SS-12
「ハァ、ハァ、く、クソッ! 何でこんな事にッ」
あの日――。
俺が、異世界リアースのオルフェン王国に召喚されたあの日、俺は人の通りが少ない路地裏を必死に逃げ回っていていた。
“こんなはずじゃなかった”
追い詰められた状況で真っ先に口から出たこの言葉が苛立ちをさらに加速させていく。
この世で最も毛嫌いしている男の口癖だったからだ。
親ガチャという俗語がある。
子は親を選べない。良い親の元に生まれるかなんて誰も分からない。運だ。
そんな当たり前なことに対して、物事の善悪がつく頃からずっと自分の運の悪さを恨んでいた。
俺の親父はどうしようもない奴だった。
堪え性のない性格で職についても長続きせず、いつしか定職に就く事さえなくなった親父は、自分は悪くない、客が悪い、同僚が悪い、上司が悪い、会社が悪いと不満をぶちまけながら現実逃避をするかの様に酒におぼれていた。
こんなはずじゃなかったと嘆き眠りつく、そんな事を繰り返していた。
そして、俺がちゃんと受け答えができた頃から親父は酔っては母に手を上げるようになった。そして、酒から醒めては頭を床に擦り付け母に謝っていた。
もう酒なんか呑まない、もう絶対手を上げたりしない、ちゃんと真面目に働く――耳にタコができる程に聞いてきた薄っぺらい親父の誓いだ。
その誓いはある程度の間は守られる。
だが、仕事が上手くいかなくなり始めると親父はあっさりと誓いを破り、酒に溺れては母に手を上げていた。
顔に青あざを作りながらも俺には「大丈夫。お父さんも色々と大変なのよ。私達は家族なんだから理解して上げましょう」と涙を拭いながら諭してくれる母は絶対に親父を嫌ってはいけないと俺に言い聞かせるのだが、寝言でも”こんなはずじゃなかった”と嘆いている親父を見て、ヤツを嫌わないという選択肢は俺にはなかった。
定職にありつけない親父の稼ぎでは生活は厳しいだけではなく、その稼ぎはほとんどが親父の酒代に消えるため、我が家の家計は母のパート代で何とかギリギリ保っていた。
ドラマや物語で良く見る最低な父親の様に、母の稼ぎにまで手を出す様な男ではなかった事だけが唯一の幸いだと言えるだろう。
おかげで、決して裕福ではなかったが、ちゃんと1日3食めしを食わせてもらえた事で俺の身長はグングンと伸び、中二ですでに180センチに届くか届かないかと言うほどに長身になった。
背が高いため、色んな部活から勧誘はあったが、親父は相変わらずでうちは母のパート代頼み。部活を始めれば色々とお金がかかる。うちにそんな余裕はない。
家に金がないからできないと言うのは、思春期の俺にとって恥ずべき事だったため、色々と理由をつけては全て断った。
そんな俺だが、恵まれた体格のおかげで腕っぷしはそれなりに強かった。
部活もやっていない、家に金がなくて習い事もしていない。
打ち込めるものが何もない、そんな俺が自然に行きつく先は決まっている。
自分の意志とは関係なく、俺は市内でそこそこ名の知れた不良になっていた。
俺は自分から喧嘩を売るような事はしていない。
腕っぷしは強いが、自分から率先して争いごとに首を突っ込むような人間ではない。
そして、進んで悪事に手を染める事もしていない。
仲間達とは違い、煙草も酒も、盗みや恐喝にも手を出すことはなかった。
では、なぜそんな奴らと一緒にいるかって?
それは、そこにいた奴らは生きている事が不思議なほど俺なんかよりも遥かに劣悪な家庭環境の中で育ってきたからだ。俺よりも親ガチャに失敗した奴らと一緒にいて、俺は自分を慰めていたのだろう。
中学三年に上がり、家の中である変化が起きる。
その日も、親父は酒に酔って母に手を上げていた。
元々図体のデカい親父も歳を取ったからか、段々と身体が小さくなっていき、そんな親父とそん色ないほどに俺は成長していた。
喧嘩慣れもしてきて、やりあったら親父に負ける気もしない。
そんな俺に気づいたのか、母は、俺には絶対手を出さない様に釘を刺し、俺はそれを守り続けていた。だが、この日だけは自分の怒りを抑える事ができなかった。
親父が酒瓶で母の頭を殴ったのだ。
母は、頭から血を流しながらその場に倒れ込んだ。
その光景を目の当たりにして、俺の中で何かが切れる音がした。
頭が真っ白になり、気づいたら俺の足元には顔中血だらけで泣きながら俺の足にしがみつき許しを請う親父と頭から血を流しながら俺の事を止める母の姿がそこにあった。
俺が正気に戻った事に安堵しその場に倒れ込む母を背負って、俺は急いで近くの整形外科に母を連れて行った。
母は、幸い頭蓋骨に損傷などなく、頭皮の裂傷による縫合だけで済んだが、念のためにその日は入院することになった。親父がいるあの家に一人で戻りたくなかったため、病院に頼み込み、俺も病院に泊まる事にした。
母は、病室のベッドに横たわりながら親に手を上げさせてしまった事を俺に謝った。
母が悪いわけではないのに。
俺は、もうあんなやつとは別れてくれと言ったのだが、母はもう一度だけ親父を信じてみようと言って俺の握った拳をほどいてくれた。
あともう一度だけ。
それを母と約束して、俺は瞼を閉じた。
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