SS-13
あの日、俺が親父に手を上げたあの日以降、親父はあれ程好きだった酒を一滴も飲まなくなり、俺達の前で仕事の不満を漏らす事もなくなった。人が変わったかの様に仕事に打ち込んでいる親父は、それ以降“こんなはずじゃなかった”と口にしなくなった。
これで家は大丈夫。
俺も母も、親父でさえもそう思っていたある日。
俺達の平穏な日常に予想だにしかなかった事態が訪れる。
――親父の隠し子が現れたのだ。
何かの間違いだろうと母は親父を問い詰めたのだが、言い訳など何もせずただ一言、自分の子供だと言って何度も俺達に謝る親父。
親父に愛されている――それが支えだった母は、酒瓶で殴られていても親父を許してきた。
だけど、その牙城が崩された事によって、母は今まで見せた事のない鬼の形相で、その口からは聞いた事もない罵声を親父に浴びせ家から出て行った。
なんだかんだ言ってすぐに戻って来るだろう、そう思っていた。
だが、母は戻って来ることはなく、その代わりに届いた離婚届を前に親父は放心状態になりつつもペンを走らせていた。
高校の卒業式前日両親の離婚が成立した。
両親が離婚した事よりも、母が俺に一切の連絡先を教えなかった事が当時の俺にはかなりショックだった。
母の代わりに家族の一員となった義妹の葉月。
小学校1年生だ。
正直、俺は、親父と母の離婚の原因となった葉月が嫌いだった。そして、葉月が悪いわけじゃない事も理解していた。
母親に見捨てられうちにきた葉月だからこそ、小さいながらも自分のせいで母が出て行ってしまった事を理解していら。後ろめたさがあるのだろう、必要以上に俺達との距離を縮めようとはしなかったし、俺も必要以上に葉月に近づこうとしなかった。
家にいる事が息苦しくなった俺は、就職を期に家を出て極力家に近づかない様にした。
休みの日は昔からツルんでいたアウトローの仲間達との馬鹿騒ぎが俺の心の隙間を埋めてくれた。
俺はこれでいい。
葉月と関わらずに過ごしていこう。
そうこうして時が過ぎ家の事をあまり思い出さなくなった頃、親父が倒れたという連絡を受ける。
脳梗塞だった。
家に寄り付かなかった俺は知らなかったが、ここ数年、親父は再び酒を口にするようになっていたらしく、過度な飲酒が原因だと担当医から聞かされた。
手術を施し親父は一命を取り留めたのだが、片麻痺という後遺症を残す事になった。
右半身が麻痺しており、失語症になって上手く喋れない親父は唇を震わせながら俺の嫌いなあの言葉を呟いた。
“こんなはずじゃなかった”
親父の今の状態では社会復帰までにはかなり時間が掛かる。
俺は問題ないが、葉月はまだ小学生。
誰かがそばにいなければ生きていけない。
その日を境に家に戻った俺と葉月の二人っきりの生活が始まった。
女の子の扱いなんて何一つも分からない俺は四苦八苦しながらも葉月の世話をした。
そんな俺を見てか、最初は遠慮がちだった葉月との距離も徐々に狭まっていき、心配だった葉月との関係は良好なものになっていた。
不思議な事に一つ心配事がなくなると新たな心配事が浮上する。
――お金が足りない。
長年の不摂生で健康診断の結果が良くなく、医療保険などに入れなかったことが仇になり何の保障も受けられない親父は入院中で収入もなく、手術代は高額医療費申請により負担は軽減されたが、親父の少ない貯金はすべて病院代に消えていった。
俺が働き始めて5年。
元々多くない給与で貯金などする余裕もない俺の懐では親父の病院代と生活費を賄うにはあまりにも足りなかった。
悩んでいる俺にアウトローの先輩から簡単に稼げるバイトがある、副業にどうだと誘われ付いて行った。仕事は何てことない指定された場所に荷物を置いてくる、そんな簡単な仕事だった。
それを月に数回行う事で俺のひと月分の給与以上の稼ぎを手にする事が出来た。
俺も馬鹿じゃない。
これが普通の仕事ではないという事は十分に分かっていたが、背に腹は代えられないと思い仕事を続けた。
それから数ヶ月後、親父が退院した。
麻痺が残っているため、当分はリハビリが必要である親父は会社の契約を打ち切られ無職となったが、俺の稼ぎで問題なく暮らしていけた。
もうすぐ中学生になる葉月は俺とは頭の出来が違く、いつもテストでは満点を取ってきていた。
誰に何も誇る事のない俺にとって、自分の義妹の頭の出来は唯一俺が他人誇れるモノだった。
習い事も色々やらせてあげたいし、留学とかい行きたいというなら行かせて上げたい。
今の内にもっと金を稼がないと――。
そう意気込んでから数ヶ月後、俺は大勢の本職に追いかけられていた。
いつもの通り、荷物を指定された場所に置いて立ち去ろうとした際に強面の男に肩を掴まれた。
男は、札幌界隈でも有名な暴力団の組員だった。
この荷物の所為で迷惑しているついて来いと言われ、このまま捕まったら碌な事にならないと本能が警報をならし俺は男の腕を振り解いて必死に逃げた。
なんでこんな事になったんだ!
くそッ、くそッと悪態をつきながら逃げる回る俺の目の前に壁が立ちはだかる。
行き止まりだ。
袋小路になった俺の口から嫌いなあの言葉が洩れる。
“こんなはずじゃなかった”
男達の怒号が近づいてくる。
もうすぐ俺は捕まり、無事に帰されることはないだろう。
恐怖に身体を震わせていたその時、目の前に禍々しい渦が現れた。
俺を喰らう気なのか渦に身体が吸い込まれる。
このまま行けば、俺は暴力団に捕まり最悪殺されるかもしれない。
結果が同じなら一か八か――ッ
俺は、意を決して渦に飛び込んだ。
結果、俺は死ぬことはなく異世界に召喚された。
賭けに勝ったと安堵していると今度は、残してきた葉月が心配になった。
――あの暴力団の男達に何かされるのではないのか?
――もし、俺が帰れなかったら生活はどうなるのか?
焦燥感に苛まれる俺だったが、成す術もなく奴隷紋を刻まれ牢屋の様な場所に放り込まれた。
牢屋の中でロシア人のレフを皮切りに、ポーランド人のジュリ、韓国人のミンギュがそれぞれ順に自己紹介をした。
するとジュリは「ねぇ、アナタは?」と俺の事を聞いてくる。
「……上守高次。二十四歳、日本出身だ」
異世界で戦闘奴隷としての生活が始まった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
高次の話は次で終りです。




