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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第三部02 花園にひそむもの
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花のかおり (1)


「もういいわ。あなたも今日限り――もう後宮に来なくて結構」


マリアが言うと、教師は目を丸くし、マリアを凝視する。なぜ、とどもりながら問い詰める教師に対し、マリアは涼しい表情で言った。


「だって。あなたがやっていることは指導ではなく知識のひけらかしだもの。教える気がない教師なんて必要ないわ」


教師は憤慨し、バンと机を叩いて立ち上がった。


「こちらこそ――ええ、結構ですよ!こんな不出来な生徒は初めてです――それを――懸命に指導していたこちらの気も知らず――辞めることができて、こちらも万々歳です!」

「なら良かった」


マリアはにっこりと微笑み、教師は怒りでさらに顔を赤くしながら、乱暴な足取りで部屋を出て行く。通りすがりに、当てつけのように部屋に置かれた小物をひっくり返して壊して行った――あとできっちり請求しておこう。


「わ、私のせいです……」


教師が出て行くと、皇后シャンタンは泣き出しそうな顔で言った。


「私が不出来で……物覚えが悪いから……。色んな先生が来てくれましたが、みんな、私の出来の悪さにさじを投げてしまうんです……」

「シャンタン様がお気になさることはありません。まともに教える気がないくせに、それを棚に上げて生徒のせいにするだなんて。教師の風上にも置けません」


こともなげにマリアは言い捨て、落ち込む皇后を慰める。

皇后の部屋付き女官を全員クビにしたと思ったら、今度は皇后の教育係を全員クビに――皇后の周りにいる人間が無能揃い、敵まみれなのは驚いた。皇后シャンタンを見下し、自分の責務を放棄して皇后いじめに勤しむのだから……まったく、救いようがない。


「でも、明日からどうしよう……」

「陛下も太師様も、そういった人選については頼りにならなさそうですものね。私のほうで探しておきます」


と言ってもマリアもセイランでの伝手があるわけではないのだが。

クラベル商会に頼むことになるだろうか。皇后の気性を考えると、それが最良の人選であるような気もするし。


「とりあえず、臨時教師はヤンズにお願いすることにして。リーシュ。新しい女官が決まるまで、あなたがシャンタン様のお世話をしてあげてちょうだい」

「は――えっ?」


反射的に返事を仕掛けて、リーシュは目を瞬かせながらマリアを見つめる。

承諾しかねる、といった表情のリーシュに笑いかけ、大丈夫、と適当な相槌を打った。


「私のことなら心配しないで。皇后様の新しい女官が見つかるまでの間だけなんだし、私の世話はララに頼むから。あれでララはよく気が利くし、頼りになるのよ」


リーシュは不満げだ。

宦官とはいえ、男に世話をさせるだなんて。しかも宦官とか、嘘だし。洞察するまでもなく、明らかにリーシュはそう言いたげな顔だった。


「リーシュ。あなただって見たでしょう?皇后様が気の毒だと思わない?」


皇后に聞こえないよう、こそっと話しかければ、リーシュも反論できないようだった。

たった一日――短い時間ではあったが、その短期間でも気の毒になるほど、皇后シャンタンは周囲の人間に侮られ、軽んじられ……無知な彼女を嘲笑って、誰も助けようとしない……。


「太師様も、このことを知ったら悲しむわ。自分が彼女を巻き込んでしまったこと、気にしていらっしゃったもの。太師様のためよ」


シオン太師のため。

リーシュはため息をつき、ついに折れた。リーシュだって、冷酷にはなれない。気の毒な皇后を助けたかったはず。ただ、自分は他に優先すべきものがあるから承諾できなかっただけで。

敬愛する主人のためという大義名分が得られるのなら、いつまでも拒絶できるはずもなく。


「マリア様ったら、もう……。かしこまりました。でも、新しい女官の選別はお早めにお願いします。皇后様のお世話は構いませんが、マリア様のお世話をいつまでも男性に任せるわけにはまいりませんから――ご主人様が、嫉妬で発狂してしまいますわ」




その日の夜、マリアのいる部屋に入って来るなり、シオン太師がたしなめてきた。


「初っ端から、派手に立ち回っているそうだな。シャンタンの女官や教師を片っ端からクビにして――わしのところにまで、恨み言と怨念が飛んできおったぞ」

「あらあら。それはとんだ災難ですこと」


まったく悪びれる様子なく笑うマリアに、太師も呆れたように笑う。けれどマリアを抱き寄せる手は優しく、咎めているようであって、褒めているようでもあった。


「まあ、良い。一任すると言ったのはわしだ。それに、悪くないのではないかとも思うておる。あの子はグーランの悪評が立たぬようにと、我慢しすぎるきらいがあるからな……女官や教師共の振る舞いに疑問を感じることはあったのだが、肝心のシャンタンが話そうとせぬ。わしもグーランもそれとなく気づいていたものの、手をこまねいて見ていることしかできずにヤキモキしておった。おまえの傍若さのおかげで、強引にでも状況を打開できてよかった。ただ、な――」


コツンと、マリアの頭を軽く叩く。


「おまえが憎まれ役を買って出ることはなかろう。わしのせいにしておけば良いものを」

「太師様のお気持ちは有難いのですが、後宮のことは、太師様や……陛下では、あまりお役に立てぬかと」


ここまで率直に言ってしまったら怒り出すかな、とちょっとだけ思ったが、太師はあっさりと、だろうな、と同意した。


「わずらわしい人間関係を嫌って、わしは宮中や都から逃げ回っていた。さすがに軍隊でならそれなりの人望もあるが、放蕩者の皇族など貴族にとっては疎ましいだけ。後宮の人間に、わしの権威は通用せぬ」

「数々の功績を持つシオン様ですらその有様では、新参者の皇帝など言うに及ばず――といったところでしょうね」

「その通りだ。特にグーランは、目まぐるしい環境の変化に耐えるので精いっぱいだからな。シャンタンのことを気にしてはおるのだが、手を差し伸べてやる余裕もない」


自分たちの頼りなさを認めるのは愉快なことではないが、苦笑いしながらも太師は頷く。


太師は宮中で人間関係を築いてこなかったし、太師に連れられて玉座に就いただけの皇帝では言わずもがな。

たぶん、皇后シャンタンも、それは理解しているから自分の窮状を訴えなかったのだろう。頼んでも、どうにもできない可能性が高い。ただ皇帝の負担を増やすだけ――それぐらいなら、自分が我慢しようと。


「女のことは、女の私にお任せください。太師様は北方民族との戦の準備でお忙しいのでしょう。他のことに気を散らして万一のことがあったら……そんなことになったら、私、自分が許せません。どうぞ、ご自分のことに集中なさって」


シオン太師は、熱っぽい目でマリアをじっと見つめ、それから寝台に押し倒してくる。

忙しなく夜着を脱がせようとする太師の首に、マリアも腕を回した。


「おまえという女は……普段は傍若無人で厚顔無恥なくせに、可愛らしいことも言いおって……。そうやって、他の男も誑かしておるのであろう」

「特別な方にしか言いませんわ」

「それがおまえの手だな。わしは騙されんぞ!」


何の決意なのやら。

マリアは苦笑いし、目をつむって太師からの口付けを受けとめた。




翌日、マリアは皇后を迎えに彼女の部屋を訪れた。

新しい教師は、さすがに一日で見つかるものではない。とりあえず、クリスティアンの教師――リーシュの弟ヤンズに当面お願いすることにして。

皇后シャンタンには、マリアの部屋に来てもらう必要がある。彼女と共に後宮の廊下を移動していたら、前方から女官長たちが――。


「……何をしているの」


女官を引き連れた女官長は、廊下の真ん中で、皇后たちに冷ややかな視線を送っている。

それを、マリアも冷ややかを通り越して凍り付きそうなほど冷淡な目で睨んだ。


「皇后様の邪魔よ。気の利かない女ね」


侮蔑するような視線に皇后は青ざめ、小さくなっていたが、マリアは怯むことなく言い捨てる。屈辱に女官長が唇を噛み、憎しみと激しい敵意を隠すことのない表情をしたが……マリアや皇后に、表立って逆らえるはずもない。

悔しそうに廊下の端に下がる女官たちの前を、通り過ぎる――途端、皇后が転んだ。


「シャンタン様!」


リーシュが急いで皇后に駆け寄り、マリアは皇后の足元を見た。すぐに足を引っ込めたが、女官の一人が皇后の服の裾を踏んでいた。


くすくすと笑う女官たち――地面にうずくまり、皇后は顔を真っ赤に……。


バシッ、と。マリアの平手打ちが容赦なく女官の頬に炸裂する。

よくも、まあ。そんなふざけた真似が通用すると思うものだ。


打たれた女官は――後宮に上がるだけあって、容姿も優れ、線の細い少女。マリアに平手打ちされただけでも吹っ飛んでしまうほど。他の女官たちは唖然として事の成り行きを見、女官長は非難がましい目をマリアに向けた。しかし、倒れこんだ彼女を助けようとする者はいない。


「な、なにを――!」

「皇后様のお召し物を踏むだなんて、本当に躾けのなっていない女ばかりなのね、ここは」


マリアが冷たく言えば、違います、と倒れこんだまま女官が反論する。

じろりと睨み、それを黙らせる。


「あら。なあに?その言い草は。私が間違っている――嘘をついていると?」


いくら憎らしくても、たかが女官の分際で、マリアを嘘つき呼ばわりすることはできない。目に見えて険悪な雰囲気に、口を挟んだのは皇后だった。


「マリア様……!私なら大丈夫ですから!どうかその者を許してあげて」


今度は顔を青くして仲裁に入る皇后に、マリアはにっこり微笑みかける。


「シャンタン様ったら、お優しいんですから。良かったわね――私だったら、そんな脚は斬り落としてしまえと命じるところよ。二度はないと思いなさい」


笑顔のまま、マリアも敵意を隠すことのない目で彼女たちを見下ろす。

女官たちもマリアの本気を感じ取ったらしい。すくみあがっている――この程度の反撃で怯えるだなんて。自分たちが敵意を向けられる側になることを、予想もしていなかったのか……。


「……このことは、フーディエ夫人にお知らせいたしますから」


悔し紛れに女官長が言い、どうぞ、とマリアは笑顔で答える。


「自分たちの間抜けさを、せいぜい暴露してくればいいわ。夫人もお気の毒に。そんな馬鹿げた報告を聞かされる羽目になるだなんて」


おろおろとしている皇后に声をかけ、マリアはそれきり、女官長たちに振り返ることもなく部屋に戻った。

皇后は何度も振り返って女官長たちの様子を気にしていた。


振り返らなくても分かる。彼女たちの敵意は、これ以上ないほど高まったことだろう。でも、自分たちだけではどうにもできない相手だということも思い知ったはず。

――そろそろ、フーディエ夫人にお出ましいただければ有難いのだが。


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― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして 大変面白くて、暇さえあれば読んでいます。もう夢中です。 成長して再登場する敵キャラや、仲間になる敵キャラが大好きなので、セイラン編で出てくるであろうチャールズの登場が今から待…
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