あなたへ
親愛なるカンセイへ
突然このような見苦しいものを送ってしまい申し訳ない。しかし、技術の発展とは恐ろしい。かつてはわざわざ本人に届けに行かねばならなかったのに、今では手紙は電子送信装置によって部屋にいながらにして私信類を送ることが出来る。
さて、この手紙と一緒に送った文章をお読み頂けただろうか。
きっと勘のいいあなたのことだ、同梱した文章について、恐らくはすぐに思い当たるものがあっただろう。
これは来年からわたしが任されるはずだった、ゴート学府の講義「陶金併用時代概論」の骨子とするべく作ったものだ。あなたはご存じだろうが、わたしはあまり人前に出て喋るのが得意ではない。それに、弱冠28歳で教壇に立つことを許された身として失敗は許されないとわたしなりに気負った結果でもある。初学者向けに何を語り、理解されづらい専門知識をどう希釈しようかと悩みに悩み、様々な論文を読み漁って組み上げた。そのおかげもあっただろうか、とてもわたしが書いたとは思えないすっきりとしたものが出来上がった。学生時代、あなたに「お前の論文は寄り道が多くて冗長だ」と笑われたものだが、ようやくその癖もだいぶ改善されてきたものと見える。
しかし、この講義ノートは無駄になってしまったようである。
わたしは今日付でゴート学府研究員の資格を褫奪された。さらに、政府より出頭命令が下されている。
どうやら、かねてよりわたしのことを快く思っていなかったであろう女権拡大運動過激派「日月団」が政府に手を回し、わたしの研究員としての地位の褫奪と身柄の拿捕へと動いたらしい。嘆かわしいことだ。自分達の政治的信条を世間に浸透させるために不都合な存在を排除しようというのだ。しかも、学者であるわたしを、だ。
わたしは学者として、「陶金併用時代女尊男卑説」に否定的な立場を取ってきた。学者は己の学問について嘘をついてはいけない、とわたしの師は言った。その言葉を守っているだけのことである。
思えばわたしが女尊男卑説に疑問を持ったのは、2017年、ゴート市西の群集墓の発掘に参加したときからだ。幾万もの墓標、そしてその下に埋まる数万もの遺骸。見渡す限り立ち並ぶ、同じ大きさの墓標。ほぼ男女差がなく、階級差など見出すことのできない葬制。幾万もの遺骸に接したわたしは、その時確信したものだった。女尊男卑説など幻想に過ぎないのだと。いや、それも違う。数万もの遺骸はわたしに語りかけてくれた。自分はこうやって生きこのようにして今は休んでいるのです、と壺棺の中で物語っているかのようだった。そしてどの遺骸も女尊男卑なんて語り出したりはしなかった。わたしは、この陽気で能弁な人たちの言葉を曲げてはいけない、そう思った。
そのわたしに対し、あなたはいつも忠告してくれた。「女尊男卑説は政治が絡む問題、学者としてあえて踏み込む必要はない、他にも研究テーマはあるだろう」と。そう、わたしはこうなることを知りながら、女尊男卑説の否定へと進んだ。その時からわたしの運命は定まっていたのだろう。
きっと、わたしは死ぬことだろう。
数ヶ月前、政治学者のサンコウが政府の出頭命令に従い、官憲により拷問死させられた事件があった。やはりサンコウも「日月団」と対立していた。この事件もまた「日月団」による関与があるのだろう。
全くなんという皮肉だろう! 女性の権利拡大を主張する団体がわたしを殺そうというのだ! 女性であるわたしのことを!
カンセイ、あなたには感謝している。
わたしがこれまで考古学者であり続けることが出来たのは、自説を曲げなかったゆえに女権拡大論者に殺された師の教えもさることながら、ゴート学府で机を同じくし、他の学府に研究員として移ってもなお学問上の好敵手として切磋琢磨したあなたがいたからだ。
わたしは考古学という学問が大好きだ。人からは何故好きなのかと聞かれることもあるが、理由なんてありはしない。好きだから好きなのだ。わたしは考古学という学問に生かされている。はるか遠い昔の人々の生活を想像すると胸が熱くなり、眠れない夜には、陶金併用時代の人々にも眠れない夜はあったのだろうかとふと思索してしまう。
――すまない、一つ嘘があった。お詫びして訂正したい。
眠れない夜には、考古学のことも、ましてや陶金併用時代のことなど考えていない。遠い学府で研究を重ねているだろうあなたの面影を思い浮かべている。わたしが過ごすこの夜に、あなたはどう過ごしているのだろうと遣る方のない疑問に駆られ、もしかしたら他の女と逢瀬でもしているかもしれないと根拠のない焦燥に身を焦がして過ごしていたりする。
きっとわたしは、考古学と同じくらいあなたのことが大好きなのだ。
もしかすると、わたしが女尊男卑説を嫌うのは、わたしの奥底にある光景があったからなのかもしれない。学生の頃のように、対等に意見を戦わせるわたしとカンゼイの姿が。そう考えると、わたしもまた歴史に自分の体験や願望を写しているということになってしまい、女権拡大論者と同じ轍を踏んでいることになるのだが。
そして今わたしは、「そういえば、陶金併用時代の男女は、どうやって自分の気持ちを相手に伝えていたのだろう」とふと思った。やはり手紙などの手段なのか、それとも口頭で伝えていたのだろうか……。どうやらわたしは、あなたと考古学が大好きのようだ、やっぱり。
さて、そろそろ迎えが来てしまう。確か当局は日没前には家に訪ねると言っていた。もう日没まで時間がない。
この講義ノートと手紙の扱いについてはあなたに一任する。これを持ち続けることはあなたにとっていい影響を残さない。もし読んでいただけたのなら即座に処分して頂きたい。
しかし、覚えておいてほしい。
わたしという学者が、そしてわたしという一人の人間がいたことを。
あなたの学者としての成功、一人の人間としての幸せを祈念する。
あなたのおかげで楽しい人生だった。ありがとう。
2022 コーキョウ




