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13.最後に

 12回に渡る講義を経て、いかな感想をもっただろうか。世間においては謎とされている陶金併用時代について、ある程度イメージを培ってもらえたとしたなら幸いである。


 初学者のあなたたちに問うてみたい。

 最近、文芸の世界で「もしも文芸」が流行している。その中に、「もし過去に行けるとしたら」というジャンルがあり人気を博しているという。流行りの「もしも」を使い、一つ設問を出そう。

 「もしも過去に行けるとしたら、歴史学という学問は無意味化してしまうのだろうか?」

 もしかしたら、こう思っている人はいないだろうか。「歴史とは、昔何が起こったのかを明らかにする学問である」と。確かにこの答えは間違いではない。歴史という学問は、過去の事実を元に組み立てられる学問である。しかし、「明らかにする」ことが歴史という学問の目的だとしたら、最近流行している現代史など研究する必要がないということになってしまう。確かに歴史学の役割の中に「明らかにする」ことは存在するが、それはあくまで二次的な目的である。

 思うに、歴史とは「過去に起こった事実について、現代の我々が評価を与える」学問なのではないか。こういう事実があった、ああいう事実があった、この事実の羅列だけでは歴史とは言わない。そういった事実の中から因果関係を発見したり歴史的な意義を与えたり、つまりは後世からの評価を与えて再構成する学問、これこそが歴史学という学問なのではないか。

 我々は事実をそのまま観測しているわけではない。事実を集めた後、自分という存在を通して事実を再構成して理解している。そして、歴史という学問は、学者がそれぞれに作り上げた「事実ではない何か」の集合体なのである。

 ここで押さえておかないとならないことがある。筆者が述べた「評価する」「再構成する」などの語の主語は誰か、ということである。

 いうまでもない。この主語は「私」である。

 分かっただろうか。歴史という学問は常に、「(研究している)私」を意識しなければならないのである。裏を返せば、歴史という学問は「現代人が過去をどう捉えたか」を軸に展開される学問であり、その研究において「現代」という時代の制約を受けてしまう。


 この講義において「女尊男卑社会説」を取り上げた。

 考古学の見地から、陶金併用時代は女尊男卑社会だったと言われている。しかしこれは、考古学という手段によって「現代人が過去を捉えた」結果に過ぎない。もしかしたら、我々は現代の空気に引きずられて「女尊男卑社会説」を述べているだけなのかもしれないのだ。

 無論、あなたたちも知っているだろう。もはや巨大勢力となっている「女権拡大運動」を。

 元々はこれまでの歴史にあって抑圧されがちであった女性の権利を向上させようというまともな運動であったが、現在ではさらに先鋭化し、「女尊男卑こそ正しい男女関係である」と主張、男尊女卑思想の持ち主や男女同権論者にも弾圧を加えている。

 元々陶金併用時代の「女尊男卑社会説」は「女権拡大運動」論者により提出された説であるが、結果として考古学会はこの説を受け入れた。そして「女権拡大運動」論者たちはそれを根拠に、「かつて人類は女尊男卑社会だった」と定説であるかのように主張した。残念なことに、考古学が政治的に利用されたのである。結果として、考古学が男尊女卑思想や男女同権思想論者の弾圧に「裏付け」を与えてしまったのである。

 陶金併用時代が女尊男卑社会であったかどうかというのは、学問的な論争を経て常に再確認されるべき性質の「説」である。再確認を経ない説はもはや説ではない。ただの信仰・政治的思想である。一定の政治的思想が学問に介入するなど、決してあってはならないことである。


 そして、次に述べるのは、歴史という学問に身を捧げる人間の魂に刻んで欲しい、歴史学者としての心の在り方である。心して聞いて頂きたい。

 特に陶金併用時代関連の書籍に顕著であるが、まるであの時代を「政治的・物質的にも恵まれた理想郷的な時代である」と言いたげな言説で溢れている(「女権拡大運動」論者による「陶金併用時代女尊男卑社会説」もこの亜種であろう)。

 しかし、歴史学者は知っている。どのような時代に生まれても、どのような立場に生まれても、理想郷などどこにも存在しないということに。

 研究者の端くれとして言わせていただければ、陶金併用時代は確かに豊かな時代だったと言える。恐らくあの時代に生きた人々は飢えを知らない人々であろうし、人類史上でも一番物質的に恵まれた時代である。

 しかし一方で往時の人々は、劣悪な環境の乗物により輸送されていたり、背の高い建物たちに押しつぶされそうになりながら地面も見えない道を歩いていたのである。さらに、「ナツカシキアノヒ」第一部では、幸せながらどこか閉塞感の漂う世界が描写されている。どこか、重苦しく逃げ場のない、緩やかな地獄のようにも思える。

 結論を言おう。理想郷的世界など過去には決して存在しない。

 歴史を学んだところで教訓は何も生まれない。しかし、「理想郷的世界は過去には存在しない」、これは歴史学が到達した唯一の教訓めいた結論であろう。が、落胆することはない。

 なぜなら、我々が未来に向かって夢想し作る世界こそが、我々の考える理想郷的世界に他ならないからである。


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