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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第四部01 マリアの夫
99/234

相容れない (1)


町の診療所に駆け付けると、パーシーは診察室の椅子に座っていた。

自分で椅子に座り、マリアを見て笑顔を向けるぐらいの元気はあることにホッとしつつも、マリアは一目散に息子に駆け寄る。


「パーシー、怪我をしたと聞いたわ。大丈夫?怪我はどれぐらい酷いの?」

「僕は大丈夫です。騎士となるべく日頃から鍛錬は欠かさないようにしていますし、父上のしごきに比べればどうってことはありません」


どこか誇らしげにそう話すパーシーに、マリアは苦笑する。幼いパーシーに、ウォルトン団長はすでに本格的な教育を始めているようだ。


でも、診察のために軽装となっているパーシーの服のすそからは包帯が……服をめくってみれば、腹部に大きく巻かれている。小さな身体にはあまりにも不似合いなそれに、たまらずマリアはパーシーを抱きしめた。


「僕は本当に大丈夫です。でも、僕の未熟さのせいでダニエルが……それに、父上も……」


パーシーが、カーテンの引かれたベッドに視線をやった。

カーテンの向こうでは、案内役として同行したダニエルが横になっている。


人の気配に気づいたダニエルはぱちっと目を開け、マリアを見て申し訳なさそうに頭を下げた。


「公爵様……私なら大丈夫です。もう年寄りですから、怪我をすると治りが遅くて……それで、治療も大袈裟になってしまっただけです。本当に、大したことはありません」


ベッドに横になるダニエルも、身体のあちこちに包帯を巻いていた。

何があったの、とマリアは尋ね、ダニエルは詳細を話し始めた――。




ダニエルに案内され、ウォルトン団長と息子パーシーは、オルディス公爵領の森林地帯に足を踏み入れていた。

なだらかな丘となっていて、心地良い音を立てながら大きな川が流れている。


父親の馬から降りたパーシーは、川に近づいて水辺を覗き込んだ。手を伸ばして触れてみれば、冷たくて気持ちいい。


「こういうところに来ると、出会ったばかりの頃のマリアを思い出す」


息子の隣に立って自分も川を眺めながら、団長が言った。


「ベルトランドで開かれた馬術競技に参加していた彼女に、一目で魅せられたんだ。あどけない顔立ちに、背丈も際立って高いわけじゃない。だが男の参加者たちの中に混ざっても埋もれることのない凛とした姿は、本当に美しかった。それで彼女を追いかけてオルディス領にまで来てみたら……こんな感じの川で、オフェリアと無邪気に水遊びをしていて」


団長は屈み、川に手を伸ばして水の冷たさを確認しているようだった。母の思い出話をする父親の顔を、パーシーはじっと見上げていた。


「ベルトランドで見た姿とは全然違っていてな。そのギャップに、堪らなく惹きつけられたというわけだ」

「その頃の母上はおいくつだったのですか?」


パーシーの問いかけに、十四だ、と団長は答える。


「父上は?」

「僕か?僕は三十……いや。誕生日は来てなかったから、二十九だ。三十にはなってなかった」


ギリギリだが、と団長は言う。三十歳にはなってなかった、というのはウォルトン団長にとってかなりこだわりのポイントらしい。


「どっちにしろ、十四歳の母上に一目惚れするにはアウトな年齢です。父上は十分変態ですよ。ジェラルド様のことを笑えませんね」


ニヤニヤと話すパーシーの頭を、こら、とウォルトン団長が拳骨でぐりぐりと罰する。パーシーも抵抗するような声を上げてはいるが……二人とも、楽しそうに笑っていた。

微笑ましい親子のやり取りをダニエルも笑顔で見つめ――そんな一同のもとに、女性が一人、駆け寄ってきた。


「もし、そこの御方!どうか馬と、お力をお貸しくださいませ!薪を拾いに来たのですが、義母が、足をくじいてしまって……!」


懇願する女性に、騎士が応じないはずもなく。

ウォルトン団長は、すぐに彼女に案内を求めた。パーシーもちょこちょこと父親の後を追い、ダニエルも彼らについて行った。


女性と共に向かった先には、地面に座り込む老婆と、なにやら老婆に説教されている青年が。


「あたしを年寄り扱いするんじゃないよ!こんなもん、唾でもつけておけばすぐに良くなるさ!」

「い、いえ、そういうわけには……もうお年ですし――ぐはっ!」


会話から察するに、大奥様と、その家に仕える従者のようだ。大奥様は、年寄り扱いされてご立腹らしい――実際、かなりの年寄りだ。

足をくじいた老主人を気遣うのは、従者として当然の行為なのだが……彼女はそれが気に入らない。それで叱られてしまう青年は、いささか気の毒だ。


機嫌の悪そうな老婦人に、ウォルトン団長はためらいなく近づき、彼女の前に跪く。


「失礼――私は、王国騎士のウォルトンと申します。どうやらお困りのご様子……美しいレディを助けるのは騎士の務め。あなたを助けることで、私を一人前の騎士にしていただけませんか」


あら、と老婦人はまんざらでもなさそうな声を上げた。


大柄で厳ついながらも、ウォルトン団長は整った容姿をしているし、彼の低音美声は、キザったらしい台詞を魅力的に響かせる。

レディ扱いされ、老婦人はころっと機嫌を直した。


「ほほほ。あと十年若ければ、あたしもこのチャンスを逃さないんだけどね」


老婦人に意味ありげな視線を送られてもまったく動じることなく、笑顔で対応するウォルトン団長はすごいなぁ――ダニエルは心の中で、ものすごく感心していた。


「パーシー。僕は彼女たちを町まで送ってくる。おまえは、ダニエルとここで待っていろ」


老婦人を馬に乗せ、ウォルトン団長は息子に振り返りながら言った。

老婦人が、馬の上からパーシーをじっと見つめる。


「あんたの息子かい?」


団長が頷くと、良い子そうだねぇ、と老婦人はご機嫌で言った。


「あと十年すれば、あたしが相手してやってもいいよ――ほら、あんた、何をボサっとしてるんだい。この子に、オレンジのひとつも渡してあげないか」


自分の家の従者に向かって、老婦人が指示をする。薪を背負った従者は、提げたカバンを漁り……パーシーの顔と同じぐらいの大きさのオレンジを差し出した。


パーシーは可愛らしい笑顔でそれを受け取り、ありがとうございます、と老婦人に礼を言う――女性への対応の良さは、どうやら父親似のようだ。


「すみません。それでは、よろしくお願いします」


最初に助けを求めてきた女性がぺこりと頭を下げ、ウォルトン団長は老婦人を乗せた馬を引き、女性と従者と共に町へと降りて行った……。


「……どうして薪拾いをしに来て、こんな大きなオレンジを持ってるんでしょう」


一行の姿が見えなくなると、両手で抱えたオレンジをじっと見つめ、パーシーが呟く。

お弁当ですかね、とダニエルも苦笑いで答えた。


「父上が戻ってきたら、剥いて一緒に食べましょうか」

「それがいいと思います」


パーシーとダニエルは川辺に戻り、パーシーは川のそばに座って水の中を眺めていた。手に持ったオレンジを川の水で洗ってみたり……。


「助けて!誰かぁ!」


聞こえてきた女性の声に、パーシーもダニエルもパッと顔を上げた。

必死な声に……エンジェリク語ではない言葉。


声がしたほうに振り返ってみれば、いかにも訳ありな身なりをした少女が、林から飛び出してきた。声以上に、彼女の表情は必死だ。

そんな彼女を追いかけて、林から馬に乗った男が三人……こちらはかなり上等な身なりで、その上等な衣装も台無しにするほどあさましい表情だった。


男たちは異国語で喋り、逃げる少女を愉しそうに追い詰めている。一人が縄を投げ、それが少女の首に絡まった。苦しそうに縄を外そうともがく少女に、男たちは大笑いしていた。


ボコン、と小気味良い音を立てて巨大オレンジが男の顎にヒットする。下方向から顎に投げつけられ、縄をつかんでいた男は馬から放り出された。


「そのご婦人を放せ!」


完璧なコントロールでオレンジを投げつけたのは、パーシーだった。

幼く繊細な美貌ながらも、その迫力はウォルトン団長と似通っていた。


男たちは喚き――それがオーシャン語であることが、ダニエルにはすぐに分かった。ダニエルは外国を旅してきてから、多様な外国語を習得している。

オーシャン語に、上等な身なり。彼らが何者なのか……心当たりはあった。


「オルディスでそのような不埒な真似は許さん!母上の名誉を穢す連中め!」


男たちも、エンジェリク語が話せないわけではないだろう。パーシーの言った、母上、という単語に反応している。

目の前の少年が何者なのか、男たちも悟ったに違いない。


「あの魔女の息子だ……!」


男たちの会話から、その台詞だけはダニエルも聞き取った。


パーシーは腰から剣を抜き、男たちに突撃する。パーシーの剣は父親からプレゼントされた木製のレプリカだが、騎士の父親に鍛えられたパーシーは、攻撃の仕方を熟知していた。


自身の小ささを逆手に取り、馬の足元に潜り込んで鋭く突き上げる――腹を突かれた馬は、痛みに驚いていななき、乗り手を振り落とした。無様に地面に放り出された男に、パーシーは容赦なく追い打ちをかける。

的確に、首を狙って剣を突き――自身の非力さも、武器の脆弱さも、パーシーはよく理解し、自分に合う戦い方を身に着けていた。

対して、男たちのほうはろくな戦闘訓練を受けていない。大人の子どもの差があっても、これほど鍛錬の差があっては、パーシーに敵うはずがない……。


最後の一人も不利を察し、馬を捨てて逃げ出した……ように見えた。

違った。

最後の一人は、いつの間にかその場を逃げ出そうとしていた少女を捕え、飾りばかりで実用性のなさそうな剣を抜き、少女に突き付けた。


「武器を捨てろ!この女がどうなってもいいのか!」


卑怯な、とパーシーが怒りを込めて吐き捨てる。だが、追い詰められた男が少女を傷つけることにためらうはずがないことはパーシーも分かっていた。

男を睨みつけたまま、武器を降ろす。


最初に馬から放り出された男が、痛む身体を抑えながらもニヤニヤと笑い、腹をめがけてパーシーを蹴り上げた。

攻撃を覚悟していたパーシーはしっかりと防御態勢を取ってその一撃を受けたが……幼い身体はたやすく吹っ飛び、地面に倒れ込むパーシーに、ダニエルは慌てて覆いかぶさった。


「ダニエル、そこを退け!これは僕の責任だ!」

「嫌です!坊ちゃまの命令でも、これだけは聞けません!」


復讐に燃える男たちは、パーシーをかばうダニエルに攻撃を続ける。パーシーはダニエルの身代わりを拒絶するが、ダニエルも譲れない。

大切な、いまは亡き主人の孫……主人と同じ目を持つ少年を見捨てられるはずもなく。どれほど攻撃されようとも、ダニエルはしっかりとパーシーを抱きしめ、身を挺して男たちから守った。


その時、ダニエルは馬の鳴く声を聞いた。

復讐に夢中になっている男たちは気付かないようだが……馬が、こちらに向かって走って来る。見覚えのある馬。乗っている男の迫力は、ダニエルも息を呑むほどだった。


普段の陽気な雰囲気を微塵も感じさせず、厳格な騎士の顔で。ウォルトン団長は怒涛の勢いで馬を走らせ、剣を抜いた。


「お、おい……」


男の一人が、こちらに近づいてくるウォルトン団長に気付き、怯えた。

あんな男が向かって来たら、誰だって逃げ出したくなる。だが、狙いを定めた王国騎士団長からは逃げられるわけがなかった。


相変わらず復讐に夢中になっている仲間を見捨て、男が逃げ出す。ウォルトン団長は小ぶりの短剣を取り出し、男の足めがけて投げつけた。

足に攻撃を受け、男は倒れ込む。呻きながら倒れる仲間を見て、ようやく他の男たちも団長の存在に気付いた。

――しかし、遅すぎた。


ウォルトン団長はすでに剣を振り下ろし、彼らを斬る。ほんの一瞬の出来事に、彼らは何が起きたのかも分からないまま……地面に転がる、自分たちの腕を見つめていた。


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