【乗馬イベント】
【乗馬イベント】の日がやってきた。
妹と色違いでお揃いの乗馬服に身を包むと、気が引き締まる気がする。
私が青で、レティシアが赤。ズボンは共に白で、中に着ているベストは水色と桃色。"仕立屋"謹製の乗馬服は、動きをまったく妨げない。――今日のような日には、ぴったりの装いだ。
ほとんど更衣室の扱いだが、宿の部屋を借りてそこで着替えている。
宿の主人に、昨日の訪問などなかったかのように軽く挨拶して、レティシアと共に馬場に出た。
「絶好の乗馬日和だな!」
前日入りして、私達が来るまで馬を眺めていたフェリクスが叫ぶが、まあ気持ちは分かる。
足を止めて空を見上げると、思わず目を細めてしまうような初夏の日差し。
しかしそこは北国であるユースタシアのこと。色の濃い青空には雲もほどほどにあり、風が吹くと涼しいぐらいで、長袖の乗馬服が丁度いい。
草の匂いを胸いっぱいに吸い込む。――かすかに馬糞やら牛糞やらの臭いもしたような気がするが、まあ牧場だし。
「ええ、本当にいいお天気ですね。……ね、お姉様」
「そうね。いいお天気だわ」
いい天気すぎて、前日からの『仕込み』がダメにならないか不安だったりする。
「レティシアさん。日差しにお気を付けて。水筒はお持ちですよね。こまめに水を飲んでください」
「はい、ルイ先生」
医師長らしく体調を気遣うルイも含め、フェリクスの他は全員、当日組だ。
馬車に乗って牧場に来て、馬に乗って遠乗り――何かがおかしいような気がしなくもないが、まあ貴族の遊興とはそういうものかもしれない。
私も、馬を飛ばして牧場に来て、また愛馬に乗るとか、そういうことをした過去もある。
「レティシア嬢とご一緒できて嬉しいですね」
「私こそ、お姉様にコンラート様達とご一緒できて嬉しいです」
コンラートに微笑んで返すレティシア。受け答えは、及第点といった所か。
……あえて言えば、私の名前を一番に出す必要はなかっただろうか。
厩舎から馬が引き出されると、フェリクスが一番に駆けつけ、ぽんぽんと首筋を叩き、たてがみを撫でると、ひらりと飛び乗った。
彼の身体の大きさに見合うだけのがっしりした馬体を持つ黒毛の馬は、彼のお気に入りで、名馬の噂ともなれば名前が出る。
まあうちの白馬が当代では一番の名馬だが。
……という自慢はしない。明確な基準がないために、絶対かなりの人間が同じことを思っているので、不毛だ。
コンラートも私と同じ白馬、ルイは茶色の馬に乗る。
医師長だけが貸し馬で、あの栗毛の子は、温和で人慣れしているいい馬だ。
"放浪の民"時代に培った乗馬の技術こそあるが、普段馬に乗る機会のない医師長には、丁度いいだろう。
私はもちろんリーリエだ。今日は運命に奉仕するお仕事なので、この白馬の雌馬が、今日唯一の癒やしとなる。
今回はいじわるイベントなので、妹の可愛さは、かえって心労が溜まるのだ。
手を伸ばして首を撫でると、機嫌が良さそうに耳を左右に倒す。
リーリエのつぶらな瞳が私を見つめ、リクエストに応えてもっと撫でると、尻尾を高く上げた。
馬はいい。人間を裏切らない。
人間は――人間を裏切る。
牧場の馬丁が、妹の騎馬たる最後の一頭を厩舎から引き出して連れて来た。
「あの……お姉様……?」
妹の困惑した声に、それぞれの馬に手をかけていた男どもが彼女を見た。
「なにかしら、レティシア」
私は、戸惑い顔の妹に、すまし顔で返す。
うちの妹は、戸惑い顔も可愛い。
「今日は……乗馬……ですよね?」
「ええ。なあに? まさか、私が用意した馬に文句でもあるの?」
妹は怒っていい。
私が用意した馬は、ポニーなのだ。
いくら妹が小柄で乗れなくはない……とはいえ、かなり小さい。
私達が乗っているような優美な馬体を持つ乗馬用の馬とは、まったく違う。
「……いえ。ありがとうございます、お姉様。私が乗りやすいように、小柄な馬を用意してくださったんですね」
うちの妹、めっちゃ健気。
「アーデルハイド。いくらなんでも、このような子供っぽい嫌がらせは……」
騎士団長がさえずる。
正論だが、そういうのは必要ない。
必要なのは、シナリオに従いつつ、安全な展開だ。
……妹が、この三人の中の誰を選ぶか分かっていないのが問題だが。
私は――妹が、与えられた自由な時間で、彼らとどんな風にしているか、知らないのだ。
「あら、騎士団長殿。つまらないことを言うものではありませんわ。これは姉の、妹に対する心遣い……それだけですわ。――ねえ?」
いやみったらしく語尾を上げてみせる。
そして実は、私の発言に嘘はない。
大きな馬から落馬とか危ない。だめ、絶対。
「しかし、だな……」
「――ヴァンデルヴァーツ家の問題です。口出しされぬように」
ぴしゃりとはねのけて、手綱を取ると妹に差し出す。
「さあ、レティシア? 一人で乗れるわね?」
「……は、はい、お姉様」
王子が私を睨み付ける。
「アーデルハイド嬢! ……ヴァンデルヴァーツ家当主といえど、この振る舞いは……!」
「いいんです、コンラート様。これは……お姉様の、心遣いなんです」
目を伏せた妹の肩が、震えていた。
ざっくりと、何かに切り裂かれたように胸が痛む。
ごめん……ごめんね……!
口には出せない思いを、鉄面皮の裏に閉じ込めた。
私がいつか、断頭台でざっくりと首を落とされれば、この子の鬱憤は――晴れるだろうか。
医師長が、硬い表情で私をじっと見てくる。
「……アーデルハイド様。自らの信念に照らし合わせて、その行いに恥ずべき所は……ありませんか」
「ええ。何一つないわね」
即答かつ断言する。
文句は運命の筋書きを書いた奴にお願いします。
と言えたら良かったのだが。
まあ、他人に理解してもらおうとは思わない。
「ほら、お乗りなさい。――ああ。とてもよく似合っていてよ?」
馬上の――ポニー上の人になった妹に向けて、なるべく底意地が悪く見えるように、薄く笑って見せる。
実際、よく似合っていた。小柄で、少しばかり優美さに欠けるとはいえ、ポニーは立派な馬だ。
それに今はその小柄さが、かえってレティシアの小柄さ、華奢さ、愛らしさを引き立てている。
フェリクスがいい所を見せようとしたのか、牧場に根回しをしていた騎士団用の馬がいたのだが、馬体が大きすぎた。
それに、気性の荒そうな雄馬とは。
初めての乗馬の時には、私はきちんと小柄な雌馬を用意したものだが。
大きければ上等だとか、まさかそんなことを思ったんじゃなかろうな。
雄馬なのはともかく、馬体の大きさも気性の荒さも、騎士団の重装騎兵の騎馬に望まれる条件であり……もちろん、年若く経験の浅い令嬢の騎馬に向いてないことは、言うまでもない。
それにフェリクスの野郎は、馬が好きすぎる上に乗馬技術が高すぎて、馬の欠点が一つも目に入っていない疑惑がある。
「さあ、それでは行きましょう皆様方」
私はにこやかに、【乗馬イベント】の開始を宣言した。




