イドラ
「そろそろ上に行きますけど、師匠はどうしますか?」
師匠に真紀達を紹介した後、少しの時間他愛もない会話を交えた。
すぐにでも上に行きたかったのだが、魔力の消費というものに未だに慣れない俺にとって、先程の師匠との闘いはやはり身体に堪えたらしく、しばしの休憩が必要だったのだ。
「ここで一人もつまらんし、貴様らについて行くとするか」
とよっこらせッと起き上がる師匠は、俺から受けたダメージがまだ残っているらしくその動きは鈍い。
休んでろと言ってもどうせきかないだろうし、俺は師匠の同行について何も追及しない事にした。
「それにしても、ほんに強くなったのぉ」
「最初は生き延びるために死に物狂いでしたから。あの豚王はオルフェン王国が覇権をとれば俺達を元の世界に帰すと言ってたので……まぁ、今となってはあの豚王には無理だったと思っていますが、当時は藁にも縋る思いでしたから」
当時の事を思い出しながら俺は、当時胸に秘めていた思いをぶちまける。
「もし、師匠とミルボッチ王子が軍を纏めていたら、大陸制覇なんて簡単に出来たでしょうに。無能な糞豚共のせいでどれだけ無駄な犠牲を払ったか」
あの国には、大した実力もないくせに豚王の派閥でもっとも家柄が良い豚王の腰巾着が武と魔の将軍の座に居座っていた。あの豚王と同じ様に肥太った権力に溺れた豚共。
俺達は、そいつらの事を【三匹の糞豚】と呼んでいた。
「ミルボッチ王子……か。実に人格者で材に溢れた方であった。それを……ボボルッチめッ!」
ミルボッチ・オルフェン。
オルフェン王国の第三王子。あの豚王、ボボルッチの腹違いの弟だ。
PRINCE OF THE PRINCE、俺はそう呼んでいた。
まずは、八頭身くらいありそうなイケメンだ。三頭身のボボルッチとは比べる事自体間違っている。また、魔法の腕前は国内で右に出る者がいない程に長けていた。そして、国民から絶大な人気を誇っていた事もあり、いつか自分の敵に回り反旗を翻すのではないかと、ボボルッチはミルボッチ王子に恐れを抱いていた。恐れよりも全てを持っているミルボッチ王子に対しての嫉妬の方が強かったかもしれない。だから、俺達と一緒に戦地に放り込んだ。まだ、経験が浅いと言って大した地位も与えずに、だ。
何度も死地を潜り抜けた仲であるため、ボボルッチ王子と何度か会話を交えた事があるのだが――なんというか、本当に出来た人だった。
野心なんか糞くらえ、夢は部屋に閉じ籠って魔法の研究をする事。
穏やかで情が厚く涙脆い、争い事には向かない、そんなミルボッチ王子は国の為に王である兄の為に歯をくいしばって戦場を駆け巡り、九つ目の戦場で、窮地に追いやられた軍を助けるべく、魔力を暴発させ自爆死した。
もし、ミルボッチ王子の犠牲がなかったら俺は生きていなかったかもしれない。
「本当に、凄い人でしたよ」
俺はそれ以上何も言わず、歩みを進めた。
◇
最上階にはすぐに辿り着いた。
だだっ広い空間には、ポツンと円卓が置いてあり、赤いローブ姿の人物が静かに座っていた。
「咲太、後ろだ!」
真紀が指差す方へ視線を移す。
「さ、紗奈ちゃ……ん」
猛獣などを収監するような鉄製の檻の中に目を閉じ正座で座っている紗奈がいる。たまらず俺は「紗奈ッ!」と叫ぶ。
俺の声に反応したのか、徐々に紗奈の二つの眼が開かれる。
「……さ、く、サク……ッ」
頭の中が一瞬真っ白に染まった後、バケツ一杯の赤いペンキをぶちまけたかの様に真っ赤に染まる。怒りだ。怒りに染まっているのだ。
「紗奈に何をしたあああッ!」
俺は一瞬で赤ローブとの距離を詰め、赤ローブ目掛けて拳を振り下ろす――が、拳が届く前に赤ローブは霧の様に散り散りなる。
「いきなり殴り掛かって来るなんて、随分と野蛮な殿方ですね」
俺の背後から聞こえるか細い女性の声。それは凄く穏やかで温かみのある声だった。だからなのか怒りがすぅっと抜けていく、そんな感じがする。
俺はスーハースーハーと数回深呼吸し、気持ちを整える。――よし、俺は冷静だ。そして、俺はゆっくりと後ろを振り向く。
俺の攻撃を避けるために急に動いたからなのか、ローブのフード部分がはだけていた。
声の通り女の人だった。
繭の様に真っ白な髪は、ローブの中に入っており長さは分からないがおそらくかなり長いだろう、見目は二十代半ば位に見える。声と同じく凄く穏やかな表情の持ち主だが、生気を失ったかの様な彼女の翡翠色の両目だけには違和感を感じる。何か凄く深みのある、全てを見透かされている様な、そんな気分になるのだ。
「どうやら、気持ちは落ち着いたようですね」
「あぁ。あんたがイドラなのか?」
この場に俺の知らない人物はこの赤ローブしかいない。なら、必然とこいつがイドラだと思うのだが、念のために確認する。
「まぁ初対面で呼び捨てだなんて、私、これでも貴方の数倍は生きているのですよ?」
赤ローブは、まるで子供を諭すかの様に優しい口調で俺に返す。
紗奈をあんな風にした張本人だろう人物が俺に説教をたれている、普通なら怒りを爆発させてもお釣りがきそうなシチュエーションなのだが、不思議と怒りは沸かない。
逆に、何だか俺が悪い事をしたかのような罪悪感が押し寄せる。
「ふぅ。失礼しました。見た目が俺とあまり変わらないようだったので。俺は服部咲太です。貴方がイドラさんで間違いないでしょうか?」
「ふふふ。良くできました。そうです、私がイドラです。それにしても……あなた方がここまで来られたと言うことは」
イドラはチラッと師匠の方を見る。
「がははは、ワシの負けですじゃ!」
「あらまぁ、先程の動き、只者ではないと思っていましたが、まさかオニール様を……それにしても、負けたのに嬉しそうですね。オニール様は、もっと負けず嫌いだと思っておりましたが」
「イドラ殿のいう通りワシは超が付くほど負けず嫌いじゃ! 悔しくて悔しくてたまらんのじゃが――それよりも弟子の成長が嬉しくてたまらんのじゃッ、があはははは!」
「弟子? というのはどういう事ですか? この世界の殿方である咲太様とオニール様がぜ……?」
「こやつは、オルフェン王国の愚行の被害者ですじゃ」
「と、仰いますと。咲太様は、召喚奴隷なのですか?」
「その通りですじゃ。二十五人中、唯一の生き残りですじゃ」
「まぁ、では、咲太様は【殺戮者】なのですか?」
「【殺戮者】? なんじゃそれは。ぷッ、貴様そんな恥ずかしい呼び名で呼ばれておったのか?」
いや、恥ずかしいって……。全然考えた事もなかったが、そうやって言われると段々恥ずかしくなってきたぞ。
「まぁ、オニール様はご存じないのですね。【殺戮者】といえば、人族の大陸を震撼させた恐怖の対象なのですよ」
「がはははは、ずっと幽閉されていたからそういった事に疎くてのぉ。恐怖の対象とは、いつもワシにぼろ雑巾にされていたあのサクタが立派になったもんじゃのぅ」
「ぼろ雑巾……って」
「なるほど、それなら咲太様の強さも納得ですわ」
「てか、こんなのほほんってしている場合じゃないしッ!」
何かイドラと話しているとペースを乱されるというか、イドラのペースに巻き込まれるというか。
「紗奈に何をしたんですか? 紗奈をあそこから出してください! じゃなければ力づく「えぇ、いいですよ」でも……って、そんなあっさり?」
「はい、いいですよ。オニール様を負かすような殿方、私では到底太刀打ち出来ませんもの」
そう言って、イドラが紗奈の入っている檻についている南京錠に手を翳すとパキンと音を立てて、南京錠は床に落ちると同時に光の粒子となって消えていく。
そして、イドラが檻の中にいる紗奈の額に手を当てるとイドラの手はすぅっと紗奈の額に吸い込まれる様に入っていく。
「ちょ、あんた! 紗奈に何してるんだ!」
「落ち着くんじゃ、サクタ。あれはイドラ殿の能力じゃて」
イドラに飛びつこうとする俺を師匠が制す。
「能力って、だって、手が頭に」
「落ち着けと言っとるんじゃあああこのバカ弟子がッ!」
「いてっ」
師匠の鉄拳が脳天に直撃する。パニックになっていたせいか避けられなかった。
「ほれ、見て居ろ」
脳天を擦りながら、今一度紗奈の方を見てみる。
「って、なんだあれ……」
紗奈の額から、真っ黒な糸の様な物を引っ張り出されると同時に先程まで虚ろだった紗奈の瞳に光が戻る。
「あ、れ……? なんともない……」
「大した娘ですね、まさか私が一週間かけても洗脳できないなんて」
そう言って、イドラは檻の中から紗奈を抱きかかえ俺に手渡す。
「紗奈ッ!」
「サ、ク……おかえり、なさい」
「そんな事より大丈夫なのか?」
「眠い……だけで、ごめんなさい、少し眠ります……すぅ」
急に眠り出した紗奈を心配していると、イドラは「大丈夫です、眠っているだけですので。私の洗脳に抗うためにここ一週間、彼女は一睡もしていないのですよ」
「ならいいですが、そもそも、何で洗脳なんて」
「そうですね……彼女が私の事を嗅ぎまわっていたので、洗脳して色々と聞きだし、私に害を為す相手であれば手駒にしようとしたのですが、まさか、一週間も寝ずに抗うなんて、尋常じゃない精神の持ち主ですよ」
「まぁ、紗奈も【殺戮者】の一人ですからね」
「なんじゃと? ワシの記憶にあんな娘はおらなんだが……」
今の紗奈の姿を師匠は知らないからな。
「No.12です。彼女はあの世界で処刑され、魂だけこっちの世界に戻ってきて、今の身体と融合したんです」
「なるほどな、ワシが知らんわけじゃのぅ」
隊長は納得した様にポンと手を叩く。
紗奈は、無事だったし。後は――――本題だ。
「イドラさんは、この世界で何がしたいんですか?」
この人の目的が何なのか、はっきり言って分からない。
おそらく、彼女の力で魔王様を洗脳したのだろう。そして、【憑依者】共をこの日本に放った。さっきの守衛や何とかっていうホストに力を与えた。この世界を支配するために戦力を集めているのかと思っていたら、このビルで俺達の前に立ち塞がったのは師匠だけだったし……良く分からない。
「どこから話せばいいですかね」
口に手を当てて考え込むイドラは、考えが纏まったのか俺達をテーブルに掛ける様に促す。
そして「まず、私の話からしましょう」と語りだした。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。




