【薬草園の医師長】
ヴァンデルガント領都の郊外には、薬草園がある。
それも、たくさん。
正確には、畑や建物が点在しているだけで、一つだ。
さらに正確に言えば、全て、とある貴族家の支援と庇護の下にある。
全てが、ヴァンデルヴァーツ家の傘下。
一応、今回は視察。もちろん事前に連絡する視察もあるが、やはり一番効果が高いのは抜き打ちだ。
なので今回はレティシアとシエルを連れて、薬草園に抜き打ち視察に来ている。
……『抜き打ち』なのは、もう一つ理由があって。
この、数多い薬草園の中『当たり』を引くのかを、確かめたかった。
領主の館と同じく、赤い制服をまとい、斧槍を携えた衛兵達に出迎えられる。
「いらっしゃませ、アーデルハイド様。ルイ医師長をお探しですか?」
「医師長? ルイ先生が来てるんですか?」
「……そうらしいわね。――ルイ医師長に会いに来たわけではないわ。薬草園の視察、ということになるかしら。まあ、適当に見学させてもらうから」
……『当たり』を、引いたようだ。
ここを選んだ理由らしきものもあるが、ルイは関係ない。宮廷医師団の見学依頼は受けていたが、どの薬草園に案内するかは任せていた。
「それでは、私は責任者と話を……アーデルハイド様、お側を離れる許可を」
そう言うシエルに、私は軽く頷いて許可を出した。
「行きなさい。問題はありません。ただ、見て回るだけですわ」
こういう、特に不正の情報を握っていない時の視察は、激励も兼ねている。
どうせ全部巡ることもできないのにと思うこともあるが、それでもまあ、パトロン自ら顔を見せると、見られているという緊張に、期待されているという高揚という効果が見込める。
あまり嫌われていなければ、の話だが。
――これでも私は、ヴァンデルヴァーツ家の当主。ここは、自領の中で最も縁の深いヴァンデルガント。
私にとっての、ホームだ。
「はい。それでは、レティシアお嬢様と、どうぞごゆっくり」
「アーデルハイド様と、レティシアお嬢様を同時にお迎えできるとは、当園は運がいいですな」
「お姉様、よろしくお願いします!」
……妹が絡むと、アウェー感が出るのは、なぜだろう。
「――行きますわよ。迷子にならないよう、付いてきなさい」
職員達がきびきびと立ち働いている。
紫のローブをまとった研究員。茶色のエプロン姿の作業員。赤い制服の衛兵達。
「アーデルハイド様! 今年の薬草酒の新しい配合、上手くいきそうですよ。飲むとすっきりして限界を超えて動ける感じがすると評判です!」
「……危ないものは入れてないんでしょうね?」
「危なくない薬なんてありません!」
「それはそうですけども。……売る前にデータをきっちり取るように」
「もちろんです!」
紫のローブの若い女性研究員に、順調に進んでいる……のか分かり切らない研究成果を報告され。
「おや、お嬢様。今、水やり中でして……」
「そのままでいいわ。ただの視察よ。いつも通りになさい」
「ありがとうございます。……本当にご立派になられて」
「ありがとう。……でも、それ、会う度に言ってないかしら?」
「私のような年寄りからすれば、会う度にお変わりですよ、お嬢様は」
水やり中の茶色いエプロン姿の作業員の老婦人と他愛ない会話をし。
「アーデルハイド様。こちら、異常ありません」
「ご苦労様」
「最近は、静かなものです」
「騎士や兵士が慌ただしいなんて、ろくでもない事態ね」
「違いありませんな。――ごゆっくりどうぞ」
言葉とは裏腹に、きっちり警戒しつつ巡回している、赤い制服で、ヒゲもすっかり白くなった老衛兵と挨拶を交わす。
「……お姉様。全員とお知り合いなんですか?」
「ええ、まあ、そう言ってもいいかしらね」
たまに名前とか怪しいこともあるが、顔馴染みなのでなんとなく済ませている。
「慕われているのですね……」
感嘆したように息をつくレティシア。
慕われている……のだろうか。
あまり、自信はない。そうかもしれないとも、思うけれど。
それは私が、ヴァンデルヴァーツ家の当主だから。
取り入っても大した得がないことを思えば、それだけとも思っていないが。
むしろ、私が『当主』ではなく『令嬢』だった頃の印象を引きずっているような気がするのが悩みかもしれない。
茶色い煉瓦で舗装され、その横に植物が植えられ、所々に名札や杭、標識がある小道を、妹と共に歩いて行く。
それだけなのに、少し心が浮き立つのが分かる。
視線の先――煉瓦の道が交差して十字路になった中心に、白い人影が見えた。
「【あれ、ルイ先生……?】」
「【レティシアさん?】」
薬草園には、宮廷医師団が誇る俊英たるルイ医師長がいた。
彼は偉い立場ではあるが、"放浪の民"出身であることもあり、自らの地位が高くなかった頃から、国内外の医療の技を収集し、診療に役立てようとしている。
さすがに医師長までなると、国外まで出る機会は減ったようだが、その分、国内の技術の収集と整理の機会を増やしているらしい。
宮廷医師団は、ヴァンデルヴァーツ家とも関わりが深い。
薬学を我が家が独占しているというわけでもないが、圧倒的に『臨床例』……もっと正確に言えば『実践例』が多いのだ。
血で血を洗うという慣用句があるが、かつてこの大陸は、毒で毒を洗うような歴史を辿った。
毎月のように地図が書き換わる泥沼の戦いを経て、剣による戦いに犠牲が出すぎると気づき始めた各国は、戦いの軸をずらし……我が家は最前線に立った。
毒を盛る側でもあるが、常に攻撃側に立っていられたはずもなく、盛られた側、盛られないために努力する防衛側でもある。
……かつて多くの人を殺した薬が、この時代にあっては人を癒やす薬だ。
「……アーデルハイド様も。いらっしゃったのですね」
医師長が、若干複雑そうな表情で私を見る。
自分が好きな少女の姉であり、それを虐げる存在であり――その庇護者でもあるのだ。
宮廷医師団に対しても、我が家は薬を販売し、薬の材料を提供し……時に治験にさえ協力している。
それ自体は、完全に合法だが。
それだけの知識は、法の及ばぬ領域で培われたものだ。
彼とても分かっているだろう。我が家の協力を仰ぐということは、ひとしずくの悪意を飲み込むことだと。
「ここはヴァンデルヴァーツ家所有の薬草園ですもの。私がいてはいけない理由もないでしょう」
「それはそうですね。……ここは、いい薬草園です。歴史の重みを感じます」
薬草を中心とした、薬の製作と販売は、ヴァンデルヴァーツ家の表の資金源でもあるし、裏の活動にも必要になる。
……さて。
「レティシア。せっかくなのだから、ルイ医師長に少しお話を聞いてはどう? 私は一人で見て回りますわ」
シナリオに本来、私はいないのだ。
妹に自由行動をさせた場合、出会ってくれるかは未知数で……。
【薬草園】という記述を頼りに、運命があれば出会うこともあるだろうとやってきたら……こうして出会った。
彼のルートに入るかは分からないが、医師長は最初に活躍シーンを潰した負い目がある。
シナリオ通り、二人きりにしてやろう。
「はい」
レティシアが頷く。
そして踵を返そうとした瞬間、袖を引かれて出鼻をくじかれた。
妹を振り返ると、真剣な表情。
「でも、お姉様も一緒がいいです」
……ええー?
困惑しかない。
そんなに好感度は高くないのか? 彼と二人きりになりたくないと?
いや、そんなこともないだろう。
しかし、そうだとするなら。
……私の、好感度が。
「僕は構いませんよ、アーデルハイド様」
穏やかに言うルイ医師長が、私の逃げ場を塞いでいく。
しかし。
お前、うちの妹と二人きりになりたくないとでも言うのか。
「アーデルハイド様は、視察にいらっしゃったのでしょう? 好きに見ていいとは言われていますが、今は忙しいとかで案内役もおらず、質問は後でまとめてすることになっています。案内していただけるなら、僕としても助かります」
一瞬、喧嘩腰になりかけたが、彼の言うことには筋が通っている。
「ええ、まあ、そういうことなら……」
予定が狂った。
内心で、ため息をつく。
それはおくびにも出さず、私はにぃ……と笑ってみせた。
「――当主直々に案内してさしあげますわ。光栄に思いなさい」
精一杯悪役令嬢らしく、嫌味を垂れ流す。
「はい、お姉様! ありがとうございます」
「光栄です、アーデルハイド様」
しかし効果がない。
この二人、嫌味を受け流すのに慣れ過ぎている。
妹に関しては、私が悪いような気もするが。




