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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第三部01 魔女は懲りない
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皇帝の叔父 (2)


日も沈んだ頃、マリアはリーシュに手伝ってもらいながら湯浴みをしていた。

太師に呼び出されるのは分かっていたから、あらかじめ身支度を済ませようと。お風呂大好きなので、単にセイランの優れた風呂に入りたかったのもある。


「はあ……やっぱりお風呂に関してはセイランは素晴らしいわ。これだけはエンジェリクも見習ってほしい」


一片の曇りもなく心の底から、マリアはそう思った。

自分の国、自国の文化が絶賛されることはリーシュもまんざらではないようで、浮かべる笑顔も、ただの愛想ではなく本心ではないだろうか。


入浴を楽しんだ後、リーシュは気合を入れてマリアを着飾らせ始めた。敬愛する主人のためもあるのだろうが、セイラン文化を気に入った様子のマリアのために、自国の衣装や装飾品の美しさを教えたかったのもあっただろう。

奥の部屋で着替えをしていたマリアは、衝立の向こう――クリスティアンたちがいる部屋から聞こえてきた声に、顔をあげた。


「どういうことだ……その姿は!?魔女という二つ名は聞いておったが、おまえは……やはり妖術使いの類だったのか!?それでわしを誑かしたのか!?」


シオン太師の声だ。

何を言っているのだろう、と。マリアは衝立から向こうの様子をそっとうかがう。


どうやら、太師はクリスティアンを見て驚愕しているらしい。クリスティアンは、ララと一緒に碁を打っていた――父親に教えてもらって、覚えたての遊びをララとやっていて。

クリスティアンは、何を言っているんだおまえは、という顔で太師を見つめ返していた。


「小さくなる術とは、なんと面妖な。いや、むしろこれが本来の姿か?術で大人に……待て。おまえはいくつだ?二十は超えていると聞いていたのに、十代半ばの小娘のような姿でおかしいと思っていたのだ、初対面の時から。年齢を偽っていたのではないのか、逆の意味で」


クリスティアンのことを、魔術かなにかで小さくなったマリアだと勘違いしているようだ。なぜそんな非現実的な発想が……。


そう言えば。

クリスティアンはマリアそっくり。そして太師に息子を連れ込んでいることを話していなかった。だから太師は驚いているのか。なんだかすごく面白い方向に勘違いしているけれど。


「もうちょっと勘違いさせたままにしておこうかしら」

「マリア様、我が君で遊ぶのは……それぐらいでご勘弁を」


マリアが出て行って説明すると、早く言え、と怒られた。

――いらん恥を掻いた。

太師はそう怒ったが、そんなこと言われても。


「おまえの息子か。そういえば、子持ちの人妻だと言っておったな」

「はい。長男のクリスティアンです。この子だけはどうしても手放せなくて……お許しいただけますか?」


館の主はシオン太師だ。彼に拒否されたら、マリアも引き下がるしかない。こればかりは仕方のないこと……太師に断られることも覚悟の上だったが、意外にも、太師はあっさり許可を出した。


「幼子を母親から引き離すほど、わしも鬼ではない」


意外そうにするマリアに、ちょっとムッとした様子で太師が言った。

申し訳ありません、とマリアは素直に頭を下げる。


「太師様の器の大きさを見誤っておりました。ありがとうございます」


クリスティアンも礼儀正しく頭を下げて太師に感謝の意を伝え、太師はどこか居心地悪そうに視線をさまよわせていた。どうやら、照れているらしい。


「……行くぞ」


短く声をかけて踵を返す太師に、マリアは大人しくついていく。


「重ね重ね申し訳ありません。太師様に迎えに来ていただくなど……」

「別に迎えに行ったわけではない。おまえの国では違うのかもしれんが、セイランでは、男が女の部屋に通うものだ」


太師は、わざとそっけなく答えた。


「だが息子もいる部屋でその母親を抱くほど、わしも悪趣味にはなれん」

「太師様は本当に、お優しい御方ですわ」


マリアが微笑んで言えば、太師は顔を背けていた。照れている顔を見られたくなかったのだろうが、真っ赤な耳では意味がない。


「お優しい太師様が、ご自身の名誉を貶めてまで私を追い返したかった――陛下のために。それはつまり……太師様は、陛下に強い愛情を抱いていらっしゃるということですね。若い甥を心配して……」

「そのような、手放しで褒められることでもない」


マリアの言葉に、太師は複雑そうな表情だ。


「わしは親王の時代、将軍としてセイランを脅かす敵と戦ってきた。このあたりは王都よりもずっとなじみ深い場所でな。面倒なしきたりや、くだらぬことにこだわる王宮を嫌って、わしはここで暮らしてきた。皇族としての役割や義務は、父や兄に押し付けて逃げ回ってきた」


二人きりの部屋の中、背後からマリアを抱きしめて太師が語る。太師の昔語りを、マリアは黙って聞いていた。


「そんなわしには、あの子を地方から連れ戻す資格などなかった。皇子としての地位も捨てて、宮中からも忘れられたまま市井の男として生きたがっていた甥を、半ば無理やり王都に連れ戻した。自分は楽な道に逃げ込んでおきながら、あの子には苦難の道を強いた。だから……」

「だから私を追い返したかった。皇帝陛下の負担を増やしたくなくて」


皇帝には、仲睦まじい后がいる。貴族ですらない后では、宮中でさぞ苦労していることだろう。そんなところに、外国から本物の貴族の姫が側室としてやって来る。

甥に苦難の道を歩ませることになってしまったから、せめて、余計な火種は振り払ってしまいたくて、太師はマリアを追い返そうとした……女の相手なんて、本当は苦手なのに。

あんなやり方しかできなかったけれど、シオン太師なりに何とかしようと考えて思いついたことだったのだろう……。


「勝手な自己満足だ。いまさら、女を一人追い返したぐらいであやつの負担が減るわけでもない。自分が罪悪感から逃れるために、甥のためなどとおためごかしをしているだけだ」


マリアの髪をいじるシオン太師の手に、自分の手を重ねる。重ねられた手を、太師が握った。


「やはり、おまえは妖術使いの類なのではないか。このわしが、女にあっさり誑かされるなど」


シオン太師は不貞腐れたような口調で言う。

クリスティアンのことを術で化けたマリアと勘違いしたのは、あまりにも簡単に自分が女にいいようにされてしまったから……オカルトなことを、ちょっと信じてしまったのかも。

きっとこれまで、清廉潔白で真っ当な人付き合いをしてきたのだろう。マリアのような女と会う機会もなく……。悪い女に引っかかってしまったものだ、とマリアは心の内で同情した。


「妖しげな術を用い、わしに何か仕掛けたのだろう」

「ふふ。そうかもしれません。魔女の二つ名は、伊達ではありませんから」


マリアが笑えば、背後で太師が呆れるのを感じた。


「陛下を想う太師様のお気持ちはよく分かりました。でも残念ながら私も、このまま大人しく帰るわけには参りません。どうしてもセイランに行きたい理由がありますし、王宮の中心にいないと意味がありませんから」

「わしに同情しろとは言わぬが、このような関係になっておいて今更――おまえを他の男の寝所に送れと――」

「ヤキモチを焼く太師様はお可愛らしいですが私だって譲れません。けれど落ち着いてくださいな。陛下の側室は諦めますから」


どういう意味だ、とシオン太師は不思議がる。


「シオン様。私の情人となってください」

「はあっ!?」

「私では、お気に召しません?」

「いや、そういうわけでは……」


マリアの問いかけにはっきりとは答えられないようで、もごもごと歯切れ悪く太師が口ごもる。


「だがな……普通は妻にしてくれ、とかではないのか。自ら愛人になりたがるとか、変り者にもほどがあるぞ」

「私、既婚者ですもの。いくらエンジェリクでも重婚は認められておりませんわ」

「ああ、それもそうか」

「セイランである程度自由に動くための立場と権限が欲しいだけですから、シオン様の寵愛があるのでしたら陛下の側室になる必要はありません。シオン様も、陛下と泥沼の愛憎劇を演じる羽目にならずに済みますよ」


悪戯っぽく笑い、マリアが言った。呆れた女だ、と太師は呟いていた。




「それで結局、シオン太師を篭絡してしまったわけか。私の心配した通りに」


西の都を発つことになり、ホールデン伯爵と合流することができたマリアは、状況を説明すると伯爵から呆れられてしまった。もっとも、当然のことなのだが。


「申し訳ございません。エンジェリクに戻ったら、反省と謝罪に勤しむことにしますから」

「どうだか。君の奔放さはいやというほど思い知っているからな。だいたい、エンジェリクに戻るまでという条件も気に食わん。エンジェリクに戻るまでに何人の男に嫉妬させられることやら……」


そう言いながらも、マリアの頭を撫でる伯爵の手つきは優しい。


「そうやって甘やかすから、マリア様はいっこうに懲りないのだと思いますが」


ノアが口を挟むが、伯爵は肩をすくめて笑うばかり。


「甘やかされて、調子に乗ってる自覚はあります――自覚はあるんですよ」


甘えるように上目遣いで見つめてマリアが言えば、伯爵に頬をつねられた。

あるだけでは意味がない、と。ごもっとも。


「マリア。どこへ行っているのかと思ったら。ほかの男といちゃつくな!」


憤然とした様子で、シオン太師がマリアの腕を引っ張る。


「すみません。馬を連れて来ようと思ったのですが、つい長話をしてしまって。やましいことはしておりませんから、許してくださいな」


にっこり笑って言えば、太師はムスっと黙り込み、そして何やら勝手に怒り出した。


「そんな顔をすればわしが絆されると思っておるな……!可愛いなどと思っておらぬからな!断じて!」

「さすがの私も、そこまで都合の良い考え方はしていなかったのですが……」


思ってた以上にシオン太師がちょろくて、マリアも苦笑いだ。


「……私よりもマリアに甘くてちょろい男がいるとは」

「そうですね。マリア様への甘さとちょろさは伯爵といい勝負です」


マリアと太師のやり取りを見ていた伯爵が感想を漏らし、ノアは容赦なく相槌を打っていた。


「僕はすでに不安で堪りません。セイランへ来たばかりで、すでに母上はやらかしてしまって。果たして無事に、セイランから帰ることはできるのでしょうか」


クリスティアンが呟く。大丈夫よ、とマリアは気楽に答えた。


「シオン太師様がついてくださるなら皇帝陛下を誑かす必要はなくなったのだし。陛下には皇子時代からの恋人だった后がいるのだから、そっちのほうで心配することはないでしょう」

「そう言って、次々男を惹きつけてきたじゃないですか、母上は。僕は、もう一人ぐらい面倒な男が現れるだろうなと思ってます」


そんなことないわよ、と言いかけて、マリアは口をつぐんだ。

そう言えば、自分は男を探してセイランへ来たのだった。だから、クリスティアンの不安は的中するかも――ある意味では、面倒な男が確実にもう一人いる。彼と会えるか、会ってどうなるかは分からないけれど。


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