなく溢れ出したのだ。
それが罠だとわかった時には全てが遅い。
わかっていたのなら、俺の周囲で今倒れている人たちは……
「あ……うわァァァァ!!」
思い出した……思い出した思い出した思い出した!!
瘴気に包まれた人たちの苦痛な悲鳴が忘れていた記憶を呼び起こす!
違う、俺は忘れていたのではなく忘れようとしていたんだ!
あの時の苦痛と恐怖から逃れる為に!
死の恐ろしさから目を逸らす為に!
「と、父さん!?影山さん!?どこ、どこですか!?」
全身を這いずり回る恐怖心からジェイクと影山の姿を探す。
だが二人の姿はどこにも見当たらない。
もしかして、瘴気に飲み込まれ周囲の人たちのようにもう……
頭をよぎる最悪な考えに恐怖心が高まり、呼吸が乱れ息が苦しい。
ガシャリとすぐ傍で金属音が聞こえる。
地面にうつ伏せに倒れたまま顔を上げると、そこに立っていたのはジェイクでも影山でも無く、魔王ベルゼネウスであった。
ベルゼネウスは鳥人族の男の頭を右手で鷲掴み軽々と持ち上げている。
その手からは黒い瘴気が溢れ、鳥人族の男は必死に悲鳴を漏らしながら必死にもがいている。
「ひ……ひぃ!」
その光景に俺は小さな悲鳴を上げる。
掴んでいた鳥人族をベルゼネウスは俺の目の前に放り投げる。
放り投げられた男は涙を流し口から泡を吹き目に光は無い。
虚無の瞳に俺の姿が映っていた。
ベルゼネウスに怯え震えている姿が……
俺を見下ろすベルゼネウスは楽しげな笑みを浮かべている。
「愚かな奴らだ。俺様にあんな小細工が通じると思ったのか?」
「だ、だって……あ、あんなに……!」
「クッハッハッハッ!逃げる貴様らを追いかけるのも愉快だが、己らの講じた策に俺様が陥ったと舞い上がり踊る貴様らを観るのも中々に愉快だったぞ!!」
じゃあ最初からベルゼネウスにはあの魔法陣は効いてなかったのか!?
俺とジェイクの攻撃も、影山の攻撃も全部……効果があるように見えたのは、全部芝居……
「そうだぁ、貴様らのその顔が見たかったのだ!一つの希望を見出し、その光に群がる者たちを一瞬にして絶望の淵に叩き落とすッ!!実に儚く悲劇的な末路だ。その姿は、何度見ても感動で心が震える」
口元を震わせ喜びの表情を見せるベルゼネウスが恐ろしく、何とかして逃げなければと周囲を確認する。
剣……俺の剣はどこだ!?
このままだと死ぬ……丸腰のままだと殺される!!
「実に愉快だったぞ。そこに倒れている奴らは皆、俺様を一瞬でも倒せると思い違い、俺様の力に捕らわれた瞬間に恐怖と絶望に満ちた表情を浮かべ堕ちた!悪魔にとって、貴様ら現世の者たちの絶望は力となり悦びに変わる」
ベルゼネウスが地面に転がっている兵士から剣を奪い取り、剣先を向けてくる。
満面の笑みを浮かべて。
「小僧、貴様の絶望は一度堪能した。今度は……前回とは別の方法で絶望に堕としてやろう」
「あ、あぁぁぁぁ……!!」
嫌だ、まだ死にたくない!
俺はまだ、まだ……ッ!
「剣……剣ッ!」
剣先を向けられて迫るベルゼネウスから逃げるように地面を這う。
何度も周囲を見回してようやく俺の剣を見つけた!
立ち上がり剣の元まで駆け込むと拾い上げて、
「そうだ、それでいい」
剣を構えようと振り返った時、既に俺の右腕は無くなっていた。
魔王がいつの間にか距離を詰め、俺の腕を切り落としていたのだ。
切り落とされた腕がドサリと音を立て、そこでようやく腕を切られたと認識できる。
「え……え、あ、がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
腕が無い血が止まらない痛くて堪らない傷口が熱い腕が無い血が止まらない痛くて堪らない傷口が熱い腕が無い血が止まらない痛くて堪らない傷口が熱い!!
「う、腕がぁぁぁぁ!痛い、痛いぃぃぃぃ!!」
「あぁ……いいぞ。実にいい悲鳴だ」
左手で傷口を抑えても切り口から血が止まらない!
目の前が歪み霞みがかったかのようになる。
頭が沸騰しそうなくらい熱くて思考がまとまらない!!
嫌だ、嫌だ、死にたくない、逃げないと逃げないと!!
ここから逃げ出そうと踵を返し走り出そうとするが、左足が動かずに地面にまた倒れてしまう。
急いで立ち上がろうとするが、左足が動かせず上手く立ち上がれずまた顔を地面に擦る。
なんで、どうして立ち上がれないんだ!?と左足を見ると、いつの間にか左太腿を剣が貫いており、
「は……あ、え?」
ベルゼネウスが俺の太腿に突き刺した剣を振り抜き、左脚の太腿から下が宙を舞って
「ぎゃああああああああああ!!」
失った左脚から血が噴き出る。
強烈な痛みが全身を駆け回り絶叫が響き渡る。
それでも俺は左腕で地面を這いずる。
生き延びたい、ここから逃げたいという一心で……悲鳴と嗚咽を繰り返しながらでも。
「ハァ、ハァ……おえっ、ぐ、ひぅ……ハァ、ひぃ、ひぃ……ぐぼっ、うぇ……」
「あぁ、素晴らしいぞ小僧。実に素晴らしい!!」
逃げようと左腕一本で地面を這いずる俺の襟首を魔王は掴み上げ、近場の木の幹目掛け投げ飛ばす。
まともに受け身の取れない俺は幹と激突し血を吐き出した。
「ごぼっ!ひぅ、うっ!」
「貴様の生への執着は実にいい。壊しがいがある」
魔王が俺の血で染まる剣を眺めながら楽しげに呟く。
そして今度は、血で濡れる剣先で俺の左眼を突き刺して……
「ぐああああああ!!目が、目がああああああああああ!!」
「いい反応だ。なら、ここはどうだ?」
「ひいあああああああ!!痛い、痛い!!」
「ハハハハ、いいぞ。もっと鳴け、もっと喚け!」
「やめろおおおお!!やめてくれええええ!!」
魔王は死なない程度に俺の全身に剣を突き立て弄り遊ぶ。
その度に俺の絶叫がこだまし、ベルゼネウスはそんな俺の姿を見て可笑しそうに笑い続けている。
右腕も左足も、右眼や脇腹と次々と血が溢れて出て行く。
もはや俺にはどの箇所から痛みを感じて感覚があるのかさえ分からない。
この悪夢のような遊戯から逃れることができずただ恐怖と痛みに絶叫することしかできない。
何度も剣を突き刺し反応を確かめて遊ぶベルゼネウスだったが、俺の悲鳴が徐々に弱くなり始めると遊ぶのを止める。
「ひぃ……あっ、あっ……ひっ、ぇあ……」
「これで限界か。まぁ、なかなかにいい余興だったぞ?小僧」
魔王の持つ剣が掲げられる。
木に寄りかかりそれを見上げる俺の眼には、血で染まり赤い刀身と今にも降り出しそうな曇天が見える。
「死を以って、その絶望から解放してやろう。小僧」
血染めの剣が振り下ろされる。
何の抵抗もできない俺はそれを悲鳴も上げられずにただ黙って見ていることしかできず、魔王の振るう凶刃が──
「クロノォォォォス!!」
身を呈し俺を庇い助けに入ったジェイクの背を切り裂いた。
背中から血を流し、ゆっくりと──ジェイクは膝から崩れ落ちて、俺の上にもたれこむ。
か細い呼吸音が耳元に聞こえる……でもその呼吸音が次第に小さくなっていく。
俺にもたれこんだ、ジェイクの呼吸が……
「父……さん?」
どうしてこんなにジェイクは苦しそうにしてるんだ?
なんで背中からこんなに血が出てるんだ?
何で?
──ドウシテ?
「クロ……ノス」
徐々に途切れ呼吸をしながらジェイクが耳元に囁く。
いつもの覇気のある声が、今はそれがとても弱々しい。
「許して、くれ……」
許す?何を?
──ナニヲイッテイルンダ?
「お前は、生きろ……ッ!」
刹那──鮮血が目の前を彩る。
灰色に覆われた空に、赤い絵の具が飛び散ったかのようなキレイナアカダ。
俺にもたれかかっていたジェイクの身体がずり落ち脇に崩れ落ちる。
「……父、さん?そんな、とこで寝てたら……風、ヒク」
突然眠ってしまったジェイクに呼びかけるが返事は返ってこない。
無呼吸で薄っすらと眼を開けたまま、絵の具が広がるキレイナアカの上で眠って眠ネムネムネネネネネネネネネネ
「美しい家族愛だ。自らの命を賭して我が子を守るその姿……とても感動的だな。だが、無駄死にだな」
無駄死に?
無駄死無駄ジムダムムダジムダムムムダジダジダダジムダジダジダジムダジジジジジジジジジジ──
「安心しろ、貴様もすぐに父親の元へ行ける。あの世でな!」
ベルゼネウスの剣がマた向けラレる。
アカクてキレイナ刀身が、俺の胸に添えらレテ、
「バルメルド君ッ!」
誰カの呼ぶ声ガ聞こエた時、俺の視界ハ真ッ赤ニ染ッタ。
ソノ光景ニ何カガ壊レテ、
『「あは、あはははは!!」』
瞬きする間も無く、一人の人物の上半身が吹き飛ぶ。
肉体という器が壊れるのを前に至福の笑みを浮かべる者がいた。
ほんの数秒前まで、クロノス・バルメルドと呼ばれていた者が──魔王の死骸の前で。
あ、今回過激な描写がありますのでご注意ください。
ついに主人公転生の理由が一つずつ紐解かれて行きます!
壊れた器の中から溢れ出るものは?
次回投稿は来週日曜日の22時です!




