表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その悪名伝~  作者: 星見だいふく
第一部外伝 父を巡る思い出
27/234

かすかに残る (3)


「うちの王子がすみません」


シルビオやノア、クリスティアンに向かって、見知らぬ青年はペコペコと頭を下げる。たぶん、彼はカルロス王子の護衛役の人間なのだろう。供をつけていると不審がられるから、彼もシルビオと同じように、こっそりと主人のあとを追っていて……。


「別にお前が謝ることないじゃん。俺たち、何も悪いことなんかしてないんだし」

「殿下!あなたに何かあったら、責任を取らされるのはキシリア側なんですよ!王子の御身に異変が起きたなんて、そんなことがあったら!せっかくのキシリアとオレゴンの休戦もパーになるんですからね!」


悪びれることのないカルロス王子に、従者はコンコンとお説教を……なんだかとてもよく見る光景だと感じたのは、きっとクリスティアンだけではないはず。


「しかし、どうしてまたオレゴンの王子がキシリアの、それも王都に」


ノアが聞くと、王子の従者は大きくため息をつく。


「キシリアはオレゴンと休戦協定を結び、友好状態にある。それで、オレゴンから賓客を招いていたのだが……」


シルビオが説明し、王子の従者はさらにため息をついた。

つまりオレゴンからの賓客とは、オレゴンの王子だったと……。


「いやー、自分が婚約する相手の顔を見ておきたくてさ。それでキシリアに来てみたんだけど、城に行く前にキシリアの王女と出くわしたもんだから、つい」

「おかげで助かったのは事実です」


気楽そうに話すカルロス王子に、クリスティアンは笑う。

最初から、王女と分かった上でカルロス王子は近付いてきたのだ。ついでに、王女を狙っていた不埒者も追い払ってくれて。こちらも護衛がついてはいたが、それでも王子が王女を助けとなってくれたのは間違いない。


「えっ。じゃあ、町の中でぶつかったのもわざと……?」


王女は目を丸くする。

イサベル王女の正体を分かっていて近付くぐらいなのだから、あの男たちのこともその目的を分かった上でわざとぶつかり、遠ざけたのだろう。純粋な人助けだけでなく、王女に近づくきっかけにもなるわけだし。


「助けたとか、そんな大げさに言われると照れるな。でも可愛い婚約者に、良い印象を与えられてラッキー」


にこにこと王子は言ったが、イサベル王女は顔をしかめ、何言ってるの、と反論する。


「あなたと婚約するのは私じゃなくて、私の妹のブランカよ。私はクリスティアンを婿に迎えるって決めてるんだから」


そう言って、イサベル王女はクリスティアンの腕に抱きつく。巻き込まれたクリスティアンは複雑な表情で、そんな自分を見て笑うシルビオは失礼だと思う。ノアもフォローしてくれていいだろうに。マサパンは状況を理解しているのかいないのか、愛くるしい瞳でクリスティアンを見上げ、尻尾を振るばかり。

カルロス王子は顔をしかめ、クリスティアンをにらんだ。


「キシリアの王女の婿……ならやっぱり、お前はエンジェリクの王子だな!?」


王子の指摘に、何言ってるの、と王女が再び反論した。


「エンジェリクには王女しかいないわよ。しかも、私たちよりずっと年下なのに」

「ん、あれ?エンジェリクには、王子がいるって……エンジェリク王家もなんか複雑だから、ヒューバート王の弟がいるとかいないとか……クリスティアンって、それじゃないのか?」

「違います。確かにヒューバート王には弟がいましたが、母方の実家で火災が起きてそれに巻き込まれ、以来消息不明です」


ヒューバート王の弟チャールズ。

歴史に隠れ、彼のことはクリスティアンもほとんど知らなかった。肖像画を見たことはあったが、限られた場所にひっそりと飾られているだけで、どんな人物だったのか、それを語る人間はほとんどいなくて……。


「ちゃんと正しい情報を集めるように言っておきなさい。年齢も性別も、何もかも間違ってるじゃないの」


王女は誤った情報に呆れ、カルロス王子は頭をかく。


「おかしーなぁ……クリスティアンも絶対、高貴な地位にある人間だと思ってたんだけどなぁ……」


首をかしげるカルロス王子に、間違ってはないわよ、とイサベル王女がフォローした。


「クリスティアンのいとこはエンジェリクの王女よ。母親のマリアだってエンジェリク王家の血を引く公爵なんだし、クリスティアンだってやんごとなき身分ではあるわよ。ね?だから私との結婚だって何も問題ないの!」


それは違うと思う――とクリスティアンは否定することもできなかった。満面の笑みで自分を見上げるイサベル王女に、とても首を振ることができなくて。


……ただ。

エンジェリクの王子と指摘されたとき、クリスティアンはまた不思議な感覚に陥った。

誰かとの思い出が、クリスティアンの頭をよぎった。




母の腕に抱かれ、クリスティアンはその部屋を訪ねた。

その部屋は、異様な雰囲気に包まれていた。大きなベッドに横たわる人物を囲み、みな静かに彼を見守っている。

マリアが近づくと、ベッドに横たわる人物は目を開け、マリアに向かって力なく微笑んだ。


「マリア……クリスティアンも一緒か。そばへ……もうほとんど目が見えぬゆえ……」


マリアは彼の枕元にひざまずいて近づき、クリスティアンは彼に向って手を伸ばした。

いつもと様子が違う――それを感じ取っていたが、恐怖は感じなかった。この人はいつも優しくて、自分を見る目には愛情が込められていた……。


「クリスティアン……そなたの成長を見届けられぬことが、何よりの心残りだ。そなたは幼い……きっと余のことも、忘れてしまうのだろうな……」


彼の言葉の意味は分からなかったが、何かを悲しんでいることだけは分かった。不安でたまらなくて、クリスティアンは彼にぎゅっと抱き着く。


「……ニコラス。そなたはもう少しこちらに残り、ヒューバートを支えてやってはくれぬか。そなたには最後まで迷惑をかけるな……そなたとて、アイリーンをずっと待たせておると言うのに」

「彼女は気にしないでしょう。結婚まで私を待たせた分、今度は自分が待つ番だと笑って話しておりましたから。ヒューバート殿下はまだお若く、我が愚息もまだまだ未熟。それを放って行ったら、むしろ叱り飛ばされてしまうかと」


ポーカーフェイスのまま宰相がそう言えば、彼は笑った。


「オフェリア。どうか息子を頼む。手本となる王妃が不在のままそなたも王妃となり、きっといらぬ苦労をかけてしまうことだろう……」

「大丈夫……か、どうかは分からないけれど。私、ずっとユベルのそばにいます。ユベルの妃として、最後の時まで一緒に」


オフェリアは静かに微笑み、彼も静かに頷く。そしてヒューバート王子に視線をやった。


「ヒューバート……余は王としても、父親としても、半端で愚かな男であった。その尻拭いをさせてしまうこと……許せ」

「僕が許しを与えることなど、何もありません」


王子は穏やかな笑顔で言った。


「父上は立派な王でした。歴史家は、父上の功績をあれこれと批評するでしょうが……僕にとっては、誇るべき偉大なエンジェリク国王です」

「そうか……」


彼は笑い、そのはずみに涙がこぼれた。最後の力を振り絞り、マリアに向かって手を伸ばす。

差し出された手を両手でそっと包み込み、マリアは彼に――エンジェリク王グレゴリーに頬を寄せた。王はマリアを抱き寄せ、目をつむる。


「そなたと出会い……なんというか、安穏とは程遠い日々を送ったような気がするな。激しい感情の波に翻弄され、自分でも目を逸らしたくなるような本性を知った……理性を失うほどに誰かを求め、良識もかなぐり捨てるほどの嫉妬にも駆られた……」


笑いながら恨み言を話す王に、マリアもくすりと笑う。

だが、と王は言葉を続けた。


「悪くはなかった……。高潔な王で在りたかったのに、そなたに邪魔され、余はどこにでもいる、つまらない男に成り下がったが……後悔はない」


王は言葉を切り、大きく息を吐く。そろそろ、話をするのも限界だ……。


「王になり、失うばかりだと思っていたが……振り返ってみれば、余は実に幸せな男であった。失いたくないほどに大切なものを数多く得た……最期には、それらに囲まれ逝く……なんと贅沢なことであろう――マリア」


王が再び目を開け、マリアを見た。視力はかなり落ちているはずだが、間近からマリアを見つめる王の目は、しっかりとマリアの目をとらえていた――かつて愛した女性と、同じ瞳を。


「これでお別れだ……余との別れを、少しぐらいは悲しんでくれるか?ふりで構わぬ……若いそなたの時間を奪った余を……憐れんではくれるか……?」

「とても寂しいですわ」


マリアは優しく言った。


「けれど、もうマリアンナ大伯母様にお譲りする時が来たのですね。これ以上私が独り占めしていると、大伯母様がヤキモキしてしまいますもの。グレゴリー様。どうぞ、大伯母様……エドガー様と共に、私たちのことを見守っていてくださいませ」


マリアンナ――エドガー。

二人の名前に、王は穏やかな表情になった。何かを懐かしむように目をつむり、そんな王にマリアは口付ける。


愛する女性と、その女性が生んだ子に抱かれ、グレゴリー王は安らかな最期を迎えた。

――当時のクリスティアンには、それが誰なのか、いったい彼に何が起きたのか分からなかったけれど。




「クリスティアン」


父に名を呼ばれ、クリスティアンはハッと我に返った。周りを見回し、状況を思い出す。

……そうだった。

城へ帰るイサベル王女と、大人しく城へ行ってほしいカルロス王子を送り届けるため、クリスティアンはそのままキシリア王城に来ていたのだ。父が迎えに来てくれるのを、ノアやマサパンと一緒に待っていて……。


「大丈夫か、クリスティアン。王女に、オレゴンの王子まで振り回してきて大変だったんだって?」


ぼんやりしていたクリスティアンを気遣い、セシリオが心配そうに言った。大丈夫だ、とクリスティアンは笑う。


「先ほどカルロス王子とすれ違った。殿下はおまえをずいぶん気に入ったらしい。おまえが普段どこにいるのか――クラベル商会がどこにあるのか、熱心に尋ねてきた」


ホールデン伯爵に言われ、クリスティアンは今度は苦笑いした。


「王族にやたらと気に入られるのは、もはや血筋だな」


そう言って、伯爵はクリスティアンの頭をぽんぽんと叩く。

迷惑なことです、とセシリオは苦々しく言い――あなたもキシリア王家の血を引いてるんですよ、とノアにつっこまれていた。


迎えに来てくれた父と手を繋ぎ、クリスティアンはキシリア王都にある宿へと帰っていく――時折クリスティアンの脳裏に浮かぶ思い出には、気づかないふりをして。

はっきりとは思い出せない。でもひとつだけ、消えることのない疑問があった。


ヴィクトール・ホールデン伯爵こそが、自分の父親――クリスティアンは、それを信じていたい。だから、彼のことは詮索しないことにしよう……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ