束の間の (1)
最後の出産を控えてオルディス領で療養するマリアを、ジェラルド・ドレイク警視総監が見舞いに来てくれた――女性が好みそうなお菓子と、可愛らしい花束を土産に。
「ありがとうございます。とても綺麗なお花ですね」
受け取った花束を見つめ、マリアは微笑む。
「ふふ……お会いしたばかりの頃を思い出します。ジェラルド様から初めていただいたのも、こんな花束でしたね」
「気の利いた贈り物を思いつけず申し訳ない。あなたの好みそうなものを、見つけることができないでいるのだ。昔も、いまも」
相変わらずポーカーフェイスだが、マリアからさりげなく視線を逸らし――どうやら、彼は照れているらしい。
「ジェラルド様ったら。あれこれ悩まずとも、ジェラルド様は配慮が行き届いたお優しい方ですわ。私、もともと物を欲しがる人間ではありませんから、私を物で喜ばせるのは難しいかと……私のためにお心を砕いてくださっただけで、十分すぎるほどです」
マリアとしては本心からそう思っているのだが、男たちは貢ぐのを止めてくれない。財力があるだけに、貢ぎ物は増えていく一方だ。
「そう謙虚にふるまわれると、かえって貴女の気を引く物を見つけたくなるものだ」
冗談なのか本気なのか。ドレイク卿が相手では判断しにくい。
ドレイク卿を私室に案内し、長椅子に腰かける彼の隣に座る。ドレイク卿は優しくマリアを抱き寄せ、膨らんだ腹に触れた。
「ずいぶんと大きくなった」
「はい。ただ、ちょっと大きすぎる気も……」
三男のローレンスがかなり大きく生まれた赤ん坊だったが、今回の妊娠はその時に並ぶ大きさになりそうだ。
ドレイク卿も背は高く、身長だけならたしかにウォルトン団長にも並ぶのだが、筋肉やら体格の良さでそれなりに横幅もあるウォルトン団長やブレイクリー提督に比べれば……。
ドレイク卿の子どもで、こんなに大きくなるなんて。
「父も、子に会える日を楽しみにしている。城のことは気にせず療養に務めてほしい――と、言い切れぬのがつらいな」
「どうぞお気遣いなく。城を不在にする期間が長いのですから、私でお役に立てる時は遠慮なく利用してくだされば良いのですわ」
「そう言ってもらえると助かるが……こればかりは」
珍しく言葉を濁すドレイク卿に、マリアは首を傾げた。
「いくつか報告がある。不快なものを先に終わらせてしまおう。オーシャンの王子が再来月、エンジェリクに来る。貴女と結婚するために」
「再来月。それはまた急な。私、きっとまだこのお腹のままですよ」
「分かっている。というよりも、それが狙いだ。貴女の妊娠を口実に婚姻を延期させる。オーシャン側もだいぶ焦れてきているのだ。オーシャンで、王妃と王太子の間に確執があることは貴女もご存知だろう」
マリアは頷いた。
そもそも、マリアが結婚する羽目になったのも、その王妃と王太子の確執が原因でもあるのだ。
前王妃との間に生まれた王太子。前王妃亡き後、後妻に収まった現王妃。現王妃はその力を強めるため、王妃が生んだ王女をヒューバート王の妃にしようとゴリ押してきた。オフェリアの立場を守りたいマリアは、自分が王妃の生んだ王子と結婚することで、オーシャンの縁談をかわすつもりだった……。
「王太子派としては、危険因子でもある第三王子をさっさと国から出したいはずだ。王妃派が、王子の縁談をうやむやにして玉座を狙う可能性もある。泥沼に陥る前に穏便に――他国に婿入りというかたちで、王子を追い出したい。だから、こちらが婚姻に対して消極的なことも、はがゆく感じている」
「私と王子の縁談を反故にするわけにも参りません。ヒューバート王との縁談など、絶対に許せませんもの」
「そうだ。オルディス公爵と王子の結婚は、我々にとっても重要なもの。焦る向こうの気持ちを汲み取らぬわけにもいかぬ。そうなると……」
「式を先延ばしにしようにも、これが限界というわけですね」
結婚は避けられないことだ。マリアももう、それを拒むつもりはない。
悪魔崇拝とか、そういう胡散臭いものがついてまわる王子だから、できるだけ距離を置きたかったが。
「覚悟は決めておりました。ですから、例えその予定の通り式を挙げることになっても逃げはしません。子のために、でれきば出産を終えてからにしたいものですが……どうにでも乗り切ってやります」
「貴女の場合、本当にやり切ってしまいそうで恐ろしいな」
ドレイク卿はかすかに笑い、抱き寄せたマリアの髪を長い指で弄ぶ。
女のマリアよりは大きな手――武人としての力強さがあるウォルトン団長とはまた異なった大きさだ。長い指は、チェンバロを演奏するには最適で……。
「私、そろそろ王都へ戻ります」
「……もう少し、オルディス領でゆっくりしていても」
「良いのです。やっぱり王都にいないと不都合も多いですし、ジェラルド様のチェンバロも恋しくなって参りました。この子にも、ジェラルド様の演奏を聞かせてあげたいですわ」
マリアのお腹を撫でるドレイク卿の手に、マリアも自分の手を添える。そうか、とドレイク卿が静かに呟いた。
「そんなこんなで、最後も結局お世話になるみたいです。よろしくお願いしますね、先生」
マリアはにっこりと笑って言ったが、侍医は眉間に深いしわを刻みつけ、苦虫を噛み潰したような表情で口を結ぶ。
「……ならば今回こそ。今回こそ、私の指示に従って大人しくしていただきますぞ。最後ぐらい、医者の言うことを素直に聞き入れなされ!」
「失礼な言い草ですわ。生臭医者のくせに。オフェリアにも、診察と称していかがわしいことしてるんじゃないでしょうね」
「オルディス公爵。私とて医者である前に人間です。男です。真面目に診察を受けてくださる患者を相手に不埒な気持ちを抱くことはありません。しかし私だって色香に迷うことぐらいあります!私の診察から逃れたくて誘惑してきたのはどなたですか!」
侍医と子どものような口喧嘩をするマリアに、何やってんだよ、とララが呆れたように口を挟む。
「おまえなぁ、医者まで毒牙にかけてんじゃねーよ」
「だって。あれするな、これはダメ、私のすることに制限ばっかり。ちょっとぐらいの悪戯は見逃してよ」
悪びれる様子のないマリアの額を、ララが小突く。
マリアの出産は、侍医の世話になることも多かった。侍医はただの医者ではない。王族のための医者――王妃の姉でもあり、かつて王の愛妾であったマリアだからこそ受けることのできる特別扱い。
そんな特別な地位にある医者にも色仕掛けとか……ため息しか出ない。
「お姉様、お城に帰ってきてくれて嬉しいわ!」
賑やかな音と共に、オフェリアがマリアのいる部屋へやってきた。
マリアは王都に戻り、久しぶりの登城であった。オフェリアもよくオルディスに遊びに来てはいるが、やはり王妃という立場にあっては気軽に出かけることもできない。マリアが王都に戻ってきてくれて――毎日のように城に来てくれるようになって、オフェリアは喜んでいた。
「ねえねえ、先生。お姉様も赤ちゃんも元気?大丈夫?おかしなところとかない?」
「母子共にすこぶる健康です」
矢継ぎ早に尋ねるオフェリアに、侍医は威厳を持って答えた。
「オルディス公爵の安産っぷりには、長年医者をやってきた私も驚かされます。めでたいことではありますが、それで公爵が調子に乗ってしまうのが悩みですな」
「お腹の子のことを、考えていないわけではありませんよ」
自制が苦手なので、ついやらかしてしまうが。
それでも、自分が恵まれている自覚はある。
十人の妊婦がいたら、母子共に無事出産を終えるのも半分程度。そうやって生まれてきても、子どもが幼い内に亡くなってしまうこともよくあることで。
これだけ立て続けに子どもを産んで、全員無事に、健やかに育ってくれていること……本当は奇跡に近いことだ。
悪運の強さは、マリア譲りだろうか。
「公爵が御子に対して愛情がないとは私も思っておりません」
コホンと咳ばらいをし、侍医が言った。
「もう少し慎み深くなっていただきたいのです。今回は、いままで以上に大変なお産となるでしょうから」
侍医の言葉に、オフェリアがきょとんとする。マリアも侍医を見つめ、困惑した。
「私の見解を申し上げますと……オルディス公爵。おそらく貴女のお腹には、二つの命が宿っております」
「つまり、それは……」
混乱しながら、侍医の言葉の意味を考える。答えはすごくシンプルなのに、なぜかその結論に達するのに時間がかかってしまった。
「双子ってことね!」
オフェリアは目を輝かせ、生命の神秘を無邪気に喜んだ。
「双子か。たしかにそれは……ベテランの君でも、大変なお産になりそうだ」
オフェリアとヒューバート王の私室にて。
侍医の診察結果を聞かされ、王もいささか驚いていた。
「さすがの私も困惑しております。双子を無事生み終えることができるのか……それに、貢がれる量が二倍になってしまって。陛下からも、閣下と警視総監殿を諫めてくださいませ」
お腹の子どもが双子と分かると、フォレスター宰相とドレイク卿からのプレゼントが倍増してしまった。子どもが待ち遠しくてたまらないのは分かったから、少しは落ち着いてほしいものだ。
「でもこれで、結婚を先延ばしにしやすくもなった。双子を妊娠……式など、とても」
マリアの結婚。それもずいぶん近付いてきた。
子を生んだら、マリアは望まぬ夫を迎えねばならなない。そして、セイランへ。
「そう言えば、先日ドレイク卿がオルディスにお越しくださった際、私のセイラン行きの手筈が整った旨をお聞きしたのですが」
「ああ。君をセイランへ送る口実が見つかった。セイランは若い皇帝が玉座に継ぎ――もはやいずこの国でも風物詩のようなものだな。かの国でも、王の地位というのは決して安定してはいないそうだ。皇帝の叔父、叔母が中心となり、色々と揉めているとか」
「そんな国に、皇帝の側室として私が……。ただでさえ泥沼状態の宮中が、いっそう引っかき回されることでしょうね」
セイランの若い皇帝には皇后がいる。皇子時代からの恋人。身分はさほど高くなく、二人の間に子はいない。皇帝の叔父と叔母が何やらうるさいそうで、子のいない、身分の低い皇后に悩みは尽きない。
一夫一妻を銘打っているルチル教国と違い、セイランでは側室が推奨されるそうだ。何かと権力争いでややこしい状況だから、側室を拒みたい皇帝と、側室を押し進めたい周囲とで確執だらけ。
マリアはそこへ、期間限定の側室として嫁いでいく。
セイランでは側室は未婚が原則なのだが、そこはエンジェリク流を押し通すらしい。エンジェリクでは、人妻が王の愛妾となることもしばしば――期間限定のものだし、そのあたりは外務大臣が口先三寸で丸め込んでくれたようだ。
「セイランでの暮らしもだが、それよりもセイランまでの道中のほうが心配だ。ここ数年、フランシーヌは外国への侵攻を能動的に行っている。たぶん……君は、フランシーヌ軍の目と鼻の先を通り過ぎることになる」
心配そうに話すヒューバート王に、マリアはくすりと笑った。
「……いえ。一つ解決しても次の問題に悩む羽目になって。本当に……双子の出産は大変なのに、それを思い悩む余裕もありません」
旅立ちの時は近付いていた。
……もうすぐ、愛しい子どもたちとも離れ離れになる。なのにマリアは、子を想っているゆとりもない。
あの子たちは本当に、大変な母親のもとに来てしまったものだ。




