帰ってきた元親父 ㊥
田中圭太、齢四十代半ば。
俺の親父だ。いや、元親父というべきか……。
俺が消えていた間、母ちゃんがいるのに余所に女を作っただけでは飽き足らず、闇金に手を出した挙句にバックレた、どうしょうもないオッサンだ。母ちゃんの心労を考えると腸が煮えくりかえり、いつか俺の前に姿を現したらぶっ飛ばしてやろうと思っていた。
だが、不思議と本人を目の当たりにしたらそんな気が起きない。
ある程度時間が過ぎ、色々と忙しく過ごしていく中で親父に対する怒りが薄れた事が一つの理由としてあげられるだろう。しかし、それは、そこまで重要ではなく、一番の理由は、親父があの辛く苦しかった奴隷時代、母ちゃんと同様に俺が最も逢いたかった、恋しかった家族だったという理由が大部分を占めている。顔には出していないが、親父にこうして会えた事が嬉しいと思う俺がいるのだから。
それにしても、凄い変わりようだ。
どっかの野球選手と遜色ない白い歯が余計に目立つほどの褐色の肌に、以前の親父とは比べ物にならないほどにガッチリとした体躯。俺の記憶の中の親父は、なよなよとしたもやしっ子だったからな。まるで別人だ。
「ごめんね、上がるつもりはなかったんだけど……あぁ、これ懐かしいな。いただきます」
その外見とはかけ離れた、柔らかい口調。
それだけじゃない、なよなよしているところとか、親父の好物である母ちゃん特製フルーツジュースを美味しそうに飲む仕草……外見以外は、俺の記憶の中の親父そのものだ。
そして、親父の首元に掛かっている革製のバンドの中心には竜が二頭絡み合ったプラチナ製のリング。母ちゃんと親父の結婚指輪だ。結婚指輪に竜って……と常日頃感じていたため見間違えるはずがない。そんな俺の視線に気づいたのか親父は苦笑いを浮かべる。
「僕がこれを持っている資格なんてないのは重々承知しているんだけど、どうしても手放せなくてね」
親父は愛おしそうにリングを右手の親指と人差し指で転がすように触れる。
「もし、会う事があったらぶん殴ってやろうと思ってた」
「……うん、覚悟はできてるよ」
「急にいなくなった俺も悪かったけど、そんな時期に余所に愛人作って、しかも、借金までしてバックレて、母ちゃんがどれだけ大変だったか」
「……うん、最低なパパだよね……」
親父は泣きそうな顔を、いや、両目に涙を溜めている。泣き虫な所も変わらない。
この世界に戻ってきてからずっと引っかかっていた事がある。
親父は自分の口から漏らした通り、最低な親父だ。最低な親父だが、あれだけ母ちゃん一筋だった親父の心変わりが信じられなかった。
「何があったの?」
短い問い掛け。親父ならば俺の質問の意図を分かってくれるだろう。
「正直、僕も良く分かってないんだ」
「それは、どういう意味?」
「ママと二人で沖縄旅行に行ったの覚えてる?」
「うん」
異世界に召喚された時の旅行だろう。
「あの旅行で、久美さん、その……パパの浮気相手に出会ったんだ」
「……続けて」
「ママがマッサージを受けている間、一人で浜辺を散歩していたら浜辺に膝をついて探し物をしている女性がいてね、手伝ってあげようと話しかけると、僕の顔を見た彼女に何故かとても驚かれた上に、泣かれてしまったんだ。そんな彼女の反応に困っていると、急に抱き付かれてその……唇を奪われてね」
「ほぅ……」
「さっくんも知っている通り、僕は世界一ママを愛しているし、ママ以外の異性になんてまったく興味がない」
「うん、それは知ってる」
「そう、興味がなかったはずだったんだけど……その日を境に僕は久美さんの事が段々と気になり始めて、終いには久美さんの事しか考えられなくなってしまったんだ」
「ただ単に、その人に惚れたとかじゃなくて?」
「もしそうだとしても、あれは異常だよ。本当に彼女以外なにも考えられなくなっていたんだから。考えてみて? 僕があんな怖い人達からお金を借りると思う?」
「思わない」
即答できる。
親父は大学生にくせにJKに助けられるほど臆病で争いに向かない性格の持ち主だ。いくら金に困っているからといってあんな連中には死んでも近づかないと俺は確信している。
「それにいくら他の女性に惚れたからと言って僕が他人に迷惑をかけると思う? それも、ママにだよ?」
「絶対に思わない」
母ちゃんには “正直であること、目上の人を敬う、挨拶をしっかりする”という事を小さい頃から叩き込まれており、親父には人様に迷惑を掛けてはいけないという事を教えられている。当たり前のことかもしれないが、連日ニュースに流れているようにそれが出来ない人は世の中にごまんといる。
そんな親父が、それも母ちゃんに迷惑をかけるなんて天地がひっくり返ってもありえないと思っている。だから、親父がこんな事になってしまった事に疑問を感じていたんだ。
「ふふふ、ありがとう。そんな僕が、あんな怖い人達からお金を借りて、逃げた挙句にママに取り立てろだなんて……正直、僕自身が一番信じられないよ」
「いつからそう思う様になったの?」
「そうだね、久美さんと別れてから徐々に、そう思い始めたんだ」
そうなると久美って人の存在が気になるなぁ……。
「そんで、今はなにしてんの? 借金は?」
「この一年、休む間もなく遠洋漁船に乗ってたんだよ。年の半分はマグロをとって、もう半分はカニをね」
狭山……なんてベターな。
それなら、親父のこの変わりようも頷ける。
「それにしても、あんなに華奢だった親父がよくそんな肉体労働に耐えられたな」
親父はどちらかというと、机に齧りついて黙々と仕事をするタイプの人間だ。前職も管理部署で内勤だったし。とても、荒れ狂う海に立ち向かえるとは思えない。一度海に落ちた事のある俺は、海の恐ろしさを知っているのだ。
「ほんとだよね。パパ、思ったより肉体労働に向いてるらしくて、すぐに仕事にもなれて船長さんに認められるようになって、そこそこいい給金を貰えたんだ。それに加えて、運よくカニもマグロも大漁で、この一年で、あっという間に借金は返済できたんだよ」
「それは凄い……結構な額だったはずなのに」
「まぁ、命がけの仕事だしね。ここだけの話、一緒に出発した乗組員が帰りにはいなくなるって噂があるくらい危険な仕事なんだよ」
「そっか……まぁ、無事でよかった」
「それは、こっちのセリフだよ! 今までどこに行ってたの? いつ戻ってきたの?」
あぁ、そうか、親父の中では俺は行方不明のままだったからな。
「ちょうど一年前くらいに戻ってきたよ、それまでは……少し信じられないと思うけど、異世界に行っていたんだ」
俺は、異世界に行っていた事、そして戦闘奴隷として戦場送り出され処刑される直前にこっちに戻ってきた事を親父に説明した。
「そう……辛かったね。よく無事に戻ってきてくれたね」
「こんな途方もない話、信じてくれるのか?」
「当たり前だよ、さっくんが嘘をつくはずがないもん」
あぁ……こんな人だったな。
「それで、これからどうするつもりなんだ? 戻ってきたい?」
「……うん、ママとさっくんが許してくれるなら……」
「俺はともかく、母ちゃんがな……」
「だよね……だけど、すぐに許して貰えるとは思ってないから! 何年、何十年かかっても許して貰えるように頑張るつもりだよ。僕の人生は、ママとさっくんに出会ってから君達にすべて捧げているからね」
「俺もそれとなく援護するよ。もう一度話合える場を「ただいま~~あれ~? お友達でもきてるの?」って、うそ! もう帰って来ちゃった!?」
いつも読んでいただき、ありがとうございます。




