敬礼
「そう言えば、何で買い出しなんて行ってるんだ? 鈴さんは?」
うちの課には、最強の給仕係である鈴さんがいる。いつもなら身の回りの事は全て鈴さんが手際よくこなしてくれる。
特に絶妙な栄養バランスを備えた有名店顔負けの絶品料理の数々。その実、俺は用がなくても鈴さんの料理目当てに出勤している事も多々ある。美也子さんにはいつも煙たがれるけど、そんなの気ならないほどに、鈴さんの料理は旨いのだ!
なので、今までこうやって買い出しに行くなんて事はなかった。
「あぁ~そっか。お前まだうちに入ってそんなに経ってないんだよな。ははは、なんだかお前といると昔からの付き合いの様に感じて、いつもそこんとこ忘れちゃうぜ!」
真紀の言っている事については俺も同感だ。
六課の一員になって半年も経っていないのだが、不思議と体感的にはそれよりもずっと長く六課のみんなと一緒に過ごしてきたかの様に感じる。【憑依者】という共通の敵と対峙してきたという、濃い時間を共に過ごしてきたからなのだろうと勝手に納得するが、実際の所は俺も良く分からない。
少し話はそれるが、課内の関係は良好だと思う……接した方はそれぞれではあるけど。
特に口も態度もすこぶる悪い美也子さんも何だかんだいってみんなを凄く大事に思ってくれているのが今となっては俺でも分かる。
分かると言っても、美也子さんは、自分の旦那の事を惚気る時以外は非常に口下手であるため、頭で分かると言うよりも心で分かると言った方がしっくりくる。
どんな気持ちいい言葉を並べられるより、心対心の方がより信用できる。だからか、六課のメンツはどこか心で繋がっている、そんな感じがするんだ。
「鈴さんはこの時期になると定期健診で一週間ほど不在なんです」
「定期健診? どこか悪いのか?」
「えぇっと、どこから説明したらいいのか……」
「二人ともそれは後にしろ」
そう言って真紀が立ち止まった場所は、六課の事務室の前。
真紀は「こっちが先だ」と行って、事務室の自動ドアを開けた。
◇
久しぶりの事務所は、何というか……凄く散らかっていた。資料や弁当の空き箱、菓子パンの袋、空きペットボトル等々、散乱という言葉がぴったりな状況だ。
鈴さんがいる時は、埃一つもないほど奇麗に整頓されているのに……これは鈴さんショックと言っても過言ではないだろう。
だが、そんな鈴さんショックよりも気になる事がある。
それは室内の雰囲気だ。
普段は和やかでゆっくりと時間が流れているのだが、今日に限ってはもの凄く殺伐としており、何だから焦りを感じる。明らかに異常な空気がそこら中に漂っていた。
俺は、一瞬でこの異常な空気の元? いや、理由が分かった。
美也子さんだ。
いつも、どーんと構えて、唯我独尊的な美也子さんがおかしい。いつもの様にソファーに座っているのだが、両手で頭を抱えている。いつもビシッとセットしている髪も数日洗ってないみたいにボサボサで、皴一つなかったスーツも皺くちゃになっていた。
最初に俺に気付いたのは、車両担当の海さんだった
「さ、咲太君!」
「ただいま戻りました!」
「よかった! 無事に戻ってきたんだね! ほら、美也ちゃん、咲太君が戻ってきたよ!」
海さんは、喜びを隠せない様子で、美也子さんの肩を揺らす。
「さくた……」
「っ!?」
顎を上げ、俺を見上げる美也子さん。その顔は憔悴しきっていた。
元々、化粧っ気はあまりない方だが、完全にどスッピンだ。だからなのか、両目の下を痣の様に薄黒く染めているクマがヤケに目立つ。
俺は、美也子さんの前に移動し今までした事もない敬礼を向ける。
「服部咲太、ただいま異世界から帰還いたしましたッ!」
室内を静寂が支配する。あれ、何この空気? もしかして、スベった?
そんな事を内心思いながらも、俺は敬礼の姿勢を崩さない。崩さないというよりは、崩すタイミングが分からない! そんなこんなで、若干パニックに陥りそうになると。
「……ぷッ、ぷあはははははは、何だ咲太、その締まりのない敬礼は、お前は私をおちょくってるのか?」
何故か美也子さんに爆笑された。その隣で海さんが「美也ちゃん、よかった……」と少し涙目になったいるのをみると、美也子さんの笑い声なんて久々に聞いたのだろう。
「いや、敬礼とかやった事なかったんですけど、ほら、俺、一応任務みたいのであっちの世界に行っていたわけですし……任務から帰ってきたらこれかなって……」
段々と小さくなる声を頑張って振り絞る。
「ぷふふ、お前、顔真っ赤だぞ? ぷははははは、それに、何時までやってるんだ」
「ていうか、逆に何時までやればいいんですか? これ……」
「いひひひひ、い、何時までって、いひひ、お前は、私を笑い死にさせるつもりかああッ」
「いや、本当に分からないんですって、てか、何時まで笑ってんすか! 俺が恥ずかしい人みたいじゃないですか!」
「あははははは、お前はいつも恥ずかしいやつだよ! 脱帽時は、普通はお辞儀でいいんだよ」
その後、美也子さんは「でも」と続け、ソファーから立ち上がる。
「服部咲太君、良く無事に帰ってきた!」
美也子さんは、俺に併せる様に敬礼を返してくれた。
一本筋の入った、ビッとした態勢。指先、つま先ひとつとして無駄のない流れる様な動作は、正直かっこよかった。
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