練成課程
――私は、自分が凡人だと知っている。
貴族としての教育を受け、それなりに光っている。……はずだ。まあ、多分、光ってるんじゃないかな……?
凡人とはいえ、あれだけの金と時間をかけて磨かれたのだ。多少は光らない方がどうかしている。
しかし、私は公爵家の次期当主として期待されていた。
求められる能力は多岐に渡り、責任は重い。
立ち止まってなんていられない。
それでも、いくら産湯まで使わせてくれた、養育係にして教育係のシエル相手とはいえ、醜態をさらしたのだから反省して、素直に聞くことにしたのだ。
私が騎士の練成課程――それも、基礎をすっ飛ばして、最終訓練課程のみを受けるという話は、反対の声の方が多かった。
担当教官でさえ、初対面では辛辣極まりなかった。
「この訓練中、お前を、貴族だなどとは思わない。敬うことも、無論、訓練の手を緩めることも、評価に手心を加える気もない。気に食わなければ脅迫でも暗殺でもなんでもするがいい。お貴族様が、お遊びで来られては迷惑だ」
……と、言い放ったのだ。
――涙が出そうなほど悔しかったが、ぐっと歯を食いしばって耐えた。
念のため、シエルにも裏で手を回したりしないように、お願いした。
お遊びで、できるものか。
伊達や酔狂で貴族、それも公爵家の爵位継承権第一位は務まらない。
だから、その教官から合格を告げられた時は、内心で飛び上がりそうなほど嬉しかったものだ。
余裕で、とは言えなかったけれど、なるべく余裕ぶって涼しい顔で、彼の祝辞を聞いた。
「今後も、お前を、貴族だなどとは思わない。――お前は騎士だ。他の誰がなんと言おうと、俺と、今ここにお前と共に並び立つ者は、お前が、誰よりも騎士たらんと努力したことを知っている。……合格おめでとう、アーデルハイド」
――さすがにうるっと来たが、ぐっと歯を食いしばって耐えた。
訓練中は、この鬼教官めと何度思ったことか分からないが、そういうのがなんかもう、全部飛んだ。
もちろん「貴族なのだから合格は決まっていた」と陰口を叩く者もいた。
……そう思うのは、当然だろう。
本人である私さえ、なんで貴族の令嬢が、騎士と聞いて想像するようなきらびやかさは、鎧と剣と槍の穂先ぐらいしかない泥臭い訓練を……と思うこともしばしばだったのだ。
その声がなくなることは、ないだろう。
私が血と汗をもって勝ち取った称号を、ただのお飾りとしか思わない者達がいるだろう。
それでも、私と共に練成課程を受けた者の大半、そして合格した全員は、そんな噂や陰口に対して怒り、あるいは笑い飛ばしてくれた。
私が合格して以来、領軍への定着率はちょっと上がった……とか。
因果関係は証明できないが。
……最後の方は、居心地が、良かった。
ずっと、ここにいたいとさえ、思った。
……少しだけ、違う未来を夢見た。
騎士の試験は、狭き門だ。
ヴァンデルガント領軍の騎士は、どれだけ偉くなっても"リッター"の称号も、貴族を示す『フォン』の姓も与えられない。
それでも、恋愛物語の相手役として夢想されるほどの地位。
それまでずっと、当主として生きるのだと、思っていた。
けれど、騎士という目標……夢を追う仲間と、ほんの半年といえど、苦楽を共にして。
このまま騎士として生きるという夢を見た。
そう生きられれば。
名誉と栄光を信じることができれば。
生死を預けるに足る仲間と共に、騎士の称号を得て。
そう、生きられれば。
戦争さえ起きなければ、領軍の騎士というのは、なかなかいい仕事だ。
日々の、市内や街道の巡回といった治安維持ならば、栄光とも武勲とも無縁ではあるが、戦場よりはるかに危険は少ない。
老齢になるまで勤め上げれば、死ぬまでの恩給もある。
そんな風に、一生を送ることができれば。
そんな、夢を見た。
私は、それを与える側になると決めた。
私はヴァンデルヴァーツ家の長子であり、唯一の子供……だった。
爵位継承権は、常に変わらず一位。
生まれた時から、未来は決まっている。
それでも私は、選んだのだ。
もしかしたらありえたかもしれない未来を垣間見て、それでも――いや、だからこそ。
さっきも顔を合わせたヨハンやホルストのように、訓練を共にした同期の仲間。訓練を受け持った教官。訓練中の研修で出会った先輩騎士に、後輩の兵士。
私にとって領軍の騎士も、兵士も、もう書類上の数字ではない。
――その上でなお、数字として見なくてはならない。
私は、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。ヴァンデルガントの領主にして、領軍の総指揮官だ。
我が領の者達が、誰も死なない未来を夢見た。
悪名だろうと、我が家には力がある。理想を押し通すだけの『力』が。
でも、今の私が目指しているのは、断頭台だ。
この世界を貫く運命があることを。
私などより、もっと大きな『力』の存在を知ってしまった。
その運命がただ理不尽な物なら、私は抵抗しただろう。
当主として、領主として……一人の人間として、運命に抗っただろう。
でも、【月光のリーベリウム】は、ハッピーエンドの物語だ。
小悪党一人の首より、国益は重い。私が何度も適用した論理だ。
今さら? ――今さら、自分一人だけその論理の外に置こうなどと、都合のいいことは思わない。……思えない。
……私が首を落とされるのは、いい。
我が領の未来が安泰で、妹が幸せになるなら、それでいい。
ただ、少しだけ。
私を主と仰いだ者達の信頼を汚すこと。
そして、当主になる前の――『悪役令嬢』になる前の私が、彼らの主であるために努力した全てが、断頭台の露と消えることは。
少しだけ、寂しい気もした。




