表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第三部02 花園にひそむもの
69/234

花のかおり (4)


皇后シャンタンとメイレンは、ちゃんと仲良くなれるのか。

マリアは心配したが、思いのほか二人の仲は順調だった。皇后は足しげくメイレンのもとを通い、彼女と友情を育んでいった。

皇帝が、最近のシャンタンはメイレンのことばかり話すんだ、とっても楽しそうで、とちょっとヤキモチを焼くぐらいに。


皇后に励まされ、支えられ、メイレンも勇気を持つようになったらしい。最近はヤンズの授業を皇后と一緒に受ける姿も見られるようになって……子どもは平気みたいで、クリスティアンとは難なく打ち解けていた。


「ヤンズもすっかり教師の姿が板についたみたいね」


沐浴をしながら、マリアは自分の世話をするリーシュに向かって言った。

セイランへ着いた時にはまだ少し肌寒い春だったが、最近は暑くなり、汗ばむようになって。頻繁な入浴も、セイランでは容易なのがありがたい。


「恐れ多いことに、皇帝陛下からもお声がかかりましたの。自分の教師をやってくれないかと――姉としては、武官よりもそちらのほうがずっと、好ましく思っております。武官になりたい弟には気の毒なことですが」

「あなたの気持ちはよく分かるわ。私にも息子がいて、何人かは騎士や軍人になることを当たり前のように言われているけれど……やっぱり母親としては、あえて命の危険がある道を選んでほしいとは思えないもの。地位や名声より、平凡でも、健康で幸せに長生きしてほしい」


マリアが沐浴を終えて部屋に戻ると、女官が一人、マリアの部屋を訪ねてきていた。

見覚えのない女官だが、礼儀正しく、マリアにも恭しく頭を下げる。


フーディエ夫人付きの女官です、とリーシュが小声で説明した。


「マリア殿。茶でも飲みながら、西方の国のことを聞かせてほしい。わらわの部屋を訪ねてたもう――」


夫人からの誘いを伝え、女官がもう一度頭を下げる。

沈黙して返事を待つ女官に、マリアはにっこり微笑んだ。


「是非――夫人に、そうお伝えして」


フーディエ夫人が、ついに動いた。マリアはずっと、これを待っていたのだ。




特別に仕立てさせた男物の服に着替え、マリアはフーディエ夫人の部屋を訪ねる。

部屋に入った途端、慣れない匂いにマリアは足を止めてしまった。


女官に案内されるまま、改めて部屋の中へ入っていけば、フーディエ夫人は寛いだ様子で、煙草をふかしながら肘掛けにゆったりともたれかかっていた。


「ご機嫌麗しゅう」

「堅苦しい挨拶は良い」


ふーっと煙を吐き出し、カン、とフーディエ夫人は持っていた煙管で盆を叩いた。


「よう来た――これ、何をしておる。客人をいつまで立たせておくつもりじゃ。さっさと茶を出せ」


夫人は自分の女官に向かって厳しく言った。


茶の準備をしている間、すすめられた椅子に座るマリアをフーディエ夫人がじっと見つめる。

マリアも、改めて夫人を観察した。


シオン太師の姉だ。もう老婆と言っても良い年頃だろう。

だけど、フーディエ夫人はそんな呼び方がはばかられるほど若々しく――年相応に、老化はしている。髪は黒く染めているようだし、化粧で隠しても消えることのない皺が顔にはあり、手も骨ばっていて……。

それでも若く見えるのは、凛として気高いその気迫……そして、あまり女性らしい装いをしていないせいではないかとマリアは思った。


皇族らしく着飾ってはいるのだが、女としての魅力を引き立てるためというよりも、自分の矜持を示すためのもので……。


「面白いいでたちじゃな」


ニッと笑い、フーディエ夫人が言った。


「それは男が着る衣装であろう。そなたは国では、自ら当主の地位に就いておると聞いていた。西の国では、女が一族の長になるのはよくあることなのか?」

「……いえ」


夫人の変化を見逃さないよう気を配りながら、マリアは首を振る。


「私の国でも、珍しいことではありますわ。特に、未婚の女の場合。夫を亡くした寡婦が、一時的に当主の座に就くことはありますが」

「……左様か。所詮、どこの国も同じもの……」


ぽつりとつぶやくその言葉は、夫人の独り言だったのだろう。自分の返事は期待していまい――そう判断し、聞かなかったふりをすることにした。


女官長が、マリアたちの前に茶を持ってきた。

平静を装って恭しく茶を差し出すが……彼女の愛想笑いには、なんとなく不穏な気配が。


「いかがした。セイランの茶は、口に合わぬか」


自分の茶を手に取りながら、フーディエ夫人が尋ねる。


「毒見を待っておりまして――エンジェリクでは一般的な作法ですが、セイランでは異なっているのでしょうか」


手にしていた茶を盆に戻し、夫人は気分を害した様子もなく、ああ、とうなずく。


「これはとんだ無作法をした。おまえ、マリア殿の分の毒見を」


夫人に名指しされ、女官長は目に見えてうろたえ始めた。

夫人もマリアも、互いに空々しいことは承知の上で、そんな女官長を素知らぬ顔で見つめる。


やがて、女官長は地面に這いつくばり、頭を下げた。


「も、申し訳ございません……!どうか、お許しを……!」

「……このうつけ者が」


怒りに満ちた低い声で、夫人が言う。

卓の上の茶を、フーディエ夫人が薙ぎ払った。立ち上がり、すさまじい剣幕で女官長を見下ろす。


「勝手な真似をしおって!そのくせ、自ら責任を取ることもせぬとは……!余計な浅知恵を働かせるぐらいなら、大人しくわらわに恭順しておけ!すでにこの女人に、散々やり込められてきたであろう――痛い目を見ても分からぬとは、おまえは犬以下じゃ!」


怒鳴られ、蒼白な顔で女官長は手早く片付けていく。

怯えながら立ち去っていく彼女を見送りながら、そんなことだろうな、とマリアは思っていた。


たぶん、あの茶に何か仕掛けたのだろう――フーディエ夫人の指示ではあるまい。この状況で一服盛ったら、誰がどう考えたって犯人は夫人ではないか。

……そこまで馬鹿だったら、別途利用してやればいいが。


「……失礼した。いまの後宮には、あの程度の阿呆しか残っておらぬのじゃ。有能だった者は、五年前のいざこざに巻き込まれ、おらぬようになってしまった……」


座りなおしたフーディエ夫人は再び煙草を手に取り、ふーっと煙を吐き出す。


「そうそう。シャンタンのことだがな。部屋付きの女は好きに選ぶがよい。もともとそれは皇后の権限じゃ。彼女は不慣れゆえわらわが仕切っておったが、后自ら采配を振るうというのならば反対する理由もない」


カン、と煙管で盆を叩く音が響く。


「女官長たちのことは許してたもれ。わらわが言ったのじゃ。すぐ出て行く后なれば、適当で良いと。いささか適当の意味をはき違えておったようじゃが……わらわのせいと言われれば、たしかに」


もう一度煙草をくわえ、フーディエ夫人は話し続けた。


「すぐ出て行くと、わらわは本心からそう思うたのじゃ。会った時から分かっておったからな。あの子は、皇后には向かぬ。まともで……後宮に置くにはあまりにも気の毒じゃ。さっさと故郷に帰し、相応しい女を選べと甥にはたびたび忠告してきた」


少し意外な思いで、マリアは夫人の話を聞いていた。

夫人は不遜な態度で話し続けているが、言葉の端々には皇后シャンタンへの同情心がある。


彼女も理解しているのだ。

シャンタンは、皇后に向かない。後ろ盾もなく、頼るべき皇帝の力は弱く、后としての地位と贅沢に目がくらんで満足する女でもないから余計に。


「……そなたの話を聞くはずが、わらわの愚痴に付き合わせる羽目になってしもうた。話を替えよう――そなた、息子を連れてセイランに来ているそうだな。そなたによく似た男の子で、金色の髪をしているとか」


煙草を吸い、何気なさを装って夫人が話す。

けれどマリアには、それがなぜか恐ろしいことのように感じて――背筋を、ひやりとした感覚が通り抜けていく。

クリスティアンの話題が、たまらなく不安を掻き立てた。


「西の国ではよくあることなのかえ?親と異なる髪色の子が生まれることは」

「そう、ですね……まったく異なる髪色はさすがに。けれど、どちらか片方の髪色を受け継いで、もう一方と異なることならば、しばしば」

「ふむ。ということは、あの金髪は父親譲りか」


マリアは明確な返事をしなかったが、夫人は沈黙を是と受け取ったらしい。

ふーっと煙草の煙を吐き出す。


「……いくつじゃ?」

「先日誕生日を迎え、八歳になりました」

「八つか……」


煙草をくわえ、フーディエ夫人が黙り込んだ。しばらく沈黙が続き、やがて夫人が煙草の煙を吐き出して、話を続けた。


「いまから八年ほど前、セイランに金色の髪をした男がやって来た。そやつはエンジェリクより現れ……まあ、色々と我が国を引っかき回してくれおったわ――八年前に現れた金髪のエンジェリク人……エンジェリクからやって来た八歳の金髪の男子……偶然かのう?」


この質問の答えを、夫人は必要としていない。

マリアはそう判断し、ただ沈黙を貫き通した。




「今夜は、ずいぶんと匂いの強いものを使っておるのだな」


マリアの部屋へやって来たシオン太師は、部屋に入るなりそう言った。

太師を迎える前に、寝台には香が焚きこめられ、夜の準備をするのだが……太師の言うように、今夜は少し匂いの強いものを使っている。


「なんだかまだ煙草の匂いが残っているような気がして。お気に召しませんか?」


太師はマリアを抱き寄せ、髪を一房取る。


「いや、悪くはない。西の人間は香水というものを愛用しておるだろう。あの匂いのきつさに比べれば、どうというものでもあるまい。そう言えば、おまえはそういうものをつけていなかったな。最初に会った時からも」

「妹が嫌っておりましたので。香水の代わりに、香を……。セイランでは質の良いものが安価で手に入るので、エンジェリクに帰る際にはどっさり土産に買っておきますわ」


何気ない世間話のつもりだったのだが、自分を抱きしめるシオン太師の腕に力がこめられ、マリアは彼を見つめた。


「シオン様?」


太師の行動の意味を何となく察したが……あえてそれに気付かぬふりをして、マリアは小首を傾げる。シオン太師は熱っぽくマリアを見つめ返しながらも、いささか話題に困っているようだった。

結局、話を逸らすことにしたらしい。


「姉上の煙草も、都を移してから量が増えた」

「それは……フーディエ夫人も、思うことが色々と増えたということでしょうか」

「そうだろうな。父上が亡くなった頃に始まり、兄上の死後常習化した。いまから思えば、わしがダリスと親しくしておるのも姉にとっては頭痛の種なのだろうな」


マリアの髪を指に絡めて弄びながら、太師はどこか遠くを見ているようだった。


「シオン様は、姉君様との仲たがいの理由に心当たりがおありで?」

「完璧に把握しているわけではないが、おそらくはわしの血筋……そして、わしが男であることだろう。わしの母は、かつて人質として外国の王のもとに預けられていたことがあった。のちにセイランに帰ってくることになったが、それからほどなくして懐妊し……わしの父親は、果たして誰なのか……」


その話はマリアも知っている。

セイランでも、それなりに有名な醜聞だ。


外国に行っていたセイランの妃が、帰ってさほど日も経たぬ内に懐妊した。皇帝の子である可能性は高い。だが、本当に皇帝の子であるのか……その疑惑は当然のように囁かれ、生まれてきた子が男児だったことでちょっとした騒ぎに……。


マリアが初めてフーディエ夫人と出会ったときに、彼女が言った台詞。

皇帝の女を横取りした――異人の血――あれらは、すべてシオン太師の出生に関わる嫌味だ。


「姉上にとってわしは、腹立だしい存在だ。まこと父上の血を引いているのかも分からぬのに、男というだけで姉上には与えられなかったものをわしは得た。皇位継承権……女の姉上には、正統な血筋であっても与えられなかった。おまけにわしは都や宮中を嫌い、皇族にあるまじき奔放さで……姉上が嫌う理由はよく分かる。分かるが……わしにも言い分がある」


重苦しい溜息をつき、シオン太師が話す。


「父上も兄上も、わしを家族として認めておった。愛されていたとは思う。しかし愛情だけでわしを皇族扱いするわけにもいかぬ。だから父上はわしを戦の前線に送り、手柄を立てさせてきた。わしが周囲から認められるよう……血筋だなんだという嘲りもねじ伏せられるほどの地位を得られるように。出生を考えれば、なるほど、わしはたしかに自由気ままに生き、幸せな男だったのだろう。だがな、不公平に思うこともあるのだ。父上の血を引いているというだけで宮廷でぬくぬくと守られている兄や姉を前にして、なぜわしだけが血にまみれ、死と隣り合わせに戦い続けねばならぬのかと……なぜわしだけが、孤独を選ばねばならぬのかと……」


マリアを抱き寄せるシオン太師の手に、不意に力がこもった。

武人だけあって、太師は握力も強い。だから普段はマリアを傷つけぬよう気遣ってくれているのだが、いまはその配慮も少し間に合っていない。


「ランファが亡くなった時――わしが若い頃、結婚を考えた女のことだ――彼女は若く、健康で、まさか病で彼女に先立たれるなど、わしは思いもしなかった。だがわしとの結婚が決まった途端、あっけなく……。あれは、わしの血を残すなど許さぬという天の思し召しだったのではないかと、そう考えることもあった。資格なき者が、皇子を称した天罰なのかと」


それで、シオン太師は独身を貫き、子を作らぬことを決意した。

けれど年を取って、ふと振り返ってみれば一人きり。支え合う相手もいなくて、太師も寂しさを感じるようになってしまった。父や兄も亡くなり、年老いて友人たちにも先立たれるようになってしまったから……。


シオン太師に強く引っ張られ、マリアは寝台に押し倒される。そんな自分に、太師がのしかかってきた――両方の手首を強くつかまれて……少し痛いぐらいに。


「……マリア。エンジェリクに帰るな。これからもわしのもとにいろ。わしは……おまえと離れたくない」


命令口調なのに、その声には幼子が母親にすがりつくようなものがあって。

つくづく、人の頂点に立つ者とは孤独なのだと思い知らされる。寄り添うマリアを手放すまいと、いつも男たちは必死になって――マリアは優しく微笑む。


「シオン様。そんなふうに可愛らしくおっしゃられるなんて、ずるいですわ。心が揺れます」

「今宵はそのような甘言に騙されぬぞ。おまえが頷くまで手放さぬ」


ほとんど引き裂くように、太師はマリアの夜着に手をかけてきた。

激情にも似た太師の情熱を受け止めながらも、マリアの心にあるのはフーディエ夫人のことであった。


マリアがクリスティアンを連れてきたのは偶然か、否か。


偶然だ――と、断言することはできない。

クリスティアンは、チャールズの子ではない。でももしかしたら、彼に似通っているのは必然なのかもしれない……。


ただはっきりしているのは、クリスティアンが、このセイランでは危うい立場にあるということ。まさかこんな形で我が子の身に危険が迫るだなんて――そばにいてくれる幸せに、浸っている場合ではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ