もう一度あの世界へ
「お弁当持った? お着替えとか、薬とか……」
「もう、子供じゃないんだからさ! 心配しなくてもいいから!」
「咲ちゃんは、何歳になってもママの子供なんですぅ!」
「本当に大丈夫だから、今度は俺の意思で行くんだからさ! ちゃちゃっと終わらせて戻ってくるよ」
今日、俺はワタルと一緒にあの地獄の二年間を送ったあの世界へと旅立つ。
『魔王』アーノルド・ルートリンゲンにこの世界への侵攻を止めさせるためだ。
「必要な事なんだよね? 咲ちゃんにしか出来ない事なんだよね?」
「そうだよ、俺にしか出来ない事だと俺は思っている」
「じゃあ、心配しながら待ってる事にする!」
「心配しないでって言ってるのに……」
「自分の子供の事を心配しない親なんて親じゃないよ!」
母ちゃんは胸を張ってそう言い放つ。
全く、恥ずかしいなぁ。
だけど、このご時世、親の愛に恵まれなくて不幸な人生を送っている子供達が沢山いる、小さな命が理不尽な扱いによって失われているというニュースを頻繁に目にする位だ。
そんなニュースばかり見ていると、親の愛、役目という当たり前な事が当たり前じゃなくなっている様に思える。
そう考えると、俺は恵まれているだろう。
親父はまぁ、あれだけど、母ちゃんからは溢れんばかりの愛情を注がれて育ってきたと自負している。
だから俺はこう言わざるを得なかった。
「母ちゃん、ありがとうな! 俺、母ちゃんの息子で良かった!」
「ちょ、咲ちゃんどうしたの? 急に……」
「いや~何か、今言わないと一生言えないかなって。あははは」
「そ、そう?」
珍しく母ちゃんが顔を赤くして照れている。
「それじゃ、行ってきます! 明美さん達にもよろしく言っといてね」
明美さんは、夏休暇で実家に帰省中だ。
「分かった! いってらっしゃい!」
俺は玄関の扉を開き、一歩外へと足を踏み出した。
◇
俺があの世界に戻る事については、あっちの世界について知っている母ちゃんと明美さん、亜希子ちゃん、そして六課のメンバーにしか伝えていない
。
そして、仕事の方については今回は長期出張扱いになっており、ちゃんと出張手当も出るらしい。
まぁ、貨幣も違うし、領収書とか切れないから経費は基本自腹だけどね。向こうの貨幣なんて持ってないし……向こうでの金の稼ぎ方なんて知らないからそこら辺はワタルに頼るしかないかな。
俺はそう思いながら、待ち合わせ場所である田宮の家へと向かった。
「よっ! 田宮」
「あ、服部さん。こんにちは!」
「すまないな、折角の夏休みなのに。亜希子ちゃんとの時間を奪ってしまって」
「いいえ! この世界のためですから! その……中野さんとはまだそんな関係じゃないですし……」
この夏休みでそんな関係になってたかもしれないじゃん! とは言えない……。
「そう言ってもらえると助かるよ」
「うふふ。じゃあ、ワタルと変わりますね」といって、田宮は目を閉じる。
すると一拍おいて「やぁ、咲太。今日も元気そうだね」と田宮とはあきらかに違う口調の田宮がいた。
まぁ、ワタルだけどね。
「ワタル、世話になるな」
「うふふ。この間もいっただろう? 祖父の故郷であるこの世界に害があるのは僕も許せいないんだ、それに、今回は文人の身体を鍛えるという目的もあるからね。僕と体を共有しているといっても文人はあっちの世界では君達と同じ異世界人だからね。魔獣が蔓延っているあの世界で経験を積めば、文人の身体は今以上に強くなる。そうなると、君との対決の日も近くなるからね。一石二鳥さ」
「俺ももっと強くなるぜ? いいのか?」
「勿論だとも! そっちの方が燃えるじゃないか!」
「全く……この戦闘狂が」
「そんな嬉しそうな顔しちゃっている君に、そっくりそのままその言葉を返すとするよ」
俺達はしばし二人で笑い合う。
「そろそろ行こうか?」
「見送りとかいないようだけど、いいのかい?」
ワタルは辺りをキョロキョロと見渡している。恐らく紗奈の事を言っているのだろう。
「あぁ、昨日の内に全部済ました」
「うふふ。分かった、じゃあ行こうか」
そう言うとワタルは何か呪文の様なものを唱え始める。
そして、唱え始めて一分足らずで俺達の目の前にアレが現れた。
相変わらず禍々しく渦をまいているそれに、俺はごくりと唾を飲み込む。
俺はもう一度あの世界に行く。
今度は自分の意思で。
俺は一度ワタルに目線を移し、渦の中に飛び込む様に入っていった。




