相容れない (2)
ウォルトン団長は、オルディス領の留置所にいた。牢獄の中で、彼は気楽そうに寛いでいる。
ヒューバート王が先に団長に面会に来ていて、マリアは、診療所でパーシーと合流してから、彼に会いに来た。
「父上!」
父の姿を見つけ、パーシーは父親に抱きつく。ウォルトン団長も、息子の姿を見て密かに安堵の溜め息をもらしていた。
パーシーが怪我をして診療所に連れて行かれたことは、彼も知っていた。怪我の具合を、ずっと心配していたのだろう。
牢は開いており、ヒューバート王も牢の中に入って、団長と話をしていたようだ。逮捕されたものの、ウォルトン団長への警備は緩い。
「申し訳ありませんでした……僕の未熟さのせいで、父上にまでご迷惑をおかけして……」
「そうだな。おまえは未熟だ。自分と相手の力量を正しく見極め、場を制圧するだけの力を持って、勝負を仕掛けるべきだった。無謀と勇敢を履き違えてはいけない」
そう言いながらも、団長はパーシーをぎゅっと抱きしめる。
「だが……助けを求める声を聞いて、騎士ならば、見過ごせるはずがない。騎士としての本能に従って動いたおまえのことを、僕は誇りに思っている」
父子のやり取りを微笑ましく見ていたヒューバート王は、マリアに振り返った。
「レオンから詳細を聞いた。彼の話から察するに、相手の男たちは君の――」
「レオン様」
王の言葉を遮り、マリアが団長にかける。いささか険を含んだ声で。
冷静になど……とても無理だ。
「私、レオン様に失望いたしましたわ。腕を斬り落とすなど……腕などで済まさず、首を斬ってやればよかったのです!」
ウォルトン団長が、男たちをわざと生かしたことが、マリアにはどうしても許せなかった。
一人残らず、その場で。己の罪をその身に刻み付けてやるべきだったというのに……!
団長は苦笑し、ここがウォルトン領ならそうしたんだがな、と釈明する。
「さすがに君の領地でそれは、と遠慮したんだ。奴らを殺してやりたかったのは僕も同意だ。それだけは誤解しないでくれ」
「……ええ。分かっております。レオン様は私の立場を考えて、憎しみを堪えてくれたのだと……。分かっていても――なぜ私たちの息子を傷つけた連中を八つ裂きにしてくれなかったのかと――怒りが抑えられなくて……」
単なる八つ当たりでしかないことはマリアも自覚している。
だが連中への憎しみと怒りで、頭がどうにかなりそうだ。
連中がろくな戦闘訓練も受けていないへっぽこで、息子が父親譲りの才能と努力で心身ともに鍛えていると言っても……一歩間違えれば、命を落としていたかもしれないのだ。
それで……どうして、彼らを憎まずにいられるだろう。
マリアは大きくため息をつき、なんとか自分を落ち着かせる。
「パーシーを守ってくださってありがとうございました、レオン様」
そう言って、マリアもウォルトン団長を抱きしめた。
「礼を言われるようなことではないさ。親が、自分の子を守るのは当然のことだろう」
ウォルトン団長も、マリアを抱きしめ返した。
「レオン様……すぐに釈放させます。レオン様は、私たちの息子を守っただけ。それで罰せられるだなんて、そんなこと……私が許しませんわ」
騎士のウォルトン団長にとって、無抵抗の人間を一方的に斬り捨てることは、やはり彼の名誉を穢す振る舞いだ。
パーシーのため……マリアのせいで。彼にそんな選択をさせてしまった。
当然、マリアには彼の名誉を守る義務がある。
「陛下……申し訳ないのですが、城に帰るのは待っていただけませんか。私に、同行してほしいのです」
「それは構わないが……」
ヒューバート王が、困惑した様子で答える。
場合によっては、国際問題に発展しかねないこと……でも、マリアはもう、そんなことにこだわっている余裕はなかった。
パーシーを傷つけた男たち――あれは、マリアの夫の関係者。向こうも、マリアの息子と知って狼藉を働いた。
これで、何事もなく終わるわけがない。
ためらうつもりはないが、せめて、王に対して事後承諾になるようなことにはしたくなかった。
王も、もう分かっているはず。我が子を傷つけられて、マリアとその夫との間に、和解の道はなくなったことを。
「ここを出る前に、もう一人、会いたい人がいます。手短に済ませますわ」
留置所には、ウォルトン団長と共に捕えられた人がいた。
パーシーたちに助けを求め、男たちから逃げていた例の少女。エンジェリクでは珍しい容姿と、話す言葉から察するに、どうやら南の大陸の出身らしい。
らしい、と言うのは、彼女と会話ができる者がいないから。少女のほうも、逃げ出すことに必死で、取り調べに非協力的だった。
そんな少女に、マリアは会いに来た。彼女に証言してもらわないと、ウォルトン団長を釈放できない。
「言葉が分からないふりをしているようだけど、チャコ語なら多少は分かるでしょう?」
少女は黙り込み、マリアにちらちらと視線をやりながらも、相変わらず言葉が分からないふうを装っていた。
完璧にマスターしているわけではないが、たぶん、こちらの言葉もある程度は理解している。
南の大陸は大小多くの国が入り混じり、言語も複雑だ。だからこそ、公用語としてチャコ語も浸透しているはず。
いまはずいぶん衰退してしまったが、それでも、チャコ帝国は南大陸一の大国家であることに変わりはないのだから。
「あなたは、あの男たちに捕らわれ、そこから逃げ出してきた。逃げて助けを求め、そんなあなたを助けようとして、パーシヴァル・ウォルトンとダニエル・バンクが負傷。二人を守るために、ライオネル・ウォルトンはオーシャン貴族を斬った――あなたはその一部始終を目撃し、男たちの正体も証言できるわ。全部話してちょうだい」
ゆっくりと、聞き取りやすいよう丁寧に、発音には気を付けてマリアは言った。
少女は唇を噛み締め、喋らない、という固い決意を見せていた。
なぜ喋りたくないのか、それはマリアにも分かる。
迂闊に喋って、それがあの男たちに知られてしまったら……あの男たちに、また捕まってしまったら。それが恐ろしくて、喋ることができないのだ。
「……そう。話したくないのね。貴女の気持ちはよく分かるわ。怖くて堪らないのよね……あの男たちに、とても酷い目に遭わされてきたから」
少女の身なりは、本当に酷いものだ。何が起きたのか、詳しく調べなくても察してしまえるほど……恐ろしい目に遭ってきた少女の恐怖を思えば、強引な詰問は止めて、ゆっくりと警戒心を解いていくべき――なんてこと、マリアがするわけがない。
「じゃあ、貴女をあの男たちのもとへ帰すことにするわ」
少女は目を見開き、信じられないものを見るような目でマリアを見つめる。
絶望の表情をする少女を、マリアは冷たく見下ろした。
「私が、貴女に同情して優しくするとでも思ったの?私の子は、貴女を助けようとして怪我をしたのに……それを見捨てようとしている貴女を?母親の私が?私の子も、私が愛する男も助けてくれない貴女に、手を差し伸べる義理なんかないわ。役立たずの用無しなんか、さっさと送り返すに決まってるじゃない」
マリアは本気だった。
彼女は、気の毒な少女だ。でも、マリアは正義の味方ではない。
彼女は赤の他人で……少女を憐れむより、パーシーやウォルトン団長の正義が報われる道を探したい。彼女なんかに、かまっている暇はないのだ。
「ま、待って……!」
たどたどしいエンジェリク語で、少女が喋る。
やはりチャコ語どころか、エンジェリク語も話せるようだ。かなり片言ではあるけれど。
「全部、話す!話す!だから、あの男たち、帰さないで!」
マリアは一転してにっこりと微笑み、そう、と頷く。
「もちろん帰したりしないわ。大切な証人だもの。しっかり私たちで匿って……あなたが落ち着ける場所を、ちゃんと見つけてあげる」
一部始終を見ていたヒューバート王は、マリアの後ろで密かに苦笑していた。
オルディス公爵領のはずれ。静かな森林地区。
そこに、マリアの夫は暮らしていた。
もとはオルディス家の別荘で……生前、マリアの伯母は、ここで男と逢引することもあったとか。
先祖代々伝わるような高級な家具調度品はすべて売り払われ、なかなか悲惨な状態になっていたが、結婚にあたってリフォームし、夫に与えた。
夫は、ここでの生活にそれなりに満足しているらしい――この屋敷の管財人を務めているラッセルからは、そう報告を受けていた。
「イザイアを呼びなさい。貴方の妻が来た――そう言えば、あの男でも無視できないでしょう」
屋敷の召使いにそう言いつけ、ヒューバート王を供に連れたマリアは玄関ホールで夫を待った。
顔も覚えていない夫と、およそ三年ぶりの対面。
騒がしい声が近づき、マリアは振り返った。
「妻が来ただと?あの魔女め……いまさら、何の用だ……私は、あの女に用などない!」
声が聞こえても、それが夫のものなのかどうかマリアには分からなかった。
そう言えば、式の間も彼には無視されていて……会話どころか、まともな挨拶もされていない。夫の声を、直接聞いたことがなかったかもしれない。
「おい。何をしに来た!」
夫に会った時、自分はどんな感情を抱くのか――そんなことを、ちらりと考えてみたこともあったけれど。
驚くほど、マリアの心には何も起きなかった。夫という称号がついているだけで、所詮、その他大勢と同じカテゴリーにいる人間なのだ……マリアにとって、彼の存在はその程度。
「お久しぶりですわね、旦那様」
マリアは呼びかけ、夫イザイアと正面から向き合う。
それなりに容姿は整っているけれど、これといって惹かれるところのない凡庸な男。
これが、私の夫なのね――マリアは心の内で嘲笑する。
「あなたのお友達を逮捕しに参りました。夫なら、私の頼みには快く応じてくださいますわよね」




