佐久間の寿司 ②
暖簾を潜り抜けて【寿司健】の店内に入る。
店内にはカウンター席と掘りごたつ式の座敷が二部屋。店の外観同様に趣があり、風情を感じられるそんな内装になっている。
「ほら、そんなとこに突っ立てないで。こっちに座ってくれ」
佐久間に案内されたのは、カウンターど真ん中の席だった。
二人なのにこんなど真ん中の席でいいのか?と少し腰が引けるが、時間が早いのか今のところ他のお客さんもいないしと思い案内されるがままに腰を下ろす。
それにしても、ネットで調べた時にはひと月先まで予約で埋まってる程の人気店って口コミがあったけど、今の所、客は俺と紗奈の二人。そして、店側も佐久間一人だけだ。
「ビールでいいか?」
「いや、車なんだ。お茶で頼む」
「そうか、わかった」
俺と紗奈の前にもくもくと湯気が立っている湯呑が置かれる。
「今日はあんた一人なのか?」
俺の問い掛けに佐久間は苦笑いを浮かべる。
「実は、今日は定休日なんだわ」
「えっ? そうなの?」
「あぁ、俺の握った寿司を食べてもらいたくてわざと定休日を指定したんだ」
なるほど、それで一ヶ月先まで予約が埋まってる人気店でもすんなり予約がとれて、今も俺達以外にこのお店にいないのか。納得だ。
「ごめんなさい、せっかくのお休みなのに……」
「いやいや、彼女さんが謝る事はないぜ。休みの日はいつも店に出て練習しているからな。逆にこっちがすまねぇ。うちの爺さん、大将じゃなくて俺みたいな半人前が握った物なんかを食わせる事になっちまって。爺さんにも俺が握るなら営業時間外にしろって言われて……だから、店が休みの時に来てもらったんだ」
バツの悪そうな顔をする佐久間。
よく寿司屋では“飯炊き3年握り8年”と言われていてお客さんの前に立つには一般的に8年はくらいかかるって、家の近所にある有名店から独立した寿司屋の大将から聞いた事がある。
佐久間がこの寿司屋で修行をはじめて約1年弱。
“飯炊き3年握り8年”という言葉を当てはめるなら半人前どころか寿司職人としてのスタートラインにやっと立ったくらいだろう。
だから、大将は営業中ではなく定休日ならと条件を出してくれたんだと思う。
ただ、それも佐久間が大将の孫だから首を縦に振ってくれたわけで、そうでなければ定休日でも板場に立つ事を許したりはしなかっただろう。
まぁ、それはともかく。
俺が佐久間の握った寿司を食べたいと言って佐久間はそれに応えてくれたんだ。
佐久間がそんなシケた表情をする必要はない。
「別に俺はあんたの爺さんの握った寿司を食べに来たんじゃないよ。【壊し屋】佐久間健一が握った寿司を食べに来たんだ。旨いもん食わしてくれるんだろ?」
俺の言葉に一瞬あっけらかんとした佐久間は、すぐに薄い笑みを浮かべる。
「おうよ! 俺に今できる最上の物を食わしてやる!」
◇
それから佐久間のお任せで握ってもらった。
寿司を握っている佐久間は、真剣そのもので鬼気迫るものを感じ声を掛ける事さえ忘れて見入ってしまっていた。
そして、出された寿司は普通に旨かった。
今まで俺が食べたどんな寿司よりも旨かった。
紗奈も同意見だった。
これなら普通にお客さんの前に立てるって言ったら、照れくさそうにしながらも自分はまだまだだと、大将に比べたら自分の握ったものなんて、とてもじゃないけど客に出せないと言う。
「でも、自分が握った物を旨いって言ってもらえるって、すげぇ嬉しいもんだな。だけど、ここで満足してはいられねぇ。早く一人前になって爺さんには隠居してもらうんだ」
「爺さん孝行ってやつか?」
「まぁな。こんな人を傷つける事にしか使われなかった俺の手を、爺さんは人を喜ばせる手に変えてくれたんだ。恩返しがしてぇんだ」
佐久間はじっと自分の手を見つめそう語り、冷蔵庫から真っ赤に熟したリンゴを二つ取り出す。
「【壊し屋】なんて呼ばれて喧嘩に明け暮れていた。とっくに成人したいい大人がだ。正直、自分のこれからについて毎日悩んでいた。俺は、いつまでこんな事を繰り返すんだろうと。だけど、喧嘩最強という座を自ら手放す事ができなかった。俺には他に何もなかったからな、どうしようもない事でも誰かに認めてもらっているモノを失いたくなかったんだ」
リンゴに細かく切れ目を入れながら、佐久間の言葉は続く。
「そんな時に現れたのがお前だ、咲太」
「ん? 俺か?」
佐久間は頷き続ける。
「あぁ。また健二のアホが面倒事を持ち込んできたと思ってうんざりしていた。お前の面を見るまではな。こいつは強いと本能的に感じ取った。そして、まったく勝てる気がしなかった。初めてだぜ? 喧嘩する前に勝てる気がまったくしなかった事なんてよ」
佐久間は、がははと上機嫌に笑うのだが、手はずっと動いている。
「その割には勝つ気満々に見えたけどな」
「それはそうだろ! 負ける気で喧嘩する奴なんかいるかよ」
「まぁ、確かに……」
「結果、俺は手も足も出ずに完敗だったけどな……それで、踏ん切りがついたんだ。もうこんな生活は終わりにしようって。俺は最強でもなんでもないんだからこの席にしがみつく必要はないんだって。負けたのに気分は凄く晴れていたんだ」
佐久間は、一度言葉を切り、リンゴを二つの皿に盛りつける。
「お前には感謝してるんだ、咲太。お前がいなかったら俺はまだあの場所から離れる事は出来なかったと思う」
「いや、成り行きだったしよ。俺は、あんたの事を殴り飛ばしただけだし」
「がはは、それでもだ。ほら、この手でこんなのも出来るんだぜ?」
「すげぇ」
「綺麗です……」
格子状に細かい切り込みを入れた、所謂りんごの飾り切りで盛り付けられたデザートが出される。
「じいさんでも、家族でもない。俺の人生を変えてくれたお前に、俺の握った寿司を一番最初に食ってもらいたかった」
「そんな風に思ってくれるなんて光栄だよ」
最後にデザートのリンゴを堪能し、また来るとの約束を交わし店を後にした。
車のエンジンを掛け、駐車場を後にする。
「お代受け取ってくれませんでしたね」
「本当だよな。旨いもん食わせてもらったのにさ」
お代を払おうとしたのだが、定休日に金を貰う訳にはいかないと頑なに拒まれ仕方なく財布を引っ込めた。
「でも、凄く嬉しそうでしたな」
「まったくだよ。なんか、佐久間とはこれから長い付き合いになりそうだよ」
「サクの周りにはそういう人が多くていいですね」
「そうかな?」
「はい、そうですよ。羨ましいです」
「何言ってんだよ、紗奈にもいるだろ沢山」
「それはそうですけど、なんかサクのそれとは違うというか」
「う~ん、よく分からん」
♪~~~♪~~~~
「あッ、電話。紗奈、誰か見てくれる? Bluetoothつなげるの忘れてた」
紗奈にスマホを渡す。
「美也子さんですね、出ていいですか?」
「うん」
「紗奈です。はい、今運転中でして――」
少しの間、会話が続き紗奈は分かりましたと言って電話を切る。
「何だって?」
「サク、政府からの依頼です」
「うそ? ついに? 内容は?」
「連続失踪事件の捜査協力依頼です」
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