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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第三部04 セイランに名を残す傾国
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誑かされた男 (2)


後宮は平和だった。


マリアの妊娠をきっかけに、シオン太師は後宮の警備を強化し、人事にもかなり口出しするようになった。それまで苦手意識があって、自ら関わることに消極的だったのに。


「マリア様とその御子が、とても大切なのですわ。ご主人様は、本当に自分の子のように思っているのでしょう」


マリアが意外そうにしていると、リーシュは笑顔でそう説明した。


シオン太師は、マリアの子を本当に我が子と思って接してくれている。父親は誰なのか、問われたことすらない。

……口に出すこともできない相手だ。不誠実なことだと分かっていても、父親として振る舞う太師の子として、マリアもお腹の子に接していた。


「ところで、リーシュ、最近ヤンズは忙しいの?シャンタン様が、ヤンズが授業をお休みするのをとても残念がっていたけど」


リーシュの弟ヤンズは、皇帝と皇后の教師を務めていた。

正式な教師が見つかるまでの代理のはずだったのだが、すっかり二人が気に入ってしまって。


ヤンズも、教師が天職であることを感じ始めたらしい。亡き実父や、恩人であるシオン太師の跡を継ぎたくて武官を目指していたが、太師や姉のリーシュはそれにさりげなく反対していて。本人も、ついに自分には向かないことを認め、新たな道を選び始めていた。


そんなヤンズだが、最近は授業をお休みにしていた。


「はい。ご主人様からの頼まれ事で……ヤンズは、本当に忙しいみたいです。私も、ここ数日、あの子の顔が見れておりません」

「あなたにまで会いに来ないとなると、本当に忙しいのね」


ヤンズは、姉にはこまめに会いに来ている。たった一人の肉親だし、姉弟の絆は強い。

それが数日会いに来ないとなると、やはり姉としては心配らしい。


「そう。それじゃあ、会いに行きましょうか」

「は――えっ?」


頷きかけて、リーシュが困惑する。

そんな反応もお構いなしに、マリアは彼女を連れ、後宮を出た。




ヤンズは、刑部の執務室にいた。以前は刑部尚書の部屋であっただろう場所。刑部尚書の座は、いまは空白となっている。元・尚書の私物化が激しかったため、それは一時的に皇帝の権限に――そして、そんな皇帝の後見人であるシオン太師の権限に。


ヤンズは太師の従者でもある。事務仕事を、太師の代わりに手伝うこともあって。

今回も、太師を手伝っているようだ。

それにしても。


「すごい書類量ね。これを、ヤンズが一人で?」


部屋を埋め尽くしそうな量の書類に囲まれたヤンズは、ちょっとやつれたように見える。


「ええ、まあ。刑部の監査も兼ねているので、刑部の人間には任せられませんし。かと言って、他に手伝ってもらう相手も……」


最後のほうは、モゴモゴと口ごもった。

任せられるような相手が、太師にはいないのだろう。宮廷や王都での生活を嫌ってきたから、伝手がないのだ。


「もしよければ、私が手伝うわよ。エンジェリクでは、いわゆる刑部にあたる部署で秘書をしてきたから、少しぐらいは役に立てると思うわ」

「お願いします!是非!」


食い気味に即答され、マリアのほうが苦笑してしまった。




……どこへ行っても、こうなるのね。

そう思いながらも、悪い気はしない。働くのは好きだし。

思いもかけずに身に着けた特技だったけれど、いつまで経ってもマリアを助けてくれている。


書類をせっせと片付けながら、ヤンズに指示を飛ばす。マリアが指示をする立場になるのは、これが初めてだった。

マリアの指示を受け忙しなく書類を整理するヤンズを見ながら――なんか、いまの自分は、デイビッド・リースをほうふつさせるような。


「おい!何をしておるのだ!」


ドスドスと、シオン太師が血相を変えて駆け込んできた。

書類が崩れます、とマリアは叱り飛ばした。


「まだ整理途中なのですから!それを直すところから始めるなんて御免ですよ!」


マリアから本気で怒られて、シオン太師はすまん、と素直に謝罪する。


「い、いや、そんなことより!マリア、こんなところで何をしておる!部屋で大人しくしておかんか!」

「シオン様。後生ですから、マリア様を取り上げないでください!」


今度はヤンズが、シオン太師の言葉を封じ込めた。

涙目で懇願され、太師は怯む。


「この書類を一人で片づけるなんて無理です!マリア様が手伝ってくれないなら、もう書類ぶちまけて死んでやりますから!」


……その台詞、どこかで聞いたことがあるような。

太師は、ぐぬぬ、と言葉に詰まっていた。


「ご主人様。ヤンズに頼らなければならない状況については、私も理解しております。ご主人様は他にもお仕事抱えていらっしゃいますから、結局ヤンズ一人でこなさなければならないことも」


リーシュも静かに切り出し、口を挟む。


「けれど、この量をヤンズ一人で、というのはやはり……。私も、さすがに弟が心配です。どうか、このままマリア様に手伝って頂いて、ヤンズを助けてほしいのですが」


リーシュにまで懇願されては、太師も反論できないようだ。

実際、これは重要な仕事で、なるべく早めに片付けてしまう必要がある。だが圧倒的人手不足なのも、これまた事実なわけで。


「シオン様。これは、私の単なるわがままで済むことではありませんわ。使えるものは使って、早く片付けてしまわないと」


マリアが言った。


「ちゃんと体調には気をつけます。この手の仕事はずっとやってきましたから、無理はしません」


安心させるように、太師に向かって微笑みかける。太師は、顔をしかめて少し悩む様子を見せた後、諦めたようにため息を吐いた。


「……正直に言えば、おまえが手伝ってくれるなら助かる。頼まれてくれるか」

「もちろん。喜んで」




太師からの許可ももらって、マリアは正式にヤンズの仕事を手伝うことになった。

刑部の書類――やはり、警視総監の秘書をやっていた経験は大いに役立った。何もかもが同じというわけではないが、マリアで何とかなりそうだ。


刑部の仕事を手伝うとなれば、刑部の書類や資料を見るのもごく自然なこと。

書類を片付ける合間に資料庫に入り浸るのが、マリアの楽しみでもあった。


資料にすべてが記されているわけではなく、刑部尚書によって隠匿されたもの、捻じ曲げられたものもあるだろうが……得られる情報も……。


「あっ、うわわ……」


クリスティアンの焦る声が聞こえて、マリアは持っていた資料から顔を上げてた。

見れば、高いところにある資料を取ろうとして、資料棚から余計なものもぶちまけてしまったらしい。

あらあら、とマリアは笑う。


「クリスティアンったら。高いところのを取りたいのなら、私に言えばいいのに」

「母上ったら、何を言ってるんですか」


落としてしまった資料を片付けようとすると、クリスティアンが目を吊り上げて怒った。クリスティアンが使っていた脚立を使おうと思ったのだが、ダメです、と畳みかけてくる。


「危ないことをしてはいけません!母上、いまの自分がどういう状態か、ちゃんと自覚してください!」

「もう。みんな大袈裟なんだから」

「まったくだぜ。なんで素直に人を頼らねーんだか。自分でやろうと無茶しやがって――親子そろってさ」


呆れたようなララの声に、マリアとクリスティアンはそろって振り返った。

資料庫の出入り口に、ララが――マリアの護衛も兼ねて、ララも一緒に来てくれていたのだった。


ララなら、脚立がなくてもクリスティアンが手を伸ばしていた棚にまで届く。

それを見ながら、クリスティアンがぷうっと頬を膨らませた。


「僕は無茶なんかしてません。誰もがうっかりやってしまう、ちょっとしたミスです」

「へいへい。そういう言い訳をするところ、だんだんマリアに似てきたな」

「だって親子だもの」


最後の台詞は、マリアとクリスティアン、二人揃ってハモってしまった。


ぶちまけてしまった資料を片付けた後、マリアとクリスティアンが持っていた資料を取り上げ、ララが言った。


「ほら。そろそろ後宮に戻るぞ」

「もうそんな時間?」


あら、とマリアは目を丸くする。

資料庫は、資料の保管のために、窓がない。日の光も届かず、外の様子も見えないので、時間の感覚を失いがちだ。


妊娠中だから、仕事はちゃんと抑えないと。マリアにも、それぐらいの節度はある。

……時々忘れてしまうので、ララがしっかり見張っているのだが。


「刑部のお仕事は、順調ですか?」


後宮へ戻る道すがら、クリスティアンが聞いた。


「だいぶ片付いたわ。後宮で暮らすようになってから暇で暇で堪らなくて、久しぶりの仕事に舞い上がっちゃった」


セイランの後宮に入ってしまうと、マリアは働くことを禁じられてしまった。それが後宮で暮らす女に課せられたルールらしい。

マリアもそれに従って仕事は控え、後宮では勉学と芸事の稽古と……あとヤバい系の料理の研究に専念していたのだが、そんな生活にフラストレーションが溜まっていたようだ。久々の仕事に、はしゃぎ過ぎてしまった。

おかげさまで、未処理の書類もヤンズの体重もずいぶん減った。


「あの書類がなくなってしまったら、仕事をする口実もなくなっちゃうのよね。それは残念……」


マリアの腕を、突然ララが引っ張って来る。自分の後ろに下がらせて……体勢を崩して、マリアは床に倒れ込んでしまった。

ちゃんとお腹をかばって倒れたけれど、クリスティアンが蒼白になって駆け寄ってきて、マリアを気遣う。


だが、ララを責められない。

ララは剣を抜き、マリアを襲おうとした敵と対峙していた。相手が強くて、ララはマリアをかばう余裕がない。


「あんた……自分が何してるのか、分かってんのかよ!?」

「……分かってる。自分が何をしようとしているか、ちゃんとな!」


つばぜり合いとなった剣に力を込め……ララのほうが、圧されている。

やはり、次期将軍と評されるだけあって、ダリスは強かった。彼の実力は本物なのだ。


「その女の腹にいる子ども……その父親は、華煉の男なのだろう!?メイレンが死んだのに、なぜそんな奴が生きているんだ!」


マリアを真っすぐ睨むダリスの目には、紛れもない憎悪が込められていた。マリアのお腹の子を狙って。ララが阻んでくれているが、その剣に迷いはない。


「なかなかやるな。セイランでも、そこまで強い男は少ない。だが……」


つばぜり合いの膠着状態から、ダリスが動いた。

ララの剣を弾き、素早く防御態勢を立て直すララに、強烈な斬撃を食らわせる。ララは、それを防いで……なんとか凌ぐので、精一杯だ。


「手加減しながら、俺に勝とうとか……舐めるんじゃねえっ!」


ダリスの攻撃をもろに受け、ララが吹っ飛んだ。

クリスティアンは必死でマリアを背中にかばい、ダリスの前に立ち塞がる。マリアはクリスティアンを抱きしめて、自分の腕の中にかばおうとするのだが、クリスティアンが嫌がって……。


ダリスも、少しだけためらっているようだった。だけど、たぶん……彼は本気だ。クリスティアンも、マリアも、容赦なく斬るつもりでいる。

でもそのためらいが、ララに復活する猶予を与えた。


「……ざ、けんなよ!こっちだって、本気なんだっての!」


思わぬララの反撃に、ダリスも怯む。


「俺の目的は復讐じゃなくて、護衛なんだよ!殺せばいいってだけのあんたに、馬鹿にされる覚えはねえ!」


マリアの護衛をやっていると、無茶ぶりな戦いを強いられるのもよくあること。

ララは相手を殺してはいけないのに、相手はララを本気で殺しにかかってくる。そんな条件でマリアを守ってきたのも、もう一度や二度ではない。


復讐に取りつかれたダリスであっても、ララは彼を殺すことはできない。セイランで、セイラン皇族を勝手に殺してしまうわけにはいかない。ダリスが、マリアを本気で殺そうとしていても……邪魔をするララやクリスティアンすら、手にかけるつもりであっても。


いまのダリスを止められる人間は、一人しかいなかった。


「ダリス!止めぬか!」


シオン太師の攻撃には、ダリスも耐えられるはずがなかった。剛腕な太師の剣に、ダリスの剣は折れ、完封された。武器を失った甥の顔を容赦なく殴り飛ばし、太師は兵士たちに捕縛を命じる。


連行されるダリスの後姿を苦々しい表情で見送り、床に座り込んだまま呆然と事の成り行きを見守っていたマリアを、太師が抱きしめる。


「無事か。駆け付けるのが遅れてすまぬ」

「いえ……助けてくださって、ありがとうございます」


太師を抱きしめ返しながら、マリアは大きくため息をついた。


今回のことは、ただの始まりにすぎない。マリアのお腹の子は、このセイランで歓迎される子ではない。

たまたま最初に行動を起こしたのがダリスだった。それだけだ。

この子は、生まれるべきではない――そう分かっていても、自分を守ってくれる太師の腕に甘えて、マリアは我が子を愛しんでいたかった。


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